『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜ人々を魅了したのか >>

ある人の本で、
先祖が旗本で、
ときおり知行地(さいたま市)へ出向き、そこの庄屋と
交流があった
という内容がありました。
旗本が知行地へ行くことはありましたか?
挨拶以外で何をするのでしょうか。

よろしくお願いします。

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A 回答 (4件)

色々のケースがあるのでしょうけれども、「知行地を持つこと」は(場所とその領民に対する支配権・支配責任)を持つことなので、刑事事件や訴訟事件の裁判をする必要があり、知行地まで行って判決を下したり、領主として重要な儀式に臨んだりする必要もあったでしょう。

年貢の取り立てや、道路や河川の改修などは、命令書を出すだけで知行地の名主に実行させれば済むので、自分で知行地まで行くことはあまりないと思います。知行地でのもめ事や訴訟も、訴状を自分の本宅までもって来させればそれで済ませることもできたでしょうし、家来を名代にして知行地まで行かせれば済むこともあったでしょう。
 
ある意味、慣習、慣行もあったでしょうし、その当主の領主として働くことに対する意欲やあちらこちらに散在している知行地があれば、全部を同じようにはできませんし、旗本として他の職務の関係もあって、旗本は知行地に対してどのようにしていたと一律には言えないのでしょう。 現地のことは村役人に任せきりという場合も多かったでしょう。
 
江戸時代今川直房は、500石の知行地を滋賀県野洲市に持ち、また500石の知行地を東京都杉並区井草に持った合計1000石の旗本ですが、屋敷は、品川か江戸小川町にあったようです。
http://asagiri8210.blog61.fc2.com/page-116.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E6%B3%89% …
http://www.meicho.co.jp/?pid=987482
 
旗本は、先祖代々の霊を祭る菩提寺を知行地に建てることも多かったようです。(江戸屋敷には作らないですから)昔のことですから、毎年、先祖の命日や何かのときにそれなりの回数墓参にも知行地に行ったのではないでしょうか。(菩提寺の僧に頼みきりもあったでしょうけれど) 江戸時代の旗本が恒常的に知行地に住むことはほとんどなかったでしょう。
菩提寺はあくまで寺ですが、旗本や用人などの家来が知行地に行った場合は、名主や村役人の家に泊まる場合もあれば、菩提寺に泊まる場合もあったのでしょう。
知行地で裁判をする場合、年貢を確認する場合など、本堂の前や名主や村役人の家の前で、旗本自身あるいは用人が名代として、やったのではないでしょうか。
http://www.city.sayama.saitama.jp/manabu/rekishi …
http://www.city.sayama.saitama.jp/manabu/rekishi …
http://www.city.sayama.saitama.jp/manabu/rekishi …
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”挨拶以外で何をするのでしょうか”


   ↑
領地からとれる年貢で生活している訳です。
だから、今年の作柄はどうだ、とかが
重要な関心事になるでしょう。
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http://www2.city.suginami.tokyo.jp/histmus/docum …

すくなくとも菩提寺だから墓参りはしたでしょう。

http://www.city.yamato.lg.jp/web/content/0000019 …
1625年以前には確実に屋敷もあったようです。

http://www.e-obs.com/heo/heodata/n8.htm
「中津藩主小笠原氏の一族で、元禄12年(1699)から宇佐郡時枝村(宇佐市)に陣屋を置いた 旗本 小笠原氏(0.5万石)、寛永19年(1642)日出藩木下氏から分家し速見郡立石(山香町)に陣屋を置いた旗本木下氏(0.5万石)、正保3年(1646)に幕府から寄進された 宇佐宮神領 (0.1万石)という領地もあった。さらに、 分知領 として 杵築藩 分知(0.3万石)、 府内藩 分知(0.15万石)、 森藩 分知(0.1万石)があり、当主は旗本に列せられていた。」というような感じで、陣屋を置いて行政というか治世をやっていたケースもあるようだ
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旗本の大半は江戸定府で、一生、領地に行かなくても良かったが、


大身の旗本には、大名同様に参勤交代する交代寄合の家格のものがあった。
三千石以上だと、自分の名で死刑を含む重罰をも課す領民への司法権も
与えれていたし、石高が低くても、殿様には違いないから、
領民を思いやって、知行地を見回るものもいた。
※赤穂浪士物語では
悪役となっている吉良上野介も、
高家の業務繁多でありながら、領地に出向き
善政を施し、現地では、粋で人情家の、お旗本として、
好評である\(^^;)..
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