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子供の頃から人付き合いが出来ない人間でした。

仕事で人付き合いをすれば、苦手意識が変わるんじゃないかと、
そう思って一番就きたくなかった営業の仕事に就いて8年経ちました。

案の定、当初は辛いことしかなく、辞めたいと思うことも星の数。
それでも、給料もらうんだからと自分に言い聞かせてきました。
いつしか対応が細かくて良い、笑顔が爽やかだと褒められました。
人当たりが良い、優しそう、穏やかそうと言われました。

でも、本当はずっと辛く、本来の自分とは真逆のことをやり続けた。
給料もらう以上はやるだけのことをやらないといけないから。

学生時代に人付き合いができなかった自分が理解した人付き合いは
我慢の報酬として、対価を貰うこと、自分を殺すことが人付き合い。
その報酬をもらうのが自分の認識した人付き合い。

私生活は何一つ上手くいきませんでした。
役割のない自分がどうやって、相手に尽くせば良いのか分からない。
相手に併せたり、気を使ったり、主張を抑えても報われない。
「人付き合い」をしているのに、「対価」が貰えない。

だから、その憎しみの矛先を、仕事を頑張る方向に向けました。
憎しみを溜めながら、頑張ると評価が上がる、仕事量が増える。
その報酬は完全なキャパオーバー、結果、他人には憎しみしかなくなりました。

「他人から貰いたければ与えなさい」そうよく言います。
「人を好きになった方がよい」そんなことも言われます。

一体、何を与えれば貰えるのか、どれだけ尽くせば好かれるのか。
どれだけ大それた「やりたくないこと」をすれば、報われるのか(対価)
ずっと「やりたくないこと」をしないと、人付き合いは出来ない(してもらえない)
そう思ってきて、空っぽな孤独感でいつしか心がボロボロに荒んだ。
人付き合いの基礎を知らない自分は営業をやって、よりおかしくなった。

こんなはずじゃなかった、本当は人付き合いが出来るようになりたかっただけ。
褒められることが価値だと信じて疑わなかった、それが愚行の始まり。
孤独死はもう目前、友情も恋愛も結婚も地獄の先にあるものにしか思えない。
「やりたくないこと」をしないと得られないものを楽しいと思えたことはなかった。

「人付き合いは嫌なこと以上に得られるものがあるから皆頑張る」

でも、自分には「嫌なこと以上」のものはずっとずっとなかった。
笑っても、頭を下げても、我慢しても、楽しいと思えたことがありません。
必死で走って来たのに、得られたのはどうしようもない無力感と憎しみ。

糸が切れました、頑張る理由が分かりません、週明けにはまた笑っています。
自分の人生って一体、何だったんだろう、やり直すには歳を取りすぎた。

何で普通の人は人付き合いを楽しめるのでしょう。

自分を殺しても、得たいものが得られない。
それが何よりも、辛く、憎しみを増やすことなんだと改めて感じました。

A 回答 (10件)

(サイコパス=反社会性人格障害などの余程の


特別な性格やエキセントリックな人生観でない限り)
自身を殺すのではなしに、
逆に、あらゆるシーンで、
自身を表現する方が
宜しいのではないでしょうか。

とりあえず、
ジョハリの窓 で検索して
良好な人間関係の構築方法を
研究してみてください。

現横浜市長さんを
研究してみませんか。極めて
参考になるとおもいますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

こういう性格なもので、自分を出すのにも勇気が要りました。
それで拒絶されると、何だか逃げ道が断たれて、
それなら作った自分で接したほうがマシなんだろうなと思いましたが、
自分を殺して無理をしても受け入れられないことで、
憎しみはどんどん積み重なってしまったようです。
「併せてやってるのに」みたいな恩着せがましさがあるんでしょう。

併せて無理をしても仕事では対価(給料)が貰えましたが、
プライベートでは貰えない、それなのに人付き合いを頑張れる
普通の人がどういう気持ちなのか自分には見当がつかないのです。

お礼日時:2012/07/01 15:56

んーと、精神的な病気になってる気がします。


一度、変なことと思わず精神科の方へ行ってみてはいかがでしょうか。

実際あなたは営業に向いてる気がしますけどね、話を聞く限り。
ただ、どこまでも几帳面なので、それは他の仕事についても結局気にしてしまってダメになると思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

もう既に認知が歪んでしまってどうしようもないのだと思います。
併せて無理をしても仕事では対価(給料)が貰えましたが、
プライベートでは貰えない、それなのに人付き合いを頑張れる
普通の人がどういう気持ちなのか自分には見当がつかないのです。

営業・・・今でも向いていないな、と思うことばかりです。
売上に対する執着心や競争意識がないもので。
たまたま仕事が話術や売り切りの仕事でなく、技術営業的な
要素を含んでいるので続いているというだけです。

几帳面とおっしゃられますが・・・自分では融通のきかない人間、
白か黒か、0か100かのグレーゾーンがない人間なので、
「~すれば、~される」という世界でやっていくにはしっくりきました。
でも、人間関係のように流動的かつ理不尽なものを
受け入れることが出来ない性格なので、やはり辛いことばかりです。

お礼日時:2012/07/01 16:03

こんばんは!


とてもお辛そうですね。主さんの苦しい心の叫びが「ワッ!」と出た感じの文章でした。しかし、私はとても主さんを尊敬します。仕事とはいえ、そんな辛いことを八年も続けてこられたなんて。がんばりましたね。でも、疲れちゃいましたよね。無理しすぎですよ。もうそんなに頑張らなくてもいいんじゃないですか?休ませてあげましょうよ。ご自分の心と体を。主さん!あなたはまだまだやり直せますから!私は33歳ですが、まだ転職だって怖くありません。現実がなんですか!生活するくらいのお金くらい、仕事を選らばなければどうにでもなります。そんなことより、主さんが心身ともに健康であることの方がずっと大切です。生きることに意味があります!だから、無理せず一度立ち止まって、大きく息を吸ったら、ゆっくり吐いて、空を見上げながら、雲の行くまま気の向くまま、ゆっくり歩いてみたらいかがですか?主さんを必要としている人に気づくまで、または、ご自分が誰かの役に立ちたいと思うまで。きっとその時は来ます。必ず!
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

今はとにかく「疲れた」という気持ちでいっぱいです。
何もやる気が起きません、休日も家で寝ているだけ。
若い頃はそれでも外に出ていましたが、報われないし良いことないのに
外に出て自分に負担を掛ける意味が分からなくなってしまいました。

結構辛いことにも耐えてきたんだけど・・・という気持ちなんです。
それでも続けていれば、良いことあると信じて来ましたが、
この先、もう良い事なんてない、そう確信したら心が折れてしまいました。
何だか、何もやる気が起きないのです・・・やっても無駄だと。

当時、人付き合いやコミュニケーションは自分には出来ないと、
諦めていましたが、無理かもしれないがやってみようと飛び込んだ世界。
その中で何とかやって来れましたが、自分の欲しかった普通の
人付き合いとは自分が随分と遠ざかってしまいました。
やれば何とかなる、そんな気持ちがもう完全に折れてしまいました。

前を向こうと思っても、向けないのです。
昔は無理矢理でも前向き(むしろ奮い立たす)だったのに、
何かもう自分の限界を感じてしまいました。

「人のために生きているわけではないのに、人のために生きないと
誰からも必要とされないから、人の(機嫌の)ために生きている」

この感覚にもう疲れてしまいました。

お礼日時:2012/07/01 16:10

対価をもらうことが貴方の本心なのではないでしょうか。

営業がうまくいっているのは貴方が扱っている商品が優れているからだろうと思います。私的にうまくいかないのはその逆なのではないでしょうか。別に遅すぎることはないと思います。相手が心を開くような商品を品ぞろえしてはどうでしょうか。そのための原資はもう十分蓄えていると思います。自分を殺す代わりに原資を使ってみることだろうと思います。自分を殺すのが大切ではなく貴方が魅力を持っていることが大切ではないかと思います。余計かと思いますが、相手に金銭的に得をさせるためにおごるとか勘定を持つとかという意味ではありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

対価が欲しいのがおっしゃるように本心です。

製品と売り方がたまたま自分に合っていたというだけで、
他の会社で自分が営業マンとして務まるとは思っていません。

人の魅力というのがよく分からないのです。

その人の持っている魅力でなく、人に~してあげるから魅力的、
~して楽しませてくれるから魅力的、~で尽くしてくれるから魅力的、
優しくしてくれるから魅力的、私の心地よいことをしてくれるから魅力的・・・

それはその人の持つ魅力でなくて、相手にとって都合のよい事柄を
「思いやり」とか「魅力」という言葉に置き換えているだけで、
その人が「~してくれること」を止めたら、魅力でなくなるのでしょう。

人付き合いにずっと抵抗があったのは、ずっと相手にとって都合のよい
相手で居続けなければ価値がない、魅力がないとされることです。

それだったら、その人の持つ、その人独自の個性や性格って何だろう?
「~してくれる人」であれば、結局はその人じゃなくても良いってこと。

おっしゃるように、金銭的に得させるためにおごることは魅力なんでしょう、
でも、その人は自分の身を削っているから楽しくないんでしょう。

相手が都合に合わせて要求するエゴを「思いやり」とか「魅力」という
言葉に変換して、それができないと魅力や思いやりが足りない、
そういうことにずっと違和感や嫌悪感があったから人付き合いが出来ない。

おっしゃられる原資が「相手を喜ばすための労力」なのだとしたら、
自分はそれを用いて、どう楽しんだり、どう喜べば良いのか分かりません。
それを与えて、身が削れることはあっても、得られることは少ない。

損得勘定やら、自己中やら言われても、損して損を取る。
そういう気持ちが自分にはどうしても理解が出来ないのです。
だって、やはり自分だって得をしたいと思いますから。
むしろ、得をしたくなかったら、究極は「何もしない」が結果に思えます。

お礼日時:2012/07/01 16:22

仲間です、私はとっくにドロップアウトしてフリーター(日雇い派遣)ですが。


派遣は最低限の人付き合いだけで気楽ですがそれ以外は最悪です。
今の仕事の人間関係を少しづつ改善して問題解決する方法
を探るのをお勧めします。
後悔しないように。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

仕事は割り切れば意外と平気ですが、プラベートは割り切れなかった。
やはり、仕事は対価がもらえるので嫌でも我慢のし甲斐があります。
・・・それでも、今はキャパオーバーで辛いことしかないので、
正直、感情の拠り所を完全に無くしてしまった気持ちです。

仕事は相手に特をさせれば対価(給料)がもらえるから出来た。
むしろ、仕事の人間関係の方がよっぽど割り切れるのです。

「(無償で)俺を(私を)楽しませないと、好かないよ?」

そう言われているようで気が重くなるので、プライベートの人付合いは
仕事の何倍も何倍も難しく、そして困難なものに思えます。
何より、自分のような性格の人間にとって、正解がないことは
何よりも辛く、苦しいものにしかやはり思えなかったのです。

お礼日時:2012/07/01 16:28

こんにちは。


営業と人付き合いは別だと思います。
仕事で人付き合いをすれば苦手意識が変わる?
人と接することは出来ても
それはあくまでも仕事であってあなたの考える人付き合いではないと思います。
仕事は対価を求め我慢し頑張ることによって得られる。
この対価はあくまでも仕事だけ。
人付き合いに対価はないと思います。
対価を求めたら人付き合いは出来なくなると思います。
ただあなたは営業の仕事をしてきたなら
相手が喜んでいる時とか表情で相手の心が少しは見えませんか。
相手の気持ちをわかった上で人付き合いをしていくと結構うまくコミュニケーションとれると思います。
けどこれは決して相手に合わせろということではなく
相手を理解してあげればいいということ。
自分の意思も大切に相手も理解する。
こんな人付き合いが出来ればいいんじゃないかな。
だからあなたが営業でとっている態度とは違ってくると思うんです。
だから報酬も対価もない。
とにかく営業は自分を殺す。
けど人付き合いは自分を持ちながら相手を理解する。
営業と人付き合いを別に考えてもう一度見直して見ませんか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

相手を理解するというのと、相手に合わせることの
違いというのが正直なところ、良く分かりません。

結局、自分の意思とか思考を殺して、
相手のことにばかり集中していたら、気が気じゃなく、
気疲れして、それを「楽しいこと」と思えませんでした。
相手の顔色を伺いながら気を使って接することは
営業と何ら変わりがないというのが私の認識です。

当然、身を削っているのも営業と一緒です。
疲れるのに対価がない、というのがやはり理解できないのです。

自分の意思を大切にしても、相手の好意は得られないでしょう。
これも、仕事と同じ。自分の意思なんてそこには介在しない。
ただ、相手にとって私という存在が「よい」か「わるい」かだけ。

だから、営業も人付き合いも結局は本質が同じ。
営業と恋愛が良く同列に例えられるのが私には良くわかります。
相手に物を買ってもらうのも、相手に振り向いてもらうのも同じ。

でも、私は休みの日にまで相手のご機嫌取りをやるほどパワーがない。
だって、そこには対価が存在しないなら、やはり尚更に思えます。

お礼日時:2012/07/01 18:18

kaitara1です。

魅力というのが付き合って何か得をするものというのは正しいと思います。魅力ある人というのは金銭的に甘い人だけを意味していません。むしろお金以外の、新たな価値を生み出している人のことではないでしょうか。お金以外の価値をを生み出せない人との付き合いは、金の切れ目が縁の切れ目ですし、貴方だってお金をとられるのではないかという警戒心でしかほかの人に接することができませんから、まさにあなたの置かれている状況です。貴方はお金以外に価値のあるものはないと思っていませんか。ミダス王という人は、神様と交渉して触るものがすべて金になるようにしてもらい、大金持ちになりましたが、食べ物も、食べようと思って触ると、すべて金になってしまうので、飢餓状態になったという寓話があります。貴方の悩みは、このミダス王のものと同じではないでしょうか。原資はお金と考えてもよいですが、要するにお金以外の価値あるものを貴方が身につけるためのものではないでしょうか。
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この回答へのお礼

再度、ありがとうございます。

お金以外にも、優しさとか気遣いとマメさとかも原資だと思います。
でも、それって「その人じゃなくてはならない」魅力なんでしょうか。

同じことをしてくれれば、別にその人じゃなくても良い。
より良いサービスを提供してくれる人がいれば、当然そっちに流れる。
終わらないパワーゲームにしか思えないのです。
仕事としてやっている営業と何も変わらない・・・そう思うのです。
(それなのに、「会社」からの対価や報酬が存在しない)

そうすると、何のために頑張るのか分からないのです。
お金以外の新たな価値=お金以外でいかに俺に(私に)尽くしてくれるか
(楽しませてくれるか・喜ばせてくれるか)と考えると、
魅力というのは芸能人のように、直接的に相手に得をさせなくても、
ブラウン管の向こうでファンになってくれるようなものを指すのなら
魅力と呼ぶのは分かるのですが・・・俺に(私に)何をしてくれるかを
魅力と呼ぶのならば、別にその人でなくとも良いのが虚しく思います。

人付き合いが苦手なのは、「お前がくれたら、俺(私)もやっても良い」
そんなルールが暗黙で存在している世界はビジネスの世界以上に
自分にとっては酷な世界であると私がそう理解しているからです。

「他人を喜ばせる道具」としてしか価値がないのが何故か悲しいです。

お礼日時:2012/07/01 18:27

お礼ありがとうございます。


相手を理解するは
相手が言いたいことがわかればいい。
相手に合わせるは
相手の言いたいことにあなたが賛成しなければいけない。
営業は相手を理解するのではなく
相手に合わせることじゃないですか。
相手に合わせているんだから対価があって当然じゃないですか。
でも人付き合いは相手に合わせるのではなく
相手を理解することだと思います。
決して相手に合わせなければいけないということではなく
相手とあなたの中間の意見をとっても
あなたの意見を通してもいいわけで
どうするかを決めるのが人付き合いのような気がします。
だから対価もなければ
営業とも違うと思うのですが。
営業はあくまでもお客様一番。
でも人付き合いはお互い互角(先輩後輩はあるかもしれないけど)。
だから相手に合わせる付き合いはしなくていい。
相手を理解した付き合いが出来れば。
だから付き合い方が広がり難しいんだと思いますよ。
対価がない分難しい。
けど人付き合いで相手がお互いわかり合えたら
それが男女で言えば恋愛になるんだと思います。
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kaitara1です。

それが本心ならばほかの人と心をl通じさせようと思わなければよろしいということではないでしょうか。本心というからにはそれなりのまともさがあるはずです。悩む必要もないはずです。
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むしろ賢い生き方だと思いました。


私も人間関係に恐怖心や苦手意識を感じながら生きていますが、私の場合は、その感情が雰囲気や顔つきに表れてしまうんです。
質問者様は、周りから対応を誉められているわけですから、私はそこに感心しています。
質問内容を読む限り、根底は皆同じで、日々の過ごし方などで、良くも悪くも変化しながら、人は生きていると思います。
それが人生というものではないでしょうか。
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