タイトルの通りです。
第二次世界大戦が終わったあとの話ですが、相次ぐ内乱、混乱を極める権力闘争、派閥争い、
そして文化大革命の失敗による餓死者等を合わせると、なんと死人は5千万人を超えるそうです(出典未確認)。
なぜこれほど甚大な損害を出しながら、中国人はその元凶であった共産党に対して反対の狼煙を掲げ、
新たな革命、そして新政権樹立という道を歩まなかったのでしょうか?
中国の下層民は自身の不幸が共産党の腐敗にあると感じているはずです。下層民どころか大半の中国人がそう思っているのではないですか?
中国共産党の強権を支える権力基盤はいったいどこにあるのでしょうか。どうして悲惨な過去を持ちながら権力を握り続けることができているのでしょうか。
No.2
- 回答日時:
中国共産党の憧れは「日本のような国民国家」です。
・国民が「私は日本国の一員である」という「国民意識」を持ち、また一生顔を合わすことない人たちが相互を日本国民として承認し合っている。
・それゆえ、遠く離れた日本国領域内の災害や被災者に関心を持ち、援助も惜しまない。
このような成熟した「国民意識」を持つ人々を国民として抱え込んでいる国家は非常に安定しています。で、以外と世界には数が少ないのです。日本がもっとも国民意識の形成に成功している国家の一つであることは世界的な常識です。憧れの国ともいえるでしょう。
宗教の違い、言葉の違い、文化の違いを現代の国家というのは内側に抱え込んでおり、それが国民意識形成の障害になるばかりか、国民同士の反発の原因となっています。例を挙げるまでもないでしょう。
中華人民共和国はその国土の広大さ及び国民として含む人間集団の多様性により、日本とは対局の存在です。専制的であろうが独裁的であろうが、とにかく強力な権力で全土を管理していないと、あっという間に国内はバラバラになり対立と紛争が起きます。中国史というのはその繰り返しですよね。
満州族が打ち立てた清朝が健在の間、中国大陸はそれなりに秩序が保たれていました。それは軍事力を背景とした皇帝の専制権力によるものです。なので、清朝が崩壊したとたんその領域内は混乱に陥りました・・
ようやく1946年に中国共産党によって「中国」の領域は安定を取り戻します。もちろんそれを支えたのは中国共産党の力であり、それを支えた権力、そして軍事力です。
中国共産党は歴代の中国に現れそして消えていった「王朝」に等しいものと考える人が多いようです。私もそう考えます。曲がりなりにもあの国土、人口、多様な文化集団をまとめ秩序を支えているのは中国共産党の力によるものです。
たぶん、中国の民衆、エリート層もそのことは体験的に感じているのだと思います。旧ユーゴスラビア、最近ではイラク、シリア、エジプトを見て下さい。独裁的な権力を握っていた政党あるいは個人が去ったとたんにあの混乱ぶりです。
さて、強力な権力はない代わりに混乱した社会が何年も続き常に内戦状態で自分の身は自分で守るしかなく、当然社会制度・・学校教育、医療制度その他もなんにもない状態と、専制的かもしれないが強力な権力機構があり、社会制度もそれなりに整い安心して夜も眠れる状態・・・人間にとってどちらが好ましいでしょうか・・たぶん後者でしょう。世界の歴史はそれを物語っています。
お尋ねの文革ですが、あれはもちろん中国共産党内の内部対立・・権力闘争でした。それが悲惨な結果を招いたことは事実ですが、中国共産党が崩壊して生まれる無秩序状態に較べればまだ許容できるものなのでしょうね。
北朝鮮という世襲を掲げる社会主義国家というそれ自体が矛盾した国家があり、なぜか中国、ロシア、韓国、米国はその世襲権力を非難しながらも経済援助を止めません。それは、中国共産党の崩壊を望まない心理と同じ事です。
金王朝は褒められたものではないが、崩壊してしまうとその混乱のとばっちりを受けるのは隣接する中国、ロシア、韓国、そして世界に利権を持つアメリカです。なんとか適当な落としどころを模索して自国の利益が犯されないことを望んでいるわけです。
くどくなりましてすいません。現在の中国は曲がりなりにも経済が発展して豊かな階層が生まれています。一方格差も拡大している面もあります。これは中国共産党の支配権力の賜です。15億人を飢えさせないだけでもたいしたことだとは思いませんか?
あの広大な領域隅々まで管理できるほどの組織を作り上げることの難しさはおわかりでしょう。中国共産党に変わるだけの組織も人もあの国にはないのですよ。
No.3
- 回答日時:
一言で言えば、中国共産党以外の対抗勢力の不足ですね。
1949年に人民共和国が発足した時は、親ソ路線でしたが
1958年に中ソ関係が破綻して、対立路線になりました。
その間、当然アメリカとも不仲。
文革は1966年から1976年ですが、この頃の中国は
ソ連ともアメリカとも対立していわば世界の孤児でした。
1979年に米中国交回復でようやっと雪どけです。
この閉鎖された国のなかで、革命のロジックは先に中国共産党に握られて、
大衆動員も中共に押さえられているので、新たな勢力が
革命を起こすのは至難の業です。
今のようにTVもケータイもネットもtwitterもなくて、壁新聞で情報が伝わっていた時代の話です。。
No.4
- 回答日時:
そういえば「水の理論」というのを思い出しました。
黄河や長江といった大河がありますが、
洪水に悩まされてきてますよね。
治水は村単位でやっても効果なく、
中央集権の独裁者が居ないとコントロールできないと。
これが支那伝統の強権の成立事情かと。
No.6
- 回答日時:
最近はここに来ると疲れるんです。
が、
その文化大革命が大躍進政策(毛沢東の辞任)の間違いであると
理解出来るなら時間をかけても良いと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%BA%8D% …
No.7ベストアンサー
- 回答日時:
>文化大革命の失敗による餓死者等を合わせると、なんと死人は5千万人を超えるそうです(出典未確認)。
ちょっと、歴史理解に誤解があるようなので、ここで少し纏めてみたいとおもいます。
第二次世界大戦後、孫文>蒋介石と続く「中国国民党(中華民国)」勢力と毛沢東率いる「中国共産党(中華人民共和国)」勢力との間でしばらく内戦が続きました。
それぞれ、前者には米国が、後者にはソ連がバックについていましたが、米国側が一歩引いたために蒋介石は破れ台湾は台北に首都を移したことで、事実上の中国共産党の勝利と「中華人民共和国」の成立が確定しました。
その後、毛沢東はマルクス=レーニン主義による経済発展し米ソに追いつけ追い越せを目標に政策を打ち立てていきます。
最初は農業振興に力を注ぎます。
誰も彼もを農業に狩りだし、農地拡大と生産量の増大を目指しました。
地主から土地を取り上げ貧民に与えることで、小作人や農村を豊かにするため、「農業集団化」を進めようと考えます。(第一次5カ年計画)
イケイケドンドンと行きたかった毛沢東ですが、周恩来に代表される現実路線派の意見を一応取り入れます。
その結果、中国経済は少し持ち直しますが、毛沢東はこれを自分の計画の成果だと捉えます。
しかし、実際は周恩来の修正によって悪化が食い止められただけでした。
それでも、毛沢東の右派弾圧が始まってからは周恩来もおとなしくなってしまい、毛沢東のブレーキ役がいなくなってしまいました。
そして、1958年から第二次5カ年計画が始まります。
これがいわゆる「大躍進政策」と言われるものでした。
これは、第一次と違い農業よりも重工業に重きをおいた政策でした。
15年でアメリカを追い越せという無茶な目標を掲げ、農村からも人を割いて重工業の躍進に突き進みました。
しかし、もともと重工業は高い技術が要求されるもので、昨日まで農業をやってた人間が一朝一夕でできるものではありませんでした。
結果、重工業分野では粗悪品の山ができ、農業生産も落ち込み、全体として経済の衰退をもたらします。
そこに、運悪く1958年から1962年まで続いた異常気象により大飢饉が発生します。
結果、多くの餓死者を出すこととなりました。
この時の死者数がは3千万人~5千万人に登ると言われています。
結局、毛沢東は1959年に政策失敗を認めて国家主席を辞任し政界から姿を消します。(というか消えたように見えました)
その後を受け継いだのが、鄧 小平・劉少奇コンビでした。
この二人が主導して「改革開放」を推し進めようとしていきます。
しかし、彼らの立場を修正主義とし毛沢東は激しく批判します。
そして、四人組と呼ばれる「江青、張春橋、姚文元、王洪文」の四人を刺客として送り込みます。
その結果、10年に渡り毛沢東派と鄧 小平・劉少奇派の間で政治闘争が繰り返され中国の経済成長は停滞し続けます。
この権力闘争が「文化大革命」と呼ばれる一連の運動・事件です。
1976年1月の周恩来の死去を契機に、第一次天安門事件が勃発、民衆の反四人組(毛沢東)感情が爆発します。
その結果、四人組は失脚、政治犯として裁判にかけられそれぞれの運命を全うしていくこととなります。(現在は、全員死亡)
以上のように、1959年以降の中国は内乱状態であり、一枚岩というわけではありませんでした。
一見、中国共産党という一党独裁によってまとまっているように見える中国ですが、実は様々なレベルで様々な思想を持った人々が闘争を繰り返してきたのが中国の歴史といえます。
とはいえ、1987年の第二次天安門事件でも民主化がならなかったように、中国共産党の政党機関や人民解放軍による民衆の弾圧や抑圧というのがあるのも事実です。
その一方で、第二次天安門事件が失敗に終わったように反乱勢力を一枚岩にまとめ上げる指導者が居ないといのも中国共産党に利する形となっています。
長文で失礼しました。
ではでは、参考になれば幸いです
No.8
- 回答日時:
まあ漫談です。
党に敵対できる勢力といえば、まず軍部です。スターリンがどれほど軍部を恐れたかは、赤軍に対する粛清というテロをしかけたことでもわかります。
フルシチョフのデタント路線とも、毛沢東はぶつかって中ソ対立となるわけですが、その最中にダマンスキー島事件、中国側から言うと珍宝島事件、というのがおこります。国境沿いのウスリー河中州の領有権を巡って、両国の軍隊が激突したのです。
中国側が惨敗しました。人海戦術の限界を露呈したのです。もちろん、毛沢東主義第一の党中央が軍の強化を怠った結果なのですが、軍が党に強く出れなくなります。党も軍に強く出れなくなります。
となると、軍と党は接近します。結果、党は国内最強の武力集団を用心棒にすることができたわけです。
軍部とうまくいっているので、共産党は権力を維持できました。
で、毛沢東が死去した後、タン・チャオピンの上からの改革開放が始まり、民衆はお金を手にできるようになります。皆が「金持ちになってもいいよ」と共産主義国でありながら資本主義の許可を得たので、党を敵視するより、自分のお金儲けに走りました。
このあと、ネット、携帯電話、海外からの情報が中国になだれ込みます。党は沿岸部と内陸部の経済・情報格差をなくして、国民の怒りが爆発しないように努力していますが、どうなることでしょうか……
No.9
- 回答日時:
価値観の喪失により、共同体が喪失し、民衆は個々に分断され、
明日には、保守反動の烙印を受けて、荒廃したモンゴル近郊に下野させられるか?
信じていた肉親に告発され、収容所へ送られるか?
(当時は、親を告発することが評価された)
疑心暗鬼して、誰も相手を信じることができなかった。
最近、日本の中学校で見られるイジメと同じ状態です。
(私の中学校時代の教師は、文化大革命を絶賛していましたが、)
中国へ行くこともありますが、現地の方々は文化大革命、大躍進については、多くを語りません。
詳しくは 下記のURLが参考になるでしょう。
http://page.freett.com/dittopopo/index.htm
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