ソクラテスの無知の知についてです。
高校の倫理でソクラテスのことを学び、
その中でソクラテスの思想に「無知の知」というものがありました。

ソクラテスは、
「あなたは自分の無知を知らないが、私は自分の無知を知っている(=無知の知)」
と習いました。

しかしここで思うのが、
ソクラテスは自分が無知であると言うことを知っていると言いましたが、
これを同じく返されたらどうなるのでしょうか?

ソクラテスは無知について知っているとは言えないのではないでしょうか?
ソクラテスに対して、
「あなたは実は無知であることを知らない」
と返した場合無知の知は無くなってしまうのでないでしょうか?

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A 回答 (7件)

有名な『ソクラテスの弁明』に出てくる「無知の知」ですね。




おそらく、本来の意味とは少し異なった意味を教えられたのではないのかと思います。

無知の知はソクラテスの哲学を表す重要な言葉で一文節を取り出して、そこだけで解釈すると誤解が生じてしまうので『弁明』の全体を見て解釈するのが大事だと思います。

お粗末ですが、軽く無知の知に至るまでを説明しますね。


ソクラテスは神からある言葉を授かります。その言葉とは
「ソクラテスより知者はいない」
というものです。

ソクラテスは考えます。
俺が一番賢いわけがない。


ソクラテスは、この神の言葉は間違いであることを証明しようと試み、自分より知者であると思われる、評判高い人々を訪れるわけです。その人達の職業は詩人であったり大工であったり様々です。


ソクラテスは彼らが自分よりも知者であることを期待して訪ねたのですが、話をしてみるとどうも勝手がちがいました。


といのも、彼らは確かに専門的な知識はソクラテスよりも優れていました。しかしそれに奢って
「徳であったり、本当に善いものに関する知識」
を持っていないにも関わらず知ったかぶりをして話をしていたのです。


その一方で自分は、徳とか善きものについて知らないということを自覚している。
その点で彼らよりも自分は賢い。
ソクラテスはそう考えました。


ここでソクラテスに初めて「無知の知」が自覚されます。


「無知の知」は「不知の知」とも表記されていて、私は後者の方がしっくりきます。

といのも、
「知っているものが何も無い」
という状態ではなく
「知らない(不知)ということを知っている」


と解釈しているからです。

ですから、質問者さんが問うように
「ソクラテス、あなたは無知(不知)を知らない」
と言われれば、きっとソクラテスは
「いや知っている、自分は善とか徳については何も知らないことを知って(自覚して)いるよ」
と答えると思います。


付け加えるなら
「ぜひ教えてくれないか、君も知らないならば一緒に探求しようではないか」
とも言いそうです(笑)



気になるようでしたらぜひ『ソクラテスの弁明』を実際に読んでみてください。文量は多くないので気軽に読むことができると思いますよ。


長文失礼しましたm(__)m
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他の回答者様も書いているように、ソクラテス自身は「無知の知」などという言葉は使っていません。

倫理の教科書を書いた人が、勝手にそういう要約をしただけのことです。

ソクラテスが言ったのは、”俺は、自分を賢いと思っている人や、世間が「あの人は賢い」と評しているしている人々を訪ねて会話をしてみたんだけど、どうもそういう人たちは、よく知りもしないことについても知っていると思い込んでいるだけだったなあ。少なくとも、自分は、そういう思い込みはしていない”ということにすぎません。

ソクラテスが、「俺は、無知の知だ!」などと言って威張ったわけではありません。(そんな人がいたら、みんなが「こいつ馬鹿だな」と思うだけのことです。)まあ、これも私の要約にすぎないので、ご自分で『ソクラテスの弁明』を読んでみるとよいいと思います。

あなたの質問に正面から答えていないので、申し訳ないのですが、私が察するに、あなたは、「無知の知って、そんなにすごいの?意味あるの?」という疑問を感じた、ということなのではないかと思います。その感性はまったく正しいです。教科書のその部分は、わたしも出鱈目だと思います。でも、教科書なんて(というか、誰かが他人の言葉を勝手にまとめた場合なんて)、そんなものです。大事なのは、「この人はこうまとめてるけど、正確にはどうなのかな」と調べることです。この場合、文庫本でその部分を探してみればよいだけなので、簡単です。

(といっても、じゃあなぜ、倫理の教科書が「無知の知」などという強引なまとめをすることになっちゃたのか、という経緯を推察するとなると、なかなか込み入っています。私の予想では、「ソクラテスは誰よりも賢い」と神託(神様のお告げ)があった、というのがそもそも話の発端だったから、「ソクラテスのどこが賢いんだ?そうか…知らないってことを知ってる、この点だろ!→無知の知!」と要約したのだと思います。でも『ソクラテスの弁明』をよく読むと、どうもそうじゃないと思う。ソクラテスは、とりわけ神を敬う人間だった(そもそも、ダイモンと呼ばれる、下級の神のような、妖怪の声みたいなものに憑き纏われていた)から、「人間の知識なんて、神様とくらべれば、無に等しい」とよく知っていた。その点が、神様から、「よしよし、ソクラテスはわかってるな、でもほかの人間は思い上がりすぎ!」という趣旨で、「ソクラテスは誰よりも賢い」というお褒めの言葉をかけた、それがくだんの神託だったのではないか。まあこのへんは私の読みにすぎません。推理小説みたいで面白いですよ。)
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この言葉は『心の在り方』を説いています。

人間の意識(心)が何によって導かれているのか?と云う事です。科学的な文献を載せておきます。

ウイキペデアからです。


”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”

右脳の意識(人格)は仏教においては『仏性』キリスト教においては『神』と言う名前で呼ばれています。今風に言うなら『命そのものを働かせている者』と言う言い方も出来ます。その意味は、『身体的な命も、精神的な命も、行動学的な命も』全て握っていると言う意味です。

その事を日本では『禅』或いは禅問答が答えています。ソクラテスが言うところの『汝自身を知れ』と云う事と、『禅問答を解いた事』は一つの事実として、その人本人の脳内では確認できている事実があります。

右脳の人格が書かせた言葉が『禅問答』だからです。左脳に存在する自我意識が如何いう風に努力をしたところで、右脳の意識に出会う事は難しそうです。

左脳の意識が『出来ない』と言う判断を下した場合、『右脳の意識が出てきて全ての問題の処理をしてくれます。』是が『魂の救いです。』

禅において『生死の問題が解決した事』を意味します。キリスト教においては『神に会う』事を意味します。

右脳の意識を体験している人の動画が在りますので参考にして下さい。悟ると云う事は『右脳の人格と左脳の人格とが手を繋ぐ』と言う意味があります。脳科学で説明するなら、二つの脳を繋いでいる脳梁の中にホットラインという回路構成が成立した事を意味します。

その回路構成は一度繋がった場合、終生切れる事がありません。その意味は『知識としてではなくて、体得できた事を意味するからです。』その心境が仏教では涅槃と表現されています。

キリスト教では『神の僕となる』と表現されています。その心境(境涯)は心の中で争いがなくなるという意味です。心の中はいつも『穏やかで静まり返っている。』と言う意味です。

心の矛盾を人間は苦しんでいると言う意味になります。

URL:

尚補足として答えておく事があるなら、NO5さんの『「無知の知」は「不知の知」とも表記されていて、私は後者の方がしっくりきます。』と云う言葉の方があっていると感じます。
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ソクラテスに対して私たちが「あなたは自分の無知を知らないが、私は自分の無知を知っている」と言い返したからといって、それだけでは私たちの発言が真であることは保証されないと思います。

なので、仮にソクラテスが無知の知を持っているのだとすれば、私たちがそう言うことによって、ソクラテスの無知の知がなくなってしまうとは考えにくいのですが。

それと文献上のことをいえば、「無知の知」というのは後世の人がそういう表現をよく使うだけで、プラトンの対話篇に登場するソクラテスは、「知らないと思っている」と言っていて、「知らないと知っている」とは言っていません。
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 こんにちは。



 既知の知は持っているが 未知ないし無知の知は 持っていないか それとも持っていてもあまりそれを認めたがらない。それでは 互いの対話がすすまない。――と言おうとしているのではないですか?

 分かりやすい話としては 無知であるのに知っているふりをして そのまま話をすすめていく場合です。

 なんぢみづからを知れという指針ではないでしょうか。
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その通り。



>「あなたは自分の無知を知らないが、私は自分の無知を知っている」


 「あなた」が真に無知であるか否か「私」は知り得ないのです。

 「私」が自分の無知を真に知っているなら、「あなたは自分の無知を知らない」とは言えない。
 「私」が自分の無知を知らないからこそ、「あなたは自分の無知を知らない」と推定で言葉にする。
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1つ確かなのは、世の大衆は基本的に中庸の知識で


充分なので、ちょっと学んだだけで周りより突出して
感じられ、天狗になりがちだという事。
そうした現象において、「大して知っちゃいない」という
自覚を持って、探究心を抱き続ける事は難しく、また
重要な事なのだ。
(まさか「無知」だからといって、何も知らないと言って
いるのではありません。それじゃ言葉もじゃべれない)
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Qソクラテスの無知の知は矛盾していませんか?

ソクラテスの無知の知についてです。
高校の倫理でソクラテスのことを学び、
その中でソクラテスの思想に「無知の知」というものがありました。

ソクラテスは、
「あなたは自分の無知を知らないが、私は自分の無知を知っている(=無知の知)」
と習いました。

しかしここで思うのが、
ソクラテスは自分が無知であると言うことを知っていると言いましたが、
これを同じく返されたらどうなるのでしょうか?

ソクラテスは無知について知っているとは言えないのではないでしょうか?
ソクラテスに対して、
「あなたは実は無知であることを知らない」
と返した場合無知の知は無くなってしまうのでないでしょうか?

Aベストアンサー

有名な『ソクラテスの弁明』に出てくる「無知の知」ですね。


おそらく、本来の意味とは少し異なった意味を教えられたのではないのかと思います。

無知の知はソクラテスの哲学を表す重要な言葉で一文節を取り出して、そこだけで解釈すると誤解が生じてしまうので『弁明』の全体を見て解釈するのが大事だと思います。

お粗末ですが、軽く無知の知に至るまでを説明しますね。


ソクラテスは神からある言葉を授かります。その言葉とは
「ソクラテスより知者はいない」
というものです。

ソクラテスは考えます。
俺が一番賢いわけがない。


ソクラテスは、この神の言葉は間違いであることを証明しようと試み、自分より知者であると思われる、評判高い人々を訪れるわけです。その人達の職業は詩人であったり大工であったり様々です。


ソクラテスは彼らが自分よりも知者であることを期待して訪ねたのですが、話をしてみるとどうも勝手がちがいました。


といのも、彼らは確かに専門的な知識はソクラテスよりも優れていました。しかしそれに奢って
「徳であったり、本当に善いものに関する知識」
を持っていないにも関わらず知ったかぶりをして話をしていたのです。


その一方で自分は、徳とか善きものについて知らないということを自覚している。
その点で彼らよりも自分は賢い。
ソクラテスはそう考えました。


ここでソクラテスに初めて「無知の知」が自覚されます。


「無知の知」は「不知の知」とも表記されていて、私は後者の方がしっくりきます。

といのも、
「知っているものが何も無い」
という状態ではなく
「知らない(不知)ということを知っている」


と解釈しているからです。

ですから、質問者さんが問うように
「ソクラテス、あなたは無知(不知)を知らない」
と言われれば、きっとソクラテスは
「いや知っている、自分は善とか徳については何も知らないことを知って(自覚して)いるよ」
と答えると思います。


付け加えるなら
「ぜひ教えてくれないか、君も知らないならば一緒に探求しようではないか」
とも言いそうです(笑)



気になるようでしたらぜひ『ソクラテスの弁明』を実際に読んでみてください。文量は多くないので気軽に読むことができると思いますよ。


長文失礼しましたm(__)m

有名な『ソクラテスの弁明』に出てくる「無知の知」ですね。


おそらく、本来の意味とは少し異なった意味を教えられたのではないのかと思います。

無知の知はソクラテスの哲学を表す重要な言葉で一文節を取り出して、そこだけで解釈すると誤解が生じてしまうので『弁明』の全体を見て解釈するのが大事だと思います。

お粗末ですが、軽く無知の知に至るまでを説明しますね。


ソクラテスは神からある言葉を授かります。その言葉とは
「ソクラテスより知者はいない」
というものです。

ソクラテ...続きを読む

Qソクラテスの死の意味について教えてください。ソクラテスが自ら死を選んだ理由です、

ソクラテスの死の意味について
教えてください。
ソクラテスが自ら死を選んだ理由です、

Aベストアンサー

無知を自覚していない人は無知だ等という自説を説いたソクラテスは、政治家達の反感をかい、異分子として排除するため裁判にかけられ、死刑判決を受けます。が、もし、ソクラテスが自分の考えを説かずに、今後一切黙れば、死刑を見逃し生かしてあげよう、という条件を言い渡されます。が、ソクラテスは、自説を曲げ、お上に従って生きても、それは生きているとは言えない、植物人間と同じだ、それならば、死刑を受け入れる事を自ら望んだのです。つまり、ソクラテスは魂を売り渡し、飼い慣らされた豚になるよりも、自分の信念を貫き通す事を選んだのです、死を持って。そこにソクラテスの意思の強さ、ソクラテスの死の尊さがあるのです。支配に屈しない、元祖パンクロッカーと言えます。かっこいいですね。私も踏襲しています。自分が正しいと信じた事を貫き通します。それにより多少石が飛んで来る事があっても。でも、本当の強さと自信があれば、そんな小石はものともしません。ソクラテスのように、命を落とす事に比べたら。。

Q「無知の知」って誰のことば?

「無知の知」と言った人は誰ですか?

Aベストアンサー

みなさんが答えているとおりソクラテスの名言です。当時ギリシアには賢者(先生)がいて民衆の多くの疑問に対して答えを導き教えていました。ソクラテスはそれに対して疑問をもちました。彼らは(賢者)は本当に真理を知っているのか。ただ単に知ったかぶりをしているのではないのか。例えば、うそをつくという事に対してこれは正しいのか、間違いなのか、その真理は?。普通賢者はその質問に対して、うそをつくこと良くないですよと教え導きます。しかし、ある人はとても重病にかかりもはや死がせまっています。(例えばガンの患者)あとは気力しだいで延命できるか、また完治するか。そんなとき主治医・あるいは親族・友人はその患者に何と答えるのか。もしも患者が気の弱い人ならば事実をそのまま伝えれば、狂乱するでしょう。そういう時、我々はうそをつき、絶対に完治するよ。大丈夫だよと答えるのが普通だと思います。つまり、この場合のうそをつくということは、正しいのです。うそをつくといっても状況によりまちがっていたり、正しい場合もあります。つまり、うそをつくということは正しいのか誤っているのかよくわからないのです。そこで、ソクラテスは、私は何もわかりません。それなのに賢者たちはあたかも何でも知っているよう(例えばうそをつくことは悪い事だ)に教え導くけど本当は何も知っていない。つまり、バカなのだ。少なくともうそをつくということは正しいのが誤っているのかよくわかりません。すなわち、うそをつくということに対して私は無知であるのです。その事を知っているだけで=無知の知、知ったかぶりをしている賢者より私の方が賢いということです。ソクラテスはこういう問答で賢者たちに知ったかぶりはよくないのですよ。ということを知らせたので、賢者たちから非常に反感をかいました。その結果、国を乱すもとだということで残念ながら死刑になってしまいました。

みなさんが答えているとおりソクラテスの名言です。当時ギリシアには賢者(先生)がいて民衆の多くの疑問に対して答えを導き教えていました。ソクラテスはそれに対して疑問をもちました。彼らは(賢者)は本当に真理を知っているのか。ただ単に知ったかぶりをしているのではないのか。例えば、うそをつくという事に対してこれは正しいのか、間違いなのか、その真理は?。普通賢者はその質問に対して、うそをつくこと良くないですよと教え導きます。しかし、ある人はとても重病にかかりもはや死がせまっています。...続きを読む

Qソクラテスの「知は徳である」

ソクラテスは、
「真の知あれば徳、すなわち正しい行為に
導かれる」
としているが、何かしらの知識に関して
正と不正の知にもとづいて、意図的誤用の可能性は
否定できないのではないかと思いますが、
これについてどう思われますか?

Aベストアンサー

●もし ソクラテスの言うことが「真」であるとするならば
 意図的に不正を選択する者は まだ「真の知」を得ていないことに
 なると思います。真の知を得た者などこの世にどれほど居るのでしょう?
 ヒトラーの虐殺行為は 本人とて苦渋の選択であったはずで
 多くの繰り返される虐殺や戦争や殺人をことごとく回避できる「真の知」とは
 いったいどのようなものなのでしょうか?
 聖人とか偉人とかいわれる人々と狂人とか虐殺者とか独裁者とか言われる人々と
 どれほどのちがいがあるのでしょうか?
 人生とは正にその人にまつわるものであって どんな悪人でも
 生まれながらの悪人はどこにも居ないはずです。ソクラテスのこの言葉は
 わたしには↑このことに思えてなりません・・・。

Q不可知主義と無知の知

哲学初心者です。
専門は哲学とは違うのですが、興味で調べてたら壁にぶつかってしまい、質問しました。

ゴルギアスの言った「不可知主義」と「ソクラテス」の無知の知は同じではないのでしょうか?

ソフィストたちの人間主義を、人知を超越した非知の位相があるのだとソクラテスは批判してまわったのですよね?
プロタゴラスの”人間が万物の尺度である”というのを批判するのはわかるのですが、人間が、絶対的な真理を知ることはできないとする「不可知主義」についてはむしろ「無知の知」と繋がるところがあると思うのですが‥
どなたか回答お願いします。

Aベストアンサー

ソクラテスは真実「絶対的な真理」を知っていたから真理から外れた者の知識を「無知の知」といったのですね。「仏教的には外道の知恵ですね。」
ソクラテスは人間だったですね。だから人間が絶対的な真理を知ることはできない「不可知主義」を肯定はしないでしょうね。「無知の知」、つまり愚民の多数決(民主主義)がソクラテスを罪びとにして死においやったので、ソクラテスの弟子、プラトンは衆愚的民主主義を否定する方向に向かっていますね。この方向は「絶対的な真理を知る者が政治をすべき」という立場ですから「不可知主義」は否定しているように見えますね。
参考までに

Q倫理学の3つの潮流について質問です。徳倫理学と義務論の違いを教えてください。

倫理学の3つの潮流について質問です。

功利主義、義務論、徳倫理学と並べた時に、

功利主義の他の2つとの違いは理解できるのですが、

徳倫理学と義務論の違いを教えてください。

特に、アリストテレスの徳倫理学と、カントの義務論の違いを教えてください。

Aベストアンサー

2015/7/22に知恵袋の「数学」カテゴリーで、「 功利主義、義務論、徳倫理学の魅力と問題点をそれぞれ解説したうえで自分が3つの理論のくちどの理論を最も説得的なものと考えるか、その理由含めて論じてください。 っていうのがあるんで教えてください。 」との質問がありました。

カテゴリー違いの質問ですが、これは、「学校・教師から生徒・学生に求められた課題を自分で対応しようとせずに、他人の協力で済ませてしまおう」としたものと理解することが可能です。

"結果や効率を重視して"質問サイトを利用すれば良いという思考が、功利主義です。

"責任や義務を重視して"自力でやらないといけないという思考が、義務論です。

"[結果や効率][責任や義務]という言葉で説明できることからではなく、[徳が高い人ならどうするだろう]ということを自分で考えて[その徳の高い人]の行動になるように自分の言動を磨こう、[徳が低いままでいる]のは止めよう"という[徳が高い]というなんとなくわかるようでわからないものを自分で考え自分を律しようという志向(思考というよりも志向)が、徳倫理です。
徳倫理だと、今家族の世話や看病をしないとならない、チームメンバーとの共同作業があるので、学校・教師から求められた課題は適当にやる、白紙でパスする、コピペで済ますのも、謝罪するのも、徳ある人物の行動になるかもしれず、課題提出期限や提出方法の約束事とは別で、自分で何かを調べ考察し、「一体、なんで倫理学にいくつも潮流があるんだ? なんで倫理学なんてあるんだ」と時間を見つけて発展させるのが「徳倫理の追求」ということになるかもしれないです。

車も、自転車も、人も、まったく見えない場所で、交通信号機が赤になっていた。
どうします。 信号機は壊れてはいないようです。 数秒前に赤になりました。
義務論でも、なんの義務かを色々考えることができます。
功利主義でも、なにが功利かを色々考えることができます。
徳倫理でも、なにが徳あるヒトの行いかを色々考えることができます。
どの倫理を考えるのでも、結論が必ず一つになるのではないです。

2015/7/22に知恵袋の「数学」カテゴリーで、「 功利主義、義務論、徳倫理学の魅力と問題点をそれぞれ解説したうえで自分が3つの理論のくちどの理論を最も説得的なものと考えるか、その理由含めて論じてください。 っていうのがあるんで教えてください。 」との質問がありました。

カテゴリー違いの質問ですが、これは、「学校・教師から生徒・学生に求められた課題を自分で対応しようとせずに、他人の協力で済ませてしまおう」としたものと理解することが可能です。

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Q「無知の知」の参考文献

ソクラテスの「無知の知」について迫っている文献を探しています。
なかなかダイレクトに迫った本がないので、何かあればよろしくお願いします。(「ソクラテスの弁明」は持っております)

Aベストアンサー

無知の知について明記されているものといえば一番は「弁明」でしょう。
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入手し易いガイドとしては 岩波新書「ソクラテス」(田中美知太郎)。

Q倫理の教科書位に出てくる倫理学者の楽しく読める本

高校の時の倫理の授業が楽しかったので、高校のころの倫理の教科書に出てくる哲学者やそれよりもっと難しいものでもいいのですが、
楽しくいろいろな倫理学者の考え方を学べる本はないでしょうか?
教科書はせいぜい2ページ程度で、一人の倫理学者がおわってしまうので、ものたりないです。
何人かの倫理学者がでてくるものがいいのですが。
よい本があったら紹介してください。
出版社と著者と本の題名を教えていただけると助かります。
よろしくおねがいいたします。

Aベストアンサー

最近出た、小泉義之『ブックガイドシリーズ基本の30冊 倫理学』(人文書院)は超面白いです。
古代から現代まで、30人の思想家・倫理学者の著書を一冊づつとりあげ、その倫理思想のもっとも鋭い箇所を引き出し、膨らませるような読解が披露されています。
ベンサムが同性愛擁護論者であるとか、単純に教科書載ってないようなことも知ることができるので、その点でも面白い。
倫理の教科書とは内容があまり被らないので、場合によっては何言ってるか分からないかもしれませんが、論じる一冊ごとの文章は短くまとまっています。
なにより、教科書よりずっと身に迫った問題が考えられていると感じました。一度しっかり読めば、この先ずっと思考を刺激し続けてくれるような記述が多いです。
「自己に内的制裁を加える『良心の呵責』は不道徳の極みであり、それは社会的な『病理現象』にすぎない。こうして、義務も制裁もない道徳、生の道徳が始められることになる」(ジャン・マリー=ギュイヨーについて、上掲書p.20)
おすすめです。

Q「無知の知」とは、こういうこと?

例えば、
今2年生で、3年生の教科書を見ても習っていないので意味がわからないとします。
でも
「自分が3年生になったらこれを勉強するんだな」
「今知らないのはこのことなんだな。」
と思うことが
「無知の知」なのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

たとえば、
英語を勉強するとします。
勉強が進むにつれて英語の発音や言い回しを耳が
覚えます。
そうなればドイツ語やフランス語を聞いたときに、
これは英語ではないとわかります。
英語を習う前は、スペイン語も英語もみんな外国語として
一緒に聞こえていたものが、
英語とそうではない外国語の区別がつくようになります。
つまり、少しは知っている英語と全く知らない他の外国語の
区別が、英語を知ることでできるようになる。
知と無知の境目が見えてくるというのが無知の知ではないでしょうか。

Q文学や哲学や倫理等に造詣が深く読書家である、とか言う意味での知的な人は、どうも、 文学や倫理学や心

文学や哲学や倫理等に造詣が深く読書家である、とか言う意味での知的な人は、どうも、

文学や倫理学や心理学等に関しては幾らでも難解な本を読み、その分野についての知識や教養、また、洞察力や分析力、裏読み等には秀でてはいても、

何か仕事をする時で、特に雑用や、単純な細かい作業を行う時に、咄嗟に機転を利かせたりパッと仕事を覚えるのが得意ではなかったり、要領はあまり良くなかったり、
簡単な工夫すら思い付かず、

「もうちょっと頭を使えよ。」、「それぐらい、考えりゃ分かるだろう。」等と、普通の人から言われて諭されたり等しますね。

やはり、得手不得手があり、賢さにも幾つか類型はあり、100%全ての面において賢くなるのは無理でしょうし、機知と英知はまた違いますし、
人から何を言われたからと言って、気にする事はないですよね?

また、文武両道であるからと言って、すんなり人生がうまく行くとも限りませんし、
人間は、頭脳や身体能力が全てでも無く、大切なのは心であって、
他に、感受性や素直さや芸術的センス等、誰でも何かしらの得意な分野も苦手な分野もあるものですね?

Aベストアンサー

質問文を一読したときは何がご質問なのか分かりませんでしたが、プロフィールから回答履歴を拝見させていただいて、介護福祉士を忍耐強くやっていらっしゃると分かりました。そうなると、事によったらこれ、ご自身のことじゃなくて、身の回りにそういう方がいて、落ち込んでいるのを見かねたということではないでしょうか。

その叱られている方は状況適応が出来ていないんですね。そして学があることが周囲にも分かっているから、周囲はことさらつらく当たるのでしょうね。出る杭は打たれる、です。学問を続けていて思うんです。No6の猪突先生のおっしゃることはごもっとも。人間、左程変わりません。だからその悩んでいる人には、お書きのように、言ってあげたらいいと思います。100%の人はいません。

ただ人間、環境が伴わない限り、幸福にはならないのです。仮に職場の部下にサルトルがいたと想像してみてください。誰も使いこなせないでしょう。話もあわないでしょう。職場環境をぶっ壊す可能性大です。彼みたいな人はフリーの物書きでないと生きていけません。

しかしもし仮に、こういう人が諸事情で、普通の職場に入ってしまったら、どうなのか。環境に溶け込むか。当人の思うままに追求するか。リチャード・バックの『かもめのジョナサン』がちょうどこのテーマですね。

質問文を一読したときは何がご質問なのか分かりませんでしたが、プロフィールから回答履歴を拝見させていただいて、介護福祉士を忍耐強くやっていらっしゃると分かりました。そうなると、事によったらこれ、ご自身のことじゃなくて、身の回りにそういう方がいて、落ち込んでいるのを見かねたということではないでしょうか。

その叱られている方は状況適応が出来ていないんですね。そして学があることが周囲にも分かっているから、周囲はことさらつらく当たるのでしょうね。出る杭は打たれる、です。学問を続けて...続きを読む


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