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大昔の廃刀令に倣い、いわゆる第二次世界大戦の最中、国内では、軍人の帯刀は許されていたのでしょうか?

A 回答 (7件)

> 大昔の廃刀令に倣い、いわゆる第二次世界大戦の最中、国内では、軍人の帯刀は許されていたのでしょうか?



・軍人(第二次大戦)の帯刀は、刃の付いていない模造刀ですから、問題ナシ。
帯刀は、闘うための武器ではなく、正式な場所での帯刀本分者(将校、士官など)の身だしなみです。

余談ながら、天皇陛下が公務で国内外に出掛ける際には、必ず「節刀」を携行します。
節刀は天皇の身分証明書の代わりなんだそうです。
御料車など、天皇の正式な移動手段として製作された車両には、「節刀」を置く特別な棚があります。

軍人の帯刀本分者は天皇の「しもべ」という意味があると95才の婆ちゃんに教えて貰いました。
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    陸軍将校だけでなく、搭乗員、海軍士官(この場合は短剣)などいろいろ種類があり、礼装だけでなく日常的にも所持されていたようです。



        下記をご覧ください。
    http://www.h4.dion.ne.jp/~t-ohmura/
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軍人の持つ軍刀は兵器では無く「軍装品」の一つ、という扱いです。


(軍服の一部という扱い)

ある階級以上の幹部軍人だけが持つことができる「幹部軍人の印」。
でっ、これは当時の軍事関係の法律で定められている事。

と言う訳で、軍人の帯刀は許されていました。


ちなみに、儀礼式典以外の常時でも軍刀を装備していたのは、世界中でも日本だけだったようです。
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陸軍では軍刀は軍服の一部なので、ある階級以上の帯刀は義務です。

許可ではありません。
ただ、時代錯誤だと感じていた人はいまして、軍刀より拳銃の方が役に立つ、とホルスターを下げていた人はいたのですが、例外中の例外、というか、変わり者です。

太平洋戦線の停戦交渉で、マニラに日本から白く塗り緑十字を描いた航空機で交渉団がいきましたが、軍刀をとるとらないでアメリカ側ともめたそうです。この時は、軍刀は軍服の一部なので、これがないと正式な姿ではないと言い切り、交渉の場では外すことを条件に帯刀しました。

海軍は短剣を腰に下げることになっていましたが、軍艦と大砲で戦争する組織ですから、陸戦隊以外ではあまり重視されませんでした。磁気羅針盤が鉄の影響で狂うからはずす、という人も大勢いましたし、リンゴの皮をむくのに便利ですと公言したひとや、竹光の人もいました。
ただ、海軍でも将校だと正装のときキチンとした軍刀が必要となるのは、陸軍とかわりありません。

軍刀は日本の刀剣史の最後にあらわれた優秀な兵器です。
軍部の軍刀をつくるためにとだえていたタタラ製鉄の技術が復興しました。また、兵器ですから役に立たなくてはなりません。当時最大の日本企業だった満鉄が開発した満鉄刀、東北大学が研究した金属技術を使った極寒地でも折れない振武刀など多くの刀がつくられました。
変わり種では、トラックの板バネを使った現地促成の兗洲刀があります。まったく実用本位ですが非常によく切れ折れず曲がらずだったので評判になり、トラックのスクラップから板バネがとり尽くされるほどの人気でありました。
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明治4年に、


日本は欧米に挨拶まわりと視察を兼ねて
使節団を派遣しました(岩倉使節団)

そのとき、日本の軍制を
海軍はイギリス
陸軍はドイツ(第二帝国)
を参考(コピー)することに決めたのです。

当時は自動小銃がまだ発明されておらず、銃の信頼性も低かったために、
白兵戦は刀でガチャガチャやってる時代でしたから
刀(サーベル)は必需品だったのです。

そういうことで、
帝国陸軍の士官はドイツ陸軍に習って軍刀を軍装にすることに決めたのです。
当時のドイツ軍の正装はこんな様子です。
http://en.wikipedia.org/wiki/File:1898ZabernDeut …

ドイツ人は合理的なので
拳銃(半自動)が実用化されると、
重くて長い刀は棄てて拳銃に切り替えました。

しかし合理的な思考ができず、精神論を支柱としていた帝国陸軍は
太平洋戦争で敗北するまで刀を差していたのです。
こういうところも、日本の敗戦の理由のひとつかもしれません。

ちなみに
暑い真夏に汗まみれになりながらもネクタイをしているビジネスマンをみると
日本人の思考回路が、戦前から全く変わっていないことを思い知らされます。
「戦前、戦中、軍人は国内で帯刀していたので」の回答画像5
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Wikiによれば



>将校准士官の軍刀は上述の1875年の太政官布告以降、陸海軍解体に至るまで基本的に陸海軍服制上の制式であり、そのため純粋な兵器ではなくあくまで軍服などと同じ軍装品扱いであった。そのため他の軍装品一式と同様に官給品ではなく私物であったため、階級に見合う軍刀を自弁調達[4]する必要があった。

となっており、実際に親類が入営するときに家に伝わる日本刀を軍刀に直してもっていった記憶です。
出征の時や帰郷の時も(記憶が曖昧ですが)身につけていたのではないかと思います。
一応リアルタイムに見たはずですが、幼かったので終戦後に聞いた話と混ざったりしてしまい、『見たことがある』と自信を持っては言えません、当人はとっくに死んでいますから訊くわけにもいかない。
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私の父は軍人ではありませんでしたが、海軍の火薬廠に勤めっておりました。

同僚や上司には軍人(将官)の方々がおられましたが勤務にで出られる時には、長刀ではなく、短剣を腰に付けって居ましたよ。正式の儀式には長刀(軍刀)を身に付けていましたね。 
終戦後、官舎をでて引越しのため汽車に乗った時、前の席に陸軍の将校のが軍刀をステッキみたいに持っていました。 正規の場では軍人と巡査は刀を携えていたようです。巡査はサーベルでしたね。戦時とか戦時で無いとは関係は無かったと思います。
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