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神はなぜこの世界をお造りになったのですか?

A 回答 (22件中1~10件)

神が存在すると仮定します。



事物と精神が違う世界に存在するとして

地球創造の神
宇宙創造の神
各物質生成の神 とあらゆる物体が神的創造を授かった として

哲学的に分かっていることは、

各創造主群について、その創造主たちが 1つの主体であるかどうかということを
想像することができても唯一神が存在するかということを
含め
それら証明することができません。

疑念が浮かぶという場合
デミウルグ という 単語をキーワードとしてご検証ください。

つまり キリスト教的唯一絶対神が存在する と仮定したことに誤謬があったということができます。

つぎに

 唯一神なる「真」を カタル そういう人がいることも事実です。

事実としてその人たちの 目的は 何か ということを 探る ことによって

本来の質疑へ 到達できる の ではないでしょうか?

このQ&Aに回答を寄せていらっしゃる方々を よく ご観察ください。

私見ですが

経験的に見て

  すべての人間は奴隷である という 邪心 コンセプトがその背景にあります。

私はこの意見に反対ですが、 分析を試みます。

かみ は 主と呼ばれます。

1 主 以外は従です。下僕です。*ローマ人13参照のこと

つまり 主人を信じることは 自分が奴隷であるということを 認めることです。

その人たちは

2 主を信じない者は 奴隷である といいます。

つまり 信じる人も信じない人も奴隷です。

3 1を主張する人は自分が自由であると主張します。

理由は自分は優れた奴隷である という 事実です。

つまり 1を主張する人は誰にも従わないが 

自分が 「役に立つということ」を ご主人様によって認めてもらうということを引き替えに

最高の奴隷として生きていくことを許されます。

4 1の主張をしている人に 従っている人たちの姿をよく観察してください。

そういうひとたちはB層と呼ばれます

そういうひとは 気持ちの悪い 奴隷根性丸出しの 孤独な人です。

つまり

 創造主という言葉を引き合いに出し

他人に信を 強要する人は 「自分だけは自由である」という錯覚を見せてもらえるという利点と引き換えに

自己と それに接触する他者 すべてを 主に 隷属させる 目的で

そういう ありとあらゆる すべての「隷属を目指す」という目的で 騙られているわけです。

つまり

「創造主の目的は言語を超えたところにある 孤独な隷属」

です。

そういう隷属の前提には現世主義の孤独・唯物論的無分別・決定論・愚民思想が横たわっています。
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神がなぜこの世界を作ったのか?



被造物の創造が終わるごとに、神はそれを見て良しとされた、と記録されている創世記のみ言を見れば(創一・4~31)、神は自ら創造された被造物が、善の対象となることを願われたことが分かる。このように被造物が善の対象になることを願われたのは、神がそれを見て喜ばれるためである。それでは、被造物がいかにすれば、神に一番喜ばれるのであろうか。神は万物世界を創造されたのち、最後に御自分の性相と形状のとおりに、喜怒哀楽の感性をもつ人間を創造され、それを見て楽しもうとされた。そこで、神はアダムとエバを創造なさったのち、生育せよ、繁殖せよ、万物世界を主管せよ(創一・28)と言われたのである。この三大祝福のみ言に従って、人間が神の国、すなわち天国をつくって喜ぶとき、神もそれを御覧になって、一層喜ばれるということはいうまでもない。
それでは、神の三大祝福は、いかにして完成されるのだろうか。それは、創造の根本基台である四位基台が成就された基盤の上でのみ成就されるのである。それゆえに、神が被造世界を創造なさった目的は、人間をはじめ、すべての被造物が、神を中心として四位基台を完成し、三大祝福のみ言を成就して、天国をつくることにより、善の目的が完成されたのを見て、喜び、楽しまれるところにあったのである。
それゆえに、人間を中心とする被造世界が存在する目的は、神を喜ばせることであった。また、すべての存在は二重目的をもつ連体である。既に述べたように、すべての存在の中心には、性相的なものと、形状的なものとの二つがあるので、その中心が指向する目的にも、性相的なものと形状的なものとの二つがあって、それらの関係は性相と形状との関係と同じである。そして、性相的な目的は全体のためにあり、形状的な目的はそれ自体のためにあるもので、前者と後者は、原因的なものと結果的なもの、内的なものと外的なもの、主体的なものと対象的なものという関係をもっている。それゆえに、全体的な目的を離れて、個体的な目的があるはずはなく、個体的な目的を保障しない全体的な目的もあるはずがない。したがって、森羅万象の被造物は、このような二重目的によって連帯しあっている一つの広大な有機体なのである。
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あ、どうやらnananisseとmmkyさんは私が造ったのではないようですね、、、。

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ついでに言うと、木造先生とnananissseとクリヤさんとmmakyさんは、この私、「大作」が造りました。



退屈だったからであるのは言うまでもありません。
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神は何から生まれたんでしょうね?


そこに答えがあります。
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 ANo.8


 どこまで上ろうと下ろうと、相似原則なんですね。皆さんもごかいとうのように。
 ある意識のSimulacraということで、錯覚なんですね。それをすごいというか、どう受け取るかはそれぞれでしょう。
 人間がやっている。それをどう意識し、表現するか。そういう次元のことなんですね。
 そしてこの人間と世界というものを。それ以上でも以下でもない。当たり前のことでしかない。
 神、そして創造ってもっとも当たり前のことでしかない。もっとも当たり前にどう対面するか。
 どう自己をそうもっていくか。

 それだけのことなんですね。“白鳥(白馬)蘆花に入る”ですか
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神さんがこのQ&Aに回答すると思います?



回答するのは多分、神ならぬ人間とおもいますがな。

人間の中でも分からんことを分かった様に言う連中が好んで回答するんですよ。
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>神はなぜこの世界をお造りになったのですか?



人間が何かを創る時のことを考えれば参考になるのではないでしょうか。

1)純粋な楽しみとして
2)それで利益を得ようとして
3)偶然手がうごいて作ってしまった。

問題は2)の場合でしょうが、神がどんな利益を得ようとしたのかは、神がドンな存在かを知らなければなりません。多くの場合神は完璧な人格以上の存在だそうですから、利益を得ようとはしないと思います。それは不足をかこつもののすることだからです。

結局 1)か 3)になるのですが、偶然こんな精緻なものが、いかに神の手であっても手品のように作れるはずはありません。結局 1)になるのではないでしょうか。神は手すさびとして、楽しみながらこの世界を作り上げたのでしょう。

神が存在するとしてのことですが。
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神を創ったのは人間です。



だから、神はなぜこの世界を創ったのか、という
問いは、
ゴジラは、は虫類なのか、ほ乳類なのかを
検討しよう、という問題と同じレベルの
問題ということになります。

事実、ゴジラの映画が放映されて、しばらく
したら、映画監督の処に電話が掛かって
「ゴジラの卵を発見した」
という通報がありました。
これは実話です。

監督が、あれは架空の動物です、といくら説明
してもダメだったそうです。

その後、件の卵がどうなったのかは
誰にも解りません。
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住むため

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