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大戦中に飛行機のエンジンを作っていた中島飛行機では、熟練工が次々と徴兵されて困ったというのはよく知られた話ですが、なぜそのような不合理なことになったのでしょうか?
(軍需工場の工員は徴兵の優先順位を下げてもらうような手だてはなかったのでしょうか?)
また、その他の会社(例えばゼロ戦を作っていた三菱重工)ではどうだったのでしょうか?

軍需工場で働いていることを別にしても、熟練工というからにはそれほど若い人とは思われません。そういう高齢者の徴兵は後回しになるのではないでしょうか?

ちなみに私の祖父は陸軍の食糧倉庫(糧秣)で働いており、しかも終戦時に41歳であったため、終戦間際まで徴兵されなかったと聞いています。軍需工場で働く人にも同様な配慮があってしかるべきかと思うのですが。

A 回答 (4件)

 軍需産業従事者で他に変えられない技量・知識の持ち主は、当然徴兵対象外ですよ。


 (陸軍動員計画令[永年動員計画令])

1943年当時の戦時召集延期者
(なお、年が進む毎に対象が増え、終戦直前には100万人近い人[食糧確保の為、一部の林業・農業従事者まで…。]が対象になります。その他に徴用された軍属もいますし…。)

  1. 侍従、侍医、東宮傅育官、皇宮警察官吏、皇宮警察部消防夫
  2. 陸海軍部隊に在職し余人を以て代うべからざる者、及び特種の雇用人、工員にして必要欠くべからざる者
  3. 鉄道又は通信業務に従事し、必要欠くべからざる者(一般国民対象)
  4. 船舶(50t以上のもの)乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
  5. 民間航空乗組員にして必要欠くべからざる者(一般国民対象)
  6. 国土防衛に直接関与する業務に従事し必要欠くべからざる者
  7. 陸軍大臣の指定する工場又は事業上に従事し必要欠くべからざる者(一般国民対象)
  8. 都道府県、地方事務所、警察署、市区町村の官公吏にして兵事事務を主管する者各一名(一般国民対象)
  9. 帝国外の地に於いて執務を執行する帝国官吏中、必要なる者、並びに外地最高司令官、朝鮮台湾軍管区司令官
  10. 帝国議会の議員
  11. 国民学校教員中必要なる者(一般国民対象)
  12. 上記の外、国家総力戦遂行の為に緊要なる業務に従事する者にして、必要欠くべからざる者

 あと、第二次大戦中に兵士として徴兵された人は特別な事情(米軍やソ連軍が侵攻してきた沖縄や満州など)が無ければ、戦争末期でも30前半までです。
 (自分の体重より重い荷物を背負って、炎天下の中毎日何十Km行軍できる体力は、20代ぐらいまで、30代の男など軍隊では足手まとい。←そもそも、戦中の日本には足手まといの30代の老兵[徴兵を猶予していた20代前半の大学生(文系は末期に学徒出陣させますが…。)だって居るのに…。]を徴兵しても戦場に送るほどの船舶の余力など無いのですが…。)

 熟練工が次々とよく言われますが、徴兵対象となった20代前後の工員って熟練工なのですか?
 (まあ認識の問題ですが、技術者って10~20年は修行しないと一人前には成れないのでは?)

 なお、徴兵対象外にするのは、各企業や工場の担当者の判断に任せられるので、企業の社風や担当者の考え次第(まあ、賄賂を貰って兵役逃れに協力する奴もいたようですが…。)で、本来は対象外に成るような人物まで申請せずに戦場送りに成った事例も有ったかも知れませんが…。
 (愛国心、或いは周りからのプレッシャー[合法的な理由でも徴兵を逃れると周りから白い目で見られる]で、自ら軍務に奉職する人は多くいたようですし…。)

 そもそも、ゼロ戦が当初想定の2~300機程度から実際には1万機以上作ったように、戦時の動員体制って開戦前の数倍~数十倍まで規模を拡大します。
 当然、工場を何箇所も新設しなければその需要に答えられませんから、工員に占める熟練工の割合など欧米だって数十人に1人以下になります。

 戦時に必要とされるのは、未熟な工員を速やかに使い物に出来る作業のマニュアル化と部品の規格化、技量差を抑える工具の機械化だったりします。←戦前から想定して準備しておかないと間に合いませんが…。
 (まあ熟練した工員が微調整しながら、組み立てないと完成しない工芸品みたいな武器ばっかだったのが日本のダメな所ですが…。部品の共食い整備すら出来なかった…。)

 なお陸海軍共に熟練工の囲い込みをやりすぎて、他の軍の生産を阻害する様な有様でしたし…。
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この回答へのお礼

貴重な情報をありがとうございます。
今までに読んだ資料には全くありませんでした。
学校の先生や警官が徴兵されないのは知っていましたが、ちゃんと法制化されていたんですね。
ただ、そうするとますます不思議なのは中島飛行機の主任設計技師の中川氏が徴兵されてしまったことです。
中島飛行機の幹部が陸軍動員計画令を知らないとか、軍から来ていた監督官も知らなかったとかいうアホなことかも知れませんね。

>戦時に必要とされるのは、未熟な工員を速やかに使い物に出来る作業のマニュアル化と部品の規格化、技量差を抑える工具の機械化だったりします。
確かにWikiに載っているマーリンエンジンの工場には女性(おばちゃん)ばかり写っていますね。

お礼日時:2012/08/30 07:25

 最初に、「徴兵」と「召集」の区別について。



 前者は、「兵役法」に基づいて日本戸籍を有する男子のうち、二十歳に達した者は徴兵検査を受けるとし、一部除外・猶予者のほか、とくに大学、専門学校(指定された)など在学中の者は六年間の徴兵猶予を受けました。 (1943年の学徒動員で猶予停止)

 後者は、例えば徴兵検査を経て現役兵となったのち二年後に除隊し、予備役になり市井人として生活していたのが、戦争が始まったため再び軍隊に呼ばれることをいいます。

 
 太平洋戦争が激しくなり多くの部隊を外地へ送る必要から、徴兵だけでは不足し召集で補充をかけるいっぽう、軍需産業従事者の確保も重要となりました。そこで、政府は「戦時召集延期の対象者」を内規で制定し、召集時期を延期する「召集延期制度」、召集されても軍隊へ入るのを遅らせる「入営延期制度」、軍隊に入った後でも除隊できる「特別召集解除制度」などにより生産態勢を維持しようとしたのです。

 以上のことを踏まえ、件の中川技師の体験を想像するに、二〇歳の時点では大学の理工学部在学のため徴兵延期の恩典を受け、二六、七歳になって徴兵検査を受け、兵事業務のミスにより入隊してしまい、3~4週間後「特別召集解除制度」の適用を受けて除隊した、ということになります。

 学歴のない熟練工の一例は、二十歳の時に徴兵検査を受けたが、平時だったため籤(くじ)で外れて予備役(約15年間)として勤務を続け「召集延期制度」により終戦をむかえた、というものです。

 したがって、「徴兵」なのか「召集」だったかは意味が異なります。


 熟練工の概念について。現在の自動車産業と同様、航空機産業も、多くの下請け工場の部品を集積して組み立て作業により完成させていました。それら下請けは、召集延期の恩典を受けるため「〇〇飛行機〇〇工場」という看板を出し軍需産業の一員をアピールしたといいます。むろんそこで働く職工さんたちも熟練工でしょうが、部品工場も対象とされたかは不明で、熟練工だからすべて召集延期というくくりはかなり疑問です。
 
 エンジン組み立てのばあい、まず金型成型の均等性や合金の強度が重要で、そこに職人技が要求されるようではとうてい増産態勢を採ることができません。熟練工が減ったというのは見方を変えると生産態勢の拡大によって熟練工の割合が減ったともいえます。むしろ、大量消費戦争に際しては、熟練工が必要のないほどの均一規格品を生産できる工業力が重要だったのです。

 
 
資料:戦史叢書『陸軍軍需動員 実施編』 防衛庁防衛研修所戦史室 朝雲新聞社 
   
 
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

中川氏の場合、突然赤紙が来て何かの間違いだろうと、すぐに帰れるつもりで仕事もそのままにして
行ってみると帰れなくなり、配属まで決まっていたが、結核だったことが発覚してそのまま入院。
そうこうしているうちに帰れたということで、やっぱり何かの手違いらしいです。

皆様からの情報により検索していった結果を自分なりにまとめると以下のようなところかと思います。

1.召集延期制度、臨時召集延期制度、入営(徴集)延期制度、特別召集解除制度、
  召集要考慮制度がありますが、最初に出た召集延期制度以外は既に熟練工を招集して
  困ってしまったから作った制度です。遅過ぎたということでしょう。
2.熟練工という言葉から中高年のおっさんを想像していたのですが、
  二十歳でも勤続4,5年ですから、代わりの新人を5年かけて教育したのでは間に合いません。
  当時の熟練工の基準はわかりませんが、誰を取られたとしても工場としては困ることになります。
3.召集延期制度の下では配分枠があったので、ご指摘のとおり飛行機の本体を作ってる工場と、
  その部品の一つであるエンジン工場では対象となる人数が違っていたのかもしれません。
  あるいは「三菱」はやっぱりこういいうところで政治力が違ったのかもしれません。

お礼日時:2012/08/31 23:57

工場の管理に陸軍の将校が来ていまして、工場側から熟練工を引き抜かれると


生産効率が落ちるのでやめてくれと申し入れたのですが聞き入れられず、
結局生産効率が落ちたのでした。

戦局が逼迫していたとは言え、日本軍の失敗です。
(ドイツでは原則として熟練工などは徴兵していません)
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この回答へのお礼

そのお話も有名ですね。
中川氏による談話のはずですが、天才技師とはいってもお若い頃のことなので、空気が読めてなかったのかもしれません。実はワイロでも贈ればどうにかなったのではないかと。

お礼日時:2012/08/30 00:07

それだけ戦局が悪化したって事 一億玉砕唱えてたぐらいだから当然の措置といえばそれまで

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この回答へのお礼

まあ最後の最後はそうでしょうが、食糧を送っていた私の祖父を後に回す分別があったのですから、兵器を作っていた人はさらに後にする程度のことができてもよいと思うのですが。

お礼日時:2012/08/29 23:53

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