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外発的に起こる動機付け以外で教育の効果が向上する教授法を考えろという課題が出ました。

そこで、「少人数制の授業」、「生徒をあてる授業」、「プレゼンを課す授業」などを思いつきましたが、これって、”間違えるのが恥ずかしいから取り組む”という外発的な解釈もあるので、外発的動機付けになるのでしょうか。というかそもそも、”教授法”という言っている時点で、どんな例でも最初は外発的になってしまう気がします。

自分は、「少人数のクラスで先生にあてられて(外発的)、良い答えでほめられて内発的に勉強するようになった(内発的)。大人数より少人数のほうが先生にあたる確率が高いので、内発的動機付けを受ける確率も高く、少人数のほうが教育効果が向上する。」という感じで考えましたが、最終的に内発的に繋がれば、この場合、少人数クラスであることが内発的動機付けにつながるといえるのでしょうか。

A 回答 (2件)

誉められてやる気になるのは外発的動機付けではなかったでしたっけ。

誉められてやる気を出して次につなげるのも同じだったような気がします。

内発的動機付けは本人が興味を持ったり疑問を持ってそれを知ろうとするなどというものでしたよね。だとすれば子どもが、「何だこれ?」って飛びつくような題材(物だけでなく環境もそう)を見つけてきて、子どもの活動範囲内に置いてみたり、目の前に提示することくらいしか最初はできることがなくて、学習の継続のためには子どもの関心や思考の流れの予測をして手立てを打っていく必要があります。そうしないとただの遊び(これも学びだけど目標がある授業としての形態にならないし、内容を深めにくい)になってしまいますから。

子ども一人一人の思考や行動に沿うために少人数という設定なら個々の内発的動機に対応、支援ができて効果の向上が見込めるかと思います。発表しなくてはならないからやるだろうというその前の段階で、発表が苦手な子には意見をまとめるための支援を個別にしておく配慮が必要でしょう。これなら発表しても大丈夫、という安心感は、発表してみようか、してみたいという内発的動機になるのではないでしょうか。

誉められるから発表したくなるのもアリですが、内発というなら自分の意見を主張したくなること、その経験から他の意見に耳を傾けられるようになることの方に重きが置かれるような気がします。

教育心理学の専門家ではない一素人の意見でした。
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この回答へのお礼

なるほど・・・自分では思いつかなかった話なのでとても参考になりました♪

お礼日時:2012/01/13 14:04

「教授法」なので、最初は外発的な動機付けになるというのはその通りです。

問題はその動機の維持が外部刺激に依存するのか、内部刺激でOKなのかの違いだと思います。そう考えれば「少人数制の授業」、「生徒をあてる授業」、これらは外発的動機付けと解釈できてしまいます。それらの条件がなくなれば動機が減少する可能性があるからです。ほめられなくなった時、当てられなくなった時、生徒の動機が内発的動機になっているかどうかは「神のみぞ知る」なので、それが外発的動機付け以外の教授法とは言えない気がします。「プレゼンを課す授業」は内発的動機になる可能性が高いかもしれません。

私が思う内発的動機付けの教授法は、たとえば数学だとしたら、公式や証明や計算法を教えるというスタンダードな教授と平行して、数学史も教えるというものです。今学んでいる公式や証明が、いつの時代、誰が、何故そういうものを考えたのかを教えるのです。その人物が情熱をかけた問題意識を共有することで、学ぶ内容に自発的に興味を持ちやすくなります。そもそも現在でも教える価値のある内容を残した先人には、その問題に対して大きな知的好奇心をもっていたはずで、それが少しでも生徒に伝われば同じような知的好奇心が喚起される可能性が高いと思います。好奇心が喚起されれば、趣味に熱中するのと同じような内発的動機によって関連する知識も知りたくなるでしょう。他にもいろいろあるかもしれませんが、自分がそういう授業を受けたかった思いもあって、ひとまずそういうのが真っ先に思い浮かびました。
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この回答へのお礼

たまに歴史も教える先生もいたので、もしかしたら学校の授業は内発的動機づけをするために切磋琢磨していたのかもしれません。すごい納得できる回答ありがとうございます!

お礼日時:2012/01/13 14:06

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