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学校で体育をやるのは何のためでしょうか?
学習指導要領で必須と定められているから、といえばそうなのですが、では何のための必須なのでしょうか?
私自身が体育がすごく苦手だったので、そのような事を考えるのでしょうが、学生時代は体育の授業が苦痛で苦痛でしかたなかったです。たとえ苦痛でも将来役に立つことであればいいのですが、体育に関してはクソの役にも立っていません。体育さえなければもっと充実した学生生活をおくれたのに……とよく思います。
「やりたい人だけやればいいじゃん。授業として強制するなよ」というのが私の意見です。

以下、自分なりに考えた学校体育を是とする仮説と批判です。
(1)将来のスポーツ選手を養成するため
→スポーツ選手になるのは一握りのものだけであり、才能のある者だけ選抜して行えばよい。
(2)体の健康のため
→せいぜいラジオ体操やランニング(ウォーキング)、百歩譲って体力検査(踏み台昇降運動、反復横とび)のようなものをやれば十分であり、野球・サッカー・バスケットボール・鉄棒・跳び箱などなどを授業としてやる必要はない。
(3)心の健康のため
→苦手な児童・生徒にとってはむしろトラウマとなって心の健康を害する。
(4)集団生活のルール・規律を守る精神を育てるため
→文化祭や文化的活動(合唱コンクール、社会科見学など)、あるいは道徳教育で学べるものであり、少なくとも体育という行動がルール・規律をまもる精神に繋がるかといえばそうではない。(まだ児童・生徒同士でモノポリーやコントラクトブリッジでもやらせた方が良い)

次に学校体育を否とする根拠です。
(1)怪我、最悪の場合死亡事故に繋がる
→学校の体育の授業中に生徒が死亡したという話は報道でたまに耳にする。少なくとも教室で数学の授業を受けている時にはまず無いし、多少危険が伴う図画工作・家庭科においても死亡事故まではいかない、少なくとも体育にくらべれば圧倒的に少ない。好きな者がやってて死ぬだけならまだしも、学校が強制してそんな危険なことをやらせる必要はない。
(2)苦手な児童・生徒にとっては「からかい」や「いじめ」を受ける要因となり精神的負担となる
→特に球技などにおいて顕著であり、ヘマをすると「まじめにやれよ」「おいおい」などと嘲笑の対象となり、人によってはそれがいじめに繋がる。
(3)単に時間の無駄である
→体育をやる暇があれば英単語の一つでも覚えたほうが役に立つ。

以上が私の思いつく限りの理由なのですが、これだけを見ると学校において体育をするのは有用でないように思えます。
しかし、もしかすると思いつかないような理由があるのかもしれません。
体育のメリットがデメリットを上回る理由をご存知の方がいれば教えてください。

gooドクター

A 回答 (9件)

こんにちは。


私も体育は大嫌いです。

・小学校の時は走れば転ぶ、泳げない、臨海学校で微熱が出て初日に泳げない。
逆上がりと跳び箱ができたときだけ2をもらいました
・中学校の時も5段階評価で1か2です。高校入試の時だけ1学期の成績を3にしてもらいました。
・高校の時はバスケットボールの試験で1分間に何回ゴールに入るかで50人中1回もゴールに
入らなかったのは私だけでした。先生もふざけてやっているのではと思った位です。
・大学の時も卓球をとりましたが、生まれて初めて卓球をするので、サーブの仕方が
わからずに、テーブルの上で何回かバウンドさせて勢いを無くしてからラケットで
打ったら、あわててティーチングアシスタントの学生が来てやり方を教えてくれました

自動車の運転もできません。教習所から出て公道を走ることなく期限切れになってしまいました
この頃は道幅(横断歩道の長さ)ぐらいしか走れません。足がもつれます。
電車やバスでは必ず座ります

結局老人になればいくら体育ができても何の役にも立たないと言うことです
たぶん寝たきり老人になって死ぬでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/09/16 10:17

こんにちは。



義務教育は子供が将来職業を自由に選択できるために必要なものです。
なので、体育を行うことによって「スポーツ選手になりたい」「スポーツ選手にむいてるかも」「スポーツ選手になりたいけど無理っぽい」「スポーツは絶対嫌だ」「俺は勉強頑張ろう」とか子供が少しずつ判断することができるようになります。
他の教科も一緒です。
必要ない人には必要なく、必要な人にだけ必要です。

(1)怪我、最悪の場合死亡事故に繋がる
可能性は否定しません。
ですが運動能力を高めておくことも死亡事故を減らす可能性があると思います。

(2)苦手な児童・生徒にとっては「からかい」や「いじめ」を受ける要因となり精神的負担となる
そうだと思います。
ただし勉強(国語・数学・英語・その他)も同じではありませんか?
テストや通信簿、受験等ありますよね。

(3)単に時間の無駄である
英語が不要な人には英単語の暗記も不要です。

生活する上での必要ではなく、就職する、仕事をする(職業を選択する)ための必要です。
体育も図工も音楽も歴史も古文も微分・積分もみんな一緒です。
そのスキルが必要な職業に従事する人にだけ必要なものです。

いかがですか?
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この回答へのお礼

>義務教育は子供が将来職業を自由に選択できるために必要なものです。
なので、体育を行うことによって「スポーツ選手になりたい」「スポーツ選手にむいてるかも」「スポーツ選手になりたいけど無理っぽい」「スポーツは絶対嫌だ」「俺は勉強頑張ろう」とか子供が少しずつ判断することができるようになります。
他の教科も一緒です。
必要ない人には必要なく、必要な人にだけ必要です。

ということであれば、囲碁棋士になりたいという子供のために囲碁を教えることも是とされます。ごく一部の子供職業機会のために子供全体に必修とするのは少し違うかと思います。

>(2)苦手な児童・生徒にとっては「からかい」や「いじめ」を受ける要因となり精神的負担となる
そうだと思います。
ただし勉強(国語・数学・英語・その他)も同じではありませんか?
テストや通信簿、受験等ありますよね。

同じではありません。
体育が苦手であることは野球・サッカーなどで味方チームの人たちに迷惑をかけたり反感を買うことになりますからね。国語・数学・英語・その他ができなくても、他の児童・生徒に迷惑をかけることはありません。

お礼日時:2011/09/16 10:21

 こんにちは。

僕も小中学校の頃には余り体育の授業が好きではなかった人間です。
けれどそうした人間の目から見た場合の贔屓めな意見としても質問者様のご意見はある種の独善と恨み言としか映りません。
 学校体育で扱う種目として「基礎体力の把握」「基礎体力の向上」がありますが、問題は体育担当の教員が得意とする競技種目に偏ってしまう傾向も多々あるとの現実です。
 例えば学生時代に「器械体操」を専攻としていた教員と「武道」を得意としていた教員では年間に扱う種目の比重が異なる傾向もあります。
 実際に学校が恐れているのは「授業中の事故」を背景とした訴訟の問題です。柔道や器械体操、時によっては水泳の飛び込みなどで発生する障害とその過失責任の問題です。しかしながらその責任は全て体育科の教師の責任であるとは限らない問題もあります。これは他の科目の教職資格にも言えることですが、教育現場と教育行政との間での認識が乖離している。たとえば学部時代に社会科学系の学部に在籍し教員免許を取得した新人教員にいきなり難関校向けの日本史や世界史の授業を行えと言っていることと同じです。陸上競技を専門としていた教師に柔道の授業を行わせるには無理があります。受け身の採り方を理解していない指導者に安全な授業を委ねること自体が無理です。
 しかしながら以下の点に関して質問者様のご意見には賛同しかねる部分もあります。
(4)集団生活のルール・規律を守る精神を育てるため
→文化祭や文化的活動(合唱コンクール、社会科見学など)、あるいは道徳教育で学べるものであり、少なくとも体育という行動がルール・規律をまもる精神に繋がるかといえばそうではない。(まだ児童・生徒同士でモノポリーやコントラクトブリッジでもやらせた方が良い)

 上記の意見の背景には抜け落ちている部分もあります。ラグビーではポジション別にプレイヤーの資質も異なります。瞬発力に見るモノが無くても傑出した判断力があれば、ボールを何処に回せば良いかなどの点で秀でたモノがあります。上背がなくとも務まるポジションです。サッカーやバレーボールとても同様です。瞬間的に適切な判断をくだすことが出来る能力(状況分析能力)は大学や社会の中でも求められる要素です。同時にラグビーは1人の傑出したプレイヤーがいれば勝つことのできる競技種目ではないことも事実です。チームとしての信頼関係の上に成り立ったシミュレーションをどこまで発揮できるかが問われます。何も集団で同じ事をしなければならないとの単純な問題ではないことも確かです。モノポリーはアメリカで発生したゲームです。アメリカ人ならではの「成功か失敗か」のみを競うゲームであり、そこでは結果のみが問われますが、ヨーロッパが発祥の地であるサッカーやラグビーでは「結果に至るプロセスとその分析」が大きな意味を持ちます。物事の是非を判断するには結果からだけでは適切な結論を導出することは不可能です。こうした意味において諮問者様の立論には無理があります。

(3)単に時間の無駄である
→体育をやる暇があれば英単語の一つでも覚えたほうが役に立つ。

 これは論理のすり替えです。役に立つから勉強し役に立たないから勉強しないというのであれば中学校で学ぶ「正の数・負の数」の概念や「二次関数」「平方根」が実生活の中で必要でしょうか。また高校の日本史で学ぶ「鎌倉幕府の成立年代に関する3つの見解」など必要があるものでしょうか。けれども学問することの意味には「引き出しの数を増やす」こともあります。「英語」が得意でない子供に英語の授業は苦痛な時間かもしれません。けれどある日その子が英語の授業で他の子供が答えられない質問に適切な答をしたらどうでしょう。それを機会に子供の英語に対する興味がわき始める可能性もあります。
 僕は企業に勤務する一方、大学で教育に携わる者の一人です。こうした点から見ても質問者様が僕の職場に配属されたらどの様な対応をするとお考えですか?。「私にはこの仕事は向きませんから」といって仕事を投げ出された僕は上司として「では君に何ができるか教えて欲しい。まだ仕事にも着手していない段階で、できないとするその根拠を示して欲しい。それが正当な理由ならば上層部に相談して転属を考える」と話すことが普通です。
 瞬間的な判断のできなかったことが今回の原発災害でも浮き彫りになっていることをお考えになってみたら如何ですか?。判断では経験則がある程度の比重を占めていることも確かです。もし医療の現場で「これはマニュアルに書いてはいない、また僕が学校で習った状態とは違うから」といって患者を放置しますか?。都合の良くないこと、マニュアルどうりではないことが現実には殆どです。

この回答への補足

大変論理的な意見だと思います。ですが、反論もありますので補足とさせてください。

>瞬間的に適切な判断をくだすことが出来る能力(状況分析能力)は大学や社会の中でも求められる要素です。

おっしゃるとおりです。しかし状況分析能力を養うための手段が体育であり、他に代替不可であるということではありませんよね?体育を積極的に是とせず他の手段で十分だという私の意見の反論としては的外れです。
状況分析能力を養うのであれば、麻雀、早指での囲碁・将棋、ディベート、株式・為替取引のシミュレーションなどなどでも鍛えられるものでしょう。

>中学校で学ぶ「正の数・負の数」の概念や「二次関数」「平方根」が実生活の中で必要でしょうか。

これは実生活というよりは職業によって必要です。教員・学者のみならず、機械設計、コンピュータ技術者においても使います(ほんの一例です、もっともっとあります)。そして、それらを生業とする人は体育を生業とする人口より圧倒的に多いでしょう。さらにこれらの数学知識は他の知識では代替がききません。

>また高校の日本史で学ぶ「鎌倉幕府の成立年代に関する3つの見解」など必要があるものでしょうか。

細かい成立年代の知識は必要ないでしょう。しかしいかなる経緯でどのような前後関係のもとで鎌倉幕府が成立したかは知っておきたいですね。正しい政治判断のために必要です。歴史に学ぶということです。

>けれども学問することの意味には「引き出しの数を増やす」こともあります。「英語」が得意でない子供に英語の授業は苦痛な時間かもしれません。けれどある日その子が英語の授業で他の子供が答えられない質問に適切な答をしたらどうでしょう。それを機会に子供の英語に対する興味がわき始める可能性もあります。

これはおっしゃるとおりです。

>僕は企業に勤務する一方、大学で教育に携わる者の一人です。こうした点から見ても質問者様が僕の職場に配属されたらどの様な対応をするとお考えですか?。「私にはこの仕事は向きませんから」といって仕事を投げ出された僕は上司として「では君に何ができるか教えて欲しい。まだ仕事にも着手していない段階で、できないとするその根拠を示して欲しい。それが正当な理由ならば上層部に相談して転属を考える」と話すことが普通です。

私が体育を嫌いなのは確かです。しかし、嫌いであることをやらなくていいという根拠にはしてません。勘違いなされないように。
役に立たないから必要ないというのが私の主張です。私は学生時代、英語も嫌いでしたが、だからといって「英語が必要ない」という主張はしません。英語は必要です。私がそれを嫌いであるということと、客観的に役立つか否かは切り離して考える必要があります。
企業における対応ですが、おっしゃるとおり「私にはこの仕事は向きませんから」といって仕事を投げ出すのは論外ですね。しかしそれは私の主張とはまったく異なります。どちらかというと「この仕事は会社の利益にはなりません。理由はこうです」という主張に似ています。(まぁ私も会社で働いているので、そういった理屈がいつも通るとは限らないのはわかりますが)
いずれにせよ、企業での業務指示と教育をごっちゃにすべきではありません。教育は役に立つならばやる、役に立たないならやらないべきでしょう。

>瞬間的な判断のできなかったことが今回の原発災害でも浮き彫りになっていることをお考えになってみたら如何ですか?。判断では経験則がある程度の比重を占めていることも確かです。もし医療の現場で「これはマニュアルに書いてはいない、また僕が学校で習った状態とは違うから」といって患者を放置しますか?。都合の良くないこと、マニュアルどうりではないことが現実には殆どです。

おっしゃるとおりですが、ちょっと質問の内容とはかけ離れた内容かと思います。体育を是とする根拠にはなりませんよね?

補足日時:2011/09/15 16:23
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 基礎体力を付けることが大切です。

ちょっとした距離をバスで行く。つまり次の停留所までの距離ですら乗りたがるような子供が居るからです。
 運動することにより、頭脳にも影響があるという話も聞いたかな。運動することで健康になる。健康になれば勉強もはかどります。

 それと怪我がなどを心配されていますが、むしろしない方が将来的に怪我や事故につながる可能性が高いです。
 苦手な生徒に対しての虐めだった、勉強が出来ないので虐められますが。出来ない事に対して批判されるのはごく普通です。それが励ましでもあり、必要なものだから頑張れと言う意味も。
 
 
 基本的にあなたは面倒だからしないだけでしょう? 勉強が苦手でも運動は得意という子ども、逆も居ます。だからこそ全部出来るようにすべきなんです。勉強苦手だからしなくても言いとは言わないのでしょうかね?
 
 文武両道という言葉もありますよ。


 どうしても運動しないのなら食生活も見直すことになりますね。カロリーの高い食事は出来ません。塩分も過多になりやすい。病院の食事のような感じに成るかな。それでも良いのなら。


 それと親になったときに分かりますよ。子どもを育てるには体力がいる。運動能力がいる。子どもの運動能力をなめてはいけない。行動力もなめてはいけない。見守っているだけなんて無理。女性なら出産にも関わるかな。

 

この回答への補足

私の質問文に以下のような文言がありますが、見落としましたでしょうか?
(2)体の健康のため
→せいぜいラジオ体操やランニング(ウォーキング)、百歩譲って体力検査(踏み台昇降運動、反復横とび)のようなものをやれば十分であり、野球・サッカー・バスケットボール・鉄棒・跳び箱などなどを授業としてやる必要はない。

体力をつけること自体を否定しているわけではありません。体育という名のもとに野球・サッカー・バスケットボール・鉄棒・跳び箱などなどを授業としてやる必要はない。ということです。

>基本的にあなたは面倒だからしないだけでしょう?

ちがいます。役に立たないから必要ないということです。人が言ってもないことを捏造するのはやめましょう。


>それと親になったときに分かりますよ。子どもを育てるには体力がいる。運動能力がいる。子どもの運動能力をなめてはいけない。行動力もなめてはいけない。見守っているだけなんて無理。女性なら出産にも関わるかな。

私が親になっていないなどとは書いていません。繰り返しになりますが、人が言ってもないことを捏造するのはやめましょう。

補足日時:2011/09/16 10:17
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貴方が体育を嫌いだと断言している(ある種のトラウマにも似たものを感じますが)


メリットデメリットは人によって解釈が違う(どれが1番かと同じ論理)

である以上どんな言葉を並べても納得はできないのでは?
それが数字に表れる話あったり一目瞭然の話であれば簡単ですが事は可能性の問題もはらんできます。

その上で

体育を否とする根拠の後者二つなどは特にわかりやすいお話になりえますね。
得手不得手はその子次第であり、数学ですら恥ずかしい点数を取ればからかい、いじめの対象になりうる訳ですし、まさに時間の無駄なんて物は個人差です。

正直理由にはなりえないと思います。

苦手=時間の無駄、好きな奴らが勝手にやればいいという論理が通じるのであれば
それしか知らない人間が出来上がっていく事になるわけです。

しいては俺は体育は苦手だからやらなくていい=おれはこの仕事は嫌いだからやらなくていい
そんな事になりえるわけです。

嫌でもやらなければならないこともある。そういったことも私は重要だと思います。

事はメリットデメリットで話が付く問題でもないと思うのですがいかがでしょうか?
嫌いは仕方が無いと思いますが逆に貴方の大好きな教科が時間の無駄扱いをされて排除されたらどうでしょう?そんなことも考えて見るのも悪くないと思いますよ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
体育という教科が他の教科(国語、数学、英語)などと比べて、学校教育としては極めて異質な存在だということを読み取っていただければ良かったと思います。

お礼日時:2011/09/16 10:29

これは小中高のどの段階で言ってるものなのでしょうか?



是とする(1)から(4)はすべてじゃないですかね。

質問者様は嫌で不要だと思っていたのかもしれませんが、その逆もしかり。
勉強は苦手だけど運動は大好きという人もいます。

うまいへた、できるできないではなく、成長期の骨や筋肉を適度に使うことも目的かと。


個人的な好き嫌い、得意下手で教科を選びだしたらキリがなくなります。

音楽、美術、英語、数学…人によっては好き嫌いもあるし、将来なりたい職業、進学する学校によっては必要ない教科ってあるわけだし。

どの教科にもメリットはあります。
何かを得ることで役に立つかどうかはともかく知っていて損はないです。
デメリットというのは、人によって違ってくるのではないでしょうか?
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体を動かす知識は大切ですよ。


あなたはきっと10代か20代で、大病を患ったことはないんでしょう。
中年になって体力が落ち、いろいろとガタがくると、体を正しく動かして身体能力を維持することがいかに大事なのかが身にしみてわかってきます。正しく体を動かすことを知らない人は、正しい食生活の必要性も理解できないし、子供にそのことを教育することもできないし、長生きできません。
数字を数えたり文字を読むことだけが知識や教養ではありません。
正しい生き方を知らなければ、そんなものは何の役にもたちません。
学校は生き方の基礎を学ぶ場ですから、体育や家庭科がカリキュラムに入っているのは当然です。

ときどき体育の授業中に熱中症になったり、不幸な事故にあうことはありますね。学校ではあってはならないことで、教師はそんなことは敢えていわないでしょうが・・・友達のそういう不幸な事故をみて、なにをどう気をつけなければならないか理解することがあるのは事実ですね。

あなたの言うように、運動がうまくできないことでいじめをする子供がいて、現在の学校はそれがいけないことなのだと子供に教えることができないのは事実ですね。今の学校は何かが欠落しているのは、みながかんじていることです。
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上回るような根拠ではないと思いますが、学校の役割としてはやはり教育という側面が有ります。


教育の観点で見れば、学生に色々なスポーツがある事、そのルール等を教えた上で将来の選択肢としてスポーツ選手なども当然有るわけです。

質問者さんの言う「才能の有る無しを見極める為の手段」としても体育は有効な手段の一つと思います。
当然、好きな人はクラブチームにでも参加して勝手にやればと言った意見もあるでしょうが、そういう事の出来ない家庭環境の子供も居るわけですし、公平な手段としては体育の授業で教える意義はあると思います。

また、日常の遊びの幅も広がるという点も有ります。
子供同士が集まって、公園で草野球・サッカー・ドッチボールなどを行う事で、遊びの中でも交流が図れる場合も有ります。

確かにこれは何の役に立つのと言った内容も有るかも知れませんが、それも価値観の問題だと思います。
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質問者様の言っていることはもっともだと思います。



私も体育だけは苦手だったですし、太ってたのでからかいの対象にされました。


そんな私も一度だけ、チームメイトに「よく頑張ったね」と褒められた事があります。

数人でチームをつくり、徒競走をするというもの。案の定、足の早い人が重宝され、足の遅い人は敬遠されます。

私も足が遅いほうなので、少なくても順位を落とさないようにしようと思っていました。まあ、チームにも期待されていなかったでしょうから気負う必要もなかったですしね。

んで、頑張った結果順位も落とさないで済んだのですが、よくからかう男子(同じチーム)が握手してくれたんです。(よく汚いものを見るかような扱いをされていた私に)

他人から見たら「その程度」な出来事ですが、ひどい扱いを受けていた当時の私にとっては本当に嬉しい出来事でした。


体を動かさないと筋肉も衰えるばかりですし、関節も固まってしまい成長阻害が出る可能性があります。

そういう意味もあっての「体育」でしょうが、その内容はもっと奥が深いのではないかと思います。

質問者様もいやな思いをされています。その思いは大人になったとき、嫌な出来事があったときの基準になると思うんです。

「あの体育のときの嫌なことに比べれば、今の状況なんて軽いもんだ」と、逆境にも立ち向かえるんではないかと思うんですね。(実際私がそうでした)


嫌なやつもいますし、からかうやつもいます。「てめぇのほうが馬鹿だろう」と言い返したくなるやつもいるでしょう。

そんなやつと一緒に嫌な授業を受けたという経験は、必ず役に立つと思います。

授業の意味より、そのときの思った気持ちに意味があるんだと思うんです。


多分質問者様が望んでいた回答ではないと思いますが、こんな考え方もあるんだと頭の片隅にでも思ってくだされば幸いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2011/09/16 10:25

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