痔になりやすい生活習慣とは?

こんにちは。

優性遺伝と劣性遺伝があって、生物の時間などではそれは優れているのと劣っているということではないと教えられます。

しかし、優性遺伝は相同染色体の片方にだけでもその遺伝子があればいいわけであって、形質(表現型?)として出る確率も劣性と比べて高いです。

生物は自然淘汰されていると考えれば、優性遺伝の形質は淘汰されないで多く残っていると思うので、やはり優性遺伝の形質は優れているのではないでしょうか。

みなさんはどう考えますか?

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (13件中1~10件)

> やはり優性遺伝の形質は優れているのではないでしょうか。



おっしゃりたいことはよくわかります。
考え方の方向性は大きくは間違っていないと思います。

ただ、
・形質発現の優位性
・個体の生存の優位性
この2つは異なることだということをきちんと理解しておかなければなりません。

形質には、個体の生存の優位性とはまるで関係ないものもあります。例えばABO血液型などは典型的で、O型だろうとAB型だろうと死ぬわけでも生存に有利不利があるわけでもありません。実際にはこのようなタイプのものが圧倒的多数を占めます。


しかし、形質には致死性のものも重篤な疾患をもたらすものも存在します。これは個体の生存には不利です。このような形質は仮に優性であれば発現しやすいので、そのほとんどは(遺伝子が)淘汰されていると思います。

一方で劣勢の遺伝子では発現しにくいので淘汰されていないものもあるようです。例えば遺伝的に近い血縁同士だと発現の可能性が高まります。血縁同士だと流産の可能性が高かったり、重篤な疾患を持つ子供が生まれる可能性が高いと聞いたことがあります。多くの国で近親相姦が禁止されている理由はここにあります。


まとめると
・劣性遺伝子には、生存に不利なものもある
・優性遺伝子には、生存に不利なものはまずない
・だが優性遺伝子でも劣性遺伝子でも多くは生存に特に有利でも不利でもない
といったところだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

クリアーなご回答ありがとうございます。

形質の発現の優位性と、個体の生存の優位性は基本的に異なる。

ただ、その中で致死的な優性遺伝の場合はその形質を持った個体は生存できないので減っていく可能性はあって、劣性遺伝の場合はその形質が現れにくいので残りやすい可能性があるとのことですね。

まとめもわかりやすかったです!!

お礼日時:2011/10/24 15:25

Antp はショウジョウバエのホメオティック突然変異である antennapedia (野生型では触覚のところが足になっている) の原因遺伝子で, 先頭が大文字になっていることからわかるように優性遺伝.



ということは, 野生型では劣性遺伝の形質が現れているということだ.
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

ホメオティック遺伝子は体節を決める遺伝子、かな。それが突然変異になって触覚が足になってしまう(これはかなり変なことになってますね・・・)のがantenapedia(表現型の名前でしょうか・・・)で、この遺伝子の名前をAntpと言って、先頭が大文字になっていると優性遺伝であることがわかる(初めて知りました!!)。

かなり難しいですm(_ _)m

お礼日時:2011/10/24 22:25

「何か気づいたことがあったのですね。

」って, 何もなければ書きませんよ.

Antp についてどのくらい調べましたか?

この回答への補足

antenapedia遺伝子? ショウジョウバエ? キノコ体?

なんのことかさっぱり・・・。

補足日時:2011/10/24 15:29
    • good
    • 0

>しかし、優性遺伝は相同染色体の片方にだけでもその遺伝子があればいいわけであって、形質(表現型?)として出る確率も劣性と比べて高いです。



>生物は自然淘汰されていると考えれば、優性遺伝の形質は淘汰されないで多く残っていると思うので

よくある考え違いですが、まるっきり間違っています。
おっしゃっている理由で、世代を重ねるごとに優性の遺伝子が増えていくと考えているわけですよね。
間違いです。よく考えてみてください。「ハーディ・ワインベルグの法則」を勉強してみてください。
優性であろうと劣性であろうと世代を重ねても遺伝子頻度は変わらないし、したがって配偶子(個体)の各遺伝子型の出現頻度も変わりません。

あなたの考え通りなら、例えばABO式血液型は世代ごとにO型が減ってやがてなくなるということですね。しかし、そんなことはなくて、ある集団(例えば日本人)の血液型の頻度は何世代経ようとかわりません。その集団原初の遺伝子頻度が世代を経ても変わらないからです。

もし特定の遺伝子型や表現型に選択(淘汰)がかかった場合に(たとえばO型の人だけがかかる重篤な病気が発生するとか)初めて遺伝子頻度が変わります。どのような形質に選択がかかるかで優性遺伝子が減る場合も、劣性遺伝子が減る場合もあります(劣性形質に淘汰がかかるより、優性形質に淘汰がかかるほうが、速やかに遺伝子頻度が減ります。なぜなら劣性遺伝子は優性形質をもつヘテロ接合体によって後世に伝わるので)。たとえば「工業暗化」を勉強してみてください。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ありがとうございます。

ある条件が満たされる集団の場合、世代を重ねても遺伝子は変わっていかないのですね。「ハーディ・ワインベルグの法則」ですか、そんな研究がされていたとは。


「工業暗化」は暗い色の蛾が増えていったという話ですね。

お礼日時:2011/10/24 15:20

へ~, Antp って優性遺伝なんだ....

この回答への補足

Antpですか?? 何か気づいたことがあったのですね。

補足日時:2011/10/23 11:52
    • good
    • 0

>「優れている」は子孫を残すのに優れている


>という意味で使ってます。

それでよいと思います。
しかし、それでは、何故生物が子孫を残すことを
目的としているかについては、誰も答えられないでしょ。

私なら答えられます。
それが私の
”エントロピー増大説”です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

回答者様はとても興味深いことをおっしゃっていますね。

「優れている」とは子孫を残すのに優れている、という意味は妥当なのですね。

そのうえでなぜ生物が子孫を残すことを目的としているかについては、私は子孫を残すことを目的にするような遺伝子にプログラミングがある、という答えしかあげられません。

では、遺伝子にどうしてそんなプログラミングがあるのか?と問われると答えようがありませんm(_ _)m

"エントロピー増大説"とはなんですか? お聞かせいただければと思うのですが。

エントロピーの増大とは私の理解では秩序をどんどん失っていく過程で、その失っていく過程は逆にはできない、というものだったと思います。

お礼日時:2011/10/23 11:51

自然淘汰というなら, 「優れている」かどうかが形質だけではなく環境にもよることは当然理解できていますよね?

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

たくさんの回答者様のお考えを聞いて、「優れいてる」かどうかが形質だけなく環境にもよることが分かってきました。私が質問した当初はそこまで理解していませんでした・・・。

環境をまず定義しないと議論が進まないということですね(汗)

お礼日時:2011/10/23 11:46

#5 です。

回答がかぶっていたので別の反証を。
アセトアルデヒドを分解するのに必要なアセトアルデヒド脱水素酵素は、活性のない方が優性です。しかし活性のある劣性形質を持つ人の頻度が高いですね。
では生存に有利かと言うと、アルコールを飲むなら不活性型は不利になりますし、飲まないとしたら活性型でも不活性型でもどちらでも良いわけですから、不活性型の方が生存に有利というわけでもないようです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答を追加していただいてありがとうございます。

「アセトアルデヒド脱水素酵素の活性のない形質(AA)(Aa)」が優性遺伝なのですね。

「アセトアルデヒド脱水素酵素の活性のある形質(aa)」が劣性遺伝ということです。

アルコールを良く飲む、という環境なら(aa)が有利

アルコールを飲まない、という環境なら(AA)(Aa)(aa)は互角といった感じでしょうか。

なんだかいろいろな回答者様の意見を聞いていて、優性なら有利、劣性なら不利とか、そういう単純な問題ではないな、と思い始めています。かなり場合分けが必要だというか・・・。

お礼日時:2011/10/23 11:44

優性遺伝病は優性形質が生存に不利で頻度も低いですね。


優性劣性と形質の有利不利や淘汰されるかされないかは関係ありません。
優性でも不利な形質は残りにくいし、劣性でも有利な形質は残りやすいんじゃないですか?
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

優性でも劣性でも、有利な形質が残り、不利な形質は消えていくとことですね。

前の回答者様のおかげで、この中で

(1)不利な形質でもその不利な形質が生殖前には現れないときなどは子孫ができて遺伝子が残る(おそらく優性でも劣性でも)

というルールがあると思いました。

(2)また血液型のように有利も不利もないような形質の場合は淘汰も起こらない

というルールがあることも分かりました。

お礼日時:2011/10/23 11:39

自分は集団遺伝学の専門家ではありませんが、やっぱり少し違うように思います。


優性(A)と劣性(a)の間に表現型の違いがほとんどないからこそ、両者は今も共存しているのでないかと思います。思いつく反証を挙げてみます。
(1)いま AA と Aa という個体がいるとします。両者に表現型の差はありません(Aが優性)。しかし生まれてくる子孫は異なります。自分と同じ遺伝型との間で子どもを作り、4匹生まれたとすると、AA からは全てAA、Aa からは AA x1, Aa x2, aa x1 が生まれます。極端な仮定をおいて aa は駆逐されて成体まで育たないとすると、次世代では AA 5匹、Aa 2匹が存在するということになります。これを繰り返してゆくと、a 遺伝子は駆逐されて集団からなくなってしまうはずです。こういうことが起きていないのは、aa の個体に明らかに不利な点がないからでは、と思います。異なる遺伝型間での交雑を許しても同じ結論になるはずです。
(2)遺伝型のなかには、集団内での頻度が少ないほど自身が有利になるようなものがあります。例えば免疫系のレパートリーを表す遺伝子です。遺伝子それ自体に優劣があるのではなく、集団の中で希少であるほど自身の存在価値が高まるというというものです。優性だからそれ自体が有利、と言うような単純な話ではありませんね。
(3)優性で遺伝する遺伝病がたくさんあります。例えばハンチントン病。変異遺伝子を一つでもっていれば必ず発病する病気です。優性だから生存に有利、に対する反証かと思います。このケースで変異遺伝子が駆逐されてしまわないのは、発病が成人して子どもを持ってからのことが多いから、というのが理由の一つのはずです。

やはり優勢、劣性というのは、その表現型の元にある生化学反応で、ある遺伝子が1つあれば2つあるのとほぼ同じだけのことが起きるのが優性、というそれだけの違いでしかないと思われます。遺伝子そのものの優劣は(あるとしても)べつものでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

わかりやすい反証ありがとうございます!!

(1)ではaaが駆逐されていまうなら、a遺伝子は集団からなくなってしまうはずなのに、現在、普通にa遺伝(劣性遺伝子)がたくさんある!!ということですね。

(2)では免疫系のことを良く知らないので理解まで至りませんでしたが、集団内での頻度が少ない(おそらくaaとかになって劣性の形質が表れることだと解釈しています)ほどその固体が有利になるようなことがあるのですね。そうするとaaが有利だからその遺伝子は受け継がれて残るはずだ、ということだと思いました。

(3)では優性で遺伝する遺伝病が多いとのことですね。この類の病気では成人して子どもを持ってから発病するため、遺伝子が受け継がれていってしまうということですか。繁殖の前か後かという問題もあるのだなぁと気づかされました。

結論としての、優性劣性の違いは生物学的な優劣はなくて、ある遺伝子が1つあるんか2つあるのかである生化学反応が起こるか起こらないの違いにすぎないということですね。

勉強になりました(^^)

お礼日時:2011/10/23 11:34

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q優性遺伝子は、なぜ優性になるの

 メンデル遺伝で優性遺伝子と劣性遺伝子がヘテロのとき、優性形質が発現されますね。これは分子レベルではどうなっているのですか。
 たとえば、劣性形質を発現する酵素に対する阻害剤を優性遺伝子が作るとか、優性遺伝子が劣性遺伝子に相当するDNAを読みとれないようにするとか。

Aベストアンサー

たとえば、
優性遺伝子が正常に機能するタンパク質(酵素もタンパク質)を作るのに対して、劣性遺伝子は欠陥のある(または働きが弱い)タンパク質を作るという場合が多いようです。
このような場合、劣性遺伝子によって出来たタンパク質が「何もしない」のに対して、優性遺伝子によるタンパク質がきちんと機能しているということになるので、
機能しているほうの遺伝子、すなわち優性遺伝子の形質が表れることになるのです。

Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q自然界で、劣った生物(人間)は、自然淘汰される

自然界で、劣った生物は、「自然淘汰」される、、というではありませんか。
なぜ、いまだに
1、頭の悪い人間
2、ブスな女性
3、体の弱い人間
が生まれているのでしょうか?なぜ、淘汰されていないのですか?


独り言(さしずめ私なんぞは、1と2か。イヤになりますよ。)

Aベストアンサー

 ちょっとマジメに生物学的に考察します。

 まず、頭が悪いのは確かに不適応な形質のひとつかもしれませんが、個体の適応度というのは1つの形質だけで決まるのではありません。
 手先が器用、目が良い、足が速い、情が厚い、料理が上手い、等々あらゆる形質にそれぞれ適応度があり、個体の適応度(そんなもの定量する方法もありませんが)はそれらの総合で決まるわけです。
 特に人類の社会は複雑怪奇ですから、一見不適応な形質を持っていても、それが不適応とはならずに他の適応的な形質を生かせる場所(生物学的な言葉を使うならニッチ:生態的地位)が、必ずどこかに存在するはずです。

 「頭が悪い」という形質は、確かに学者には不適応な形質でしょう。
 でも、肉体労働者にとっては不利ではない場合が多いでしょう。
 一方、腕力が強い人は逆のことが言えます。

 次に「ブス」ですが、人間の嗜好の幅はとてつもなく広いので、単に「多数の男の好みには入らない」というだけのことです。
 それが適応的に不利か、といえば、多少不利かもという程度です。

 人類はかなり普遍的に一夫一妻制の社会を築いています。一部一夫多妻制や乱婚制に近い制度を採用している社会もありますが。
 それは人類が持つ生物学的な特徴(難産で未熟児を産む)から必然性がある、と考えられています。
 とすると、男女ともに「異性の好み」は多様化せざるを得ません。同じだと競争率が激しくなって不利になりますから。
 まあ、「多数の男の好みには入らない」人だと、自分を好む人は少数ですから、相手に巡り会える確率が低くなるだけ不利かもしれませんが、その程度のことでしょう。

 身体が弱いのも同様です。確かにそれ自体は不利な形質でしょうけど、他に適応的な形質を持っていて異性にモテれば、総合的にはかなり適応的な人、と言えるでしょう。

 ただ、このような「人為的な尺度」も環境の1つですから、それによる適応&不適応は必ずあります。「自然」はその条件が人為的か否かは判定しません。

 で、「自然淘汰」とは、大きな集団で長い時間をかけて見た場合に、不適応な形質を持つ個体は適応的な個体より"平均すると繁殖に成功する確率が低い"というだけの話なのです。個体それぞれに着目すると、かなり不適応な個体でもちゃんと子孫を残す場合もありますし、逆に非常に適応的な個体が子孫を残さずに死ぬ、ということも普通にあるわけです。

 人間に限らず生物は多くの形質の混合体です。
 頭が悪くても腕力がある人、ブスでも気持ちが優しい人、身体が弱くても頭がいい人、というように誰でも不適応な形質と適応的な形質を両方持っているのです。
 考えれば、産まれて今生きている、というだけで質問者さんも私自身も「進化の勝者」なわけです。人類の数百万年の歴史には、淘汰され消えてしまった遺伝子が山ほどあるわけですから、それらを勝ち残った遺伝子の集合体が私や質問者さんです。ほんのいくつか「これはいらんかったのに・・・」という遺伝子があったとしても、です。

 最後に蛇足ですが、質問者さんが質問しているのは「頭の悪い人」「ブスな人」という"個体"の話であって、ヒトという種の問題ではありません。まあそもそも自然淘汰が「種」を単位として働く、という「種淘汰」の考えは、進化論では相当に古い考え方ですし。

 ちょっとマジメに生物学的に考察します。

 まず、頭が悪いのは確かに不適応な形質のひとつかもしれませんが、個体の適応度というのは1つの形質だけで決まるのではありません。
 手先が器用、目が良い、足が速い、情が厚い、料理が上手い、等々あらゆる形質にそれぞれ適応度があり、個体の適応度(そんなもの定量する方法もありませんが)はそれらの総合で決まるわけです。
 特に人類の社会は複雑怪奇ですから、一見不適応な形質を持っていても、それが不適応とはならずに他の適応的な形質を生かせる場所(...続きを読む


人気Q&Aランキング