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'行く'はyahooの国語辞書で以下のような意味で掲載されていました。
---引用---

1 向こうへ移動する。「はやく―・け」

2 目的地へ向かって進む。「学校へ―・く」

-----引用終了-------


'来る'は同じくyahooの国語辞書で以下のような意味で掲載されていました。

---引用---

1 空間的に離れているものが自分のいる方・所へ向かって動く。また、近づく。

(1)こちらに近づいたり着いたりする。接近・到着する。訪れる。「バスがきた」「留守に友人がきた」「霜のこないうちに取り入れを済ませる」

(2)自分が今いる所を、再び、また以前にたずねる。やってくる。「いつかきた町」「また明日きます」


-----引用終了-------

質問:上記の定義から、『行く』が"自分がどこかへ向かう"と意味。
『来る』は(1)に限っては"自分の方へ何かが近づいてくる"という意味。
この違いでしょうか?

質問2:『来る』の謙譲語は『参る』ですが、これは一体どういうシチュエーションで用いるのでしょうか?
例えば以下のようなシチュエーションでしょうか?

今、取引先の担当者Aと私の二人が新橋のある飲食店にいる。自社の同僚Bが今自分達がいる飲食店に来る予定だからまだ来ていない。
こういう場合、私:『Bはあと10分で参る予定です』取引先の担当者:『承知致しました。あと10分でBさんがいらっしゃるのですね。(『いらっしゃるは』『来る』の尊敬語)』
このように"自分と尊敬する対象者が居る場所に自分側の人間が向かってくる場合"『参る』という謙譲語を使うのですよね?

A 回答 (7件)

質問1について


>『行く』が"自分がどこかへ向かう"と意味。

それでは限定しすぎです。挙げた辞書の通り「向こうへ移動する」ことであって、なにも「自分」だけでなく、「はやく―・け」のように相手でもあり雲や時であっても使いますし、また「どこか」といった曖昧かつ漠然とした条件は不要です。

質問2について
>自社の同僚Bが今自分達がいる飲食店に来る予定だからまだ来ていない。
これでは意味不明瞭です。「…予定<なのに>まだ来(こ)ない。」
この場合の「来ていない」の「…ていない」はやや翻訳調であり、これでは遅刻している状態に取られます。普通には「まだ」を付けてそのまま「来ない/着かない」とか、「やって来ない」が自然でしょう。

>私:『Bはあと10分で参る予定です』
「来る」の謙譲語1は「参上する/あがる/伺う」などで、「参る」は謙譲語2として聞き手への敬語なので、「参ります」と話し言葉での敬体表現「です・ます」と一緒に使いましょう。
ただ「参る」だけでは丁重語であり、相手に向かって自分の側の人物の動きを「予定」(「まだ来ていない」とすれば約束に遅れているのでは?)という改まり調になる漢語で組み合わされると、それは改まりの丁重ささえ逸(そ)れて尊大な響きが混じります。

これが遅刻ではなく、予定というか約束の時刻にはまだ10分のゆとりがある際でも、相手が既に見えられている事態においては、まず「連れ合いが遅くなっており申し訳ありません。」とまずは詫びを口にした上で、「どうかあと10分ほどお待ちいただけませんか。」といった言い方で相手を立てることで、相手もまた「いえ、当方が早めに来たのですから、どうかお気遣いなく。」といった応答になるでしょう。
ともあれ、ここはせめて「Bはあと10分で参りますので、どうかお待ち願います。」程度でいかがでしょう。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答誠にありがとうございます。

謙譲語1と謙譲語2とかっていう分類があったのですね。
知らなかった、、
また、文章に不適切な部分がありました。お詫びいたします。
もっと具体的なシチュエーションを想定した文章を書きます。
ありがとうございます!

お礼日時:2012/07/31 17:27

#6です。


専門家ではありませんので、不安定な回答になってしまい申し訳ありません。
腑に落ちない点に関する発展的な補足質問は、わたしも勉強になりますので大歓迎です。
個人的な感覚による部分も多いので、その点はご斟酌の上受け止めていただければと思います。

【再度確認:】
>行くと来るの違いは、『『行く』が"ある人やもの(ものは人間以外の動物であったり雲であったり)が現在いる場所から移動する"と意味。

結果的には「移動する」ということになりますが、やはり、「行く=離れる」のほうが適切ではないか、とわたしは思います。
たとえば、目の前にいた犬が左に移動した場合、「犬は行った」とは言わないでしょう。
あくまで、犬が自分の位置からある程度離れた段階で「犬は行った」と言うと思うからです。
つまり、「移動はしても行っていない」という状況が想定できるからです。

>『来る』が(1)に限っては"自分の方へ何かが近づいてくる"』

そう思います。
しかし、(1)と(2)を敢えてわけて考える必要性は、実はありません。
『「来る」という動詞の対象となっている場所に近づく』とお考えになればよいのです。
(1)こちらに近づいたり着いたりする。接近・到着する。訪れる。
「バスがきた→バスが自分の立っている場所に近づいてきた」
「留守に友人がきた→友人が、自分の住んでいる場所(家)に近づいた」
「霜のこないうちに取り入れを済ませる→自分の住んでいる場所(地域)に霜がこないうちに取入れを済ませる」
(2)自分が今いる所を、再び、また以前にたずねる。やってくる。
「いつかきた町→(以前のいつの日にか)近づいたことのある町」
「また明日きます→また明日(この場所に)近づきます」
このように、シンプルに「来る=近づく」と考えることが可能でしょう。
「どこに近づくのか」ということは、それぞれの文脈の中で判断すればよいだけです。

【質問:】
>『「参る」の動作主は、「自分または自分側の人間以外にも、第三者や人物以外のものの行為・動きにも使えます。』とご指摘されていましたが、これは何故ですか?

まず、謙譲語Iというのは、あくまで「自分または自分側の人間の行為に対して【だけ】使う」という点を確認しておきたいと思います。
しかし、「(謙譲語IIは、)第三者や人物以外のものの行為・動きにも使えます」ということを言ったわけです。

>また、『第3者の動きに使える』とは、具体的な例としては以下のようなことを指しますか?
例えばBは第三者で、『行く』という意味で『参る』
が用いられてるとすれば、『明日Bさんが参ります』のように第3者の動きも使えると。

おっしゃるとおりです。
ただ、この例文のシチュエーションについては若干の確認が必要です。
たとえば目の前にいる先生に対して、『明日Bさんが先生のお宅に伺います』というのは、謙譲語Iの用法になります。
「訪問する=行く」という【行為の向かう先】が先生という敬意を払うべき人物なので、「伺う」という謙った(謙譲語I)表現を使うわけです。
一方、『明日Bさんが先生のお宅に参ります』というのは、【先生という話相手】に対する謙譲語II(丁重語)表現です。
つまり、『「話している相手が敬意をはらうべき人物」であれば、【行為の向かう先】に関係なく使うのが、謙譲語II(丁重語)』ということです。
どちらが適切かは、それぞれのシチュエーション次第ということになるでしょう。

【(「行く」という)行為の向かう先】に関係なく使えるので、B さんの行く先が先生の家でない場合でも、たとえば、「あす、B さんは海外へ参ります」のような使い方が可能です。
行為の向かう先に敬意を表わす謙譲語Iを使って、「あす、B さんは海外へ伺います」と表現すると間違いになります。
動作の主体が自分でもないし、自分側の人間でも第三者でもなく、「物」の場合、たとえば「動作の主体=バス」の場合でも、話し相手が先生であれば、「まもなくバスが参ります」と謙譲語IIを使います。
また、顧客という敬意を払うべき相手に対してアナウンスする(話す)場合に、鉄道会社は、「2番線に電車が参ります」のように言うわけです。
あくまで話をしている相手に対する丁重な表現が謙譲語IIの用法です。

さらに詳しくお知りになりたい場合は、下記をご参照になると良いでしょう。
あんがいわかりやすく書かれています。
http://www.bunka.go.jp/bunkashingikai/soukai/pdf …
    
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#4です。



質問:上記の定義から、この2つの違いは、『行く』が"ある人やもの(ものは人間以外の動物であったり雲であったり)が現在いる場所から移動する"と意味。
『来る』が(1)に限っては"自分の方へ何かが近づいてくる"という意味。
この違いでしょうか?

個人的には、
「行く=離れる」「来る=近づく」と定義して良いのではないかと思います。
あとは柔軟に解釈すればよいでしょう。
たとえば、
「学校へ行く」→「学校へ行くために(家などから)離れる」
「留守に友人がきた」→「留守に友人が【わたしの家に】近づいた」
また、
(2)の場合でも、
「いつかきた町」→「いつか、近づいたことのある町」
「また明日きます」→「また、明日(この場所に)近づきます」
と解釈すれば難しいことはないでしょう。
いずれにしても、人や物などに限定しないほうがわかりやすくなると思います。

質問2:今、取引先の担当者Aと私の二人が新橋のある飲食店にいる。時刻は現在14:45分。自社の同僚Bが今自分達がいる飲食店に約束の時刻の15時であるその5分前の14:55分に到着予定
こういう場合、私:『Bはあと10分で参る予定でございますので、もう少々お待ちください』
取引先の担当者:『承知致しました。あと10分でBさんがいらっしゃるのですね。(『いらっしゃるは』『来る』の尊敬語)』)
このように、『参る』は例えば"自分と尊敬する対象者が居る場所に自分側の人間が向かってくる場合"に使うことができる謙譲語II(丁寧語)ですよね?

「参る」は、話相手に対する丁重語(丁寧語とは区別します)で、謙譲語IIとも呼びます。
これは【自分が、尊敬する対象者に話す場合】に使います。
また、「参る」の動作主は、「自分または自分側の人間以外にも、第三者や人物以外のものの行為・動きにも使えます。
たとえば、
「明日の○○ホテルでの会合へは、わたしと B だけで参ります(行きます)」などのように使うこともできます。
必ずしも"自分と尊敬する対象者が居る場所に自分側の人間が向かってくる場合"とは限りません。
「参る」には「来る」の他に「行く」という意味もあります。
たしかに、「来る」という意味で使う場合には、結果的に、"自分と尊敬する対象者が居る場所に自分側の人間が向かってくる場合"という意味になります。
しかし、これは狭義の解釈です。
「行く」の意味で使う場合に、この解釈は適用できませんから、別の解釈が必要になってしまいます。
定義は少ないほうが得策です。

『謙譲語IIは、自分が、尊敬する対象者に話す場合に使う。
また、謙譲語IIの動作主は、「自分または自分側の人間以外にも、第三者や人物以外のものの行為・動きにも使える』
と覚えると一度で済みますし、他の言葉にも汎用できるでしょう。
腑に落ちないようでしたら、再度お知らせください。
      

この回答への補足

ありがとうございます。
いやー毎回厳密で詳細なご解答には脱帽です!

再度確認:行くと来るの違いは、『『行く』が"ある人やもの(ものは人間以外の動物であったり雲であったり)が現在いる場所から移動する"と意味。
『来る』が(1)に限っては"自分の方へ何かが近づいてくる"』

この意味でも一応間違いではありませんか?


再度確認その2:参るについては、"来る"の意味での解釈であれば、私の提示した例で間違いではありませんか?



質問:『「参る」の動作主は、「自分または自分側の人間以外にも、第三者や人物以外のものの行為・動きにも使えます。』とご指摘されていましたが、これは何故ですか?また、『第3者の動きに使える』とは、具体的な例としては以下のようなことを指しますか?

例えばBは第三者で、『行く』という意味で『参る』
が用いられてるとすれば、『明日Bさんが参ります』のように第3者の動きも使えると。

補足日時:2012/08/02 23:16
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 単純に考えましょう。


「行く」→「私が行きます」「山田が行く」。
「来る」→「彼が来る」「夏が来る」。
 両者の間で最大の違いを考えた時、「私が行く」とはいっても「私が来る」とは言わないとの相違です。これは英語を含む外国語でも共通です。こちらから「向こう側へ」と移動することが「行く」であり、「向こう側からこちらへと」移動してくることが「来る」です。このことから転じて「時期が訪れる」との意味にもなります。

 質問2のシチュエーション。これは違和感があります。ここにいる人物の関係が「担当者A氏」と「私」であり、「自社の同僚B」は「私の職場の同僚」ですから、この人物に対して敬語表現を使うことは「担当者A氏」に対して礼を失する形となり、通常であるなら「Bはあと10分で参る予定です」とは言わず「Bはあと10分ほどでこちらに伺います」となります。
 辞書や文法はあくまでも一つの目安や基準であり敬語の分類を余り神経質に(ガチガチにあるいは厳密に)とらえる必要はそれほどないと理解しますが如何でしょうか。
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この回答へのお礼

丁寧なご解答誠にありがとうございます!
たしかに、、単純にシンプルに考える必要がありますし、ガチガチに厳密に捉え過ぎるとあまり前に進みませんよね、、

お礼日時:2012/08/03 14:12

質問1:上記の定義から、『行く』が"自分がどこかへ向かう"と意味。


『来る』は(1)に限っては"自分の方へ何かが近づいてくる"という意味。
この違いでしょうか?

『行く』は、"自分がどこかへ向かう"ときにも使いますが、それ以外の場合にも使います。
「来る」に対応する形で説明すると、
「或るものや人などが、現在いる場所から離れるように動く。また、遠のく」
といった意味になると思います。
(ex)
・彼は海へ行きました。
・猫は商店街のほうに走って行きました。
『来る』の解釈に関しては質問者さんのおっしゃるとおりです。


質問2:『来る』の謙譲語は『参る』ですが、これは一体どういうシチュエーションで用いるのでしょうか?
~。
このように"自分と尊敬する対象者が居る場所に自分側の人間が向かってくる場合"『参る』という謙譲語を使うのですよね?

「参る」は、「来る」又は「行く」という意味の謙譲語IIで、丁重語とも呼ばれます。
謙譲語は謙譲語Iと謙譲語II(丁重語)に区分されています。
一方、たとえば、「伺う」は「訪れる / 訪問する / 行く」「聞く」「尋ねる」の謙譲語Iです。
「明日、先生のお宅へ行きます」「明日、先生のお宅を訪問します」とは言わず、
「明日、先生のお宅へ伺います」のように言うのが正しい表現です。
「訪れる(行く)」という【自分の行為の向かう先】が敬意を払うべき相手(先生)なので、自分の行為を謙って表現する必要があるわけです。
「【自分の行為の向かう先=敬意を払うべき相手(または、敬意を払うべき相手に所属する物)】⇒謙譲語Iを使う」
と覚えると良いでしょう。

一方、謙譲語IIというのは、【自分の行為の向かう先】という条件に関係なく使うことができます。
これが謙譲語を、わざわざ IとII に分けている理由です。
謙譲語IIは、自分の行為の向かう先に関係なく、【自分が話している相手】に対して丁重な表現をする場合に使われます。
「わたしは、明日の3時にここに参ります」は、
「わたしは、明日の3時にここに来ます」の丁重表現(謙譲語II)です。
この場合、「自分の行為」である「来る」という動作の向かう先(=ここ)は、敬意を払うべき相手ではありません。
ただ、話をしている相手に対して敬意を表すために、「来る」ではく「参る」という丁重語(=謙譲語II)を使うわけです。
このように、「参る」が「来る」という意味で使われる場合、話をしている相手は必ず敬意を払うべき相手なので、
『"自分と尊敬する対象者が居る場所に自分側の人間が向かってくる場合"『参る』という謙譲語を使う』
という解釈はまんざら間違いとは言えません。
しかし、正確な解釈とは言えません。
『"尊敬する相手に話をしている場合、[自分側の人間 / 第三者 / 人間以外の物 ]がある場所に向かってくる(または向かって行く)場合"に「参る」という謙譲語を使う』
のように覚えるほうが汎用性があります。
(ex)
先生に話をするシチュエーションで「来る」という意味を表す場合。
・母がすぐ参ります。
・友人は明日参ります。
・バスが参りました。
など。

「参る」が「行く」という意味を表す場合もよくあります。
たとえば、
「わたしは明日から海外へ行きます」という文の場合、【自分の行為(=行く)の向かう先(=海外)】は敬意を払うべき相手ではありません。
しかし、【自分が話している相手】が先生の場合には、敬意を払う必要がありますから、謙譲語IIを使って、「参ります」と言います。
「わたしは明日から海外へ伺います」と謙譲語Iを使うと間違いになります。
謙譲語Iは、【自分または自分側の人間】の行為に対して使います。
謙譲語IIは、【自分または自分側の人間】以外にも、第三者や人物以外のものなどに対しても使うことができます。
ただ、どちらの場合も、尊敬すべき人物の行為に対して使うことはできません。

『Bはあと10分で参る予定です』という文は不自然です。
前述しましたように、「参る」は「謙譲語II(丁重語)」で、話し相手に対する丁重な表現で敬語の一種です。
「予定です」の「です」は「丁寧語」で、これも敬語の一種です。
ただ、「です」という丁寧語は謙譲語II(丁重語)と比較した場合、敬意の程度が低い表現です。
そのため、このふたつを組み合わせると敬意の一貫性が薄れてしまうため、不自然な表現になってしまうわけです。
「です」よりワンランク上の「ございます」という丁寧語を使って、
『Bはあと10分で参る予定でございます』のようにすると、「参る」という謙譲語II(丁重語)とのバランスが取れるため、自然な表現になるでしょう。
   

この回答への補足

丁寧なご回答誠にありがとうございます^^

かなり厳密で詳細ですね。

他者様を含む今までのご回答を参考にし、再度質問致します^^
以下でよろしいですか?

--以下質問文--

行く

1 向こうへ移動する。「はやく―・け」

2 目的地へ向かって進む。「学校へ―・く」


来る

1 空間的に離れているものが自分のいる方・所へ向かって動く。また、近づく。

(1)こちらに近づいたり着いたりする。接近・到着する。訪れる。「バスがきた」「留守に友人がきた」「霜のこないうちに取り入れを済ませる」

(2)自分が今いる所を、再び、また以前にたずねる。やってくる。「いつかきた町」「また明日きます」



質問:上記の定義から、この2つの違いは、『行く』が"ある人やもの(ものは人間以外の動物であったり雲であったり)が現在いる場所から移動する"と意味。
『来る』が(1)に限っては"自分の方へ何かが近づいてくる"という意味。
この違いでしょうか?

質問2:今、取引先の担当者Aと私の二人が新橋のある飲食店にいる。時刻は現在14:45分。自社の同僚Bが今自分達がいる飲食店に約束の時刻の15時であるその5分前の14:55分に到着予定
こういう場合、私:『Bはあと10分で参る予定でございますので、もう少々お待ちください』
取引先の担当者:『承知致しました。あと10分でBさんがいらっしゃるのですね。(『いらっしゃるは』『来る』の尊敬語)』)
このように、『参る』は例えば"自分と尊敬する対象者が居る場所に自分側の人間が向かってくる場合"に使うことができる謙譲語II(丁寧語)ですよね?

補足日時:2012/07/31 17:35
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     #1です。

補足です。

>>質問:上記の定義から、『行く』が"自分がどこかへ向かう"と意味。『来る』は(1)に限っては"自分の方へ何かが近づいてくる"という意味。この違いでしょうか?

    というご質問に「はい」とお答えしました。

    これは日本語の標準語では僕の前のお答え通りなのですが、地方言語(特に九州の一部など)では、標準語に直すと「今そこへ来るよ」のような言い方をする場所がありますので、一言付け加えさせていただきます。

   言い換えれば標準語では目玉の所在が、話者の一点ですが、九州方言、英語などでは相手の場所にも目玉が置けて I am coming (Ich komme というドイツ語なども同様)と言えます。
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この回答へのお礼

丁寧な補足誠にありがとうございます!
地方言語ではそういう使い方があるんですね!
参考になります!
知識豊富だな、、

お礼日時:2012/07/31 17:28

1。

  質問:上記の定義から、『行く』が"自分がどこかへ向かう"と意味。
『来る』は(1)に限っては"自分の方へ何かが近づいてくる"という意味。
この違いでしょうか?

    はい、おっしゃる通りです。

2。  『来る』の謙譲語は『参る』ですが、

    「参る」は、「行く」の謙譲語でもあります。「では(私はあなたの部屋に)3時に行きます」の謙譲表現は、「では3時に参ります」です。

3。  『いらっしゃるは』『来る』の尊敬語)』

    「居る」「行く」「来る」の三つの動詞の尊敬語が「いらっしゃる」です。
     ですから「行く」と「来る」は、謙譲語では「参る」で、尊敬語は「いらっしゃる」で、中和されています。

4。このように"自分と尊敬する対象者が居る場所に自分側の人間が向かってくる場合"『参る』という謙譲語を使うのですよね?

    おっしゃる通りです。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答誠に有難うございます
今後の参考になります!英語板でもお世話になりました。

お礼日時:2012/07/31 17:25

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