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平安時代に月は和歌などに多く詠まれ格別に賞賛されてきました。
それはその後の時代も継承されています。
古事記などの神話を見ても月の扱いはぞんざいなので、その後に入った風習かと思っております。

1、月の情緒を愛でる文化の源泉は?誰が言い始めたのか?どうして日本人は月が好きなのか?
2、先行する中国文化に月を愛でる風習があったのか?
3、中秋の名月を祝う中国の風習が流入する前に月を愛でる文化があったのか?

よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

ご質問「1」ですが、これは難問ですね。


想像を巡らすことが大好きな私にとっては、またとない楽しい問題です。

>月の情緒を愛でる文化の源泉は?誰が言い始めたのか?

中国の風習を遣唐使が伝えた、とされていますね。
では、その遣唐使は誰なのか、を調べてみますと、菅原清公(道真の祖父)の名が出てきました。

岡山大学大学院社会文化科学研究科紀要第32号(2011.ll)
道真詩における「月」の見立て 
http://ousar.lib.okayama-u.ac.jp/metadata/47182

この論文(8/20)によれば、
菅原家では祖父清公以来、八月十五夜には、公宴に陪することがなければ、月亭に菅家廊下(菅原家の私塾の名)の門弟を会して翫月の詩宴を催すのがしきたりであった、という。
清公自身には中秋観月の詩はないが、第十六次遣唐判官清公が、中唐長安の文人間における翫月のようすを見聞する機会があったであろうことは想像に難くない、と論じている。

菅原清公
http://kotobank.jp/word/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E6%B8 …

しかし、道真より前に月を愛でた漢詩があります。
この論文(5/20ページ)によれば、
「懐風藻」には、文武天皇(683-707)の「月を詠ず」を収めている。
これがおそらく、日本で始めての月を主題とする漢詩だろう。月に特に深く意味を持たせているわけではなく、単純に月を鑑賞の対象として、月を翫でる作である。月を霞の中を走る「舟」、天の河に浮かぶ、星のなかの鏡などに見立てている。

しかし、「月の情緒を愛でる文化の源泉は?」というご質問ですから、さらにNetで調べてみますと、『万葉集』には、「月」を詠んだ歌が159首あるそうです
ざっと読んだところ、月を「愛でる」歌よりも、月の実用性(夜道を歩くのに、あるいは夜の船出に月明かりが必要)を詠んだり、月を見て家族や恋人のことを思ったりしている歌が、かなり多いです。
しかし、月を愛でる歌があるからと言って、はたして月を愛でる「文化」があったといえるかどうか、疑問です。
生活に余裕のある人が、月を見て歌にしたのだろう、と言われるとそれまでです。
そんなことを考えていきますと、キリがありません。
結局、「月の情緒を愛でる文化の源泉は?誰が言い始めたのか?」は、私には分かりません。


ご質問の「2」「3」については、ぴったりの論文がありますからご紹介します。

東京家政学院大学紀要 第38号(1998年)「観月宴の成立」濱田 文 , 中村 充一
http://ci.nii.ac.jp/naid/110000983373

論文の著者は、平安時代における八月十五夜の観月宴についての先行研究が少なく、それだけに未だ明らかにされていない問題が数多く残されている。
八月十五夜の観月宴が、宮中の行事として何時頃成立したのか、観月宴が成立するには日本古来の習俗との関連があったのか、また観月宴のルーツに関しては、大陸行事の伝来とされているが、その根拠が明確に示されていないこと等について、中国を視野に入れて考察されています。
そして、八月十五夜の観月宴のルーツを大陸からの伝来としている通説に対して、異議を唱えています。

結論の一部を抜粋します。(7/22ページ)

「さて、そこで八月十五夜の観月の行事は中国と我が国のいずれが早期に成立したのだろうか。(中略)唐代においては八月十五夜は「月の宴」どころか皇帝中心の「観月宴」の行事でもなかったのである。たしかに、宋代になり「中秋節」が盛行したが、その立証も12世紀ごろ以降のことであり、我が国の康保3年(966)よりかなり遅かったことからすれば、中国より早く成立したといってもよいであろう。」

ただし、上記は、天皇中心に毎年宮中で行われる「観月宴」に限っての話です。
個人レベルでは、杜甫、白居易その他の詩人が八月十五夜の「翫月」の詩を残しています。
再び、同論文の一部を抜粋します。

「この翫月という表現は、中国において見ることができ、唐・宋代を通して月を見ることを翫月という表現を用いている。このことから、平安前期では八月十五夜に対しても翫月という表現を用いて月を見ており、そのことは中国の影響を強く受けていたということがわかるのである。」

長文の駄文、失礼しました。
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まず月は、形がはっきりわかるほど毎日変化します。

それを不思議に思うのは当然で、またそれが暦に使用できると気づいてからは関心ももっと高まったことでしょう。
他にも回答があるように日本に限った話ではありません。
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月を愛でる習慣は太陰暦と一緒に中国から入ったものではないでしょうか。



太陽暦を使用する西洋で月は、狼男の伝説に代表されるように人の狂気を呼び覚ます存在・・・不吉な存在として扱わることが多く月を愛でる習慣はありませんね。
月を愛でる習慣は太陰暦と密接に関係しているように思います。
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いわゆる月見は中国由来ですよ。


太陽ほどではないですが、月を愛でる風習は古今東西問いませんから、やっぱり昔の人には美しく映ったのではないでしょうか。
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