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こんにちは。いつも参考にさせて頂いております。

情けは人の為ならず、ということわざがありますが、意味は

(1)人に情けをかけるとまわりまわって自分に返ってくる
 →だから人には親切にしなさい

が本来の意味と思います。が、

(2)人に情けをかけるとその人のためにならない
 →だから人にはあまり親切にするな

というように間違って解釈している人もいると思います。

さらに、(1)のまわりまわって、というトコロと、(2)のその人のためにならない、
というトコロを足し算して、

(3)人に情けをけるとその人のためにならないから、当然まわりまわってくることもなく、
 結局は自分のためにならない

という拡大解釈をしている人もいます。。。

本来、(1)が本来の意味であって、(2)が間違っているため、(3)自体おかしいと思うのですが。。。

みなさんは(3)の解釈をどう思いますか??

A 回答 (5件)

確かに昔の文語によることわざは、誤解される要素があります。


(2) の解釈から (3) へは容易に行き着くだろうと思います。
(2) と解釈するなら、 (3) もアリです。
私も (2) の解釈で、しかも「情けは人の為(に)ならず」と逆にことわざを改変していました。
今となってはお恥ずかしい限りです。

(3) は相手にした情けが、相手にプラスに働かないので、自分にもプラスにならない、という解釈です。
逆に、情けがマイナスに働いた場合は、自分に帰ってくるのもありそうです。
例えば、小さな犯罪を見逃して、さらに相手が悪くなって自分に災いとなるような場合です。

可能な場合は、相手に情けをかけて、見返りを望まない、というのが現在ではよろしい、と思います。
喜捨ですね。
見返りを求める時点で、純粋の「情け」ではない、と思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
またお礼が遅れ、大変申し訳ございませんでした。

確かに、見返りを求めてしまってはせっかくの諺も台無しですね。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/29 02:02

(3)人に情けをけるとその人のためにならないから、当然まわりまわってくることもなく、


 結局は自分のためにならない
:
という解釈は、質問者さんが指摘されているとおり、
(2)人に情けをかけるとその人のためにならない
 →だから人にはあまり親切にするな
という誤解釈が元になっています。
誤解釈の上塗りと言うしかなく、全くの間違いでしょう。
直接的な回答は以上です。

蛇足として若干感想を付記させてください。
この諺の本意は、お示しになっているように、
(1)人に情けをかけるとまわりまわって自分に返ってくる
 →だから人には親切にしなさい。
ということなのでしょう。
ただ、真理としては若干ニュアンスが異なるのではないか、という気が個人的にはします。
なぜかというと、人に情けをかけるという行為自体がすでに崇高なことです。
むろん、小さな親切大きなお世話、という格言もありますから一概には言い切れませんが、他人のために何かをしようとする、その精神・心意気は、あくまで基本的にですが貴重なものです。
ですから、まわりまわって自分に返ってくるか否かということは問題にならず、そのような行為ができたという事実自体が、その時点で既にその行為者の益になっている、ということです。
端的に言うと、人に親切にすること自体が、その時点で時差なく同時的に自分の益そのものである、というのが真理ではないかと思うわけです。
余計なことまで書いてしまい失礼しました。  
  
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
またお礼が遅れ、大変申し訳ございませんでした。

なるほど、深いですね。

情けをかける行為自体が、自分のアイデンテティを高めている、ということも言えますね。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/01/29 02:00

良い行いをしていれば、世間が善人と思い、困っていたら助けてもくれる。


悪い行いをしていれば、世間が疎み阻害されがちになる。

現在でも至極当然のことです。

古代インドからの哲学で仏教からきている因果応報という教えです。

情けをかけるという言葉の難しさに惑わされているだけです。
現在では死語に近いです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
またお礼が遅れ、大変申し訳ございませんでした。

なるほど、因果応報、ととらえることもできますね。

勉強になりました。

お礼日時:2013/01/29 01:57

多くの人口に膾炙する言葉であればこそ、「諺は世に連れ、世は諺に連れ」で、実はその時代・世相を映し出す鏡なのかもしれません。



1.善根を積む…因果応報
曾我物語」(南北朝頃1315~1420年の伝記)
「情けは人の為ならず、無骨の所へ参りたり。又こそ参らめ。」

2.他利も自利なり…自己研鑽
「葵上」世阿弥(室町後期1960年頃の謡曲)
「思い知らずや世の中の情けは人の為ならず、我人の為つらければ、必ず身にも報うなり。」

3.利殖投資性…功利・打算主義
「常夏草紙」(文化7=1810年)
「情けは人のためならず、小半年の房銭(かどせん)を十倍にして取り返す日もありなんとて」

4.情けが仇(あだ)…他者へは不介入の自己本位主義
昭和の高度成長期?
下手な同情はむしろ相手をダメにする。

5.仇が情け…悪意やいじめが逆に相手を強くする。
4.の逆転ながら実は同曲。
艱難汝を玉とす。

これまでのような「情けは他人の為ならず」という諺の時代毎の変遷を見てきた上からすれば、この(3)という「拡大解釈」では、いわば元本さえ損失するのだという保身第一のレベルまで<退化>していますから、もはやこの諺の、また「情け⇔仇」の範疇でさえない、まったく別の諺、例えば「触らぬ神に祟りなし」「さわり三百(ちょっと触れば銭300文損する)」などへシフトされているのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど。。。時代と共に変わってきたのですね。。。

と言っても、それは本来の意味ではなく、間違った解釈でまかりとおることには”?”ですが。

詳しい解説ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/15 13:27

(2)はよく知られた誤解です。

就職試験で出そうな問題ですね。私の時も出ました。(2)を答えた友達は不合格でした。
(3)は珍説ですね。初耳です。そこまで深く解釈できる頭があるなら、正しく覚えるのは簡単だと思うのですが…。

 因みに「役不足」と「力不足」を取り違えたり、「流れに棹さす」と「水をさす」を取り違えている人も多いですね。あと気になっているのが「(溺れる者は)藁をもつかむ」を「藁をにもすがる」と間違えたり、「舌鼓(したつづみ)」を「舌包み(したづつみ)」と言うニュースキャスターも時々います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

(3)の解釈は、恐らくこのことわざに(1)と(2)の二通りの意味があるという”大前提ありき”の拡大解釈なのだと思います。

(2)の解釈が間違っている(ホントは存在しない解釈)ので、(3)自体ありえないと思うのですが。。。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/04/14 15:43

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