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大学で初めて哲学を学んでいるのですが、難しい言葉が多く、書いてある内容もさっぱりわかりません。

 全くの初心者が理解していくにはどうすればいいのでしょうか?今は、ただ読んでいるだけの状況です。

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A 回答 (16件中1~10件)

出来るだけ身近なものや身近な言葉に置き換えるといいですよ。


むしろ、置き換える事自体に、かなりの思考力が必要となります。

ソクラテスさんの有名な「無知の知」だって、
「オレってこんなに知らなかった(分かってなかった)のかー!!」って事で、
こんな経験は誰しもが一度はしている事かと思います。
それが難しい言葉になってしまうのは、思索の経過を簡潔にすると、そうなってしまうからです。
あなたが子供の頃に驚きと共に発見したものを、論文形式にすれば、きっと同じ様に小難しい形になるでしょう。

昔の人も現代の人も同じ人間、「そうか!!」と目からウロコな発見を、喜ぶ気持ちも「聞いて聞いて!」という気持ちも、何も変わってはいません。

身近なものに置き換えるコツを掴めば、マンガを読んでても哲学出来るし、すぐ傍にソクラテスさんやアリストテレスさんを見出す事も出来ます。
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哲学が選択科目でしたら止めた方が良いのではないでしょうか。


哲学を専門にされている方からは、お叱りを受けるかもしれませんが普通の者の受けた感じを記します。

工学系統でしたが、何か知的な匂いがして哲学も選択してみました。
カントの純粋理性批判のテキストを使った講義でした。
今から考えると色々な言葉についてその分野の関係者には解りそうな定義をして、その間の関係を色々と説明したり問題提起をされたり等といったような内容だったと思いますが、全く理解で出来ませんでした。
殆ど頭に残っていませんし、他の学問を学ぶのに役に立った事もありません。

哲学を学ぶ時間をもっと他の事に使われたら如何ですか。

ヒルティの "眠れない夜のために" や "幸福論" 等でしたら一般人にも役に立ちそうですが。

その他次のサイトを少し眺めてみられたら、或いは参考になる事が見つかるかも知れません。
http://www.aozora.gr.jp/
http://yozora.kazumi386.org/ndc1.html
青空文庫 分野別リスト 哲学
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 たしかに、わからないのも無理からぬことです。


 例えば、現象学で言う“志向性”
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E5%90%91% …
 こんなの読んだって、わかりませんよ。奴らは「わざと難しく表現してるんだ!」と疑いたくなります。それは、抽象的な言葉をいくら並べても、頭にイメージが湧かないからです。奴らはもっと具体的な何かを見て疑問に感じ、それを汎用性のある抽象的な言葉で表現したのです。
    http://homepage3.nifty.com/bunmao/0310.htm
 まだ、こっちの方が“志向性”の説明としては、わかりやすいと思います。
 もっと、“本音”で解説した本を探すべきなのです。卑近な具体例を出すべきなのです。
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哲学を理解するには、知識と視点と考察が必要だと思います。



この場合、知識は哲学の知識ではなく
言葉の知識と文章を理解する力、つまりは国語力です。

視点は多角的に視ることが必要で
捉え方や思考の出発点をどこにすえていくかに使います。

考察は、物事を明らかにするために、十分に考えること。


知識と視点を持ち、それを考察して哲学が成り立ちます。
3つの内のどれか、もしくは複数が弱ければ理解度が落ちます。

ご自分が弱いと思う所を強化されてはいかがでしょうか(^^)
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時間が流れるとはどういう事か?とかそういうのは僕も大嫌いです


人はいかにして自己のアイデンティティを確立するのか?とかは比較的理解しやすいテーマのように思います
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大学レベルで教える哲学は歴史研究だよ。


昔の人はこんなに馬鹿だった。
そんな馬鹿を学ぶのだよ。
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小中学校の遠足じゃあるまいし


まずどこに行く予定なのか
目的地をはっきりわからせておくべきです
知るべきです

目的地がわからないから
バスから見える
窓の景色だけを眺めていることになるのです

目的地がわかっていれば
どこの道を通っているのかが
わかってくるはずです
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 こんにちは。



 ★ 哲学が分からない
 ☆ って だったら 人生や社会は分かるのですか? 他人(ひと)や自分については分かるのですか?

 分かるのでしたら それが 哲学の知識であり知恵です。

 それを伸ばし深めて行くだけです。

 長く生きていれば 伸ばせると言いますか 広げることは出来ましょう。

 深めるには 深めるように考えた人たちの成果を読んでまなびます。

 自分に合うものを手当たり次第探してみるとよいでしょう。

 合っていないと思ったら 片っ端から打っ棄っておいてください。

 どこかで見つかりましょう。
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まず、哲学史を知りたいのか、自ら哲学をしたいのか、それを決めるのが先決だと思いますよ。

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>さっぱりわかりません



それは当然です。
わからない事をわかるようにして行くのが哲学です。
分かる事だけで、現状の意識をそのまま肯定する
ような文章は、エッセイや詩作です。
「自分の分からない事を知りたい」というのが哲学の
原動力ですから、好奇心の範囲(読んで面白い)で
食いつけば良いのです。
それが哲学の範囲の書籍にないのなら、あなたは
自分の考えを惰性的に保ちたいのであり、あなたに
哲学は必要ないという事です。
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Q哲学科で勉強することって???

高校を卒業したら大学に進学しようと思っている高校2年生です☆☆
どの学部に進学しようか迷っているときに、哲学科がある大学があることを知りました。
哲学に興味があったので、そういう学科で勉強したらおもしろいんじゃないかなって思ったんです。
でも、哲学科という学科があるということを知っているだけで、どういうことを勉強しているのかを全く知りません。
そこで!!哲学科に通う学生さん、もしくは哲学科で何を勉強するのかを知っている人はぜひ教えてください!!!!
自分でも大学のパンフなどで調べたのですが、より詳しい情報とかもお願いします!!

Aベストアンサー

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれば、専門的なことを
話す講師もいます。

ですので私が大学に進学するときには、自分の学びたい教授のいる大学に進むものがいました。

一口に哲学といっても意味合いが広すぎます。
それは古代ギリシアの自然哲学者たちが「なぜ」と考えること自信を学問とし、
その考えることを「知を愛する」ことである「philosophy」と名づけました。
その思考することである学問から、数学や音楽、天文学などが生まれ、哲学は
「万学の女王」と呼ばれています。

しかし、現在、哲学も細分化され、皆さんの言われている分野が主な研究対象となっています。
形而上学や、科学哲学といっても、一般の人には全然ぴんと来ないでしょう。
ここでそれを語ろうとすると、はっきり言ってきりがありません。
哲学とは定義づけすることの難しい学問ですから、その領域もとても広いのです。
また幾多の哲学者もさまざまな謎を出し、疑問に答え、論理を導き出しています。
その考えを知るだけで、途方もない時間が必要です。

抽象的なことばっかり言っていますが、これが「哲学とは何か」に対する答えだと思ってください。
しかし、あまり漠然とした答えでは何の参考ともなりませんので、さわりを少しだけ。


この世になぜものが存在するのか、そしてそのことを人間はなぜ認識するのか、どうやって認識しているのか。
また、目に見えないもの(神・真理・無限・絶対・永遠)は存在するのか。
有と無の関係。世界はどういう原理で作られているのか。 
そして、人はなぜ生まれてきたのか、どうやって生きていくべきなのか。


と、大雑把ではありますが、こういうことを考える学問です。
以上のものは主に古代哲学からの疑問ですが、現代では、
論理学や科学、数学なども絡み、さらに難解です!
その論文などは日本語で書かれていても、とても日本語とは思えません。
はっきり言って、実際学ばないとわからないと思います。
明確な答えが出ない物事を、真剣に思考するという、恐ろしい学問です。

1・2年の一般教育では、主に「哲学史」「哲学者の考え」を聞くこととなるでしょう。
そして、3・4年で、専門的な事を学び、自分の納得のいく答えを探すこととなります。


ただ、卒業したら社会の中、実生活では、正直役に立ちません。
ですので、#2さんの言われるとうり、変な人が多いのが特徴です。
もちろん普通の人もいますが、他の学科と比べてやっぱり・・・

よく哲学は「ごみの山」だと言われます。
ぜんぜん役に立つものはないのですが、その中に、ひょっとすると、
すごい宝があるのかもしれないと・・・

あなたは、哲学に興味がある時点で、かなり変わった人です。
ぜひ、そのまま哲学科へと進み、その生き方、考え方に磨きをかけてください!

まだ言いたいことは山ほどあるのですが、きりがありませんので、これくらいで。


最後に、哲学がいかに現実離れしているかの実例としてよく引き合いに出される
哲学の開祖タレスの2つの逸話で〆たいと思います。

「あるときタレスは天体観測のため空を見つめて歩き、熱中のあまり前方の井戸に気づかず落ちてしまった。この事件について、足元のこともわからないのに天のことばかり知りたがるのは滑稽だとトラキア人の女奴隷に笑われた。」

                        プラトン 『テアイトス』

「タレスが貧乏であったことから、世人が哲学などは生活に何の役にも立たないと
非難したところ、彼はその天文学の知識からその年のオリーブの豊作を察知し、
早いうちにミレトス中の搾油機を安く借り集め、時期が来て人々が必要としたとき
高く貸して大もうけした。」

                       アリストテレス  『政治学』  

おはようございます。
私は哲学科を卒業した者です。
皆さんが言われているとうりです。
大学によりますし、また、講師によってもかなり違ってきます。
つまり、高校までの授業とは違い、大学になると学ぶ分野が細分化されて、
学生が自分で学びたい科目を選択してゆくことになります。とくに3・4年ではそれが顕著になってきます。
教授たち自信、自分が研究している分野があって、その分野に強いわけですから、その分野のことを講義してきます。
もちろん人によりけりで、一般的なことを話す講師もいれ...続きを読む

Q教職に就かない人の教員免許の必要性について

来年度大学卒業予定ですが、教員免許を取得するか辞めるか決断を迫られています。(提出物の関係で)
これまで教員免許の取得を目指して来ました。
教員になるつもりはなく、卒業に必要なわけでもなく、取れるものは取っとけという気持ちからです。

大学の教授や教職関係のスタッフからは、「なるつもりがないならやめた方がいい」という意味のことをよく言われます。教員になりたくてそれを最優先できる人こそ受けるべき、就職したいならそれを優先させるべきだと。
友達も、教員になる気のない人は次々とやめていき、そういう人で取っている人はほとんどいません。
一方、親世代は「取れるものは取っとけ」みたいな感覚があるようで…。
気持ちとしてはやめたい方向に傾いています。
10年経つと失効しますし、今後やりたいことや人生計画(笑)を考えると、10年以内に教職に就くとも思えません。
資格なら他に取りたいものもたくさんあります。
あまり良いことではないと思いますが、建前上でも「教員になる!」という意志を表明すれば実習も免許の取得も許されはするみたいです。ただそこまでして取りたい気もしません。

現代において、教員にならなくても教員免許を持っていた方が有利な場面ってあるのでしょうか。
もしそういう場合があり、必要性を感じられたら続けたいとも思っています。

来年度大学卒業予定ですが、教員免許を取得するか辞めるか決断を迫られています。(提出物の関係で)
これまで教員免許の取得を目指して来ました。
教員になるつもりはなく、卒業に必要なわけでもなく、取れるものは取っとけという気持ちからです。

大学の教授や教職関係のスタッフからは、「なるつもりがないならやめた方がいい」という意味のことをよく言われます。教員になりたくてそれを最優先できる人こそ受けるべき、就職したいならそれを優先させるべきだと。
友達も、教員になる気のない人は次々とやめてい...続きを読む

Aベストアンサー

元大学関係者です。みなさんが書かれていることについてですが、No6さんの
おっしゃっていることが全てです。

以前は教員免許は取得すればそのまま有効だったのですが、現在では10年た
てば失効します。失効を防ぐためには免許状の更新講習を受けなければなりま
せん。これは前の安倍内閣のときに改正されました。この更新講習は普通は5
日間、大学等の所定機関において講習を受けなければなりません。当然費用も
自己負担です。

それに受講対象者が限られています。普通運転免許状のように免許をもってい
るものが全て受けられるわけではありません。受講対象者は下記の通りです。
(以下文科省hpより)

4.1 受講対象者(※新免許状・旧免許状共通)

 更新講習の受講対象者(講習を受講できる者)は、普通免許状又は特別免許
 状を有する者で、以下に該当する者です。
(1) 現職教員(校長、副校長、教頭を含む。ただし、指導改善研修中の者を除く)
(2) 実習助手、寄宿舎指導員、学校栄養職員、養護職員
(3) 教育長、指導主事、社会教育主事、その他教育委員会において学校教育
    又は社会教育に関する指導等を行う者
(4) (3)に準ずる者として免許管理者が定める者
(5) 文部科学大臣が指定した専修学校の高等課程の教員
(6) 上記に掲げる者のほか、文部科学大臣が別に定める者
(7) 教員採用内定者
(8) 教育委員会や学校法人などが作成した臨時任用(または非常勤)教員リスト
    に登載されている者
(9) 過去に教員として勤務した経験のある者
(10) 認定こども園で勤務する保育士
(11) 認可保育所で勤務する保育士
(12) 幼稚園を設置する者が設置する認可外保育施設で勤務している保育士

です。ですから普通で言えば一般サラリーマンは更新講習すら受講することが
できません。教員になりたいという意思が強ければいいのですが、そうでなけ
れば、時間の無駄です。

教員免許更新制(文部科学省)
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/koushin/08051422.htm

参考URL:http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/koushin/08051422.htm

元大学関係者です。みなさんが書かれていることについてですが、No6さんの
おっしゃっていることが全てです。

以前は教員免許は取得すればそのまま有効だったのですが、現在では10年た
てば失効します。失効を防ぐためには免許状の更新講習を受けなければなりま
せん。これは前の安倍内閣のときに改正されました。この更新講習は普通は5
日間、大学等の所定機関において講習を受けなければなりません。当然費用も
自己負担です。

それに受講対象者が限られています。普通運転免許状のように免許をもってい
る...続きを読む

Q現在大学2年生です。今からサークルに入るのって・・・

タイトルの通りです。。。2年も終盤に入りましたが、サークルに入っていません。大学に入る前はサークルで仲間を作り、毎日ワイワイ楽しく過ごす生活を夢見ていたのですが、現実は。。。今からサークルに入るのって、その入ろうとしているサークルに入っている人達に引かれたりしませんでしょうか??不安です。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

引かないですよ。
引くとすればTVに出るような大学の体育会で、何かの試合(選手権)の出場前くらいでしょうか?

質問者様の気持ちもわかります。大多数は1年目の4月に入りますよね、それを逃すともう勧誘もないし、先に入部した仲間に後から入れるか不安で躊躇するのは当然です。私もそういう経験しましたから。

しかし大多数のサークルは共通の趣味を通じて仲良しをひとりでも増やそうと躍起になっています。人数が増えれば大学から助成を受けられる場合もありますからね。

これから入ると、楽器などスキルの必要なものは新人と同じメニューをやることになりますが、それ以外であればそれもありません。もちろんそのあとで辞めるのも自由です。

ここはひとつ、「入るは一時の恥。入らぬは一生の後悔」くらいに大きく構えてはどうでしょうか?

Q形而上学とは

現在、国語の授業で
「広告の形而上学」という形而上学をテーマにした論文を扱っています。
文章の雰囲気は分かるのですが形而上学
というテーマそのものがよく分からないので
どうも、しっくりこないでいます。

「形而上学」というものをくだいて説明して
頂きたいのですが。。。

中学3年の私にも分かるくらいのレベルで説明して頂けたら嬉しいです。(教科書は高校1年生のものですが)

宜しくお願いします。

Aベストアンサー

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。



あと、ソシュールの言語論も把握すると、理解が深まると思います。

人間の頭の中で考えることって、区切りがつけられず【無限】に広がっていきますよね。世界や宇宙だって、区切りがつけられず【無限】に広がっていく存在です。人間は他人に対して、そういうものを表現して、考えをわかってもらい、指し示しているものを共有しようとします。

その「表現」の際に使われるのが「ことば」ですよね。ことばで考えを説明し、ことばで指し示しているものが何かをわかってもらおうとします。

けれども、ことばは【有限】の音の組み合わせですよね。「椅子」ということばがあれば、「い」という発音と「す」という発音の組み合わせです(厳密には違いますが)。発音できるものは【有限】というのは、五十音表を見てもわかると思います。

ここで矛盾にお気づきでしょう。我々は、無限の世界を有限の言葉でしか説明できないのです。

そうすると、ことばはある一つの意味を指すのでは使い切れません。ことばに複数の意味や広がりのある意味をもたせないと、無限の世界を表現できなくなってしまうのです。ことばに対してモノが一対一の対応関係をもつことはないのです。

たとえば「犬」ということばを聞いて、あなたと僕とが思い浮かべる「イヌ」は別のものでしょう。それは、「犬」という言葉が意味するものが広い範囲のものをカバーしているからです。

じゃあその範囲ってどこまでって考えると、それはあいまいなイメージでしかないのです。範囲を確定しようとすると、「狼」でもなく「豚」でもなく「猫」でもなく「馬」でもなく…と、延々と「犬ではないもの」を消去していくことしかできません。

ことば一つ一つの意味にはこういう広がりがあるわけです。すると、ことば一つ一つには意味はなく、他のことばとの違い、つまり、【差異】によってしか意味をなさないということがわかると思います。これを裏返せば、「差異が意味をつくる」ということになります。



ソシュールの話が長くなりましたが、重要なのは最後の段落です。「差異が意味をつくる」という結論が出ていますが、「広告の形而上学」でも同じようなことが言われてないでしょうか。

広告は「形がない」ものです。「形のない」商品、つまり形而上的な商品です。それが商品として成り立つのはなぜなんだろうと考えると、他の広告があって、その広告と違いがあるから商品として成り立つわけですね。広告同士の差異が広告の価値を決めて、商品として売れるわけです。たくさんのあふれる広告の中では「差異が意味(価値)をつくっている」わけですね。



おわかりいただけたでしょうか。長くなりすみません。。。

すごい教材を使用されていますね。大学受験レベルなんじゃ。。。
もしかしてその文章の出典は『ヴェニスの商人の資本論』(岩井克人)でしょうか?

No,1の方の説明が正しいと思うのですが、もっともっと噛み砕いてみると。。。

まず「形而下学」は形あるもの、目に見えるものと解釈してください。それに対する「形而上学」は形のないもの、目には見えないものということになりますね。人間の視点や物理的なもの(形而下学)に対する神の視点や精神的なものが「形而上学」と考えることができると思います。
...続きを読む

Q哲学科に進学したことをとても後悔している

私は、現在、大学で哲学を専攻しています。
大学の哲学科に入学する前は、哲学が好きだったのですが、
大学の哲学科に在籍する内に、日本における哲学に対するネガティブなイメージに押しつぶされ、自分が哲学科の学生であることに強いコンプレックスを感じるようになり、哲学に対する意欲を失ってしまいました。また、大学の哲学科のカリキュラムも(一応、世間的には一流大学と評価されています)ひたすら語学の学習ばかりをやらされ、
肝心の哲学の授業は、教授がぼそぼそと聞き取りづらい声で、
話すのを聞かされるだけで、こんなことなら、法学部にでも行って、
趣味で哲学書を読んでいた方が、よっぽどマシだったのではないか
と今になって気づきました。

そして、哲学科であると言うと、周囲に奇異な目で見られることが頻繁にあり、(たとえば、文学部で英文学を専攻しているというのと、哲学を専攻しているというのでは、明らかに相手の反応が異なる。)
それが原因で、元々内向的だった性格が更に内向的になり、
情緒不安定な状態になっています。

哲学専攻の同級生は、哲学研究者を志望するとても勉強熱心な優等生タイプと、哲学は単位を取るのに必要なだけ手際よく勉強し、一流企業への就活にエネルギーを費やすタイプに二極化しています。しかし、
自分はそのどちらでもなく、いたずらに無為な日々を送っています。

このまま大学を卒業して、「哲学科卒という十字架」を一生背負って生きていくことに底知れぬ不安を感じます。このまま文学部哲学科を卒業するべきなのか、疑問を感じています。中退や編入も真剣に考慮し、某旧帝大の経済学部の編入試験に合格したのですが、なぜか、入学辞退してしまいました。

現在、自分は4年生で卒業間際ですが(就活はしなかったので、
内定は得られず、卒業後の進路は未定です)
自分が今選択に悩んでいるのは、
一このまま哲学科を卒業する
二今からでも、哲学科卒という経歴を回避するために卒業せずに、
他大学他学部への編入を再び目指す、あるいは中退してしまう
という選択をどうするべきかということです。

勿論、以上のような悩みは神経症・強迫症的な悩みであり、
自分の精神的未熟さや弱さが基底にあることは自覚しています。
また、大学で哲学を専攻すると決定したのは、自分自身であり、
誰に強制されたわけでもありません。

それゆえ、自分の悩みが嘲笑とともに、黙殺されるのも覚悟しています。だが、自分にとっては、非常に深刻な問題で、日々、過去の進路選択への激しい後悔と、将来に対する不安に、押し潰されそうなのです。

自分自身で色々考えていても、思考が堂々巡りをして、
突破口を見出せない状態が続いております。
そこで、皆様から、多角的な視点からのアドバイスを頂ければ、
幸いです。何卒、よろしくお願い致します。

私は、現在、大学で哲学を専攻しています。
大学の哲学科に入学する前は、哲学が好きだったのですが、
大学の哲学科に在籍する内に、日本における哲学に対するネガティブなイメージに押しつぶされ、自分が哲学科の学生であることに強いコンプレックスを感じるようになり、哲学に対する意欲を失ってしまいました。また、大学の哲学科のカリキュラムも(一応、世間的には一流大学と評価されています)ひたすら語学の学習ばかりをやらされ、
肝心の哲学の授業は、教授がぼそぼそと聞き取りづらい声で、
話すの...続きを読む

Aベストアンサー

どのような「ネガティブなイメージ」でしょうか。
アカデミックな場面でもたれているイメージと、
世間一般でもたれているイメージでは、ちがうような気がします。

世間一般のほうですが、就活で困るというのは深刻です。
が、哲学科でも、学部卒のことなら、それほど気にしなくてもよいのでは。
修士や博士卒なら、偏見の目で見られても仕方ありませんが、
それは哲学科だけに限られることではないでしょう。
学部卒でそこまで偏見の目で見るのは明らかにおかしいので、
運の悪い面接官に当たったくらいに思うしかないと思います。
できれば、偏見の目で見られているからこそ、発奮していい就職をしてやるぞ、
と思いきることができればよいのですが。
哲学科の友人がそうでした。

日常生活であれば、てきとうに切り返す方法を身につけるしかありません。
そういう場面での偏見は、抑圧ど同時に促進になったりもするので、
かえってそういった偏見を生かしてうまくキャラづけするか、
うまくそういう話題にはまらないように言動を調整していけばよいと思います。
仲のいい友達からそう思われているのであれば、
コミュニケーション上の振りだと考えていけばよいのでは。
そこまでするような相手でなければ、話すことを避けるか、
無視すればよいと思います。
無視できないのであれば、それは、耳に飛びこんできた自分への評価を、
すべて自分のなかに位置づけていかないと、
と強迫的に思っているのかもしれません。
ときには、評価を無視することも大事だ、
と意識して自分に言い聞かせるようにしないと、切りがありません。
自分にたいする肯定的な評価、否定的な評価のどちらについても、
正当として受けいれなければならないもの、
不当として拒否し、正さねばならないものに加えて、
正当だろうが不当だろうがどうでもいいものがあります。
その辺りを選別していければ、だいぶ気が楽になるのではないでしょうか。

カリキュラムについて。
哲学の本を読むと、その語学力に舌を巻きます。
日本語で読んでさえ複雑な論理で書かれていて難しいのに、
それを英語だけでなく、フランス語やドイツ語で学んでいるわけで。
専門家になれば、ただ正確に読めればよいというわけではなく、
限られた時間で正確に読み解くことが求められるのでは。
語学の学習があるというのは、
本来なら個人で訓練してもおかしくないところを、
わざわざ教員がつく上に単位が出るのだから、むしろ贅沢な話では。
……という感じで、各授業に意味を見出せばよいと思います。
この語学の講義では、これを目標にする、のように。
予習も、ただ読むのではなく、短時間で読みきれるように練習するなど。
そうでないと、語学が多いのは辛いかもしれません。

ただ哲学書を読むだけなら、ほかの学部でもできると思いますし、
がんばれば今年出た現在の哲学者の論文を読むこともできます。
しかし、その論文の生の評価、いまの雰囲気といったものを知るには、
やはり哲学科に在籍しないと無理なのではないかと思ったりもします。
部外者として哲学をかじっていたほうが楽しいのは当たり前で、
研究者になるための訓練としては面倒なことのほうが多いだろうと思います。
加えて、教員にやる気がなかったりすると、
学生のほうも面倒なことをやる気さえ起きないかもしれません。
ただやはり、質問者さんについては、部外者ではなく哲学科で学ぶメリットに
まったく目を向けていないところが気になりました。
哲学科に在籍していなければ、もっと後悔しているかもしれません
(どちらのほうが後悔することになるかはわかりませんが)。

いずれにしても、後悔先に立たずということで、
まずいまの自分の立場を肯定するところから始めてみては。
メリットを最大化し、デメリットを最小化する方向に努力するしかありません。

どのような「ネガティブなイメージ」でしょうか。
アカデミックな場面でもたれているイメージと、
世間一般でもたれているイメージでは、ちがうような気がします。

世間一般のほうですが、就活で困るというのは深刻です。
が、哲学科でも、学部卒のことなら、それほど気にしなくてもよいのでは。
修士や博士卒なら、偏見の目で見られても仕方ありませんが、
それは哲学科だけに限られることではないでしょう。
学部卒でそこまで偏見の目で見るのは明らかにおかしいので、
運の悪い面接官に当たったくら...続きを読む


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