
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
考古学をかじったことがある人なら、だれでも知っていることだが、
「埴輪」というと、ほとんどの人が人間や動物や器物をかたどった「形象埴輪」を思い浮かべる。しかし、実際に古墳から出土する埴輪は「円筒埴輪」がそのほとんどを占める。教科書に出ていたり、国宝・重文に指定されていたりするのは、「ほんの一握りの変わった形の埴輪」だけだ。当然のことながら、古墳から埴輪が出土するとは限らない。
弥生時代というと、金属器の使用が始まったことを学校で習うが、私の近く(神戸市)の弥生時代の遺跡からは、打製石器とその破片が大量に出土する。また、石器は打製がほとんどで、磨製はまれだ。打製石器は旧石器時代のものと勘違いしている人はたくさんいる。最後に、旧石器時代にも磨製石器がある。
実は、日本のいたるところで、大昔から旧石器は出土していたが、いかんせん日本の学問に考古学というジャンルがなかったがゆえに、石器は「天狗の○○」というような奇怪な名で呼ばれ、学問的な研究がなされぬまま遺棄されていった。
明治時代に、モース博士が大森貝塚を発見(学問的に遺跡と確認)して、初めて考古学という学問が日本で産声をあげたと考えると、岩宿が確認されるまで70年ほどだけ旧石器時代の存在を知らなかったという落ちにたどりつくにすぎない。
学者でさえ「日本に旧石器時代があるはずがない→例えば関東ローム層……」というような発想だったのだと思う。すなわち、日本が考古学において後進国であったがゆえに「常識」というものがまだできあがっていなかったとらえてはいかがか。
参考URL:http://www.gunmaibun.org/guide/3/3-6-34.htm
No.1
- 回答日時:
岩宿遺跡を発掘した相沢忠洋さんが、なかなか認めてもらえなくて苦労しますよね。
なぜ認められなかったかを調べれば、ヒントになるのじゃないでしょうか。個人的には、遺跡が見つかりにくいなどの物理的要因のほかに、「そんなものあるはずがない」という人的要因の影響が大きいのじゃないかと思います。
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