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私は無遅刻無欠席の話ではないのですが、似たようなことをしています。



去年1月1日から毎日やり続けていることがありました。そして11月の末までは続け、12月はひたすらだらけまた今年の一月一日から始めようと計画を立てていました。

しかし、つづいたのは11月の上旬くらいです。まあそれまでは毎日完璧に続いたのですが・・・

そしてそれが途絶えた日からホントにまるで別人ように崩れだし(まあそれはそれでいいのですが・・)だらけて太ったり成績が落ちたりしました。




そして今年も一月一日から毎日の継続が始まりました。今崩れたら終わりだ・・・と毎日軽くおびえながら一応継続は続いています。
だから高熱がでたときも不安でやってしまいました。

いつそれをやめてしまって自分が崩れてしまうのではないかと毎日不安になっています。




まあ去年は11ヶ月も続いたわけなんですが、最初は毎日続ける自分に酔って、いい気分だったのですが、これでは自分がほんとに意志が強くて継続しているのとは違うとおもえてきました。
もしかしたら、ただの崩れやすい弱い人なのかと・・・


自分の事、そして自分のしていることがよく分からなくなってきました。





例えばムダ金はたまにしか使わないってのより、一切使わない方が楽だと思うんです。
しかし、融通をきかしてほどほどに使ったほうがいいんですかね?(まあ自分にとってはそれは難しいことなんですが・・)

もうほんとに、どの位頑張ればいいのか分からなくなってきました。。



これは、完壁主義からくるなんかの病気なんですかね?

同じような人いますか?

何かアドバイスお願いします。

毎日つかれてしまいました。

A 回答 (3件)

中庸が大事というありふれた結論じゃないですか。

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完璧主義的な傾向がありますね。

病気ではないですがメンタルな疾患になりやすいのは間違いないですね。

ただ継続する事はいい事ですからそれ自体は問題ないと思いますけど。

問題は継続が途絶えた時の自分に対する気持ちですね。自分で出来ない自分に怒りみたいな感情が湧いてきてヤケになってしまうからその後崩れてしまうと思いますよ。

○日しか継続出来なかったではなく、○日も続いたと考えるように出来ればいいんですけど。徐々に考え方を意識して変えていくしかないですね。

或いは1日のやるべき事の質や量が完璧に出来なくても1日とカウント出来れば継続は比較的楽になりますよ。

どこかで妥協しないと苦しいだけですよ。完璧な人間などいないのですから。
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>無遅刻無欠席の記録が崩れるのが怖い。

。。

      ↓
こうすれば良いという特効薬も名言も有りませんが、少なくとも、自分は自分であり、素直に、他人の目を必用以上に気にする事無く生きると、自分の長所も短所も一番知っており、自分の幸福不幸を決めるのも自分だと、割り切り・開き直る事が全てのスタートだと思います。

易きに流されやすい、楽をしたり知ったら苦しさから逃げてしまいそう・・・と自分を責めたり疑っていませんか?
適度に緩慢・強弱は必用だし、その結果を受け止めたり修復したり挽回を行えるのも自分だけなのだから・・・
自分を責めるのも、貶めるのも、励まし奮い立たせるのも、結局は自分自身であり、それは誰の為ではなく自分の為である。

周囲の新設や励ましも心に届き響くかどうかは、自分自身の心の扉が開くかどうかであり、実行するかどうかは自分しか決めれない!
身の丈にあった・・・という言葉がありますが、リラックスしてありのままの自分を受け入れ、大好きな自分を大切に自分を愛しんで生き抜く中に自信も誇りも喜びも育み醸成されるのでは・・・
それは、与えられる事よりも自分自身で創り出す事が多く、自助自立・自助努力・自己責任にて自分の殻(リミッター)やキャパシティ(器量)を増幅する事に繋がり、それが自信と遣り甲斐に生まれ変わり、心の安寧が改善向上し好循環のスパイラルへと連なり、ターニングポイントや決め手に成るのでは・・・

<抽象的に成りましたが、他人に言えるのは、所詮そんなものです。>

dogdogdogdogcat 様に於かれましては、皆様からの情報・アイデア・アドバイスを参考にされ、明るく前向きにプラス思考で生き生きとした生活&暮らしを実現されますよう、心より祈念申し上げております。
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