10秒目をつむったら…

アリスカラプリスのアインシュタインは語る【補強版】に書いてある言葉が真実という前提ではなします。
私の考えを否定もしくは肯定して欲しいのです。



アインシュタインはイエスの存在については肯定しているようですし、何かしら自然の向こうにあった無限の存在を神としているようでした。

しかし彼は神の人格を認めませんでした。なぜかというとそんなものが倫理的に想定できないし、そんな都合の良い物は人間が創り上げたものだと考えたようですし、そんな世界は想像出来なかったからだそうな。

よく考えてみるとこの倫理観や都合のよいものと感じること、また世界の概念などは人生の中で得られた帰納法によるもので、無意識のうちに神様を理解しようとしていたんじゃないかと思います。
ですからその心さえ捨てて、心情に任せるように聖書を読んで、細かい部分は人間によって変わるにしても大まかな教義は変わっていないと言う事実を受け入れればアイシュタインはもしかすると純粋なプロテスタントを目指したと思うのです。



みなさんはアインシュタインがキリスト教を信じる可能性はあったと思いますか?
意見を聞かせてください。

A 回答 (7件)

 自分は神の事は何ら知りませんが、物理学者としてのアインシュタインの事なら少々言えるかも知れないと思ったので、発言します。



 アインシュタインは愚直なまでに素晴らしい、素朴実在論者だったと思います。ここで素朴実在論とは、人間と無関係な物理的現実が、人間の意識の外界に客観的に存在する事を信じる、という意味です。

 それは人間の全ての観測行為の観測結果に普遍的に現れ、人間の観測行為を一切排除したとしても、実在すると言わざる得ないような、観測行為全般に先だって存在すると思われる何かです。アインシュタインにとってそれは、物理的自然であり、その中にはたぶん神様も、入っていたと思います。要するに、月は誰も見ていなくたって存在する、とする立場です。

 このために彼は、量子力学に関するボーアの認識論(コペンハーゲン解釈)に、強硬に反対します。ボーアは、人間の認識(観測行為)そのものを、物理原理に取り込もうとしました。アインシュタインにとって物理原理は、人間の認識と無関係で、手の施しようもなく無関係な、客観的存在でなければならなかったからです。


 以上と、

>よく考えてみるとこの倫理観や都合のよいものと感じること、また世界の概念などは人生の中で得られた帰納法によるもので、無意識のうちに神様を理解しようとしていたんじゃないかと思います。

を比較してみて下さい。「倫理観や都合のよいものと感じること、また世界の概念など」は、アインシュタインにとって、神に対する観測行為だったんではないでしょうか?。だから逆に言うと、

>ですからその心さえ捨てて、心情に任せるように聖書を読んで、細かい部分は人間によって変わるにしても大まかな教義は変わっていない・・・

というプロテスタントの観測行為が、彼の素朴実在論を満足させるものなら、アインシュタインもプロテスタントになった可能性はあると思います。

 でも彼は、どうひいき目に見ても、前世紀最大の物理学者の一人であり、ロマン溢れる20世紀以前の物理の体現者であり、かつ現在に通じる即物性の申し子でもあります。プロテスタントの神に対する観測行為は、彼の眼鏡にかなわなかった、というのが歴史的事実のように思えます。


 なので、「スピノザの神」になったのだと思います。自分はこれを、物理学者としてのアインシュタインの意見だと思っているんですよ。

この回答への補足

確かに彼は素朴実在論に相対性を足したものを信じていたのかもしれませんね。

コペンハーゲン解釈というのは2重スリット実験でいわれているようなものですよね。あれはよくわからないですね。
でもまだ多世界解釈といった理論もあるみたいですし結論が楽しみです。

経験を神より上においたんですよね。そしてあなたのおっしゃる素朴実在論を掛け合わせると、信じる可能性は神彼の生きている間に来てない限り不可能に思えてきました。

補足日時:2012/04/13 17:13
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この回答へのお礼

素晴らしい筋の通った回答でした。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/13 17:13

ユダヤ人だからユダヤ教では?

この回答への補足

彼はスピノザの神に近いものを信じているようですよ。

ただそれがキリスト教に変わるとしたらどのような状況が考えられるか?という質問です。

補足日時:2012/04/12 23:30
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/12 23:30

みなさんはアインシュタインがキリスト教を信じる可能性はあったと思いますか?


意見を聞かせてください。

○あったと思いますよ。イエスが天の父と呼んだ存在は、愛の神ですから、明らかにユダヤの祟り神ではありませんね。一方、アインシュタインが信じた神は、「人類の運命と行いについて気にする神ではなく、世界の秩序ある調和として現れる、スピノザの神」と言っています。つまりユダヤの祟り神は信じないといっているのですからユダヤ教でもないですね。これイエスもアインシュタインも同じ立ち位置ですね。

簡単にいえば、イエスもアインシュタインもお二人が信じたのは同じ神ですから、晩年のアインシュタインならそのことが理解できたとおもいますね。だから、科学と宗教という道は違えど認め、受け入れていたと思いますね。
ただね、あなたの質問の意図に潜んでいるキリスト教徒のような信仰があったかと言えば、ちょっと違うものですね。イエスもアインシュタインも愛と調和の創造主への直接信仰ということですね。愛の神・創造主の直弟子が宗教家として、科学者として活躍したのですね。創造主への直接信仰か代理人への孫弟子、ひ孫弟子の信仰かの違いですね。
イエスもアインシュタインも愛と調和の創造主に近いところにいるかたなんですね。そのあたりを知らないと理解できないですね。

参照「1929年のニューヨークのHerbert S. Goldstein師の電信での質問「あなたは、神の存在を信じますか?50語で答えてください。」に対して、アインシュタインは「私は、人類の運命と行いについて気にする神ではなく、世界の秩序ある調和として現れる、スピノザの神を信じます」と答えた。アインシュタインはドイツ語で25語で答えた。スピノザは自然主義の汎神論者だった。」

この回答への補足

ちょっと色々理解できないことがあります。出来れば補足に対する回答をお願いします。

まずユダヤの祟り神というのは具体的に何を指しているのですか?

イエスもアインシュタインもユダヤの祟り神を信じていないことを証明するまではいいとして、どうしてそこからお二人が信じたのは同じ神ということは証明するのは無理ではありませんか?

私は無宗教です。彼にキリスト教の信仰がなかったことはアインシュタインは語るを読んでもわかりますし、スピノザについてもそこに記述があります。
質問がわかりにくいせいもあるのですが未来形でキリストを信じる可能性はあったか?という意図の質問です。

愛と調和の創造主に近いとおっしゃっていますが、キリスト教ではイエスはそれそのものではないですか?(三位一体より)
アインシュタインは創造主に愛を認めてませんよね?決定論者で人格を否定しているはずではないですか?

補足日時:2012/04/12 23:22
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/12 23:22

仏教に希望を見出していた文書はありますが、キリスト教などの一神教を信じる可能性は


皆無でしょう。科学者ですから。

この回答への補足

科学者にはパスカルのように素晴らしい頭を持ってすらキリスト教に辿り着く人もいます。
現代ではサムシンググレイトといい、何か超全的な存在、俗にいう神を認める人たちもたくさんいます。

仏教よりもキリスト教に希望を見出していたと思いますよ。
彼は「預言者とキリスト教のもともとの考えにその後に付け加わったもの、(中略)すべてを取り除けば、人類がかかえる社会的な病を全て治すことのできる協議が残る。」と彼には珍しい断定的で全てという単語を使って述べています。
これは仏教に関して発言した「科学に足りないものを埋めてくれるのが仏教だ」といったような言葉よりも強く、確信に満ちていると思うからです。

補足日時:2012/04/12 23:07
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/12 23:07

>みなさんはアインシュタインがキリスト教を信じる可能性はあったと思いますか?


結論を述べればなかったと思います。彼の信じた神は、スピノザ的神で、神=自然でしたから。ただ、キリスト教の隣人愛の思想からは影響を受けていた可能性が大きいと考えます。

☆No.1の回答の補足でアインシュタインの思想的転機に関する質問がありましたけれど、日本の広島・長崎への原爆投下がまさにその思想的転換の瞬間だったのではないでしょうか。
アインシュタインは原爆製造には直接関与していませんが、彼が大統領に送った書簡が原爆製造の大統領決定におおきな影響を与えましたから。そして、戦後、それまで政治にまったく無関心であった彼が核兵器廃絶に向かって、ラッセルらとともに政治的活動を積極的に展開しましたから。

この回答への補足

確かにスピノザ的神に近いものを信じていると公言していますが、それがキリスト教へ変わるとしたらどの部分の思想に変化が生じた時かという質問のつもりでした。。わかりにくく申し訳ない。

彼は積極的にスピノザの神に目覚めたのではなく彼の探求を通して得られたものに合致する宗教を探した場合それしかないという消去法的考えから生まれたと思うのです。(つまり宗教に影響を受けたわけではない。)
ですから、もし可能性がないとおっしゃるのであれば、アインシュタインが積極的にスピノザの神に向かっていったことを示していただかなければ納得がいかないのですよ。

補足に関しては質問したつもりはなかったのですが、わざわざありがとうございます。

補足日時:2012/04/12 22:56
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/12 22:56

スピノザの神の信奉者だったようですね。

NHKスペシャル アインシュタインロマン

ということはキリスト教を信じていた可能性は低いように思いますね。

この回答への補足

1番の方の補足にも書きましたが基本的なアインシュタインに関する事柄は知っています。

そのアインシュタインがキリスト教を信じる可能性があったとすればどんなシチュエーションかという質問です。

補足日時:2012/04/11 23:45
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/11 23:45

そもそも、アインシュタインは、「神の法則」を見つける為に研究をしていた、という事ですが、しかし特定のどの宗教の神がどうこう、という考えではなかったようです。

もっとも、これは余談ですが。

なお…
彼がキリスト教を「信じていた」かについては、次のニュースを見ると明らかでしょう
http://www.afpbb.com/article/life-culture/religi …

この回答への補足

ええ、そのことはもちろん理解しています。
アインシュタインは語るを読んだので。

しかしアインシュタインがキリスト教を信じるとすれば、アインシュタインのどの部分の考えが変えられた時だと思うかと言う質問です。
理解しにくかったのであれば申し訳ないのですが。

出来ればその観点でもう一度回答を寄せていただけると助かります。

補足日時:2012/04/11 23:33
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/11 23:33

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