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最近、日本は、普通の国になるべきだという考えがあります。

その人たちが定義する普通の国とはどこの国のことでしょうか?アメリカのような国でしょうか?それとも、コスタリカのような国でしょうか?

なにかのイデオロギーの文章中に明文化されたもののような言い草のようにも感じますが…なんでしょうか?

A 回答 (8件)

2の回答で、las8tyさんの議論をさらに展開すると、つまり「一般的、常識、当たり前」を世界共通の規範として、それぞれの国が内化させると、どの国も同じ顔の国になり、ひいては国境が意味をなさなくなり、国という概念は無くなります。

グローバルスタンダード。

しかし、グローバルスタンダードを推し進めているのは、西洋近代のイデオロギーをまとった「先進国」なる国々です。アメリカは自国の価値観を世界に広めようと躍起になっているようですし、ヨーロッパはアメリカに対抗しようと一つにまとまろうとしています。しかし、その一方で「先進国」と呼ばれない国々は、自国のナショナリズムを高揚させ、独立を叫んでいることも事実です。

「普通」を訴える文脈は、そういう西洋近代的なイデオロギーを内在させているような気がします。それは一種の帝国主義でもあるでしょう(当然ナチの全体主義に親和性があると思います)。先般、物故された硯学エドワード・サイードの「文化帝国主義」という言葉を思い出しました。
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この回答へのお礼

ありがと。
民主化を訴えて、普通に戦争を行える国になることが、今の日本で、大事だと思う人が増えている気がしてなりません。

あきらめ世代的感覚におかされ、自暴自棄で刹那的な国になるのかな。しょうがない症候群でせうか。
普通でなくていいから、国の将来のビジョンを描き提示できる政治家を国民が選ぶ仕組みを作るべきだとわしは思うのじゃが。

お礼日時:2003/12/07 08:07

誰がどこで言ってるのかとか知りませんので勘ですが。



バブル期みたいに景気良く無くてもいいから特に不況というわけでもなく、ノーベル平和賞を取るような人がたくさん輩出されなくてもいいから猟奇的な殺人事件が頻繁に新聞を賑わすようなこともないような、管理する人間にとっては非常に都合の良い、或いは「普通の国になるべきだ」と言っている人にとっての常識が全面的にまかり通るような、そんな国をイメージしているように思える言葉ですね。
「そうだそうだ」と同意している人がたくさんいて、そのそれぞれの人たちがイメージしている「普通の国」がそれぞれ全然違う、というような絵が浮かびます。

もしよくよく考えてひねり出した言葉であるなら、「日本は“普通”を再構築すべきではないか」という意味深い提言のように思えます。
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この回答へのお礼

ありがと。
普通の国は、おざわっちがいうてたのもありますが、漠然と感じてたことなんで根拠なしでございます。
私の言いがかり、或いは偏見といっても過言ではないので余り気にしないで気楽に回答いただけるとうれしいです。
デリダの脱構築後の世界にルソーの平等の国は、普通の無政府資本主義ないし新資本主義(環境投資によるマチュリティ限界の打破-野矢テツヲ)などによるイデオログをまとうこともなかりしや。

お礼日時:2003/12/17 00:16

あ~……小沢さんとか、前から言ってましたっけ。



【「普通」と"言われる"国】――コレが普通の国ですよね。
ほんじゃ【「普通」と"言ってくれる"国】があるンでしょう。たぶん。
その言う側の立場の国は、たぶん普通より優れているンでしょうな~……。
ンじゃぁ、そっちを目指せば良いのにね。(笑)

> 普通の国になるべきだ
コレが本音の人って、資本主義社会の政治屋さんにいたっけな??
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この回答へのお礼

有難う。
北朝鮮よりもアブノーマルでなければ、許してやるのが普通の国際通念であるといってみたりしようかな。

お礼日時:2003/12/15 20:32

この問いにはアクチュアリティがある。



それは普通の国という以前に、国の概念

が変容を遂げてきているからだ。

例えば、大差のない軍事力をもった数カ国

を対象にして国概念を創出することは

理論的に可能であるが、軍事的にアメリカが

肥大と形容されるべき強度を誇っている

現状は、アメリカと他の国とをおなじ国概念

で理解しがたい。

しかしここで指摘するべきことはそんな

単純な量問題ではない。

飛行機でビルに追突する自爆テロ。これを

職業的テロリストによるプロジェクトである

とするなら迎撃不可能かつ容易な手口が

彼らによってオープンにされたこと。

そしてこれを中東の宗教問題だと考えた

場合、その革新度は低いが確信度は極めて

高い、国を単位としない思想という国土領域

など無関係な集団が形成されていること、

以上が理解される。

回答とならないことを承知で書こう。

政府の存在、憲法の存在、国連の認定、そういった

仕方では国なるもの自体が見えてこない。

普通の国は、今、(実際中国以外の殆どの国

がそうであるように)疲弊し、混迷している。
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この回答へのお礼

ありがとう。
昔は、国際的金融機関や石油メジャー、或いは穀物メジャーと呼ばれる独占資本家に国が支配されていた。

国連の常任理事国は、第二次世界大戦の戦勝国で成り立っているが、やがて第三勢力が力を蓄えてきたとき、怨念と憎悪のコンプレックスからくるルサンチマンによって自らの破滅を呼び起こすであらう。

奢れるものは久しからず、日本もまた、日は没する。

お礼日時:2003/12/13 21:43

普通という言葉自体が定義付けは難しい。



時代や文化によって普通の意味が変化しますからね。

私個人としては農耕中心の文明の頃に戻るのが人類にとってベストだと思っていますが、現実にはパソコンも使えば飛行機も使う。自ら古代文明を実践しようとは思えない近代的人類の典型です。

日本人ですから日本という国が住みやすく人に優しい国であってくれることは望むのですが、日本という枠組のみで考えてしまえば、それは極端に言えばファシズムとなんら変わりはありません。

これからの人類は地球の住人としての視点を持って未来を考えて行くという姿勢を身に付けなければ1000年後の豊かさはないでしょう。

そういう意味で教育は必要ですが、現実の生活が経済主導である限り「地球人類として思考すべき」という考え方は理想にしかなりません。

1万年後の未来の為に、日本は科学文明と物質的豊かさを捨てることが出来るか・・・。できないでしょうねー。
人類は滅亡への階段を登るしかできないのでしょう。


今、日本はアメリカと協調することで世界における日本の優位を保とうとしている。
それはなんら間違いではないと思います。なぜなら、経済主導の国だからです。テロ容認国とみられるよりは、そうでない方が経済効果は大きいですし、アメリカが大きな市場であることも事実ですからね。アメリカ追随から脱却するには資本主義を捨てる事も必要かもしれませんね。

なんか話がそれまくって済みませんという感じですが。
「普通の国家になるべき」といっている人たちは基本的に「自分の国を自分で守れるようにするべき」と言っている場合がほとんどです。つまり、北○○が核をもつなら日本も核を持つべきだ(抑止力として)ということですね。
軍国主義(国粋主義)時代の日本に憧れを抱く日本人も居ることは事実ですが、多くの日本人はその時代の日本に帰りたいとは思っていないと私は思います。つまり、軍需大国になることは日本人の民意が認めないと思っていますし、今の日本は戦争を起こした所でただ大敗してしまうだけでしょう。

日本人としてどうすべきかではなく、宇宙の住人として、これからどうするべきかを皆で考えていけたらいいなと思っております。長文になりましたが、今回の質問を見て感じたままを書いてみました。では。
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この回答へのお礼

ありがとうでござる。
マヤ文明みたいに何百年周期で国を捨て、呪術と信仰によって全てを決定することも不合理な脳を説得する合理的行動なのかもしれませんな。

日本人は、いざお上が命令すれば、右へならえの一直線に行動できるように完璧に軍国教育がほどこされている。
平和なときには気づかないが、日本の義務教育は北朝鮮のパロディーとしてしか他国にはうつってないのが悩みの種でござる。

お礼日時:2003/12/13 21:34

その人がどの人か知らないが、福祉の可能な国が、普通の国の要素だろうな。

堅気に厚い国というか。
「国の国たるわ、邦を暮らし邦を先んじ、未だ邦とならずを邦とせんことに国がある。」
まぁ、昔の学者風に言いましたが、国ってのは、囲いです。
まともな囲いはどんな囲いですかってコトで、そこで暮らせて、そこからも出れる。
だけれども、そこ(囲い)から出たとところを、邦としない、つまり異邦(囲いの外)としてきちんと臨めるということ。
国に住む者にその感覚が無いのなら、その国はまともな国ではない。
 
で、囲いという一元的な暮らし方から、升目(ボードゲームの盤のようなもの)という多元的な暮らしになったのが、現代の多国家世界です。
この世界では、国でないところが無い。
昔は、囲いと囲いの間に、ただの場があったわけですが、いまは、囲いと囲いの間に、隙間が無い。
現実的に考えると全く不可能な状況ですが、囲いに暮らすものにとっては決定的です。
囲いの外は、また別の囲いがあるわけです。
そもそも、なんでもない場所から誰かさんが暮らすために作った囲いですが、なんでもない場所っつーのがなくなったもんで、あれ?じゃあ誰かさんって何処で暮らしてたのよ?囲いん中で暮らしてたの?そもそも囲いって何?っていうふうに、あたまがとーふ(豆腐)になってきます。
囲いの存在が、当たり前になったわけです。
こうなると、囲いの無いことが只じゃなくなる。本来、只の暮らしから、誰かさんを守るかなにかするために、囲いの暮らしを生み出したわけですが、ついに、囲いの暮らしが当たり前になった。
だけれど、もともと無かった囲いですから、誰かさんが手入れしないと崩れていくんです。作りもんですから。
それで、後代の誰かさんが言うわけです。
「囲いが崩れるなんて普通じゃない!」
まぁ、あほになるわけです。
崩れて当たり前なんですね。つくりもんだから、手入れしないと崩れるの。
でも、手入れしようにも、今や手入れした途端に、端を接している他の囲いとの間にひずみが起こる。
そもそも、囲いというのは、外縁を造ることで形を成していたのに、外縁に手を出すと火傷してしまう現代、中をつくらないと、囲いはその形をなせんわけです。しかし、中ってのは、はじめ、外縁によって形作られていたものだから、基本的にはなんも無い。中をつくっちまったら、それこそ、本来、囲いの主である誰かさんが、入る隙間がなくなってしまうわけです。
やあやあ困ったチャン。
ほっておけば囲いは崩れるから、いさかいが起ころうが建て直さないとしかたない。
で、戦争が絶えないわけです(推論)。
で、余計に壊れる。
で、囲いの誰かさんがアイデアを出した。
・もう、皆が囲われてる。外に出れない。ひずみを調整する余地も無い。だから、住み方を思案しよう。
囲いの中に、手付かずの土地を確保しないかい? 
 
こうすると、かなり意味不明ですが、囲いの中に囲いを作って、用は、多細胞国家にしましょうということです。囲いの中に囲いを作り、この二個目の囲いを泡と呼びましょう。この泡の中は、非国家です。この非国家存在を国内に取り入れ国土に現象させることで、柔軟性を得ましょう、多少外縁が変形しても破壊されずに調整を取れるよう。
こムーヴメントが自然保護活動(代表例)だと思うわけですが、これは、世界規模で広がっています。
なぜなら、非国家は、多種多様な国々のどれにとっても、非国家だからです。
こうすると、国の内側に弾力性が生まれることで、升目の目(外縁、国境)に、固定されていない振れ幅が出てくる。そのことで、準面積的な要素を、囲い自体が持ってくる。線ではなく。
第三の土地が生まれる。第一、只の場、第二、囲いの中、そして、第三、囲い自身の上に。
 
で、話は飛びますが、昔から引きこもりというのはおったわけですが(隠遁者など)、それが少数でなくなってから随分たつ。
この引きこもりは、囲いの中で、囲いを作る動きだとすると、囲いの中は、非囲い。手付かずです。
ということで、引きこもり推奨、引きこもりには手を貸さない、加えない、引き出そうとするなんてのはもっての他。引きこもりを、そういう精神的手付かずの復活として、歓迎することもできる。
で、引きこもりが若い人に多いのは、それだけ、手付かずの部分を多く持っているからです(推論)。
 
で、結論ですが、現代型普通の国、まともな国は、
引きこもりが多く、それをケアでき、しかも、例えば自然保護活動などが活発な国。
こうなる。
日本は、傾向としては悪くない。
外縁がつぶれるよりも速く、中に泡をたくさん作るということ。
これが、国家の行く道だろうと思います。
イラクに自衛隊をやっとる場合ではないですね。
テロも非国家。
非国家の動きが、国家内で活発になるのは、人間的地球の現状(国の無い場所が無い)をみれば、当然の動きと見れる。
それ(非国家)を陰湿で危険と観るか、当然と観るかは、頭がとーふか、まともかにかかっとるわけです。
人道はあんまり関係ないですね、たぶんね。
人道を持ち出しても、テロは止まらん。
動き自体は、人道的問題ではなく、近代国家的機構の行き詰まりから来ているから。
その動きがフレンドリー(自然保護活動など)か、敵同士(テロや騙し戦争)の違いは、それは、そのまま。
敵意ある間柄は、殺し合い、フレンドリーな間柄は、守り合う。
自国内に泡をもっとたくさんつくること。
それがさらに早急に必要です。
現代日本にある新しい需要は、広大さや、資源の豊かさなど(太平洋戦争時の選択)ではなく、創作力(経済戦争時の選択)でもなく、未開拓性を持つ土地です。
触らない土地。

これを現すこと。
国土の中にも、人々の意識の中にも、その生活にも。
ようは、作らない。
ニーズは、非近代的人間性の復活ってことです。
それを、自然といいのけることも容易でしょうが、囲いに満ちた世界の話と同様、おなじく自然が当たり前なので、それを考えると、「はぁ?自然って何?」のように、頭が豆腐になりますで。
そんな場合は、自然(囲いの外)より、更なる世界観が必要なわけです。
結局、いつでも考える頭は豆腐なのかもしれません。
考える頭は、イカレてるってことです。
この落ちどうです?
テツガク前開きって感じでしょう?
全開じゃないけど、前のチャックは開いてますみたいな。(意味不明)
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この回答へのお礼

どーも有難うございます。そして、お礼が遅れて申し訳ない。

囲いと言うと城下町なんてのが、あっしには浮かんできやす。村八分なんてーのは、てーへんなことだ。
昔の人は、ご隠居なんて身分になる前にじゅみょ―ってやつがきてしまった。
欧米では、環境テロなんていう新手も出てきている。
人間が囲っているところは、いつかは自然?にかえすべきなんで、日本やスエーデンなんかは、しねば財産没収です。国に返す?のです。

わしは翼があるから、囲いは要らないよ。(囚人の空想)

お礼日時:2003/12/13 21:25

どうも哲学には無知な者です。



まず、普通とは何かを考えてみました。
一般的、常識、当たり前などいった意味だと思います。

これらの言葉の共通点は広く知れわたっているということではないでしょうか。

広く知れわたるということは知っている人・やっている人が多いということになります。

そうなると国の場合は多くの国がやっていることだと思います。でも、大抵は先進国の中の普通を指すと思います。

つまり、先進国の中では当たり前のことになります。先進国で当たり前で日本では当たり前ではないことはなんでしょうか。

例えば・・・(考えること10分、思いつかない、って日本て先進国の中で異常の国?)

中途半端な理論で申し訳ございません。
また、的はずれな回答なら申し訳ございません。

的はずれなら、お礼の覧に的外れな答えだと書いてください。反省します。
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この回答へのお礼

ありやと。
普通とかマトモって、ナチスのような全体主義国家にとってはとっても重要なことになっているのかな。
外から見ると逆さ眼鏡かもしれませんが。

みんな一緒、みんな同じ、異常な人はどっかへいってもらう。みんな平等に国家の奴隷たれ…

お礼日時:2003/12/07 03:35

桃源郷というかユートピアというか…



普通の国、というのは存在しないのでは???
政治的にはまともな国はありえませんし。

言い換えれば理想の国?でしょうか??
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この回答へのお礼

ありがとさん。
イデアなんですかね。

お礼日時:2003/12/07 03:30

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