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なぜ未だに神を信じている人々がいるのか?

A 回答 (12件中1~10件)

人間には心の支えが必要です。

その手段の一つが、「神の信仰」です。全てを超越した存在を作り上げ、それを崇める。

人間が心を持つ以上、神という存在はあり続けるでしょうね。実際にいるかは別として…
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この回答へのお礼

回答ありがとう。
道具としての神=信仰、なら、お金=価値がある、と信じるのも同じ信仰です。
情緒的な神様が欲しい気持ちもわからんではないが、その実、現代の【信仰の一番大きなもの】は「貨幣制度」です。皆がコインや紙切れに価値があると信じているのですから(地球規模の巨大宗教)。

お礼日時:2011/09/16 23:37

自分は神はいると思います。


質問者さんとは逆に、なぜ神の存在を信じれない人がいるのか? と、自分は思ってしまいます。

宇宙や地球上の、あまりにも美しく整然とした自然法則を考えれば、何かしら、「神」 みたいな崇高な存在があるとしか思えません。
ニュートン力学のような “物理法則” だけで、宇宙や地球ができて、人間のような生き物が進化し誕生するなんて、とても思えません。

ちょっと宗教的な話になってしまうかもしれませんが、不幸のどん底にいるようなかたは きっと神様なんて 信じれないと思いますが、自分の考えとしては、不幸になった原因は、そのかたが過去に行った行為が、正確に本人に跳ね返ってきたのではないかと思っています。 身の周りに感じられる、整然とした自然法則を考えると、そう自分は考えてしまいます。 自分の欲を捨て 周りに奉仕し続けた人と、悪事の限りを尽くした人が、死んだら そのまま消えて無くなってしまって “同じ” だなんて、とても思えません。
天に向かってツバを吐けば 自分に振りかかってくるように、人が行った行為や 考え ですらも、正確に自分に跳ね返ってくるものだと、自分は考えてます。

長文、失礼しました。
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この回答へのお礼

回答ありがとう。

神を信じないのも1つの信条であり、宗教です。

あなたが気付くべき大事なことは「お金システム」という信仰が全世界に広がっており、それはコインや紙切れに価値があると本気で信じているスゴイ巨大な宗教があることです。歴史は4000年であり、キリスト教も仏教も、足下には及びません。「お金システム」の怖いところは、二次的情報である貨幣を奪い合い(ビジネス)、結果としては地球規模で「助け合っている」ことで、これは意識の上は「お金に執着」してしまい、本来人間が持っていた「仕事=人助け」という意識を「無意識化」してしまうことなのです。

お礼日時:2011/09/17 00:04

 こんにちは。



 そういった見解として自己表現を成す場合は 《無い神》を信じているということを意味します。

 そしてそのことは 〔有る〕神を信じているという場合とまったく同じ《非思考の場》が あなたの心に成っているということです。

 有る神か無い神か そのように名前または人間の言葉としての表現が互いに異なっているだけのことです。
 
 誰にとってもわが心に非思考の庭が成っているというのが 信仰です。

 そして非思考ゆえに それは神が有ると言っても無いと言っても(つまり信じないと言っても) ふたつの場合は 互いに同等のことを意味するというものです。

 信じたくない・信じないと自己表現する場合は 非思考なのですからそれは考えるではなく 《信じないという表現において 信じる》と言っていることになります。

 《信じたくない》と自己表現すれば その非思考の庭にともかく神という名のものを持ちたくないと言っています。ならば無い神を非思考において持ったことになるのです。

 《信じない・信じたくない》と言えば すでにその対象を――非思考であるにもかかわらず 人間の自然本性の有り方からしてふつうに誰でも――どこかに認めたことを意味しています。そのナゾの対象――つまり 神のことですが--をけっきょく認めたからこそ 《信じたくない・信じない》と自己表現しているに過ぎないということです。


 《神》にかんするこのような情報を まだ手に入れていない場合には
 ★ なぜ未だに神を信じている人々がいるのか?
 ☆ といったとんちんかんな疑問が持たれ 質問としても挙げられて来るのです。
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たぶん、それが人間にとって必要だからでは


ないでしょうか。
脳にビルトインされているのでは、と思っています。

人間は食物連鎖の頂点に位置しています。
人間にはウィルス以外に、適当な天敵が存在しません。

そんな人間は傲慢になりかねません。場合によったら地球を破壊し
己自身を滅ぼしかねません。
そんな人間を謙虚にさせるために神の存在が必要
で、神は人間の脳にインプットされているのではないのか
と思っています。

この世、宇宙の整然とした法則性や、人間誕生に奇跡を見いだし
神を信じる人もいるでしょうが、それは数学的に問題があります。
現代の複雑系科学では、宇宙の法則性も、人間誕生も
それほど奇異なことではないことが立証されています。

これでは日蝕を観て神の存在を信じた人と変わりはありません。
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「人智で太刀打ちできない大きな存在」を神と呼んでいいのなら、その存在を信じます。


 ↑コレに該当するものは、たくさんありませんか?
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人類発祥から世界的に信じている神の存在を信じるのも


森羅万象の1%も立証できかたどうかの科学を信じるのも
大差ないから、どっちでもイイのではないでしょうか?
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信じる物ではないんです。



いるんです。
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科学的に否定しきれていないからでしょう。


かといって肯定など、現代物理学ではまだ無理。

すると確率論的に信じた方が後々得になりそうだからです。
非常に打算的な考えですが、一応の説明はつきます。

まず、世の中に神などいるはずがないとして行動した場合、
これは生きている間に唯物論に浸ったものの勝ちです。

しかし、あの世が存在した場合、
現世の数十年とあの世の数千年を天秤にかけるのですから
賭に失敗した場合の被害は甚大です。
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ボクは子供の頃 神の姿を見ていました。



いま思い起こせば笑えるのですが その神の姿は
今現在のボクの姿にそっくりであったこと。

それを踏まえて考えると いまボクが神と感じている
ものは ボクがお爺さんになったときの姿なんでしょうかね。

確率の波が 反慣性を示した結果でしょうか。
ああ ツァラトゥストラの声が聞こえる。
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科学で、物理法則を説明できても、では物理法則自体が何故存在しているのか?という事は解決できません。



物質はエネルギーと等価なので、つまり、物質はエネルギーに還元できるので宇宙はエネルギーそのものと言えます。

科学はエネルギーの変化の秩序(物理法則)は説明できても、何故エネルギーが存在しているか?
ということ自体を説明できませんし、説明するものでもありません、ではエネルギーという存在は何なのか?

存在が存在しているというのはこの先もずっと本当に不思議なことだと思います。

神が居るとしたら、神は髭を生やしたおじいさんではなく、物理学で扱うところのエネルギーという存在ではないでしょうか、つまり、私達という存在そのものではないでしょうか、何処かにいるのではなくて、私達自身を構成するものであるエネルギー自体。

だから、存在するという不思議さを解明できない以上、存在はある意味で神と言えるかもしれないと個人的に思っています。
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