プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

削除されたので再度質問します。利用規約違反があったとのこと。以後気を付けます。以前回答してくださった方々、申し訳ありません。

それで、改めて質問します。

神の存在を証明できる方いらっしゃいますか。
あるいは存在しないことを証明できる方でも結構です。
よければ、その理論をお教えください。

そして、下に私の見解を記します。よければ、これに関するご意見もお聞かせ願います。

--------------------------

神の存在を証明できるか?

   「できる」と私は考えます。ここで言う「神」とは、キリスト教的な神のことで、当然人間の目には見えません。それなのに、なぜ見えない神の存在を証明できると言えるのでしょうか。その根拠は大きく分けて以下の2つです。

   (1)人間は目に見えないものを識別する能力を持っている。
   (2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる。

--------------------------

(1)人間は目に見えないものを識別する能力を持っている。

   例えば、「1、2、○、4、5・・・」という虫食い問題の○で隠されているのは当然「3」ですね。しかし、なぜ○で隠されて見えない「3」が分かったのでしょうか。要するに、見えている数字の並びとの相互関係から推理した結果それが分かったというわけです。

   同じように、例えば推理小説の名探偵などが実際に事件を目撃したわけではないのに、現場の状況や遺留品、関係者からの証言などに基づいて推理した結果、あたかもその事件を目撃していたかのようにそれがどのように起きたかを言い当てることができるのではないでしょうか。

     このように人間は見えないものでもその存在を識別する能力を持っているということが確認できました。ですから、「神は目に見えないから信じることができない」という論理は人間の能力からすれば当てはまらないということができるでしょう。

   では、以上を踏まえて、次に、(2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる、という点についてご説明しましょう。

--------------------------

(2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる。(その1)

   上で証明したように、人間には「見えないものでも推理によってその存在を識別する能力」を持っているということでした。ではその能力を使って、見えない神の存在を識別できないものでしょうか?

   私がここで言う「神」とは、キリスト教の唯一神で、万物の創造者のことです。聖書によると、存在するすべてのものはこの創造者によって造られました。つまり、宇宙も地球もその中にある動植物、そして人間も神が造ったということです。

   もしそれが事実なら、そのような神が造ったもの(被造物)を観察する時、見えない神が存在することを識別する手がかりを得ることができるはずです。

   では、それらの被造物を人間と比較してみましょう。

   まず、人間以上に大きいものは存在しますか。はい、当然存在します。例えば大型動物がそうですし、もっとスケールを大きくすれば地球も太陽もさらには大宇宙もあり、それらと比較するとき人間の存在の小ささを実感せずにはいられません。

   また、人間以上に強い力が存在しますか。それも存在します。台風や地震や火山、さらには太陽の核エネルギーなど挙げればきりがありません。

   では、次の質問はどうでしょうか。人間以上に賢いものが存在しますか。さて、その点どう思われますか。人間は地球上で最も賢い生物だと考えていますし、実際そうなのですが、しかし多くの研究者たちが様々な分野の研究をしてきたにもかかわらず、現実には人間の知性では到底及びもしない高い領域(人間ではまだ理解できていないこと)が存在することがいよいよ明白になってきました。

   あなたは人間にはまだ「未知の領域」があることを認めることができますか? 次に、その具体例を考慮してみましょう。

--------------------------

(2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる。(その2)


   人間ではまだ及ばない「未知の領域」について、その具体例を考慮してみましょう。

   例えば、鳥は人間が飛行機を発明するよりもはるか大昔から空を飛んでいました。ライト兄弟が飛行機を実用化するまでにどれだけ多くの人が苦労して「空を飛ぶ」ための研究をし、また失敗を繰り返してきたかを考えてみてください。

   重力のある地球上で空を自由に飛行するということは実際には並大抵のことではないということです。それには綿密に計算された飛行設計が必須であり、それなくしてどのように空を飛ぶことができるでしょうか。

   にもかかわらず、鳥は当たり前のように空を飛んでいます。人間の研究者たちは鳥の体の構造などについても研究を深めてきました。内臓の軽量化、骨の構造、羽毛のしくみなど飛行のための工夫が施されていることに彼らは驚きました。

   では、そのような鳥の飛行設計や工夫を鳥自身が考えて設計し、製作したのでしょうか。そんなことはあり得ません。では、どうしてそのような人間でも驚くべき綿密な飛行設計や工夫が施されているのですか。

   それは、人間よりも高い知性を持つもの(そのような設計・製作ができる者)が実在するということを意味しているのではないでしょうか。そのような設計・製作者なしでどのようにしてこのような高度な飛行技術が実用化され得るのでしょうか。

--------------------------

結論

   被造物(例えば地球上の動植物など)には人間以上の知性が見られるという事実から、
   (1)被造物は綿密に設計され、製作された、ということが分かり、

   さらに、(1)に基づいて、
   (2)被造物を設計・製作した者、つまり創造者が実在する、

   ということが推理できる、または証明できるのです。

   しかも、それには人間にとってもっと重要な意味があります。例えば、人が何かを作る時それには何らかの目的があるはずです。同じように創造者が何かを造る時それには目的があったはずです。つまり、それは神が目的をもって私たち人間を造ったということを意味しています。

   ということは、「なぜ自分は存在しているのか」、「人生の目的は何なのか」などという古今東西の人々が考え続けてきた疑問の答えを創造者は知っているということになります。ですから、神(創造者)が存在するかどうか、または人間が神から造られたかどうかは、私たちの人生観をも左右させるほど重大なテーマであることがお分かりでしょう。

A 回答 (57件中41~50件)

No.9です。



>しかし、前提となる「神の存在を証明できた人はいない」ということが事実であることはどのようにして確認または証明できるのでしょうか。単なる思い込み??

「悪魔の証明」をご存じではないようですね。
「起きないこと」や「存在しないこと」を証明することは困難です。なぜなら、「ある(存在する、起きる)」ことを証明するためには一例を挙げれば良いだけなのですが、「ない(存在しない、起きない)」ことを証明するためには、世の中の森羅万象を調べ尽くさなければならず、それは不可能に近いからです。

ゆえに、議論の一般的ルールとして、「ある」と主張した者が、それを先に証明しなければならないという暗黙の了解があります。

ですから、「神の存在を証明できた人がいる」ことを先に証明して下さい。
と言っても、出来るはずがありません。
仮に、そんな人がいるとすれば、神の実在は、とっくの昔に周知の事実となっているはずです。

>「あなたがそれに該当する確率は、0%」ということですが、私の見解に対する反証なしで否定するのはいかがなものでしょうか。

反証は他の方が既に充分されていますので、私は別の切り口で証明してみました。
ただし、私は神の存在についての証明をしたつもりはありません。
あくまで、「あなたが証明できていない」事を、全世界に周知の事実から推測したのです。

あなたと同じ、虫食いの方法で。

しかし、あなた自身が、お釈迦様やイエスキリストを超える存在であると証明できるなら、あなたの神の証明を信じます。
神の存在を証明するとは、それほどの事ではないでしょうか。

尚、私は、神の存在を否定しているわけではありません。
実を言うと、私は全知全能の存在を半分くらい信じかけていますが、それは、キリスト教だけでなく、全ての宗教、全ての人類、全ての宇宙の知的生命体を包括するような神です。
キリスト教だけの神として限定されるような、狭量な神であれば、それは全知全能の神ではありえません。
ましてや、怒りにまかせて、特定の個人や民族を罰するような神は、もってのほかです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

「「起きないこと」や「存在しないこと」を証明することは困難です。」とのこと。ということは、やはり「神の存在を証明できた人はいない」という断言はできないということになるのではないでしょうか。

「議論の一般的ルールとして、「ある」と主張した者が、それを先に証明しなければならないという暗黙の了解があります。」とのこと。それで、今回私の見解をその証明として挙げておいたのですが・・・。その一般ルールに従えば、「証明はできない」と主張する人は「証明できる」と主張する人の見解をまず聞く必要があることにもなりますね。

「ですから、「神の存在を証明できた人がいる」ことを先に証明して下さい。と言っても、出来るはずがありません。」とのこと。「出来るはずがありません」というのは、最初に述べたようにやはり断言できないのでは?? 

「仮に、そんな人がいるとすれば、神の実在は、とっくの昔に周知の事実となっているはずです。」とのこと。実際には、神の存在は多くの人に知られています。世界中でもどれほど多くの人が神に信仰を持っているかはご存知でしょう。

「あくまで、「あなたが証明できていない」事を、全世界に周知の事実から推測したのです。・・・しかし、あなた自身が、お釈迦様やイエスキリストを超える存在であると証明できるなら、あなたの神の証明を信じます。」とのこと。実際には、ここで私が提示した証明は何も私独自のまた私が世界で初めて提唱した理論ではありません。人間が神によって造られたという「創造論」は昔からあり、今回の私の証明はそれを支持する典型的な証明の一種に過ぎません。しかし、そのような理論が世の中にあったとしても神を信じない人もいますので・・・。

しかし、nungさんは全知全能の存在を半分くらいは信じかけているとのこと。私はその根拠となる部分について質問したつもりでした。半分くらいとはいえ、やはり何か根拠があってのことなのでしょう? 私はそこのところをもう少し掘り下げてみて欲しかったです。このテーマは本当に一考に価するものだと思いますよ。挑戦してみるのはいかがですか。

お礼日時:2012/06/19 12:59

#13の者です。



>それが事実であることはどのように証明されているのでしょうか

証明ではなく、観察されています。
ビッグバンから水素が生まれ(水素が放つ固有の輻射の観測)、
星間ガスのうち運動量の小さい部分が重力収縮して巨大な星が
生まれ(百億光年以上彼方(=百億年以上前)にのみ発見される
天体・クェーサー)、次に運動量の大きい部分が徐々に運動量を
角運動量(回転)に変換しつつ円盤状に収縮して渦状銀河が
できました(遠くは昔だから、直接昔を観測できる)。

生物的には、堆積した地層に発見される化石だけでなく、
地球の全ての生物が同じ遺伝暗号(情報保存用のDNA配列を
機能を持つタンパク質を構成するアミノ酸に変換するコード)を
使っている事、各生物種の遺伝子を比較すると、種分化しな
がらそれぞれの系統で徐々に突然変異を蓄積していく事から、
種分化の系統樹が描ける事など(人類の遺伝子にも古代の
生物だった時のもので今は使われなくなった遺伝子がたくさん
残っている(今、実際に使っているのはDNAの全長の3%))、
進化の証拠は山ほどあります(あなたの骨盤にも尻尾の痕跡
があるし)。

ただ、信仰を持ち続けたければ、上記のような事実にも色んな
理由をつけて、否定する事はできます。
ただ、私にはそれは物事を無理に曲解するように感じられる
だけです(それも、より多くの事実を知れば知るほど)。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

「地球の全ての生物が同じ遺伝暗号を・・・使っている」とのことで、それが事実であることには同意します。しかし、「種分化しながらそれぞれの系統で徐々に突然変異を蓄積していく事から、種分化の系統樹が描ける」という点ですが、要するに「突然変異の蓄積」により種の分化が起きたということですね。

動物の種によって染色体の数が違うことはご存知だと思います。人間の染色体は46本、チンパンジーは48本とのことです。それで、例えばすでに染色体48本で生まれた動物が途中から46本になる(体中のすべての細胞が)ということは考えにくいので、多分、例えば48本の親が46本の子を産むというようなことを想定しているのかと思います。確かに種の枠内での突然変異が実際に生じることは確認されていますが、親とは違う数の染色体を持つ子を産むというほどの突然変異が本当に生じ得るのでしょうか。あるとすれば、どのように?

それから、進化論の決定的な問題点は、それが理論の段階に留まっているという点です。科学では、まず仮定となる理論を打ち立て、それを実験によって検証しなければ真に科学的な理論とは言えません。進化論は最初に生命が自然発生したという見解です。実際、ある科学者たちはそれを実験室で再現しようと試みたとのことですが、彼らは生命を生じさせることができませんでした。科学者が意図的に考えうる有利な条件を設定してもそれができなかったという事実は、偶然に生命が発生することがないということを逆に証明するものにさえなるでしょう。ですから、生命の自然発生は未だ理論の段階にあり、未だ実験による検証はできていないということです。

ですから、進化を真実とにみなすにはもっと説得力のある論拠が必要であると考えます。これは「曲解」ではなく、当然起こるべくして起きる疑問点であり、それを解決していく過程を経て私たちは本当の真実に到達できるはずです。ですから、自分とは違う見解を無条件に排他するのではなく、ある理論に同意できない場合でも、その理論をきちんを論駁するという丁寧な過程を怠ることがないようにお勧めします。

しかし、見解は違うとはいえ、psytexさんのようによく調査し、物事を深く考えるその思考の仕方には賛同します。今回のようなテーマをまじめに考慮するというだけでも賞賛に値すると私は考えています。

お礼日時:2012/06/19 11:36

鳥は歩けなかったから翼を与えられたのですよ、しかし深いですね~、質問者の方は議論が好きなのでしょうか?しかしお礼文を読んでるとそんなに堅物でも押し付けがましくもなさそうですね、中世の絵画は宗教心で描いていましたよね、神の描き方はそれぞれでも、存在しているかのように描かれて、それを見る度に何か言葉では表現できないもの、何でしょうかね?ただ人々を救ってきた存在でもありますね。

あまりにも偉大過ぎて証明までは考えることにも及ばなかったのですが、哲学にも思想学にも正しい回答はないですからね、私が言いたかったのは自分の中に神の存在を証明できると言うことです、否定など絶対にできないですよ、とても面白かったですよ。私がお礼を言いたいです、回答になってもないような回答に真面目にお礼をありがとうございました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

「えー、鳥って歩けない(かった?)んですか??」というツッコミはさておき、議論好きか?とのこと。建設的な議論・討論なら得るところがあると考えています。特に、回答者の皆さんが今回のようなテーマをまじめに考えること自体賞賛に値すると考えます。

私は、各人が様々な考えを持っていてよいと考えています。しかし、大した根拠もないのに様々なものを簡単に否定し、退けるという人々が多いことを悲しく思っています。「神などいない」というのがその筆頭格と言えます。

私は真実を真実であると認めることに努めたいと考えていますが、人間は往々にしてたとえ真実であっても自分の信じていることに反することや自分にとって不都合なことであれば無条件に退けるという愚を犯しがちです。

例えば、ナチス・ドイツがそうです。ドイツはキリスト教国なので、「神の前に人間はみな平等である」という聖書の教えを知っていたことでしょう。そして、それは確かに真実だと思います。しかし、ナチスは自分たちの思想のゆえにその真実を無視して、裁判にかけることすらせず無条件にユダヤ人を虐殺しました。彼らの考えは「我々に反するもの、都合の悪いものは有無を言わさず排除せよ」というものだったと言えるでしょう。

これは、各個人でも起き得ることです。神を信じない人たちが「神は存在する」と誰かが言う時に、それを無条件に排他することはよくあることです。確かに世の中には退けるベものがあることは事実ですが、あるもの、ある考えを退けるからにはそれに値する確かな根拠が必要であると思います。大した根拠もなく単なる好き嫌いで、あるもの、ある考えを無条件に(反駁することなく)排他するなら、極端に走った場合、最悪ナチスのようになりかねません。

しかし、建設的な議論・討論はその過程で、自分の世界観を広げてくれます。自分では考えもしなかったような見解を他の人は持っており、それから刺激を受けるからです。isaberiさんのご意見も参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/19 10:28

 こんにちは。



 ★ ~~~~
 結論

   被造物(例えば地球上の動植物など)には人間以上の知性が見られるという事実から、
   (1)被造物は綿密に設計され、製作された、ということが分かり、

   さらに、(1)に基づいて、
   (2)被造物を設計・製作した者、つまり創造者が実在する、

   ということが推理できる、または証明できるのです。
 ~~~~~~

 このご議論は 《被造物と創造者との関係》つまり《いまのこの経験世界は 何ものかによって造られたということ》を 推理したことを示しています。しかもこの《創造者》は この経験世界に属している者ではないようです。つまり その推理は 想像です。

 言いかえると われわれ人間の《想像》の中で《創造ないし被創造》が想定されるという考えを述べたものです。それが 神であるとやはり推理することまでは 自由に出来ますが そのとおりであるかどうかは 分かりません。
 あるいは もっとその推理の側にすり寄って見るならば その《創造・被創造の関係》がもし正しいとすれば ではその正しいと判断した概念内容(また 創造という事実関係)だけに 神は限定されるのか? という問題が残ります。

 この残った問題は どうするのか?
 その扱い方または扱った結果によって また《創造》の仮説がくつがえるかも知れません。神の全体について把握するという課題が残っているからです。


 単純に言って 例のモノを扱う理論があります。
 端的に言って このモノが 自己運動を起こしてその結果として・またつねなる過程として 《綿密に設計され製作された》と見られる現象や存在物があると言うのも ひとつの推理です。
 あるいは このモノはそれより大きい生命によってつつまれ この生命の持つチカラによってモノはあたかも自己運動を繰り広げるといった推理も持ち得ましょう。
 これは 《創造と被創造の関係》という見方と微妙に違うはずです。

 そのようにこのように 神は 人間の思考や推理や想像などなどの能力を超えている(それらによって規定され得ない)というかたちで捉え得るのではないでしょうか。人間の側からなされるいろんな想像や推理を それらが妥当であるかぎりで 許容するものと思われます。

 そして このように捉えた内容――つまりいくらかは 全体観に立とうとした結果としての内容――も じつは ただのまぼろしであるかも分かりません。言いかえると 神は 人間がそのような言葉をもって想定しているナゾの何ものかだと捉えられます。

 この《まぼろしなる想定》説に立てば 神の存在を《証明する》という見方は 出て来ません。証明しなければならないものとは見ていないからです。
 もし証明できたとしても それはおそらく神の一部分であろうと考えられます。この一部分を神〔の全体〕だと見なすことから生じ得るマチガイのほうが 問題だと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

確か、「神は非知」というご見解の方でしたね。再度のご回答ありがとうございます。

ここで言う「神」とは万物を造った創造主のことですが、決してその存在は想像の領域にあるというわけではないと思います。

というのも、実際に、鳥を例として挙げたように、驚くべき複雑な仕組みを持つものが実際に存在しているからです。その存在は事実であり、空想ではないことは当然ですが、では、それが一体どのようにして存在するようになったのかというのが大切な点です。

そのような動植物に見られる複雑な仕組みの背後には高度な知性が関係していることは明らかです。さもなければ、それらはどのように存在するようになったのでしょうか。

進化論という考え方ももちろんありますが、そのような複雑な仕組みを持つものが偶然に自然発生したとの見解です。もし、そのような複雑なものが自然に発生し得るのであれば、もっと簡単な例えば紙飛行機なども自然発生し得るという論理も成り立ちます。果たして何億年経てば紙飛行機が自然発生するのでしょうか。

それで、動植物という実際に存在しているものの起源を探究する時、それを設計・製作した者の存在が浮き彫りになるのであり、それは想像上の問題ではありません。

もちろん、ここで述べた理論だけで神の全体については語ることはできないということには同意します。しかし、動植物、またに人間を造った創造者がおり、人々はその存在を「神」と呼んできたということは十分説明できると思います。

お礼日時:2012/06/19 09:26

「目に見える物から、目に見えないものも推察できる」という


話から、「綿密に計画されているから造物主がいる」という
結論には、大きな飛躍があります。
その「綿密に計画されたもの」が、137億年の進化において
徐々に階層現象化し、組織化されたものである(計画者に
よって一気に誕生したものではない)事が明らかとなっている
以上、そこに(事前に計画しながらなぜか137億年もかかった
のろまな)造物主を介入させるには、もっと具体的な理論が
必要です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

No.6の回答者の方と同じようなご見解ですね。

しかし、「137億年の進化において徐々に階層現象化し、組織化されたものである・・・事が明らかとなっている以上・・・」ということですが、それが事実であることはどのように証明されているのでしょうか。科学者がそう言っているからというだけですか??

その他のことはNo.6のお礼をご覧ください。ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/18 16:35

自ら救いを求めざる賢明なものは~と言う言葉を聴いたことがある、人間を総合的にまとめたり考えたりすることはできないんです、あなたのような方に回答を出せるのは宗教か偉大な芸術かでは?自分の存在価値に何でそんな歴史を遡ってまで神を考えるのか分からないが、実存しているもの、相対するものを現実視し、(してると思うが)認識して、最初に考えたり取った行動が自分の存在価値にもつながると思いますよ。

それは今、目の前にあるものすべてではないの?神の存在価値より自分を見つけること、見つかった時に分かるのではないですか。もう見つけた上での質問だとしても。答えは自分の中にあって、自分で見出ださないといつまでたっても答えは出ないと思いますよ。真実はなく解釈と見解で成り立っている、ニーチェでしたか?まさにその通りですよ、質問文は長すぎて良く読んでないです
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「自分の存在価値に何でそんな歴史を遡ってまで神を考えるのか分からないが」とのことですが、いや実はこれは大変重要なことだと思います。

というのも、人間が進化によって生じたか、神によって造られたか、その答えによっては人生観がまるで変わってくるからです。進化を信じる人の中には(もちろん全員ではない)「適者生存」を根拠に侵略戦争も支持する人もいるかもしれません。また、神を信じる人の中には逆に兵役拒否する人もいます。

ですから、今回のテーマは一考に価するものだと思います。しかし、isaberiさんのおっしゃるとおり、現実世界の身近な周りの物事についても大切にしたいと思います。灯台元暗しではいけませんからね。

お礼日時:2012/06/18 16:28

三毛猫です。


わたしが キリスト教の神とはなにか

キリスト教の神を越えるものはなにか

の質問にたっています 御参考に

眠りネコさん
ここでも名解答を

この方 仏教にも詳しく。

神とはなにか
それは スタ-トレック風にゆうと

宇宙一の全知全能の知的生命体です。

ワープ エンジン全開
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

確かに、神は全知全能だということに同意します。しかし、よければどっか変なところに突然ワープしたりしないようお気を付けください。

お礼日時:2012/06/18 16:18

インターネットの場合と同じ様に、


生命の連鎖の維持にも管理者が必要になっていないでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど。うーん。では、こうならどうでしょう。

インターネットにも製作者が必要であるのと同じように、生命の存在にも製作者が必要でしょう? それとも、インターネットはひとりでにできたとか??

お礼日時:2012/06/18 16:15

生存中の人類70億人の中で、神の存在を証明できた人はいない。


いれば、ノーベル賞ものである。
あなたがそれに該当する確率は、0%である。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

しかし、前提となる「神の存在を証明できた人はいない」ということが事実であることはどのようにして確認または証明できるのでしょうか。単なる思い込み??

「あなたがそれに該当する確率は、0%」ということですが、私の見解に対する反証なしで否定するのはいかがなものでしょうか。

お礼日時:2012/06/18 16:12

こんばんはです。





☆☆☆
質問でお示しになっている神の存在証明は、まったく証明になっていません。

(1)人間は目に見えないものを識別する能力を持っている。
例えば、「1、2、○、4、5・・・」という虫食い問題の○で隠されているのは当然「3」ですね。

「1、2、○、4、5・・・」という虫食い問題の中に既に○の存在が仮定されているからです。
もとになる自然数という集合の存在と、○の存在を仮定しているのだから、これでは証明になりません。
その仮定のもとでは、○が3であることを推測したと言っているだけです。



(2)目に見える物事から見えない神の存在を証明できる。(その2)
.....
 それは、人間よりも高い知性を持つもの(そのような設計・製作ができる者)が実在するということを意味しているのではないでしょうか。そのような設計・製作者なしでどのようにしてこのような高度な飛行技術が実用化され得るのでしょうか。

鳥が空を飛べるということと、人間よりも高い知性を持つもの(設計・製作者)が実在するということは、論理的にはまったく関係のないことです。大きな《論理飛躍》があります。
これが成立するには、「人間には作れないものは神が作った」といったような前提が必要です。
つまり、(1)の証明と同じように、問題の中に○の存在が織り込まれていることになります。
創造者をすでに仮定しています。


ということです。

ちょっと厳しいですかね、ポリポリ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど、いい考え方ですね。私も同じく思考してみます。

ところで、NemurinekoNyaさんは「創造者をすでに仮定しています」と仮定して私の論理を否定しているようです。「どうせ、神がいるって言いたいんでしょう? でも神なんていないんだから、どんな論理を唱えても無理があるとしかいいようがない」というところでしょうか。しかし、「神がいない」というその前提が事実であることはどのように証明されているのでしょうか。ただそう思っているだけとか??

それに、私は「創造者を仮定している」のではありません。鳥のような実用化された高度な飛行体が存在するという事実から、それがどのようにして存在するのようになったのかを推理し、飛行機でさえも設計・製作者が必要なのだから、鳥にも設計・製作者が必要なはずだ、という結論を引き出したのです。ただ、その設計・製作者のことを創造者である神と呼んでいる過ぎません。

でも、こういう議論を通して私は何がしか得るものがあると感じており、NemurinekoNyaさんのご意見も大変刺激になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2012/06/18 16:05

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!