ソクラテスの無知の知についてです。
高校の倫理でソクラテスのことを学び、
その中でソクラテスの思想に「無知の知」というものがありました。

ソクラテスは、
「あなたは自分の無知を知らないが、私は自分の無知を知っている(=無知の知)」
と習いました。

しかしここで思うのが、
ソクラテスは自分が無知であると言うことを知っていると言いましたが、
これを同じく返されたらどうなるのでしょうか?

ソクラテスは無知について知っているとは言えないのではないでしょうか?
ソクラテスに対して、
「あなたは実は無知であることを知らない」
と返した場合無知の知は無くなってしまうのでないでしょうか?

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A 回答 (7件)

有名な『ソクラテスの弁明』に出てくる「無知の知」ですね。




おそらく、本来の意味とは少し異なった意味を教えられたのではないのかと思います。

無知の知はソクラテスの哲学を表す重要な言葉で一文節を取り出して、そこだけで解釈すると誤解が生じてしまうので『弁明』の全体を見て解釈するのが大事だと思います。

お粗末ですが、軽く無知の知に至るまでを説明しますね。


ソクラテスは神からある言葉を授かります。その言葉とは
「ソクラテスより知者はいない」
というものです。

ソクラテスは考えます。
俺が一番賢いわけがない。


ソクラテスは、この神の言葉は間違いであることを証明しようと試み、自分より知者であると思われる、評判高い人々を訪れるわけです。その人達の職業は詩人であったり大工であったり様々です。


ソクラテスは彼らが自分よりも知者であることを期待して訪ねたのですが、話をしてみるとどうも勝手がちがいました。


といのも、彼らは確かに専門的な知識はソクラテスよりも優れていました。しかしそれに奢って
「徳であったり、本当に善いものに関する知識」
を持っていないにも関わらず知ったかぶりをして話をしていたのです。


その一方で自分は、徳とか善きものについて知らないということを自覚している。
その点で彼らよりも自分は賢い。
ソクラテスはそう考えました。


ここでソクラテスに初めて「無知の知」が自覚されます。


「無知の知」は「不知の知」とも表記されていて、私は後者の方がしっくりきます。

といのも、
「知っているものが何も無い」
という状態ではなく
「知らない(不知)ということを知っている」


と解釈しているからです。

ですから、質問者さんが問うように
「ソクラテス、あなたは無知(不知)を知らない」
と言われれば、きっとソクラテスは
「いや知っている、自分は善とか徳については何も知らないことを知って(自覚して)いるよ」
と答えると思います。


付け加えるなら
「ぜひ教えてくれないか、君も知らないならば一緒に探求しようではないか」
とも言いそうです(笑)



気になるようでしたらぜひ『ソクラテスの弁明』を実際に読んでみてください。文量は多くないので気軽に読むことができると思いますよ。


長文失礼しましたm(__)m
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他の回答者様も書いているように、ソクラテス自身は「無知の知」などという言葉は使っていません。

倫理の教科書を書いた人が、勝手にそういう要約をしただけのことです。

ソクラテスが言ったのは、”俺は、自分を賢いと思っている人や、世間が「あの人は賢い」と評しているしている人々を訪ねて会話をしてみたんだけど、どうもそういう人たちは、よく知りもしないことについても知っていると思い込んでいるだけだったなあ。少なくとも、自分は、そういう思い込みはしていない”ということにすぎません。

ソクラテスが、「俺は、無知の知だ!」などと言って威張ったわけではありません。(そんな人がいたら、みんなが「こいつ馬鹿だな」と思うだけのことです。)まあ、これも私の要約にすぎないので、ご自分で『ソクラテスの弁明』を読んでみるとよいいと思います。

あなたの質問に正面から答えていないので、申し訳ないのですが、私が察するに、あなたは、「無知の知って、そんなにすごいの?意味あるの?」という疑問を感じた、ということなのではないかと思います。その感性はまったく正しいです。教科書のその部分は、わたしも出鱈目だと思います。でも、教科書なんて(というか、誰かが他人の言葉を勝手にまとめた場合なんて)、そんなものです。大事なのは、「この人はこうまとめてるけど、正確にはどうなのかな」と調べることです。この場合、文庫本でその部分を探してみればよいだけなので、簡単です。

(といっても、じゃあなぜ、倫理の教科書が「無知の知」などという強引なまとめをすることになっちゃたのか、という経緯を推察するとなると、なかなか込み入っています。私の予想では、「ソクラテスは誰よりも賢い」と神託(神様のお告げ)があった、というのがそもそも話の発端だったから、「ソクラテスのどこが賢いんだ?そうか…知らないってことを知ってる、この点だろ!→無知の知!」と要約したのだと思います。でも『ソクラテスの弁明』をよく読むと、どうもそうじゃないと思う。ソクラテスは、とりわけ神を敬う人間だった(そもそも、ダイモンと呼ばれる、下級の神のような、妖怪の声みたいなものに憑き纏われていた)から、「人間の知識なんて、神様とくらべれば、無に等しい」とよく知っていた。その点が、神様から、「よしよし、ソクラテスはわかってるな、でもほかの人間は思い上がりすぎ!」という趣旨で、「ソクラテスは誰よりも賢い」というお褒めの言葉をかけた、それがくだんの神託だったのではないか。まあこのへんは私の読みにすぎません。推理小説みたいで面白いですよ。)
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この言葉は『心の在り方』を説いています。

人間の意識(心)が何によって導かれているのか?と云う事です。科学的な文献を載せておきます。

ウイキペデアからです。


”ロジャースペリー 分離脳
ノーベル賞受賞者
受賞年:1981年
受賞部門:ノーベル生理学・医学賞
受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究

ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。”

右脳の意識(人格)は仏教においては『仏性』キリスト教においては『神』と言う名前で呼ばれています。今風に言うなら『命そのものを働かせている者』と言う言い方も出来ます。その意味は、『身体的な命も、精神的な命も、行動学的な命も』全て握っていると言う意味です。

その事を日本では『禅』或いは禅問答が答えています。ソクラテスが言うところの『汝自身を知れ』と云う事と、『禅問答を解いた事』は一つの事実として、その人本人の脳内では確認できている事実があります。

右脳の人格が書かせた言葉が『禅問答』だからです。左脳に存在する自我意識が如何いう風に努力をしたところで、右脳の意識に出会う事は難しそうです。

左脳の意識が『出来ない』と言う判断を下した場合、『右脳の意識が出てきて全ての問題の処理をしてくれます。』是が『魂の救いです。』

禅において『生死の問題が解決した事』を意味します。キリスト教においては『神に会う』事を意味します。

右脳の意識を体験している人の動画が在りますので参考にして下さい。悟ると云う事は『右脳の人格と左脳の人格とが手を繋ぐ』と言う意味があります。脳科学で説明するなら、二つの脳を繋いでいる脳梁の中にホットラインという回路構成が成立した事を意味します。

その回路構成は一度繋がった場合、終生切れる事がありません。その意味は『知識としてではなくて、体得できた事を意味するからです。』その心境が仏教では涅槃と表現されています。

キリスト教では『神の僕となる』と表現されています。その心境(境涯)は心の中で争いがなくなるという意味です。心の中はいつも『穏やかで静まり返っている。』と言う意味です。

心の矛盾を人間は苦しんでいると言う意味になります。

URL:

尚補足として答えておく事があるなら、NO5さんの『「無知の知」は「不知の知」とも表記されていて、私は後者の方がしっくりきます。』と云う言葉の方があっていると感じます。
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ソクラテスに対して私たちが「あなたは自分の無知を知らないが、私は自分の無知を知っている」と言い返したからといって、それだけでは私たちの発言が真であることは保証されないと思います。

なので、仮にソクラテスが無知の知を持っているのだとすれば、私たちがそう言うことによって、ソクラテスの無知の知がなくなってしまうとは考えにくいのですが。

それと文献上のことをいえば、「無知の知」というのは後世の人がそういう表現をよく使うだけで、プラトンの対話篇に登場するソクラテスは、「知らないと思っている」と言っていて、「知らないと知っている」とは言っていません。
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 こんにちは。



 既知の知は持っているが 未知ないし無知の知は 持っていないか それとも持っていてもあまりそれを認めたがらない。それでは 互いの対話がすすまない。――と言おうとしているのではないですか?

 分かりやすい話としては 無知であるのに知っているふりをして そのまま話をすすめていく場合です。

 なんぢみづからを知れという指針ではないでしょうか。
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その通り。



>「あなたは自分の無知を知らないが、私は自分の無知を知っている」


 「あなた」が真に無知であるか否か「私」は知り得ないのです。

 「私」が自分の無知を真に知っているなら、「あなたは自分の無知を知らない」とは言えない。
 「私」が自分の無知を知らないからこそ、「あなたは自分の無知を知らない」と推定で言葉にする。
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1つ確かなのは、世の大衆は基本的に中庸の知識で


充分なので、ちょっと学んだだけで周りより突出して
感じられ、天狗になりがちだという事。
そうした現象において、「大して知っちゃいない」という
自覚を持って、探究心を抱き続ける事は難しく、また
重要な事なのだ。
(まさか「無知」だからといって、何も知らないと言って
いるのではありません。それじゃ言葉もじゃべれない)
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Q人間は考える葦である とは?

ふと頭をよぎったのですが、、
「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

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イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
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しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Q学校のレポートで出された課題なのですが

学校のレポートで出された課題なのですが

ソクラテスの訴えられた真の理由

ソクラテスが知を愛するものの生き方

ソクラテスのしについて

というこの3つを合計2000字でだされてしましました・・・
お手伝いお願いします><

Aベストアンサー

知識人に対して「教えてください」とソクラテスは下手に出て質問をしたわけです。
知識人は質問されて常識とされることを答えた。
するとソクラテスは例えを出して「じゃあ これはどうですか」と問答を繰返しているうち、最初の答えとは違う答えを知識人に導かせることになった。

深く考えることで常識が正しく無いと、知識人に悟らせたわけです。

つまり知識人は実は深く考えていないおバカな人って暴いてしまう結果になった。

ソクラテスは暴くつもりはなく、もうちょっと深く物事を考えましょう、 考えることを愛しましょう という活動をしただけなのですが、知識人はバカを暴かれたと思って恥をかかされたと思ったわけです。


<ライラの冒険 黄金の羅針盤>って映画をみたことがあるでしょうか?
ライラはソクラテス。
ライラだけが真理を示す黄金の羅針盤を読める少女なのですが、教権は彼女を自分たちの地位を脅かす存在だとして、恐れたわけです。

ライラの冒険では、ダイモンが登場します。
ダイモンは誰にもくっついている。
その人の本性を表す動物のような形をしている。

ソクラテスはダイモンが自分についていて、間違えたことをしそうになるとダイモンが自分を止めてくれていると思っていた。
知識人に問答をふっかけることをダイモンは止めなったことから、それが間違えたことだとソクラテスは思っていなかった。
ダイモンはまったくの真理からやってくるものだと信じていたので、ダイモンが止めないってことは正しいことだと思っていたわけです。

そのように真理を探究したソクラテスを見て、若者はソクラテスに注目したわけです。
知識人よりソクラテスの方を重要視したわけです。

すると面白くないのは若者たちに尊敬されるはずの知識人です。

教権 すなわち アテナイの知識人は、ダイモンの存在を信じるソクラテスを「アテナイの神とは異なる神を信じ、若者を堕落させたと告訴した。

知識人たちは懲らしめのつもり程度で、ソクラテスを殺すつもりなんて無かったんです。
「ごめんなさい あなたがたに恥をかかせてしまった」ってソクラテスが非を認めたら、それでよかった。

だけどソクラテスは、ダイモンが止めなかったってことは自分が知を探求する姿勢は正しことであり、謝る必用な無いんですって非を認めなかったし、知識人をバカにするつもりなどさらさらなく、もっと深く物事を考えましょうって運動だったって主張したことで、知識人はムカついてだんだん本気になっていったわけです。


裁判でちょっと懲らしめる程度のはずが シリアスな状況になっていき、それでも脱獄は容易だったのですが、脱獄することは不正をするということであり、不正は自分の理に反するとして、多数決で決まったものは例え悪法であっても、法を守るためにはその判決に従うのが正しい人である として、自ら毒を煽って自殺したんです。

これが後にキリスト教のイエスが苦いブドウを飲むってエピソードに繁栄されたんだと思う。

プラトンの国家に義人の証明ってのがあります。
本当にその人が義人なのか、評判を得て得をするために義人のふりをしているのか、どうやって確かめられるかって理論をもって書いたもので、その人が義人ならたとえ名誉を奪われ十字架にはりつけになり槍で疲れても、最後まで義人であり続けたら、その人は得を得るために義人のふりをしていたのではなく、根っからの義人だったということが証明できる ってしていた。

つまり、プラトンの義人の証明がソクラテスの死なんです。
ソクラテスのことについては、プラトンの書いた書籍からしかほとんどわかっていません。
実在の人物だったとは思いますが、死亡は本当に死刑になったのかどうかわかりません。

知識人に対して「教えてください」とソクラテスは下手に出て質問をしたわけです。
知識人は質問されて常識とされることを答えた。
するとソクラテスは例えを出して「じゃあ これはどうですか」と問答を繰返しているうち、最初の答えとは違う答えを知識人に導かせることになった。

深く考えることで常識が正しく無いと、知識人に悟らせたわけです。

つまり知識人は実は深く考えていないおバカな人って暴いてしまう結果になった。

ソクラテスは暴くつもりはなく、もうちょっと深く物事を考えましょう、 考える...続きを読む

Qソクラテスの『善く生きる』

ソクラテスの『善く生きる』という言葉の意味をできるだけ簡潔にまとめたいのですが、どのようにしたらよいでしょうか。私は専門が理学系なので哲学は未履修です。高校の倫理の教科書を借りて読んでみてはいるのですが、いまいち内容に合点がいきません。

Aベストアンサー

ソクラテスの『善く生きる』ですか。
ソクラテスやプラトンが用いる「善く」という意味がわからないと答えようがないですね。
かれらの意味する「善く」というのは単なる道徳や慣例・知識ではないのですね。神の目から見て「正しいこと」を「善く」といっているのですね。
ソクラテスの時代も現代も同じですよ。殆どの慣例や知識が神の目から見て「正しいこと」ではないので、『善く生きる』ということは「ラクダが針の穴を通るほど」難しいことですね。
とはいえ、回答としては「あなたの良心に従い生きること」が『善く生きる』に一番近いと思いますよ。
知識や道徳ではなく「良心」というのがみそですね。
とはいえ何か例がいりますかね。例えば、葬式の後の塩なんかは慣例ですが、だれが始めたのかも不明、効果も不明、単なる迷信ですが多くの人が信じて実行していますね。正しくないのでこんなのまねても『善く生きる』にはならないということですね。多くの知識や道徳・慣例などもあなたの良心に従い見直しながら生きるということですね。

Q人間の3大欲とはなに?

この質問は このジャンルでふさわしいのかどうかちょっと迷ったのですが・・・。

人間の 3大欲といわれるものがありましたよね。
あれは 食欲と 後はなんでしたでしょう?

また その「人間の3大欲」という言葉は
誰が 言い出したのでしょうか?

Aベストアンサー

人間の三大欲望は
食欲 睡眠欲 性欲 です。
食欲は,物を食べ,エネルギーにする事。
睡眠欲は,睡眠をとり,脳を休ませること。
性欲は,トイレで用をたしたり,エッチをしたり,する事
この3つはある程度は我慢が出来ますが,人間が生きていくためには必ず必要なことです。欲望というより,必要不可欠なことです。
でも、このことを言った人はわかりません。昔からの言い伝えではないでしょうか?

似たような語で,「衣・食・住」これは、生活の上のことです。

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q固定観念?固定概念?

固定観念 と 固定概念 の違いを教えてください。

よろしくおねがいいたします。

Aベストアンサー

固定観念=凝り固まった思い込み。
固定概念=旧来からの見方・考え方。

差異は、前者が各自の内に存在し、後者が各自の外に存在することですかね!なお、固定概念は、当然に、各自の内にも取り込めます。

Q「すいません」と「すみません」どちらが正しい?

 タイトルにあるとおり、素朴な疑問になりますが、「すいません」と「すみません」ではどちらが日本語として正しいのでしょうか。分かる方ぜひ教えてください。

Aベストアンサー

もともとは「すみません」ですが、「すいません」と発音しやすく変えたものもたくさん使います。
話す時はどちらでもいいですよ。

ただ、私個人の語感で言うと、公式的な場では「すみません」の方がいいような気もします。「すいません」はちょっとくだけた感じかな。でも、これはあくまで私個人の語感。人によって、あるいは地方によっても感じ方は違うだろうと思います。

書くときはもちろん「すみません」にしましょう。

発音しやすく変化した発音の他の例としては
手術(しゅじゅつ→しじつ)
洗濯機(せんたくき→せんたっき)
などがあります。これも、話す時にはどちらでもいいです。「しじつ」「せんたっき」と書いてはいけませんが。

Q「以降」ってその日も含めますか

10以上だったら10も含める。10未満だったら10は含めない。では10以降は10を含めるのでしょうか?含めないのでしょうか?例えば10日以降にお越しくださいという文があるとします。これは10日も含めるのか、もしくは11日目からのどちらをさしているんでしょうか?自分は10日も含めると思い、今までずっとそのような意味で使ってきましたが実際はどうなんでしょうか?辞書を引いてものってないので疑問に思ってしまいました。

Aベストアンサー

「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。

しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。

私もにた様な経験があります。美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。といったら「だから、木曜以降って!聞いてました?木曜は駄目なんですよぉ(怒)。と言われたことがあります。しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。

「以上以下」と「以外」の説明について他の方が質問していたので、ご覧ください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=643134

Qソクラテスの死の意味について教えてください。ソクラテスが自ら死を選んだ理由です、

ソクラテスの死の意味について
教えてください。
ソクラテスが自ら死を選んだ理由です、

Aベストアンサー

無知を自覚していない人は無知だ等という自説を説いたソクラテスは、政治家達の反感をかい、異分子として排除するため裁判にかけられ、死刑判決を受けます。が、もし、ソクラテスが自分の考えを説かずに、今後一切黙れば、死刑を見逃し生かしてあげよう、という条件を言い渡されます。が、ソクラテスは、自説を曲げ、お上に従って生きても、それは生きているとは言えない、植物人間と同じだ、それならば、死刑を受け入れる事を自ら望んだのです。つまり、ソクラテスは魂を売り渡し、飼い慣らされた豚になるよりも、自分の信念を貫き通す事を選んだのです、死を持って。そこにソクラテスの意思の強さ、ソクラテスの死の尊さがあるのです。支配に屈しない、元祖パンクロッカーと言えます。かっこいいですね。私も踏襲しています。自分が正しいと信じた事を貫き通します。それにより多少石が飛んで来る事があっても。でも、本当の強さと自信があれば、そんな小石はものともしません。ソクラテスのように、命を落とす事に比べたら。。


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