重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

電子書籍の厳選無料作品が豊富!

山口の光市の母子殺人事件や、渋谷の通り魔連続殺人事件などのように、明確に犯行が立証されている犯罪者に対して、「死刑」以外に贖罪させる方法があるのでしょうか?

A 回答 (13件中1~10件)

>「死刑」以外に贖罪させる方法があるのでしょうか?



ありません。最近よく聞く終身刑などとんでもありません。あれは国家が極悪人を死ぬまで手厚く介護する義務を背負うだけなんです。
考えてみてください。悪いことをしてないホームレスがバラックに住み、電気もなくて凍えて、雨が漏って、台風が来れば吹っ飛ぶバラックに住んで、病気をしたらバラックで苦しむだけ。動けなくなったら餓死するだけ。

極悪人のほうは、鉄筋コンクリートの頑丈な家に住み、病気をしたらちゃんと無料で医者にかかり、動けなくなれば懲役は免除され看守は、介護士替わりです。もちろん税金でそいつら極悪人を養わなきゃいけないんです。冗談じゃないです。日本は死刑を絶対に廃止してはいけません。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
まさにその通りだと思います!!

お礼日時:2012/04/01 03:07

> 「死刑」以外に贖罪させる方法があるのでしょうか?



実際に死刑廃止国では、死刑以外の方法が存在していますよ。

あくまで死刑も、人が定める刑罰の一つでしか無く、我が国ではそういう刑罰になっていると言うだけです。
「罰金刑じゃダメ!」なんて言う根拠も無いでしょう。

それと、ご質問文は「贖罪」の使い方が間違ってますね。
贖罪とは宗教(キリスト教)用語で、自主的に行う罪滅ぼしであり、負わされる刑罰のコトではありません。
贖罪は「する」もので、「させる」ものではありません。

ついでに言うと、キリスト教は自殺を禁じてますので、むしろ贖罪の方法としては、「死」と言う考え方は存在しないでしょうね・・・。

そもそもの死刑廃止論も判ってないのではないですか?

人道・人権主義的なモノではありませんよ。
全く理解出来ない様なモノではありません。
至ってシンプルです。

あくまで法学的に、国家は国民の『生存権』を最優先すべきと言う考え方です。
「国家とは、国民の生命・財産を守るべき立場」であり、「その国家に、国民の生命を奪うと言う刑罰を設定する権利があるのか?矛盾ではないか?」と言うコト。
言い換えたら死刑は、国家と言う概念を超越している刑罰である可能性が疑われると言うコトです。

廃止論の法理も知らずに「死刑は人道的ではない!」なんて言ってる連中も、どうかとは思います。
しかし逆に質問者さんは、「国家に、国民の生命を剥奪する権利があるか?」について、キチンと答えられますか?

私自身は、国家が行う死刑に関しては、「私刑や行政処分の代執行」として容認される部分があり、その存在価値は高いと考えています。

たとえば、死刑廃止国として日本を非難するアメリカは、銃社会であり、正当防衛的な私刑を容認していると言えます。

あるいは、殺人犯が逮捕されれば司法では私刑にはなりませんが、抵抗すれば警察官が射殺するのが当たり前と言う社会でもあり、実態は、言わば行政処分的に死刑が行われる様なお国柄です。

司法判断に死刑を認めない場合、行政や民間による判断・裁量の許容値を広げざるを得ず、その結果、アメリカは世界で屈指の治安後進国です。

世界平和度ランキングで言えば、日本は例年3位ですが、アメリカは80~90位台です。
その理由が死刑の有無とは言いませんが、寄与度はあるでしょう。

行政や国民個々の判断では、いかなる理由があっても、「人が人を殺すことを禁じる」かわりに、その重い判断や執行を、国家が司法で代行していると言う形は、概ねのコトが「無責任」な日本では、珍しく重い責任を負っていると思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

〉そもそもの死刑廃止論も判ってないのではないですか?

確かに22年前に商学部を卒業しただけの不勉強な小生には、分かっていません。ご指摘及び詳細なご回答、ありがとうございます。

お礼日時:2012/04/01 03:17

では本当に「死を持って償える」のでしょうか?


加害者が死刑になってそう思える遺族とそう思えない遺族もいるでしょう。
また、「意識不明の植物状態にさせられた」「一生介護が必要な身体障碍者にさせられた」という被害者だって加害者に「死んで償ってほしい」と思うかもしれません。

質問文のように短絡的な結論を出せないから死刑について反対・賛成が拮抗するのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

率直なご意見、ありがとうございます。

お礼日時:2012/04/01 03:12

賛成派の傲慢にはついて行けない面があるな。

事件と何の関係もない人間が死の償いを求める傲慢ね。
人の死を前にして、自ら被害者の立場に立つなんてことを言い出す始末。「贖罪させる」なんて言える立場じゃないってこと。

とはいえ私も死刑賛成派。被害者相続人の意志で死刑か終身刑かを選択するのがいいんじゃないかと。相続人がいない場合は、国が選択権を取得する。

被害者は殺される直前に正当防衛で犯人を殺すことができた。
その権利?を事態の変化、本人の死亡により消滅させないで相続させればいい。

裁判で有罪が確定したらどの刑にするかは相続人が権利を行使するか、放棄するかで決めればいい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
ukiyotonbo様の仰っておられることは、不勉強な私にはちょっと難し過ぎて分かりません…。

お礼日時:2012/04/01 03:11

私の考えは「人の命を奪ったのだから、自らの命でそれをあがなうのもやむを得ない」という消極的死刑賛成者です。


しかし、「では自分の命を絶つことを贖罪とする根拠はなんだ」といわれると少々苦しいですね。「そういうもんでしょう?」としかいえません。

元々日本には「死ぬことで責任を取る」という文化があります。切腹なんかがそうですね。昔の武士がなにかヘマをしたとします。責任を取らなければならないけど、そうすると武士の地位が剥奪されて一家が路頭に迷うことになります。しかし、彼が切腹すると「責任を取った」ということになり、もし彼に息子がいて成人しているなら息子が跡取りになるということで武士の地位は保障されます。
今、原発関連の人たちはものすごく世間から批判されていますが、もし東電の社長とか斑目のおっさんあたりが自殺したら、なんとなく世間は「彼らは自ら死ぬことで責任を取ったからこれ以上追及するのはナシにしよう」という雰囲気になると思います。

しかし、それは日本人だけに通じる価値観で、世界では通じません。ともすると自殺することは「自ら責任を取らない卑怯な行為」とまで受け取られる場合もあります。
外国人から「なぜ君たちは命を奪うことが責任をとったことだと判断するのだ。その理由を教えてほしい」といわれたら説明できないといけませんよね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
なるほど、そういう論議もありますね。

お礼日時:2012/04/01 03:07

冤罪があるからなぁ

    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
冤罪はもちろん別ですよ。

お礼日時:2012/04/01 03:05

もし私が光市の被害者の夫だったら、


何としてもあの福田孝行を無罪にして娑婆に出してから拉致します。
後は、みなさんが考えられる様な事をすると思います。
死刑なんて、生ぬるいと思いませんか。
死んだ方がまだましだと思うほどの思いを一生与えた方がましだと思いますが。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
まさに同感です。

私は事件直後から、被害者のご主人・父親である本村氏の一貫した毅然たる態度に、言葉が適切ではないかもしれませんが、敬服の念を抱いています。

お礼日時:2012/04/01 03:04

刑罰は償いでもないし、贖罪でもありません。

そういう宗教的な妄想に囚われているうちは本質は見えない。
刑罰には、そういった宗教的な意味づけは全く存在しない。国が個人の権利を代行しているだけの話。国がその信頼を失ってしまえば、元禄赤穂事件のような討ち入りや関東大震災後の自警団の私刑が起きます。果てしのない暴力団の抗争になってしまう。それが戦国時代であった訳です。仇討ち、私刑、テロ、抗争が収まらなくなってしまう。だから国が個人の権限を制限して、個人に代わって法の元に刑罰を執行しているわけです。
もし個人が勝手にやりだせば、立証もなにもなく、ひどい場合には人違い殺人が起きます。実際、暴力団の抗争でそんな事件がありました。刑罰は罪に対する報いです。死刑に相当する罪がなくならない限り死刑もなくならない。死刑を廃止したいというなら、死刑に相当する罪をなくせば良い。しかし今まで死刑廃止論者は死刑に相当する罪をなくそうと努力した事が一度でもあったでしょうか。そういう議論が起こらないことはおかしい。罪を起こさせない社会にすることが何より重要なのではないでしょうか。それが実現不可能な理想論だというのなら、同様に死刑廃止も実現不可能な理想論です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
mekuriya様の仰っておられることは、不勉強な小生にはちょっと難しいです…。

お礼日時:2012/04/01 02:58

廃止論にも理論的根拠というものがあります。

そのうちの一例ですが、冤罪を防ぎきれないという現状が挙げられます。


単に裁判の不完全さ(人間は過ちを犯すものだという考え)だけではなく、人為的に冤罪が生み出されるという可能性をぬぐいきれないのです。


最近の例を挙げれば、小沢氏の強制起訴があります。あれは政治的な謀略によって小沢氏を政界から失脚させるためのものでした。また、厚生省の役人が不当に起訴された事件がありましたが、これも検察官による証拠改ざんによるものであることが判明しましたよね。さらに、最近は死刑囚の再審請求が認められる事例が増えています。これは、かつて不当な起訴・裁判が行われ、冤罪が多数発生していたという証拠です。

以上のことから分かるのは、警察および検察などの国家権力が本気になれば、無実の人間を有罪にするのは造作もない、ということです。


ちなみに私は死刑廃止論を支持しているわけではありませんが、廃止論者が訴える危機感は、しっかりと受け止めておかねばならないと思います。


そもそも、この論争は両者ともに決定的な理論的根拠がなく、最終的には倫理や哲学の問題になりやすいのです。そうすると結局は水掛け論になるわけです。どちらが正しいというわけではないのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
ketahazure様が仰っておられることは、不勉強な小生には難しいですてん。

お礼日時:2012/04/01 02:54

基本的に「死」には「死」をもって償うべしと考えます。


デッチ上げのおそれが十分あるので「すぐに」は考えもんですが。
過失は少し軽減し、30年ぐらい。
加害者を罰するのが国となり、個人対国となったので、やたら加害者の人権とか言いだしたのでは?
あだ討ちは、相手もやり返してキリがなくなると廃止されたのでしょうが、正直、復活させた方がいいのでは?
日本は刑罰が軽すぎる(特に車両事故)のと、心神耗弱とかいうのはやめてもらいたい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。
まさに仰る通りだと思います!!

お礼日時:2012/04/01 03:18

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!