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たとえば知人の家を訪ねる状況を想定します。

「手土産なんていいから、手ぶらで来て」
「私はこれだけでいいから、あとはぜんぶあなたが食べちゃって」
「あなたは座っていて。何もしなくていいから本当に」
「もう帰るの? 泊まっていきなさいよ遠慮せずに。いいからいいから」

これらのような言葉を真に受けてしまうと、相手の感情を損ねてしまう。これは多くの人に経験があるのではないでしょうか。

しかしなぜ、これらのような、真意とは逆の言葉をわざわざ言うのでしょうか。その理由が、よくわかりません。私が気づいていない合理的理由があるのでしょうか。教えてください。他の状況も含める一般的な理由を知りたいです。

「人間関係の潤滑油」という意見もあるでしょうが私は賛成できません。本来、わざわざ言う必要がない言葉だと思うからです。

「私はこんな言い方はしない」というご回答ではなくて、こんな言い方をする人の気持ちになってご回答いただければと思います。

A 回答 (15件中1~10件)

>しかしなぜ、これらのような、真意とは逆の言葉をわざわざ言うのでしょうか。



二通りいる気がします。

1、習慣だから。そういうものだから。

疲れるような仕事で無いのに「お疲れ様」と言うし、朝じゃないのに仕事はいりには「おはようございます」と言う。その習慣と同じと考えている。


2、相手を試している。

例えば、「あなたは座っていて。何もしなくていいから本当に」と言った後、相手がどのように対応するかでその人の人柄が良く分かる。

これは、必ずしも、「いいえ手伝います」と強行すれば良い訳ではない。かといって「分かりました」と本当に何もしないでよい場合が適切とも限らない。「時と場合」による。


こういった「答えが決まっていない場面」と言うのは、人柄や性格と言うのが良く出る。それを見たいのかもしれません。



相手が会社の上司なら、後者のパターンも気を付けなければなりません。
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この回答へのお礼

明快なご回答ありがとうございます。
慣用句またはテストなのですね。

お礼日時:2012/06/09 00:32

#1&#13 再々回答です。



>、「偽りの厚意」が日本人の美徳であることを、いまだ納得できかねております。
>どうして偽りの厚意が人間関係を潤滑させるのかを理解するのが、私の務めでしょうか。

いえいえ、それはあなたの務めではありません。
理解しようとしても、わからない人にはおそらくずっとわかりません。
例えば、外国人に日本人というものを100%理解しろといっても、育った環境によって培った考え方は変わらないでしょうし、それを超えて理解しろといっても無理です。

あなたが理解しようとして苦しまれるくらいなら、理解しないでずっとそのままでいればいいのではないでしょうか?
それと、理解をしたいのでしょうか? したくないのでしょうか?
わたしにはそれがわかりませんし、理解しようとする気持ちがないのなら、ここでどんなに文字だけで伝えようとしても伝わるわけはありませんし、無駄な時を過ごすだけです。
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この回答へのお礼

たびたびありがとうございます。

>理解をしたいのでしょうか? したくないのでしょうか?

それは当然、このような発言を理解したいからこの質問をしたのです。
「理解」と「共感」は違います。

たとえば中東諸国の会話では、他人の持ち物や妻をむやみに褒めてはいけないと聞きます。褒めることは、それが欲しいということを意味するからだそうです。このような言語文化に共感はできなくても、現地の人々と付き合い、会話を交わすのであるならば理解は必要です。

同様に、私が挙げたような「偽りの厚意」には共感はできません。前近代的ムラ社会における腹芸の世界だと思います。しかし、日本に住む以上は否応なしにムラ社会の人々と付き合い、会話を交わすのですから、彼らがどのような背景でこのような言葉を言うのか、その言語文化を理解する必要があります。それが私の質問の目的です。

お礼日時:2012/06/13 00:01

>真意とは逆の言葉



この部分の解釈に関しては、若いディジタル志向の方々と、老成したアナログ親爺のあいだに差があると思うな。

つまり、アナログ親爺としては、真意と「逆」とは考えまへんよ。
真意と同じ方向で行き過ぎ、オーバーシュート、オーバーエクスプレッション、リップサービスという解釈になりますねん。

手土産に大金使う程の事は無い、そんなことをされては却って恐縮してしまいます、だから「それほど気を使わんといて」という気持ちが言葉になった時、「手土産なんていいから、手ぶらで来て」という言葉になったんじゃろうね。

ところが、ディジタル人間は、言葉の背景を理解できずに、ディジタルに対応するから、結果的に「あの人、本当に手ぶらで来はったよ!!」ということになるんやおまへんか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>手土産に大金使う程の事は無い、そんなことをされては却って恐縮してしまいます

それでは「手土産なんていいから、手ぶらで来て」は嘘ではなくて本意だということにはなりませんか。私の質問とは状況が異なるようです。

お礼日時:2012/06/11 01:10

#1 再回答です。


とりあえず(5)だけについて。
真意と逆の言葉については、日本人的な習慣に基づくものです。
真意は表に出さないのが日本人の美徳として永く伝えられてきました。
代表的なものとして、京都でお客さんに「ぶぶ漬け出しましょか?」というのは、「早く帰れ」という意味で使われています。
他の地域でも似たようなもので、総じて日本人は他の人とのいざこざが起きるのを極力避けるよう言葉を選んで使ってきました。

また、その言葉の裏に、時には「こんな風に動いてくれたらいいのに」という期待感も込められています。気分を損ねるのは、そういう動きをしてくれなかったときに期待した分以上に喪失感が生まれるからでしょう。
日本語って、日本人って、本当に難しいですよね。

それから、以下のことについてですが、
>なお私は、自分が悪いと思えば謝り、悪くないと思えば謝りません。これは欧米的でしょうか日本的でしょうか。
これはどちらでもなく、ごく普通のことです。自分が納得できなければ、そんな行動はできません。
私が書いたのは、「打算的理由のために先に謝ろうとしない」のが欧米系に多いということです。逆に日本人の場合は、打算など関係なく「先に謝った方が勝ち」という観念が広まっています。「赦す」ことが文化として根付いているからではないかと思われます。

納得はできないかもしれませんが、こんなところで一部だけでも回答になるでしょうか?
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

しかし丁寧にご解説いただきましたが、「偽りの厚意」が日本人の美徳であることを、いまだ納得できかねております。どうして偽りの厚意が人間関係を潤滑させるのかを理解するのが、私の務めでしょうか。

お礼日時:2012/06/11 01:07

 こんにちは。



 挙げられている事例がすべて
 ★ 真意とは逆
 ☆ であるという場合について考えるわけですよね。


 事例ごとに見てまいります。
 ★ 「手土産なんていいから、手ぶらで来て」
 ☆ 手土産が 自分の催促によるという気配を打ち消したかたちにおいて 欲しい。ということでしょう。
 その人にしてみれば 自分からその気配を ことばの上で 打ち消しておくと あとで手土産をもらったときにも 物欲しげだという本心が相手に見えないと思ってのことなんでしょう。
 したがって これは 見え見えのことなのですから 合理的な理由は見当たらないと言ってよいでしょう。


 ★ 「私はこれだけでいいから、あとはぜんぶあなたが食べちゃって」
 ☆ これは たとえ自己欺瞞であったとしても その相手は この発言をした時点では あなたに問いかけているのですから あなたがどう答えるかという問題に還元されます。
 少々ずうずうしい・つまり これもそのほとんど全部を自分が食べたいと言っているのと違わないというずうずうしい発言ですから こちらはあきれますが それでもこちらに問いかけているというのは こちらの自由意志に尋ねているのですから 民主主義としてのコミュニケーションに入ります。


 ★ 「あなたは座っていて。何もしなくていいから本当に」
 ☆ これももし《真意に逆らっている》というのであれば つまりそれは《そんなところに坐っていないで 手伝ってよ》と言うのですから そういう意味の発言だとなります。
 このように言うと 押しつけではないとでも本人は思っているのでしょう。明らかにまちがいです。ぎゃくに 《自分の気持ちを推し測ってあなたからすすんで手伝いましょうと言ってくれないかなぁ》と言っているのですから はっきりと押しつけていることになり まちがいです。
 素直に協力をたのめばよいことですので おっしゃるように 合理的な理由はありません。


 ★ 「もう帰るの? 泊まっていきなさいよ遠慮せずに。いいからいいから」
 ☆ これも真意に逆らった発言だとすれば そのときどうしても人を自分の家に泊めたくない・あるいは泊められない事由があるのでしょう だからそのように見え見えのことで表現しているのでしょう。少しは かわいいウソのようです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

しかしながら、私の質問は一般的な理由であって、私が挙げた個々の例への解説であありません。

お礼日時:2012/06/11 01:02

>ありがとうございます。


>しかし私の質問は、「言われたらどうすればよいか」ではありません。

 御質問内容を充分に咀嚼できず大変申し訳ありませんでした。
 にもかかわらす、お礼など賜り大変恐縮です。

 なお、本稿に関してはお詫びでございますので一切のコメントは不要でごさいます。
 無視してくださいませ。
 



 
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この回答へのお礼

とんでもございません。こちらこそ、趣旨をうまくお伝えできずに失礼しました。

>なお、本稿に関してはお詫びでございますので一切のコメントは不要でごさいます。
>無視してくださいませ。

真意を判断しかねましたのでコメントさせていただきました。

お礼日時:2012/06/11 01:04

ほのぼのした質問ですね。


「人間関係の潤滑油」ですね。お約束ですよ。

拘り抜いて手間隙かけて、そんな気質が日本人にあったおかげで
不利な開国を迫られた外交貿易にも成功したり。
結局は合理的なこともありましたよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自分が申し出た厚意を疑わせて断らせることが、なぜ潤滑油になるのでしょうか。それがわかりません。

お礼日時:2012/06/09 00:58

快く思っている相手に対しては、どちらに転んでも自分が善人になれるんです。



快く思っていない相手に対しては、どちらに転んでも相手を悪者に出来るんですよ。

便利な言い回しで先に言った者勝ち。言われた側の判断に委ねられます。


あなたは、真意が解っておられる様ですから、相手の真意を汲んで判断すればいいです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

しかし私の質問は、「言われたらどうすればよいか」ではありません。

お礼日時:2012/06/09 00:57

社会がはぐくんできた礼とか儀式とかいうもののひとつだと思います。

ちょっと複雑な記号のようなもので、お互いにその裏がわかっていて言い合い、その反対のことをするのが形式としてきまっていたのです。
私もこれが苦手で、相手の本意がわからずに雰囲気を台無しにした経験があります。
日本だけにあるものではないようです。アラブの世界では、会議の上位の座をめぐって延々と譲り合う習慣があるそうです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

いわゆる「お約束」なのですね。
「How are you?と聞かれたら、たとえ体調不良でもI'm fine, thank you, and you?と答えなさい」
のような。

お礼日時:2012/06/09 00:56

人間の総ての心情を言葉で表現することは


不可能です。
言葉では言い表すことが出来ない部分がある
のです。

中国でも
「風に吹かれてぶらりときたわけではないんだよ」
という意味の言葉が30通りもあると言います。

例えば。
「もう帰るの? 泊まっていきなさいよ遠慮せずに。いいからいいから」
    ↑
質問者さんは、これを泊まっていけ、なのか泊まるななのか
二者択一しか存在しない、と解釈する訳です。
しかし、人間の心情は複雑です。
そんな簡単にあれか、これかなどと判別できるもの
ばかりではないのです。
泊まって欲しくないけど、泊まると言われたら泊める
しかないな。
泊めないといいたいけど、それでは相手に嫌な気持ちを
抱かせるから、こっちの気持ちを察してくれないかな。

無駄と言えば、無駄かもしれませんが、そういう無駄が
文化でしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私の感覚では「もう帰るの?」は帰りかけた客を引き止める言葉。
帰りかけている客に対して「泊まって欲しくない」「泊めないといいたい」とは私の感覚では不自然に聞こえてしまいます。

心情を慮る能力が足りないのでしょうね。

お礼日時:2012/06/09 00:46

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