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死んだら、全て終わりですか? 

地獄とか天国とかに行くのではなくて?
霊になるのではなくて? 「終わり」というのがよくわからないけど、とにかく終わるんですか?

それなら、早かれ遅かれ死ぬんだから、私みたいに心の病で毎日苦しむぐらいだったら、今すぐ終わった方が良いかな。

私は、死後の世界を信じたい。

そして、死後の世界の自分のために、今があり、今は修業の場だと思っています。修業の場だと思うから、つまり、今鍛えることに意味がある、それは死後の世界があるという前提でこそ成り立つわけですが、だから、苦しい日々も頑張って生きています。

修業とは総じて苦しいから。

でも、死んだら終わり、全て終わり。つまり苦しみながら修業する意味が無いのなら、今すぐに修業を終わりたい=死んでしまっても良い。

と思えてしまう。

「生まれた」この事実が、生きる意味の全てなら、私はそれに意味を感じないのでもう終わっていい。


「今」も大事だけど、同時に、死後の世界の存在も、私の生きる意味・生きる希望。

あなたは、「生きる意味」をどう考えますか?
死後の世界についてどう思いますか?

死後の世界が無く、どんなに善く生きても、悪く生きても、死んでしまえば、スイッチを切った電化製品のように終わるだけ。いつか終わるだけ。それが、人生だ、生きるということだ、と知っても、それでも「生きて」いきますか?

例え、毎日が途方もなく辛くてもです。(毎日が充実している人は、そりゃそれで良いでしょうけど)


苦しんで 苦しんで 苦しんで はいおしまい。
死後の世界が無いと断言されれば、私にとって生きるとは上の一文に尽きます。


あなたの「生きる」「死後」の御見解をお聞きしたいです。


※自殺宣言ではありません。辛くても生きていく覚悟はしています。死後の世界が無くても。
※自殺推進でもありません。

A 回答 (27件中11~20件)

死んだらもう何もありません。


受精前と同じような。
色も形も意識も有も無もありません。
恥も外聞も見た目も体裁も善も悪も全くありません。
それすらもありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

それはつまり、私が質問文に述べた、「スイッチを切った電化製品」ということですね。いや、スイッチを切っただけなら、形は残るので、それ以下でしょうか。


ただですね、ここでちょっと、よければ他のみなさんにも聞いてほしいのですが、私は「霊」を信じます。私の親戚が無くなったとき、霊感の強い知り合いが「見た」と言っていました。彼女は冗談なんか言いません。冗談だとして、ブラックジョークが過ぎますよ。

ですから、本当の話です。他にも知り合いで、霊を見た人はいます。
私は霊を信じます。とすればです。「霊」という形で、つまり、死後の世界があるのではないでしょうか。


※これまでご回答くださった方へ

この質問サイトは、新着回答からご返事を書き込む方がやり易いので、そうしております。順次、全員のご回答にしっかり目を通させていただき、ご返事申し上げますので今しばらくお待ちください

お礼日時:2012/03/19 00:00

 苦しんで苦しんで苦しんで,その苦しみのわずかでも楽に変えることが生きる意味だと思います。

人はこれを見失って死後の楽を求めがちなのでしょう。
 現生は苦であり死後はないと悟ったら,この生きる意味を求める他ないのではないでしょうか。自己を変え,あるいは社会を変えて苦が楽になるよう生きて行く。そうする他はないのではないのではないですか。
 悪に生きるより,善に生きるほうが楽だと悟ったら,善に生きる他ないのではないですか。善人の苦しみは悪人の苦しみとは質が違い,耐えて楽とすることのできる苦しみではないでしょうか。
 死後の世界は私に分からない。けれども死後の世界は私には無いのだ。そう断言することで,生きる意味に向かえるように思えます。
 それでも,苦しんで苦しんで苦しんで,それで終わり。そんな人生だったとしたら,そのときこそ死後の人生を信じたらよいのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

死後の世界はない!と断言し、それにより、死後の世界に意味を求めない。とすれば、今に求めるしかない。そしてそれは回答者様曰く「苦しんで苦しんで苦しんで,その苦しみのわずかでも楽に変えること」というわけですね。

非常に明快でよくわかります。

ただ、私の考えとして、すぐに共感できるか、といえば時間がかかりそうです。
私はまだ、貴殿のご回答を「確かにそうだ」と思う一方で、「でも・・・」と思いたい気持ちも残っているからです。

よーく考えてみます。いいきっかけになりました!

お礼日時:2012/03/19 00:04

>>[私は、死後の世界を信じたい。


そして、死後の世界の自分のために、今があり、今は修業の場だと思っています。修業の場だと思うから、つまり、今鍛えることに意味がある、それは死後の世界があるという前提でこそ成り立つわけですが、だから、苦しい日々も頑張って生きています。]

○ それでいいんですよ。正しい真理ですから日々、修業の場で努力すればいいだけですね。
一人残らず修業の場である舞台から降りる時がきます。舞台から降りた時にみんなで楽しくお茶でも飲みながら楽しく語り合えば良いということですね。苦しかったことも良い思い出話になるでしょう。肉体生命、人生とはそれだけが目的に存在するものです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

いろいろとご回答が寄せられ、皆さんの回答一つ一つが意味深いです。

そんな意味深い御回答の一つである、あなた様のご回答もまた、とても意味があります。

生きている今を修業の場と捉える。それもまた、生きる目的になりえますよね。

お礼日時:2012/03/19 00:06

「死んでから生きるために・・・」,今の私は生きています!!



死んでから生きている人々が沢山おられるのを,お気づきになりませんか??

生前の仕事を残されて,肉体は消滅しても,世界中の・・・,日本中の人々の心の中に,ありありと生き残っている人達が居るでしょう・・・.

質問者さんも,それらの人々の仲間入りをして見るつもりはありませんか??

むつかしいことはありません.ご自分の一番好きな事をやればいいのです.

永遠に生き残れるかも知れません・・・.

頑張って生きて下さい.自分に出来る事を精一杯やって消えて行けば,何かが残っているかも知れませんから・・・.
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>質問者さんも,それらの人々の仲間入りをして見るつもりはありませんか??

出来ることなら、是非。

なるほど。そういう考え方もまた奥深いですね

お礼日時:2012/03/19 00:08

> あなたは、「生きる意味」をどう考えますか?


> 死後の世界についてどう思いますか?

後者の質問から。
死後の世界のあり様は経験者にしか分からない。未経験者が語る死後は、妄想・虚言・無責任なつくり話でしかない。死後の世界をどう考えるかは個々人の自由だが、その考えは何も担保せず何も保障しない。詰まるところ生きる者にとって「死後の世界」は「分かり得ないもの」であり「分かり得ないもの」は語り得る対象ではないと考えます(少なくとも現代においては)。

前者の質問について。
意味とは後から生成されるもの、常に後追い的な解釈だと思います。「生きる意味」は「生きる」ことの「後付け解釈」、振り返りみたいなものです。余裕があるとき、暇なとき、他にやることがないとき、他にやれることがないときに考えるものだと思います。

> 苦しんで 苦しんで 苦しんで はいおしまい。
> 死後の世界が無いと断言されれば、私にとって生きるとは上の一文に尽きます。
死後の世界も相変わらず苦しいものである、という可能性は考えなくてイイのでしょうか?今よりもっと苦しいものかも知れませんよ(イヂワル)。

死後の世界に無根拠な希望を抱くなら、明日以降の未来にも無根拠な希望を抱いてもイイような気がするのですが、違うのでしょうか?もしくは、明日以降の未来にも無根拠な希望を抱くような能天気さのない者には、結局死後の世界にも無根拠な希望を抱けるような能天気さを獲得できないと思うのです。例えば今の自分は、未来にも死後にも楽観を抱けません。せいぜい今日1日1日を淡々と生きるぐらいの感じです。楽観を抱くためにはバイタリティが必要だと思います。なので、1日1日を淡々と生きる中に、せめてバイタリティを養う工夫ぐらいは考えます。生きる意味を考えるのは、ある程度バイタリティが養えてからでイイです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>「生きる意味」は「生きる」ことの「後付け解釈」、振り返りみたいなものです。

ということは、「なぜ生きているの? 生きていくの?」→「そんなことは考えることはない」

そして死ぬとき、もしくは回答でおっしゃっている、余裕のあるときなどに
「あぁ、あのときの○○はこういう意味だったか、ああいう意味のためだったか」と振り返る。

それで良い、ということでよろしいでしょうか?

なるほど。それもそうかもしれませんね。

確かに、死後の世界が今よりも苦しい可能性もありますね。

>死後の世界に無根拠な希望を抱くなら、明日以降の未来にも無根拠な希望を抱いてもイイような気がするのですが、違うのでしょうか?

素晴らしい。「まさしく!」と私は心でつぶやきましたよ。確かにそりゃそうですね。

お礼日時:2012/03/19 00:15

死後の世界は必ずあります。



世間には二つの考え方があります。

(1)人間は微生物から進化して人間になった。

この考え方は一般常識的な考え方です。
この考えに立つと死後はありません。無になります。
ロボットの電源を切ったのと同じです。


(2)この世界は幻の世界である。
これは仏教・キリスト教の考え方です。

この考えに立つと死後はあります。そこはこの人間の世界の幻が覚めた世界です。それを霊界といいます。
人間はこの世界が幻で造られていることを知らないのです。

仏陀曰く『無いものをあると思うが故に無明(無知)なり』
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

おっしゃるように、2つの考え方がありますね。
そして私は、(2)を信じたい。

今の世界はまさに「幻」なのだと…。

お礼日時:2012/03/19 00:17

 死んだら全て終わりだと思います。


世の中はあまり好きではありません。
といっても、最低限の衣食住に必要な仕事に
従事されている方々には非常に感謝しております。
 ただ、文化や倫理的な面で共感できません。
しかし、やりたい事が多分300年分ぐらいありますので
生きてます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

やりたいことが300年分ですか! すごい。

きっと回答者様にとっては、それが生きるエネルギー、生きる意味なのでしょうね!!

お礼日時:2012/03/19 00:18

 こんにちは。



 ★ 死んだら、全て終わりですか? 

 ★ 私は、死後の世界を信じたい。

 ☆ おそらくこのふたつの命題を持ちます ひとは。

 わたしの見方ですが 後者の思いを活かすのは 前者のことをしっかりと捉えようとすることではないかと思います。
 それを人間の能力と努力によって成し得るか? と問うところにまで到るであろうと考えます。
 人間は そのことについて 知り得るか? と。

 そういう問題だと考えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

奥の深い回答ですね。ですが私にはすぐにはわからなかった。
だからこそ、何度も何度も見直して、意味を理解したい。一生懸命に考えます

お礼日時:2012/03/19 00:20

現世は前世の業です。



(`_´)ゞ
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

ならば、私は前世では、極悪非道の男だったのでしょう…

お礼日時:2012/03/19 00:21

なにも終わらないですよ。


昨日とほとんど同じ一日が、今日も、明日も、続きます。
ただそこに貴方が居ないだけ。

貴方の死は、小さな、小さな変化です。
変化が無いと言っても良いほどの小さな変化ですから、毎日が同じように続くのです。

ですから、この世の終わりなど言う幻想にとりつかれることなく、貴方の死後にも変わらぬ世界が続くことを理解しましょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

もちろん私の死後、世界はなにも変わりなく続くでしょう。

では、私はどうなりますでしょうか? 
消えてしまい、すべてが終わりますか? ここでいう「終わり」は自分でもわかりませんが。

それとも、霊になるように、死後の世界でまた別の何かが始まりますかね?

私としては、それに賭けており、そのための修行が今であり、それを生きる意味にしております。
まぁ、生きる意味というより、死後のため?みたいな感じですが。

死後のために生きる、死後のために今生きることに意味をなす。っていう感じです。


なんか自分で言ってて、しみじみネガティブですね。
死後のために生きるなんて・・・ははは

お礼日時:2012/03/19 00:25

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