プロが教えるわが家の防犯対策術!

削除されたので再度質問します。利用規約違反があったとのこと。以後気を付けます。以前回答してくださった方々、申し訳ありません。

それで、改めて質問します。

神の存在を証明できる方いらっしゃいますか。
あるいは存在しないことを証明できる方でも結構です。
よければ、その理論をお教えください。

そして、下に私の見解を記します。よければ、これに関するご意見もお聞かせ願います。

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神の存在を証明できるか?

   「できる」と私は考えます。ここで言う「神」とは、キリスト教的な神のことで、当然人間の目には見えません。それなのに、なぜ見えない神の存在を証明できると言えるのでしょうか。その根拠は大きく分けて以下の2つです。

   (1)人間は目に見えないものを識別する能力を持っている。
   (2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる。

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(1)人間は目に見えないものを識別する能力を持っている。

   例えば、「1、2、○、4、5・・・」という虫食い問題の○で隠されているのは当然「3」ですね。しかし、なぜ○で隠されて見えない「3」が分かったのでしょうか。要するに、見えている数字の並びとの相互関係から推理した結果それが分かったというわけです。

   同じように、例えば推理小説の名探偵などが実際に事件を目撃したわけではないのに、現場の状況や遺留品、関係者からの証言などに基づいて推理した結果、あたかもその事件を目撃していたかのようにそれがどのように起きたかを言い当てることができるのではないでしょうか。

     このように人間は見えないものでもその存在を識別する能力を持っているということが確認できました。ですから、「神は目に見えないから信じることができない」という論理は人間の能力からすれば当てはまらないということができるでしょう。

   では、以上を踏まえて、次に、(2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる、という点についてご説明しましょう。

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(2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる。(その1)

   上で証明したように、人間には「見えないものでも推理によってその存在を識別する能力」を持っているということでした。ではその能力を使って、見えない神の存在を識別できないものでしょうか?

   私がここで言う「神」とは、キリスト教の唯一神で、万物の創造者のことです。聖書によると、存在するすべてのものはこの創造者によって造られました。つまり、宇宙も地球もその中にある動植物、そして人間も神が造ったということです。

   もしそれが事実なら、そのような神が造ったもの(被造物)を観察する時、見えない神が存在することを識別する手がかりを得ることができるはずです。

   では、それらの被造物を人間と比較してみましょう。

   まず、人間以上に大きいものは存在しますか。はい、当然存在します。例えば大型動物がそうですし、もっとスケールを大きくすれば地球も太陽もさらには大宇宙もあり、それらと比較するとき人間の存在の小ささを実感せずにはいられません。

   また、人間以上に強い力が存在しますか。それも存在します。台風や地震や火山、さらには太陽の核エネルギーなど挙げればきりがありません。

   では、次の質問はどうでしょうか。人間以上に賢いものが存在しますか。さて、その点どう思われますか。人間は地球上で最も賢い生物だと考えていますし、実際そうなのですが、しかし多くの研究者たちが様々な分野の研究をしてきたにもかかわらず、現実には人間の知性では到底及びもしない高い領域(人間ではまだ理解できていないこと)が存在することがいよいよ明白になってきました。

   あなたは人間にはまだ「未知の領域」があることを認めることができますか? 次に、その具体例を考慮してみましょう。

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(2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる。(その2)


   人間ではまだ及ばない「未知の領域」について、その具体例を考慮してみましょう。

   例えば、鳥は人間が飛行機を発明するよりもはるか大昔から空を飛んでいました。ライト兄弟が飛行機を実用化するまでにどれだけ多くの人が苦労して「空を飛ぶ」ための研究をし、また失敗を繰り返してきたかを考えてみてください。

   重力のある地球上で空を自由に飛行するということは実際には並大抵のことではないということです。それには綿密に計算された飛行設計が必須であり、それなくしてどのように空を飛ぶことができるでしょうか。

   にもかかわらず、鳥は当たり前のように空を飛んでいます。人間の研究者たちは鳥の体の構造などについても研究を深めてきました。内臓の軽量化、骨の構造、羽毛のしくみなど飛行のための工夫が施されていることに彼らは驚きました。

   では、そのような鳥の飛行設計や工夫を鳥自身が考えて設計し、製作したのでしょうか。そんなことはあり得ません。では、どうしてそのような人間でも驚くべき綿密な飛行設計や工夫が施されているのですか。

   それは、人間よりも高い知性を持つもの(そのような設計・製作ができる者)が実在するということを意味しているのではないでしょうか。そのような設計・製作者なしでどのようにしてこのような高度な飛行技術が実用化され得るのでしょうか。

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結論

   被造物(例えば地球上の動植物など)には人間以上の知性が見られるという事実から、
   (1)被造物は綿密に設計され、製作された、ということが分かり、

   さらに、(1)に基づいて、
   (2)被造物を設計・製作した者、つまり創造者が実在する、

   ということが推理できる、または証明できるのです。

   しかも、それには人間にとってもっと重要な意味があります。例えば、人が何かを作る時それには何らかの目的があるはずです。同じように創造者が何かを造る時それには目的があったはずです。つまり、それは神が目的をもって私たち人間を造ったということを意味しています。

   ということは、「なぜ自分は存在しているのか」、「人生の目的は何なのか」などという古今東西の人々が考え続けてきた疑問の答えを創造者は知っているということになります。ですから、神(創造者)が存在するかどうか、または人間が神から造られたかどうかは、私たちの人生観をも左右させるほど重大なテーマであることがお分かりでしょう。

A 回答 (57件中21~30件)

No.37です。



一つ格言を思いつきました。

「盲信は、直観を阻害する」

いかがでしょうか。

「直感」ではなく、「直観」がの方がぴったり来るようです。

この格言をググって見ましたが、ヒットしませんでした。
恐らく、私のオリジナルと思われます。
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No.30です。



>すべてを「直感」とすると、人間は「思考停止状態」に陥るというnungさんがまさしく懸念していることが起こってしまうのでは?? 

盲信と直感は別物です。
盲信とは、外から与えられた説明を、鵜呑みにする事です。
それに対して、直感は、自分の内からわき出てくる物です。
盲信は思考停止状態を意味しますが、直感は、逆に、超高速の論理回路であり、正しい結論に瞬時に到達する仕組みです。

あなたに指摘されて初めて上記の事に気付きました。(これが議論の良いところですね。)
私は、盲信と、直感を区別するべきでしたね。
宗教を盲信する人が多く、盲信した人を食い物にする宗教者が問題であると、あなたも認めたではありませんか。

たいていの人は誰でも、まず直感ありきです。
その直感を後から理由を付けて、理論化、正当化しているのです。
あなたの質問に対して回答してくれた皆さんは、すべて、このプロセスを踏んでいると思います。
自分の直感を信じ、それに対して、努力してアプローチしているのです。

しかし、あなたは盲信にとらわれているので、どんなに理論的に説明しても、水掛け論になるだけで、ほとんど徒労に終わると、私はすぐに直感しました。
そして、その直感は正しいようです。

私は男ですが、女の直感は正しい、と良くいわれるではないですか。
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進化は、飛べるようになりたいとかなりたくないとかいう、個体そのものの意思が影響することはありえません


よく進化を論ずるときに、あたかもその生物の意思により、自分の望むように体を変化させた、ととられても仕方がないように「選択した」や「獲得した」などという言葉がでてきますが、誤解を招くのでやめた方がいいと思います

生存競争に有利な体に生まれた個体が、環境に適応していった、ということであり、飛ぶことではなく、体が大きくなったり、水中へ餌場を移したりという進化を遂げたものあります

そのうらには、環境に適応できなかった変化が数えきれないほどあるのです

それは、個体の意思ではなく、その環境に適した者が生き残ったというだけの話です

ですから人間が空を飛ぶときには、すくなくとも今のホモサピエンスが滅んでいなければなりません

おっしゃる通り、進化とは奇跡に近い困難なことです。
一個人の空を飛びたいと思うことではどうにもならないくらい困難なことです




複雑な造りだから高度な知能を持つ設計者がいるはずだ

今気づいたのですが、この考えは、的を得ているかもしれません

進化は困難なことで、奇跡的なことです
遺伝子レベルでの変化が起こることもあります

その遺伝子を設計図に置き換えてみてはどうでしょう
生物は生まれて、設計図通りに成長していく

設計図自体は本人には書き換えることはできず、突然変異という神の奇跡を必要とする

設計図を書くのはあくまで神であり、生物は己の意思で形質を変化させられない
こうしてみれば、進化と神の存在は背反することはないのではないでしょうか


生物の体が高度な知能による設計だとしても、設計自体が書き換えられている、いわゆるモデルチェンジだとすれば、わかりやすいのではないかと


最後になりますが、丁寧なお礼ありがとうございます
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

なるほど、進化論と創造論の両立もあるのでは、とのご見解ですね。しかし、神という存在を認めてしまうと進化論そのものの存在意義が全く失われてしまうのでは?

>今気づいたのですが、この考えは、的を得ているかもしれません

私はkangaroo-Dさんのその考え方には賛同します。今まで考えたことはなかったが、言われてみるとそういうこともあるのだな、という新しい知識を積極的に取り入れていく精神は、人間が進歩していく上で大変重要であると考えています。パソコンのソフトと同じく人間も常に更新されてバージョンアップしていくべきでしょう。一方、一つの考えに固執していては、古いバージョンのままで進歩はないでしょう。しかし、更新するためには、頭と心の柔軟性が必要であり、万人ができるかというと、なかなかできそうでできないのが現実です。その点、kangaroo-Dさんは大変柔軟性のある方と見受けました。

進化のことについては他の回答者さんともやり取りしていますので、是非そちらの方をご参照ください。

お礼日時:2012/06/21 14:50

三毛猫です


皆さんの議論 意見に大変に敬服しました
神は信じる人には絶対に存在し。

信じないひとには
見えない。

信じる者は救われる
かな-
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

確かにそうですね。神を信じることができるかできないかは知能(頭)の問題ではなく、心の問題ということになると思います。

私は「真実を真実とみなす」(たとえそれが不都合な場合でも)ということに努めていますが、物事をまっすぐに見ることのできる正直な心を保ちたいと願ってやみません。

三毛猫さんも、言葉数こそ少ないですが、「聞くに早く、語るに遅い」(by聖書)方なのでしょうか。

お礼日時:2012/06/21 12:43

29番です。


どうも論点がかみ合わない様なのでこれで最後の投稿とさせていただきます。

ご質問者様は、大前提・小前提・結論と進める演繹法的手法で証明されようとしていると解釈いたしましたので
その前提に誤謬があれば当然結論も正しい結論とは成らない事が有ると思い投稿したのです。

ご質問は「推理小説の中の話」を基に推論を展開されていましたので、その矛盾を指摘したのです。
人間は目に見えないものを識別する能力を持っている。
の証明に、「虫食い」と「推理小説の中の話」を基に推論を展開されて結論を出し、以降の展開をされていましたので、
矛盾を抱えたままでの結論は正しいとは言えないとの回答なのです。

お礼>方法や手順などさえ誤らなければ人間は正しく推理し正しい答えを見出すことができます。

条件が揃った場合に限り、方法や手順などさえ誤らなければ人間は正しく推理し正しい答えを見出すことができます。
なら同意しますよ。
ただ、ここでのスレでフィクションとノンフィクションを同じ事・・・には同意しかねます。

最後に進化についてのご意見ですが、最近の研究では
「キツネの家畜化」と「原人間の人間化」
http://tiem.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post- …
を参考に・・・・
この記事には記入されていませんが、体の大きさ・性格・体型・毛並・色・柄とも飼育されていたキツネは大きく変化していましたよ。

結論で述べられている
質問>(2)被造物を設計・製作した者、つまり創造者が実在する、

つまり創造者が実在しなくても必要に応じて、狼から枝分かれした犬に水かきのある犬(ラブラドール等)がいるように、必要なら、そのうち滑空する犬だって生まれる可能性は否定できないのです。
悪魔に唆されて知恵の実を食べた人間によって。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

>ご質問者様は、大前提・小前提・結論と進める演繹法的手法で証明されようとしていると解釈いたしましたのでその前提に誤謬があれば当然結論も正しい結論とは成らない事が有ると思い投稿したのです。

その通りだと思います。その考え方には同意します。

>お礼>方法や手順などさえ誤らなければ人間は正しく推理し正しい答えを見出すことができます。→条件が揃った場合に限り、方法や手順などさえ誤らなければ人間は正しく推理し正しい答えを見出すことができます。なら同意しますよ。

例えば、「あなたは走る能力を持っているか」と聞かれた場合、若い健康な方なら「はい持っています」と単純に答えるでしょう。でも、「じゃあ、寝ている時でも、トイレに入っている時でも、疲れている時でも走れるのか」と聞くのは少し意地悪ではありませんか。それを言うと、その若者は一日の半分ぐらいの時間しか走る能力を有していないということになりますが、それでも普通、その若者は「走る能力を持っている」というふうに言うでしょう?

「(推理によって)目に見えないものを識別する能力を持っているか」ということが議論されてきましたが、まっすぐに「持っている」と言うことは不可能でしょうか?? 人間が推理する力を持っているということはだれもが認めていることです。これはそれほど議論しなければならないことなのでしょうか??

>ただ、ここでのスレでフィクションとノンフィクションを同じ事・・・には同意しかねます。

これは推理小説の名探偵と現実の警察の捜査の違いについての問題でしたね。私がこれを通して言いたかったのは、「人間は証拠に基づき推理し、見えざるもの(この事例では犯人)を割り出すことが可能である」ということですから、その意味においてこの両者は共通点があるということでした。これもそれほどこだわって議論すべきところなのでしょうか??

そのようにあまり重要でないところにこだわる原因として、多くの人が示す「神アレルギー」とでもいうような症状が考えられます。神のことになると顔色が変わり、いつもと違う思考回路が働くようです。しかし、普通に数学の問題を解く時のように、普通に歴史上の謎を解明していく時のように、普通に物理の実験をする時のように、まっすぐ直球に論理的な思考をすべきだろうと私は思いますが。

今回のテーマでも宗教的な根拠を示したわけではなく、ただ現実の証拠に基づいて推理していったわけですから、たとえその結論に「神」が出てきたとしても、先入観や偏見にとらわれず、きちんとした理性的な理論として扱ってしほしかったです。最後のご回答とのことでしたが、私の述べたこともどうか心に留めておいてください。先入観や偏見は正常な思考を狂わせます。その危険性について、よければ、No.15のお礼の部分を参照してみてください。
 
また、進化については他の回答者さんのお礼をご参照ください。

お礼日時:2012/06/21 14:35

#13の者です。



>親とは違う数の染色体を持つ子を産むというほどの突然変異が
>本当に生じ得るのでしょうか。あるとすれば、どのように?

人類という1つの種の中でも、しばしば起きています(細胞分裂
時のミスコピー)。
それは染色体異常と呼ばれ、たとえば性染色体が男性はXY、
女性がXXであるところ、スーパー男性はXYYやXYYY、スーパー
女性はXXXやXXXXの染色体を持っています(性染色体以外の
染色体の欠落や欠損もあります)。
また、人類は細胞核の中に遺伝子のセットを2セット持っている
=核型2Nところ、3Nや4Nの種(ドジョウなどでもいる)が発見
されています。
むしろ、1つの遺伝子セットの中での塩基配列の突然変異より
ひんぱんに起きています。

塩基配列の突然変異は、私が研究に携わったミトコンドリアの
ND5は、比較的変異速度が速いので系統樹作りに適しているの
ですが、それでも全千塩基中、1塩基の変異に平均20万年も
要します(2つの種のND5を比較して、5塩基違っていれば百万
年前に種分化した)。
自説を唱えられるのであれば、現実について見聞を広められた
方が良いです。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

なるほど、研究者の方なのですね。貴重なご意見に感謝します。ご指摘のスーパー男性などの事例は大変興味深いと思いました。確か、食用バナナの染色体は突然変異によって生じた三倍体となっていて種ができなくなったということを本で読んだことがあります。大抵、突然変異体は奇形であまり有用なものが生じないらしいのですが、この種なしの食用バナナの場合は(人間にとって)有用な結果を生み出した事例として挙げることができると思います。

しかし、スーパー人間にしても三倍体のバナナにしても、結局のところ種の範囲内で起きた変異に過ぎず、依然として種と種を隔てる壁を越えるというのは困難であると考えます。例えば、受精する際に、卵子のバリアを破るための「起爆剤」を精子が持っていて、それを使って精子は卵子の中に侵入できると文献で読みました。そして、その「起爆剤」というのは種によって異なっており、種の異なる精子と卵子では結びつかないようになっているとのことでした。これは一例に過ぎませんが、このように種と種を隔てる壁は極めて堅牢にできているように感じます。研究者の方であれば、もっと詳しい知識をお持ちのことでしょう。

そのような超えがたい種の壁を考慮した時、染色体の違う子を生み出すほどの突然変異が生じるという可能性があるとすれば、一体どのような理屈で生じ得るのか、その理論はどうなっているのでしょうか。多分、そのような事例は未だ報告されていないと思うので、せめてその理論が説明されてしかるべきだと考えます。ご研究なさったND5の変異は「染色体の数が違う子(つまり親とは異なる新生物)を産み出す」ほどの突然変異をもたらすことを本当に示していますか。

お礼日時:2012/06/21 14:03

話がさかのぼりますが、



>「ですから、「神の存在を証明できた人がいる」ことを先に証明して下さい。と言っても、出来るはずがありません。仮に、そんな人がいるとすれば、神の実在は、とっくの昔に周知の事実となっているはずです。」とのこと。実際には、神の存在は多くの人に知られています。世界中でもどれほど多くの人が神に信仰を持っているかはご存知でしょう。

神を信じる人は、直感的、主観的な方法、あるいは子供の頃からの刷り込みや洗脳で、神を信じるようになったと思います。
しかも、一部の人は、心の曇った状態、つまり、悩みや苦しみに支配されている状態からの救いを求めて、直感により、神を信じるようになったのです。
これは、追い詰められて、崖から飛び降りるようなものです。
そこに理論など介在する余地はありません。

逆に、論理的な証明の結果、神を信じるようになった人は、比較的少ないと思います。

私の場合は、悩みや苦しみに支配されていない状態で、非論理的ではあるが動かぬ事実を突きつけられて、その事実を否定しきれなくなったのがきっかけです。

例えば、私は電波の存在を信じていますが、それは、テレビやラジオ、携帯などを使っていれば、目には見えないが、明らかにそこに電波が存在するとしか考えられないからです。
私は、ある人が、電波や機器を介さずに、同様な現象を実現することを何度も目撃したので、人知を超える物の存在を信じるようになったのです。

その人はタイ人で、私の顔を見るなり、日本に居る私の叔父が生死の際をさまよったことを言い当てたのです。私自身は、その後タイから日本に電話して、あとからその事実を知ったのです。
それが決定的でしたが、それ以外にも、同様なことを何度も経験しました。

しかし、それはあくまで、情報伝達に限定されています。
また、これは私個人にしか確認出来ない現象ですので、他の人に証明などできません。

尚、物理的な超常現象は経験していないので、信じてはいません。
(超常的な情報網が、脳細胞に情報を伝達したのは、物理的な現象かも知れませんが。)
また、人知を超える情報伝達方法の存在を信じてはいますが、それと神の存在は、また別の話です。
神の存在は、半分くらい信じかけているだけです。
神が存在すればいいなという、希望的観測です。
人間は、自分が信じたい物を信じる動物ですので。

以上のように、主観的、直感的な方法によって神を信じるようになった人が多いのは明らかなので、神の存在を信じる人が多い事を、神の実在の客観的証明に使うことは、できないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>以上のように、主観的、直感的な方法によって神を信じるようになった人が多いのは明らかなので、神の存在を信じる人が多い事を、神の実在の客観的証明に使うことは、できないと思います。

確かに。ただ私が多くの人が神に信仰を抱いているということを挙げたのは、「>仮に、そんな人がいるとすれば、神の実在は、とっくの昔に周知の事実となっているはずです」という回答に対して述べたに過ぎません。確かに、「とっくの昔に周知の事実」となっているのですから。

しかし、多くの人が神を信じていることにより神の存在を証明できないという点には同意します。私は今回、そのような宗教的な仕方ではなく、「生物に見られる複雑な仕組みは高度な知性の存在を必要とするはずだ」と論理的な仕方で証明を試みました。

あと、詳しくはNo.39のお礼にて。

お礼日時:2012/06/21 13:28

 No.24です。



 ★(No.24お礼欄) ~~~
 紙一枚があって、そこに放置しておいた場合、だれの手も加えなかったにも関わらず、その紙が紙飛行機という飛行体となり得るか、ということです。bragelonneさんのご見解としてはどうですか。そのようなことが起こり得ますか。
 ~~~~~~
 ☆ 紙や切り倒された木材とそして生えている木とは別ではないでしょうか。


 ★ 事実に基づいて推理した結果、目に見えない高い知性の存在がいるに違いないという結論に達したということです。それで、なぜ想像上の問題?? 
 ☆ この場合の《想像》というのは 人間の持てる思考や感性をひっくるめた知性という意味です。
 ★ 事実に基づいて推理した結果、目に見えない高い知性の存在がいるに違いないという結論
 ☆ この意味内容は 観念として持たれているということが 《想像上の問題》だとなります。
 神が この想像ないし観念の中に存在すると証明されたとしたら 神の存在の証明が出来たとおっしゃっていましょうか?

 ★ 創造者は目に見える物質世界を造った方であり、目に見える存在ではないと私は理解しています。それでも、目に見えない創造者の存在は事実に基づく推理によって確認できるということです。
 ☆ 《目に見えない存在》だと規定すれば 想像上の問題ではなく・つまり《観念の中》にではなく 存在するとお考えなのでしょうか?

 ★ 推理によって確認できる
 ☆ のは つまり知覚・認識(思考および想像)そして判断において確認できたということは そのように経験存在である人間ないし《わたし》が確認しえた経験世界のモノゴトとしてということではないでしょうか?
 すなわち 神の存在が証明されたのではなく 神という言葉ないし観念がわれわれの頭の中に推理として存在すると言っているに過ぎなくありませんか? そのことに必然性はあるのだと説明しえたにしてもです。

 ★ 私は他の人たちが神の存在についてどう思っているかに関心がありました。確かに、回答者の皆さんの回答に対して私の感じた疑問点を指摘してきました。少し失礼だと思う部分があったのでしょうか。そうでしたら、どうぞお許しください。しかし、「あなたはごう慢!」と言われるのは心外です。
 ☆ いいえ。神に対して失礼だという物言いです。傲慢になりうるのは 誰しも同じようなものです。
 ですから
 ★ もし、私の指摘に不備があれば、それに対してきちんと反証すればよいと思います。
 ☆ きちんと反証しているはずです。ただし 前提が同じでないので ご自分の成し得た推理の範囲内でその推理内容を守ろうとし続けておられる。 
 でも 大きくは 反証であり 批判です。話をつづけるなら どこか落ち着くところがありましょう。




 ★ そもそも私は神の存在を証明できる方いますか、と質問しているのに、ほとんどの回答者の方はその質問を無視しているかのようにも感じます。・・・とはいえ、私は皆さんの意見が知りたかったので、それはそれでいいのですが。
 ☆ すなわち 次の問いに答えたまでです。
 ★★(趣旨説明欄) 私の見解を記します。よければ、これに関するご意見もお聞かせ願います。

 あらためて 《前提が違う》という点について述べます。
 ★★(同上) ~~~
 神の存在を証明できる方いらっしゃいますか。
 あるいは存在しないことを証明できる方でも結構です。
 ~~~~~~~ 
 ☆ ですから この《神の存在ないし神が存在しないこと》が証明できるかという前提を批判しています。そういう回答です。
 神は たとえば非経験の場といった《想定》に成るものだから 証明する必要はないのだと。想定ゆえに必要はないだけではなく 《非経験の場》という中身ゆえに 人間の経験合理性にもとづく論理的な証明にはなじまないのだという意味です。
 もっと言えば 

 1. 神は 人間にとっては・そして人間の能力によっては 存在するとも存在しないとも 証明することは出来ない。
 
 2. 言いかえると 《想定》において 神は存在すると見ても あるいは 存在しないと見ても それらは互いに同等であるという意味です。神を受け容れた心においては 有神論=無神論ということです。有神論のなかで 神の名が ヤハヱーやアッラーフやブラフマンやアミターユスやというふうに違っても それらも互いに同等であるという意味です。

 3. 有る・無いは 経験世界における言葉であり概念であり それによって規定するそのことです。神が この経験世界のモノゴトによって 規定され得る気遣いはない。なぜなら 想定としてながら《非経験の場》であるなら 経験世界の論理や因果関係から自由であるのが 神だからです。

 4. 神は 経験世界を超えているということは その経験世界におけるモノゴトを覆いつつむと こんどは 推理として見られて来ます。

 5. そのとき有神論派の中で 神は 経験事物の創造者だとやはり推理して表現した場合があった。これは 無神論派の推理(すなわちモノや生命の自己運動説)と――それぞれが いちおう妥当なものならば―― 互いに同等だと考えられます。

 6. すべては 経験合理性による推論であり それに過ぎないとつねに見ていることも大事であるかも分かりません。――ここにおいて おそらく神の存在は 証明されたのではないでしょうか? われわれ人間の思惟がそして存在すらが有限であるというつねなる注意は ナゾの何ものかについてわれわれが抱くきよらかなおそれと同じひとつのことだからです。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

「★ 事実に基づいて推理した結果、目に見えない高い知性の存在がいるに違いないという結論 ☆ この意味内容は 観念として持たれているということが 《想像上の問題》だとなります。神が この想像ないし観念の中に存在すると証明されたとしたら 神の存在の証明が出来たとおっしゃっていましょうか?・・・☆ 《目に見えない存在》だと規定すれば 想像上の問題ではなく・つまり《観念の中》にではなく 存在するとお考えなのでしょうか?」とのことでした。

つまり、「想像ないし観念」の中の問題ということですね。では、もっと分かりやすい例を挙げます。例えば、ピラミッドなどの遺跡を研究した考古学者たちは古代エジプト文明が存在していたという結論に達しましたし、それは今や研究者ではない一般の人々も知るところとなりました。現存する人間のうちだれ一人としてエジプト文明の有様を見たことはありませんが、それはSFや空想小説ではなく、過去現実に起きた実際の出来事だと私たちはみなしているのではないでしょうか。現にピラミッドのような巨大建造物を建設するには優れた建設技術や高度な計算が必要であり、また大勢の人々を動員させるための統治機構も必要なはずです。そのような事柄を考慮した結果、過去にそこにはレベルの高い文明が存在したということを歴史上の事実と私たちはみなしているのです。

それは、恐竜の存在についてもそうです。未だだれも生きている恐竜を見たことはありませんが、それでも発掘される化石などの証拠に基づき、実際に古代に恐竜という大型生物が存在したということを確認できるのです。それはただ人間の想像とか観念の中の問題ではありません。想像の中で起きる空想というのは現存する事実とは関係がなく根拠のない人間の勝手な思いに過ぎませんが、現実の証拠に基づいて推理した結論を実際の物事としてとらえることはよくあることです。

それは人間の起源についても同じことです。太陽系ができ、まだ地球が原始地球だった頃、そこには生物は存在していませんでした。ですから、いつかの時点で生物が存在するようになったことは現実に起きたことであり、空想ではないことは言うまでもありません。しかし問題は、その生物に見られる非常に複雑な仕組みは何を意味しているのかということです。ピラミッドのような巨大建造物を見て高い文明が存在したと結論するのと同じように、生物の複雑な仕組みを見てそれには高い知性の関与が不可欠という結論を出したわけですが、それは事実に基づく推理であり、その推理が正しければの話ですが、それが正しいとすればその結論はやはり現実の物事というふうにみなすことができると思います。

要約すると、「事実に基づいて推理して達した結論は現実のものとみなせる」ということでした。

それにしても、多くの人が「神アレルギー」とでもいうような症状を呈しているように感じます。神のことになると顔色が変わり、いつもと違う思考回路が働くようです。しかし、普通に数学の問題を解く時のように、普通に歴史上の謎を解明していく時のように、普通に物理の実験をする時のように、まっすぐ直球に論理的な思考をすべきだろうと私は思いますが。今回のテーマでも宗教的な根拠を示したことはなく、ただ現実の証拠に基づいて推理していったわけですから、たとえその結論に「神」が出てきたとしても、それを単なる宗教論とするのではなく、きちんとした理性的な理論として扱ってしかるべきだと考えます。

それにしても、「1.神は 人間にとっては・そして人間の能力によっては 存在するとも存在しないとも 証明することは出来ない。」ということでしたが、それが正しいということはどのように証明できるのでしょうか?? ある事柄を正しいと主張するからにはその根拠を示す必要があるということです。さもなければ、それはただ「私はそう思う」という単なる個人の意見に過ぎなくなってしまいます。ただ、bragelonneさんがそのように考え、信じることに反対はしないのですが。

総じて、「○○は△△だから◇◇だ」というような論理的な考え方を奨励したような感じになりましたね。「神」に対して様々な思いがあるとは思いますが、そのような先入観にとらわれず、事実に基づく推理からまっすぐな結論を出すことをお勧めいたします。

お礼日時:2012/06/21 10:27

怒りに任せた私の回答に対して、怒りを持って返答することを思いとどまり、真摯に答えて頂いた事に感謝すると共に、そんな理性的なあなたに敬意を表します。



キリスト教だけでなく、あらゆる宗教に対して、人間の思考停止状態を誘発するという傾向と、それを自分の利益の為に利用しようとする不純な宗教者に、私は怒りを覚えるのです。

さて、

>結論を導く「きちんとした理論」が示されている以上、「聖書という結論が最初にある」という主張は正しくないと考えます。
もしそれが間違っているというのであれば、それに対しきちんと反証しさえすればよいのです。

→「きちんとした理論」ではないと、回答者の皆さんが口をそろえています。私もそう思います。

>反証せずに「あなたは宗教者だから!」というレッテル貼りの非難は公正な論理とは思えません。それともきちんとした反証ができないということ??

→そう考えて頂いても結構です。
はっきり言って、めんどくさいですし、時間の無駄です。
理論に穴がありすぎるので、重箱の隅をつついても、しょうがないです。

「現代の人間には、神の存在を証明することは不可能である」と言うのが私の直感です。
消されてしまいましたが、「人間が作り出した概念に、証明もくそも無い」という意見に完全に同意します。

証明も必要ですが、直感は、意外と正しい物です。
直感とは、山の上から全体を俯瞰して、不自然なところを見つけ出すような方法論です。
対して証明とは、誰が追認してもその通りであると納得する為の方法論です。
あなたの証明に納得している人が、回答者の中に何人いるでしょうか?

尚、心の曇った人の直感は当てになりません。
心のクリアな人の直感には、信憑性があります。
私は、自分を守るための嘘をつくことを極力避けていますし、比較的心がクリアであると自負しています。(自分で書いていて、恥ずかしいですが。)

>nungさんは「宗教者は宗教を盲目的に信じる」と言いつつ、「宗教者が言うことはみんな間違っているに違いない」というような一種の信念を盲目的に信じているかのように私には映ります。その根拠は?? 

聖書が説く愛や道徳など、人間の心理的な部分は、正しいと思いますし、非常に納得できます。
しかし、科学的演繹による客観的な成果よりも、2000年以上前の非科学的な時代の誰かが作った、主観的な作り話を、いつまでも盲目的に信じている人が多いのは、問題だと思います。

今回のあなたの証明は、後者だと思ったのです。(直感ですが。)


さて、本題ですが、私は、元々オカルトは全く信じない質でした。
しかし、10年ほど前に、「人知を超えるものが存在しているとしか考えようがない」という事を、これでもかと言うほど何度も体験させられました。
詳細は省きますが、霊的体験ではありません。
客観的にみて、理論的には証明できない事実を、数多く体験したのです。

その結果、今では、人知を超える物=神は存在するかも知れないと思っています。
また、それに付随して、引き寄せの法則なども、あり得ると思います。

神が無からいきなり、あらゆる動物や人間を生み出したという話は、いくら何でもあり得ません。
(あなたの証明は、これを目指しているのでしょうか?)

しかしながら、生命の発生の瞬間に、神の意志が関与した可能性はあると思います。
また、進化の瞬間に、神の軽微な一押しがあった可能性もあると思います。
あるいは、生物自身の変わりたいという意思が、DNAの変異を無意識的に引き起こした可能性もあると思います。
例えば、女性の胸が、肩こりという不具合があるにもかかわらず、機能上不要な程度にまで大きく進化したのは、その一例ではないでしょうか。
大きな胸を構成する脂肪は、授乳のための機能には全く貢献しないそうです。
男性の好みによる選択の結果かも知れませんが、大きな胸の女性の子孫が選択的淘汰により現代に残ったとは考えにくいです。
猿の胸は、さほど大きくないですから。
日本の女性の胸は、ここ数十年の間に、急速に大きくなっていませんか?
それが、女性自身の意思、あるいは、男性陣の希望に左右されているような気がしてなりません。(単なる直感ですが。)

尚、上記はあくまで可能性であり、証明などできるはずもありません。
あなたは、そんなことを証明しようとするから、理論に無理が生じ、話がおかしくなるのです。

しかし、もしあなたが、無理を承知で神の存在を証明してみせる事により、議論の場を提供するのが目的なのであれば、あなたの意思に敬意を表します。
なかなか、面白い議論でした。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

>キリスト教だけでなく、あらゆる宗教に対して、人間の思考停止状態を誘発するという傾向と、それを自分の利益の為に利用しようとする不純な宗教者に、私は怒りを覚えるのです。

全くそのとおりです。その点は同意します。

>「現代の人間には、神の存在を証明することは不可能である」と言うのが私の直感です。

なるほど、直感ですか。うーん、歴史上そういう人たちはたくさんいたと思います。例えば、邪馬台国のヒミコのようなシャーマンとか。インスピレーションというものでしょうか? それによって導き出された結論が正しいということはどのようにして分かるのでしょうか。それとも直感に対して盲目的に従っているとか??

>>反証せずに「あなたは宗教者だから!」というレッテル貼りの非難は公正な論理とは思えません。それともきちんとした反証ができないということ??→そう考えて頂いても結構です。はっきり言って、めんどくさいですし、時間の無駄です。理論に穴がありすぎるので、重箱の隅をつついても、しょうがないです。

私はその点を残念に思います。「あなたは間違っています」と誰かに言う場合、そう言われた人は「なぜそう思うのですか?」と尋ねて当然でしょう。それに対して、「直感でそう思った」という答えで納得できる人がどれほどいるでしょうか。むしろ、面倒かもしれませんが、「あなたが述べた〇〇の点が△△なので矛盾しているからだ」というようなきちんとした説明が必要になってきます。これは、別に神のことや宗教の議論だけのことではなく、家庭や職場や社会の中でも意見のやりとりがあるわけで、きちんとした説明は当然求められる基本的な事柄です。

すべてを「直感」とすると、人間は「思考停止状態」に陥るというnungさんがまさしく懸念していることが起こってしまうのでは?? 人間が「〇〇は△△だから◇◇だ」と論理的に考え、それを言葉に表わして互いに意見を交換し合うという過程を怠ることこそが「思考停止状態」を生じさせるのでは? ですから、面倒くさいとのことでしたが、そこを押して思考し、それを言葉に表現するという地道な努力を怠らないようお勧めしたいと思います。

お礼日時:2012/06/20 12:17

23番です。

丁寧なお礼を頂戴いたしましたが、
>この一例だけでjbeamさんの反証は無効になるのでは?
との前提条件を変更してのご指摘が気になり再度投稿させて頂きます。

ご質問には、

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>同じように、例えば推理小説の名探偵などが実際に事件を目撃したわけではないのに、現場の状況や遺留品、関係者からの証言などに基づいて推理した結果、あたかもその事件を目撃していたかのようにそれがどのように起きたかを言い当てることができるのではないでしょうか。
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実際の警察の捜査などと言う文章は一行も無く、推理小説を例にとって証明されています。
ところが、お礼では一転して現実の警察捜査が前提条件に変わっています。

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>「>同じように、例えば推理小説の名探偵などが実際・・・・作者が勝手にご都合主義で犯人にしているのですよ。」とのこと。しかし、現実に警察が捜査し、犯人を探し当てるのも、鑑識などから推理していくからなのでは? これは空想上の物事ではなく、実際、そのような推理する能力を用いて人間は問題を解決しているのです。
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前回23番での反証は「小説を例にとっての証明」のご質問に対する内容ですので、前提条件は小説の中ですよ。
前提条件が現実の警察捜査を例にとっての証明なら、当然別の回答になります。

現実の警察捜査が前提の場合は、
物証や客観的事実を積み重ね証言の信憑性を検証しつつ犯罪を立証し送検する訳ですが、実際問題として冤罪がおこるのを防げないのは、警察・検察が推理を間違えた事が原因でしょう。

従って、
人間は目に見えないものを識別する能力を持っている。
では無く
人間は目に見えないものを識別する能力を持っているが、正しい識別をしているとは限らない。でしょ
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

私は、jbeamさんが「推理小説の中の話は空想上のものだ」と言ったので、「しかし、それと同じようなことを現実に警察などが行なっていますよね」というふうに言い変えたにすぎません。実際、両者はフィクションかノンフィクションかの違いで基本的に同じ種類のものでしょう?

「従って、人間は目に見えないものを識別する能力を持っている。では無く人間は目に見えないものを識別する能力を持っているが、正しい識別をしているとは限らない。でしょ」とのこと。ということは、確かにいつも正しく識別できるとは限らないが、という条件付きで、やはり人間は目に見えないものを識別する能力を持っているということが言えるということでは?方法や手順などさえ誤らなければ人間は正しく推理し正しい答えを見出すことができます。そうではないでしょうか。それで、そうなるとどうなりますか?? 

お礼日時:2012/06/20 11:05

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