
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
僕の考えですが五十音順が確立するには少なくとも4つの過程があったと思います。
1。漢字から仮名へ。
万葉仮名(=漢字)の奈良時代から、仮名書きの平安時代へと移る過程で、仮名を全部一度だけ使うと言う副産物が出来ます。例は「あめつちの歌」「太為爾(たいに)の歌」「いろは歌」など。
2。頭の子音と、残りの母音とに分ける
「か」は、 k という子音と、a という母音に分けられる訳です。平安中期の醍醐寺本『孔雀経音義』には「キコカケク」「シソサセス」とあり、これで同じ子音の音節を、母音の同じ順序に並べたことで、中国音韻学の「反切」の影響が見られ、明覚(1056-1101)が書いた本に『反音作法』というのがあるのでも分かります。
3。アカサタナの横の順
これはサンスクリットの喉の奥から前に進むと言う子音の順、次に流音(ラ行)や半母音(ヤ行とワ行)の順に従っています。
4。アイウエオの縦の順
これもアイウの三大母音を前に、グナ(エ音)ブルディ(オ音)を後に、というサンスクリットの順にしたがっています。
高野山の心蓮(?-1181は『悉曇口伝』『悉曇相伝』などという悉曇学(=サンスクリット学)の著書で知られ、多分3と4の順序を決めるのに一役買ったと思われます。
このように見て参りますと今日の五十音図は12世紀の終わりには出来上がっていたのではないかと思います。
No.2
- 回答日時:
以下、岩波新書 「かな」 小松茂美著より
「平安時代にはすでに、ア・イ・ウ・エ・オの順序はでき上がっていたが、行の配列は今日のとは違っていたことがわかる。鎌倉時代にも、今日の形のものは見られない。ようやく、南北朝時代に入るころから次第に多くなり、室町時代にはほぼ現行の形が定まったようである。
(中略)
五十音図は国語の音声表のように見えるが、もともと日本語のために作られたものではなく、経典の音や意味を研究するためといわれ、作者はおそらく密教関係の学僧と考えられている。
そうした関係で五十音図は、古くから片かなで記されたものが多いのであろう。」
だそうです。
No.1
- 回答日時:
室町時代には現在の並びの五十音表があったようです。
現在の並びの五十音表に固定されたのは割と最近なのかもしれません。
いろは歌とか、あめつちの歌とか、たゐにの歌のように、いろんなバリエーションがあった中から淘汰されて現在に至るのでしょう。
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E5%8D%81% …
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