
死んだら、全て終わりですか?
地獄とか天国とかに行くのではなくて?
霊になるのではなくて? 「終わり」というのがよくわからないけど、とにかく終わるんですか?
それなら、早かれ遅かれ死ぬんだから、私みたいに心の病で毎日苦しむぐらいだったら、今すぐ終わった方が良いかな。
私は、死後の世界を信じたい。
そして、死後の世界の自分のために、今があり、今は修業の場だと思っています。修業の場だと思うから、つまり、今鍛えることに意味がある、それは死後の世界があるという前提でこそ成り立つわけですが、だから、苦しい日々も頑張って生きています。
修業とは総じて苦しいから。
でも、死んだら終わり、全て終わり。つまり苦しみながら修業する意味が無いのなら、今すぐに修業を終わりたい=死んでしまっても良い。
と思えてしまう。
「生まれた」この事実が、生きる意味の全てなら、私はそれに意味を感じないのでもう終わっていい。
「今」も大事だけど、同時に、死後の世界の存在も、私の生きる意味・生きる希望。
あなたは、「生きる意味」をどう考えますか?
死後の世界についてどう思いますか?
死後の世界が無く、どんなに善く生きても、悪く生きても、死んでしまえば、スイッチを切った電化製品のように終わるだけ。いつか終わるだけ。それが、人生だ、生きるということだ、と知っても、それでも「生きて」いきますか?
例え、毎日が途方もなく辛くてもです。(毎日が充実している人は、そりゃそれで良いでしょうけど)
苦しんで 苦しんで 苦しんで はいおしまい。
死後の世界が無いと断言されれば、私にとって生きるとは上の一文に尽きます。
あなたの「生きる」「死後」の御見解をお聞きしたいです。
※自殺宣言ではありません。辛くても生きていく覚悟はしています。死後の世界が無くても。
※自殺推進でもありません。
A 回答 (27件中1~10件)
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No.27
- 回答日時:
私はプロテスタントのクリスチャンで、統一教会、モルモン教、エホバの証人とは関係ございません。
>死んだら、全て終わりですか?
ある意味でたしかに終わりかもしれません。つまりこの地上にある間だけ私どもは何かをなすことができ、またその結果を喜んだりすることができると思われるからです。死んだ人が戻ってきて、死んだ後の話をしてくれたということがTVのニュースになったなどということもありません。ご質問者さんが感じているように、死んで全て終わりと考えるのが、最も理にかなっています。地獄や天国の話、あるいは冥土の話など、どう考えても人間が作り出したおとぎ話の延長線上にあるとしか思えません。つまりおとぎ話に自分の人生を委ねるわけにもいかないというのが正直な感想と思います。
聖書は多くの人が狭い門から入らないで、広い門を通って滅びていったと述べています。狭い門から入る人は少ないのです。聖書ではさらに人が神を知るのは「駱駝が針の穴を通るより、むずかしい」とも述べています。
つまりご質問者さんが、針の穴でも通る気概をお持ちならば、聖書はしかし「目の前の山に向かって、海に移動しなさいと命じると、命じたとおりに山が海に向かって移動する」ほどの新しい人生を歩むことができるようになります。これは比喩的に理解していただくとわかりやすいのですが、つまりあなたが希望されているような人生(絶望と将来の無い世界、勢い虚無的にならざるを得ない世界)の山が移動して全く別な風景が視界に入ってくることを意味しています。それを天国と呼ぼうが、永遠の命と呼ぼうが、今言葉の解析は意味をなしません。つまり世界が変わるようにご質問者さんが、決断をしさいすれば、変わってしまうだと述べているのです。
比喩的にと述べましたが、このようにして神の力を制限するものではございません。私どもは聖書は神の言葉と思っておりますので、字句の意味通り受け止めています。
>例え、毎日が途方もなく辛くてもです。(毎日が充実している人は、そりゃそれで良いでしょうけど)
ご指摘の通りと思います。私どもが毎日充実した楽しい、満足な生活をしていれば苦しみは無いと思います。このような生活を送る、あるいはこのような生活に近い毎日は存在します。それはご質問者さんが感じておられたり、過ごされておられる現下の状況から抜け出ることにより達成されます。
聖書は「私はあなたに将来と希望と平安を与える」と述べています。どういう将来でしょうか、希望でしょうか、あるいは平安でしょうか。しばしば私は人生をクリスチャンとして生きることは音楽で言えば二重奏のようなものではないかとよく考えます。つまり現実という厳しい世界があり、その中に生活をしながら、一方で平安を持ち、将来に希望を抱いて毎日を生きているという生活です。ビジネスの浮沈で本来であれば心が潰されそうな状況のなかで、もう一方の心が希望に溢れている生活です。
一度聖書をお調べいただくか、お近くのプロテスタント教会を訪問してみてください。ご質問に対する答えがあることをお約束できます。
この回答への補足
<ご回答をお寄せくださった、全ての皆様へ>
これを持って、締め切らせていただきます。
全ての方に「ベストアンサー」という気持ちで、特定の方をベストアンサーにはせずに、締め切ります。
本当にありがとうございました
ありがとうございます。
大変参考になりました。一度、聖書について、以前から関心を持っておりましたので、より深く勉強してみたいと思います
No.26
- 回答日時:
A4です。
ちょっと面白い言葉を今日知ったので、ついでにお教えします。
無為こそ過激。
古いマンガのセリフらしいんですが、
ネットで他の方の説明で、
>高速道路で100キロで走るのはいいにしても、止まっているのは過激です。
スゴイ過激ですね。
何も持たない方が過激に生きれるのです。捨てるもがないから失敗もない。
私はこんな言葉を知るだけで、楽しく生きれます。嫌なら全部捨てればいいって言葉ですし。
だから、ネットであなたにも興味がある。楽しいこと探しているから。
死ぬのも構わないし、しょうがないし、生きるのは苦しい。
だけど、死んでから楽しようって考えるよりは、苦しい中に楽しさを見つけた方が、今が楽しい。
恨めしく死ぬと、死後に成仏できないで彷徨うってのは、世界中で共通の認識ですから。そんなに死後の世界に期待しないほうがいい。
あなたの考え方は、怨霊向きの性格ですから。
No.25
- 回答日時:
No.10です。
われわれ人間の考え認識する哲学も科学も その成果がこの世界を明るくしてくれます。その闇をしっかりと捉えてあたう限りの努力をもって光をあてるよう対処します。
ところが その人間の自然本性としての能力も いかんせん この経験世界を超えることは出来ません。その意味は われらが心をその知性の光をもって明るく照らしてくれますが その心の燈心に火をともすことまでは かないません。
闇を照らすだけではなく 照らす火を 心の中に作り出すのは 何か? だれか?
あるいは そんなものはない。のか?
たぶん経験世界の事物によっては 無理だと思われます。
というところまでは 言えるのではないでしょうか。
これが 《生きる》にあたっての万人にとっての命題だと思います。
そうなれば 《死後》がどうのという問いは――生身の人間にとって なくなるというわけではないでしょうが 問いとしては・またその観念のようなものとしては―― 薄れて行くものと思います。
No.24
- 回答日時:
#5の者です。
>生きている中で、どうあがいても、自分が幸せになる
>ような「生きる意味」を見出せそうにないのです。
もし、本当に生きる意味が見出せないなら、あなたは生物では
ないのだから、死んでもいいです。
しかし実際は、食事をし排便をし、体は懸命に生きようとしています。
ただ、そうした“本当の自己”を意識できず、環境から強いられた
お金や出世、虚栄心といった社会的な虚構(人を他律的に操る
ための二次的価値)=馬車馬の目の前のニンジンによって、
あるはずの生きる道を見失っているだけなのです。
どんなに社会的に追い詰められても、開き直れば生きる道は
いくらでもある(自尊心がじゃまをするが)。
ありがとうございます
なるほど、「生きる道」を見失っているだけ、ということですね。
確かに、「開き直る」ということによって、生きる道を見いだせるかもしれない。
それを邪魔しているのは、自尊心なのでしょうね
No.23
- 回答日時:
#17です。
私は霊の存在を信じません。
死んだらそれで全て一貫の終わりと考えています。
死んでまで意識に柵みたくもありませんしね。
キッパリスッパリスッキリゼロとなると思います。
後は塵と空気とになってゆくだけでこれゆえ生まれる前の姿と同じではないですか。
意識も無く周囲を把握するなどということも無くその能力も無く散り散りに生まれる前にそうであったように昔来た状態に帰るのです。
ありがとうございます。
私は、今でも、霊の存在を信じたい。信じていますというより、願望の「信じたい」の状況です。
ですが、あなた様のように「一切信じない」という御意見もまた大変参考になりました
No.22
- 回答日時:
NO21です。
補足します>あなたの「生きる」「死後」の御見解をお聞きしたいです。
わたしはどうかというならば
わたしはキリスト教徒ではありますが、かなり疑い深いほうですね。
死後の世界はあるVS死後の世界はない=30:70位かなと、疑いのほうが強いです。
死後の世界はない可能性は高いが死後の世界を信じたほうがよりよく生きられそうなので
死後の世界はあるかもしれないと思ってちょっとは信じて生きる道を選んでるというわけです。
>死後の世界があるという前提でこそ成り立つわけですが
死後の世界は前に書いたように誰にも分からないです。
ですから、あなたが比較できるのは
死後の世界については死んだ時にしか分からないのを前提にして
つまり、死後の世界があるというのが間違いである可能性も考えに入れて
(1)死後の世界をあると思って生きたほうが死ぬまでにプラスになるか
(2)死後の世界をないと思って生きたほうが死ぬまでにプラスになるか
ということなのです。
世の中にはどんなに苦しくても死後の世界を信じられないタイプや
死んだら終わりと考えたほうがよりよく生きられるタイプもいます。
このような答えの出ない問題はどちらが正しいか考えると空回りします。
自分にとってどちらが生きるうえで最終的にプラスになるかと考えて、
自分なりの答えを出すしかないと思いますよ。
この回答への補足
<皆様へ>
ご回答をお寄せくださり、本当にありがとうございました。
私が馬鹿である故、すぐには理解できないものもありましたが、全ての回答に奥深さと感銘を受けました。
本当に感謝いたします。
2012.3.19 24:49 全てのご回答者様の回答にお返事を書き終えました。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
私は、あなた様の回答を見て、考えた結果、「死後の世界」に期待しつつ、苦しい日々を頑張って生きるという選択をいたします。その方が私にはプラスになります。
ちなみに、私もキリスト教、特に聖書には共鳴することが多く、あれを人間が書いたなら、その人こそ神様だと思っています。
※ここまでご回答くださった皆様へ。
想像以上のご回答が寄せられ、心より御礼を申し上げます。必ずご返事とお礼の言葉を書きますが、この質問サイトの性質上、新しい回答からお礼を書き込む方が楽なので、そういう風にしています。
ですが、全員の方のご回答に必ず目を通し、お礼を書かせていただきますので、今しばらくお待ちくださいませ。
No.21
- 回答日時:
死んだらどうなるかは誰にも分かりません。
これが真相なんです。
死後の世界はあるVS死後の世界はない。
どちらの意見の人も本人がそう思うということです。
ですから普通の人間なら、
どちらの可能性もあると考えて生きるほう賢明です。
死後の世界があると思って実際に死んで無ならあまり問題はないです。
死が終わりなので間違いだったと後悔とかもできないわけです。
死後の世界がないと思って実際に死んで何かあると問題になりやすい。
死が終わりでないならその人の生き方を問われる可能性があるからです。
ですからあなたが1%でも死後の世界があると思えるなら、
死後の世界の可能性を排除しないで生きたほうがいいと思いますね。
ただ、100%と死後の世界があると考えると変な宗教に嵌る可能性はあります。
死後の世界にすべての希望を託して現実の生を見なくなると危険ではあります。
だから、普通の常識人としてバランス感覚が大切になります。
死後の世界はあるVS死後の世界はない=30:70位がいい塩梅ではないですかね。
ありがとうございます。
>ただ、100%と死後の世界があると考えると変な宗教に嵌る可能性はあります。
死後の世界にすべての希望を託して現実の生を見なくなると危険ではあります。
それは確かにそうですね。オ○ムみたいなのに騙されないためにも、そこはしっかりしないといけないですね
No.19
- 回答日時:
>あなたは、「生きる意味」をどう考えますか?
>死後の世界についてどう思いますか?
よ~く、現実を感じ取って下さいませ。
あなたは、生きることしか知らないし、これからも死を経験することは無いのですよ。
あなたの現実を作っているのは誰でもない、あなたでしょう。その苦しみさえもです。
生きる意味なんてことを言い出すのは、生きる意味みたいな寄りかかりを見失っいるってことですね。
そんな寄りかかりははじめからありません。生きる意味とは、あなたそのものですし、その鏡は、あなたのその現実を映しているわけです。それに気づくいいきっかけじゃありませんか。
その苦しみの味わいを堪能できるあなたが至福です。喜びもですけどね。
死後の世界があるとかないとか、死んだら終わりとか生まれ変わるとか、
そんなへたれ話で至福の時を無駄に過ごす必要はありませんよ。
何よりも今が大切ってことです。
ありがとうございます。
なんとなく、理解し、少しまだ「???」が残ります。
生きる意味が私そのものというところが…。つまり、苦しんでいることこそ生きる意味というわけでしょうか? でももしそうだとしたら、その意味のために、つまり「苦しむ」という意味のために私は生きているのでしょうか。
だったら、そんな意味のために生きるくらいなら・・・・・・となります。
※自殺宣言ではございません
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