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昔、私が真面目に仏教の勉強をしていたころ
仏教は仏教で問題が多いことがわかりました。
とにかく批判が多いのです。
特に原始仏教をめぐってです。
大乗仏教の勉強をすると、それは釈迦の本当の教えではない
などいわれて相手にされません。
かといって、パーリ語をやって文献学をさかのぼって
と思っても、なかなか難しいものがありました。
そもそも、パーリ語の文法書がなぜ日本では
水野弘元さんの古いものしかないんですか?
パーリ語を一般人はやるなってことですか?

結局、サンスクリットもパーリ語も漢文もわかりませんよ。
偏った知識で文句を言うわけですよ。

しかし原始仏教にこだわるならさっさと
出家しろよという話になります。

日本では乞食は法律で禁止されています。
乞食行なんて違法なわけです。
原始仏教をそのまま現代の日本で再現したらカルトでしょう。
それなのに釈迦の本当の教えがどうとか
うんざりで。

せっかくなのでなにか魅力を教えてください。

A 回答 (26件中11~20件)

書き忘れた・・orz


kazamidoriさん、ほんとに、ほんとにごめん
仏教の事で、苦しんでいるの
その大事な場所で、他のこと話して

ねむりねこさんへ

私の1の事は、議論することではないと思います

今!!そこで!!苦しんでいるものがいる!!

その圧倒的な、リアリティー、説得力
それ以上に大義名分はありません

(-3-)救えよ・・よう考えて、知力尽くしてな、体力もbyジーザス

なんですよ、結局、人間、動物・・まぁ、虫や植物は、めっちゃ苦しんでますよ
その前に、議論、理論、思想、哲学、宗教は、あっという間に、意味を失います

十字架かかったからって、手を抜くな!!ぴし!(-Д-)ノ)Д`)←イエス
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この回答へのお礼

>その大事な場所で、他のこと話して

いえいえ、かまいませんよ。

お礼日時:2012/09/08 10:57

貴方自身、「ブッダの言葉そのもの」を求めようとしておられるのでしょうか? それとも、自身にとって「真理」により近いものを求めようとしておられるのでしょうか? あるいは、何か方法論やヒントになるものを求めようとしておられるのでしょうか?



「真理」と目されるものごとが、「そうである」と、どうやって判断可能なのでしょうか?
貴方自身が、ここでの質問・回答から「何を」求めようとしておられるのかということと密接に関わるでしょう。

ここで、質問され、回答されることと同等のことが、ブッダが生きていた時代、さらにその後にも、同じことがくり返されたのかもしれません。

「スッタニパータ」のことを、「言語が違う」として無視されるのもいいですが、私自身には、ブッダがそういったかどうかは別として、「八つの詩句の章」の記述は参考になるものがありました。
そこには「真理とは何か」についてよりも、「真理というものがあったとすれば、それはどういった概念になりうるか?」という、論理的な思索(方法論)が記述されているからです。

ここ、「質問・回答」コーナーでも、多くの方が「なにがしかのヒント」になるであろうことを、それぞれの立場で持ち帰っておられることでしょう。同じことだと思います。

個人レベルでは、様々に語られる宗教的な言説の概念や考え方の基本・理念の背景にあるものを汲み取り、それぞれの思索・生活・人生に役立つのであれば、それこそが、それぞれにとっての「真理」足りうるのかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
最初は、「ブッダの言葉そのもの」で
それを探すのに無理があることがわかってきたから
ほかのことを探し始めたという感じでしょうか。

お礼日時:2012/09/08 10:56

えぇ~~・・ここに、答えちゃっていいのかな?


すいませんkazamidoriさん、えと・・眠り猫さんにお答えです

えと・・ごほん(-Д-)

そこ!!そこなのよ!!ロジック・・の意味は、あまりわからいけど
2の僕の答えの、その矛盾です!良い所ついた!(-Д-)bぐ~
昔は、それで悩みました・・いや、ほんとに
忍耐強い牧師さんに、何度くらいついたか
その矛盾なんですよね、結局は

愛だろ!?子供だろ!?じゃあなんで裁くねん!
挙げ句の果てに、大事な子を張りつけかよ!
それ、なんの狂気!?

と・・まぁ、言葉はもっと丁寧口調ですが、こんな感じで言い合いました

あぁ、滅びたけれど、地獄は遠く・・

・・なんですよね、結局
十字架の答えは出ていませんが、2の答えは出ています

誰も、滅びることは望まず・・なんでしょうね

それよりも【今現在】苦しむ者への思いが大切だと思います
結局、誰もが、天国行ってしまいますしね
まぁ、天国行く前に、兄貴に、一発ぶんなぐられる、人もいるでしょうがね
私も、せいぜい、兄貴の、殴る力が、少し減るように、努力しますか・・こんな感じです

ちなみに、私に一番嫌いな人はパウロです(-Д-)あいつは~美談で隠すな!
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この回答へのお礼

気になるのですが、パウロってなぜ人気がないんでしょうか?

お礼日時:2012/09/08 10:53

>パーリ語をやって文献学をさかのぼって


と思っても、なかなか難しいものがありました。

言語は所詮言語にすぎません。
経典からの学びに必要なのは共感力なのです。
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この回答へのお礼

わかりました。共感力ですね。

お礼日時:2012/09/08 10:51

#No.6のoocryさんへ



クリスチャンではない#No.2ございます。

☆☆☆
bragelonneさんという大変見識の深い方と
~~~~~
1.神が、人間を作ったのなら、なぜ、不幸があるのをほっておくのか
  アダムのせいと言うが、ちゃんと見ていなかった神のせいもあり
  人間だけに、罰を与えるのは、おかしい
~~~~~
について、わたくし《ねむりねこ》はかなり突っ込んだ熱いバトルを繰り広げたんですよ。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7401704.html
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/7401704.html?pg=1

参考になればと思いまして。。。。
bragelonneさんとのこの議論で、わたしの聖書観や聖書の読み方も随分と変わりました。
聖書の読み方が深まりました。聖書を自由に読めるようになりました。
ほんと、bragelonneさんには、いくら感謝をしても足りません。



☆☆☆
~~~~~
2.神は愛だろ!!信じるから、救う、信じないから地獄行・・んな、はずあるかい!!
  神は誰も、愛して、子と思っている
  信じるから、親になる、救うなど、条件付きが愛か!!
  イエスの兄ちゃんの十字架をなめるな!!
~~~~~
パウロの《十字架の神学》って奴ですね、すこし違っているけれど。
イエスは自らの身を生贄として神に捧げることによって、人間の原罪をチャラにしたって奴。

でも、2はロジックとして弱~い。
「神は愛だろ!!信じるから、救う、信じないから地獄行・・んな、はずあるかい!!
 神は誰も、愛して、子と思っている。」
ならば、《イエスの十字架》もいらないし、《イエス》の存在さえ不必要!!な~んもいらない。
《イエス》が何故、この世に出現したのか、まったく説明できな~い。

実は、《イエスの教え》と《イエスの存在自体》が《つまずきの石》かもしれませんぜ。
ペトロたちイエスの弟子が躓いたように、躓くかもしれませんぜ。

 マタイ伝14・27
 イエス 弟子たちに言ひ給ふ。『なんじら皆躓かん…』

ですぜ。安易にパウロの《十字架の神学》を信じていいんですかい。
《イエス》は、結構、弟子たちを試していますぜ。「信仰が足らないなぁ~。お前ら、全然、分かっちゃいない」って叱りつけていますぜ。

な~んて、脅かしたりして。
たぶん、2.の信念があれば、救ってくださるんじゃないですかねぇ、神さま。



☆☆☆
#No.3の《この回答のお礼》に
  ☆法華経はキリスト教に似ていますよね。
って感想がありますよね。
19世紀後半だったかな、欧米で
 ”新訳の《放蕩息子のたとえ》は法華経の《長者窮子のたとえ》のパクリ”疑惑が持ち上がった
んですよ。
歴史上実在したゴータマ・ブッダの方がキリストよりも400年くらい前の人だから(笑い)。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
bragelonneさんといえばよく、
エレミヤ書31:31以降(ヘブル書8章)が 鍵を​にぎる。
と発言されていましたがどうなんでしょうね?

>19世紀後半だったかな、欧米で
> ”新訳の《放蕩息子のたとえ》は法華経の《長者窮子のたとえ》のパクリ”疑惑が持ち上がった

とはいえ法華経が成立したのはもっと時代が経過してからではありませんか?
仏教といいますか、原始仏教は、ある意味近代になって
欧米から入ってきた外国の新しい宗教といえるかもしれません。
これをいうと場が荒れるかもしれませんけど。
日本の仏教学者も欧米にサンスクリットを学びに行ったのだし、
特にパーリ語の仏教は欧米の研究によるところが大きいわけで。
サンスクリットからフランス語に訳された法華経とかあるそうだし、
今でも辞書や文法書は英語のものが日本のものより充実している…。
漢訳仏典のほかに、外国語に訳された仏典が日本に出回ればおもしろいかもしれません。

お礼日時:2012/09/08 10:49

「独り歩め」




・・・やはり、他力ではない、ということでしょうか。

でも「「信教の自由」と、その限界」という問題もありますね(笑)
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この回答へのお礼

べつに他力でもいいのでないですか?
信教の自由とその限界とはどういうことですか?

お礼日時:2012/09/08 01:24

仏教は「抜苦与楽」の教えであって、心底苦しくて、死ぬほど悩んでいて、どうにか救われたいと願っている人に最後の救いを与えてくれる、尊い教えなんですよ。

逆を言うと、そこまで苦しい状況に居ない人には、その有り難みが良く分からなかったりもするんですけどね。

まあ、大乗経典だろうが、パーリ聖典だろうが、そこに真理そのものが記されている訳ではないのだから、あんなもんいくら勉強したって、何も分かりはしませんよ。原理主義、尚古主義の上座部や、祖師マンセーしてるだけの大乗仏教には、未来や可能性なんか、全然ありやしない。そういう意味では、大乗も上座部も平等に価値が無いんだから、精々仲良くしやがれってんです。

ただひたすらに真理を求め、仏に逢っては仏を殺し、犀の角の如く独り歩む。無師上等、二乗上等。仏教サンガ、何するものぞ。真の救いは、書物や言葉の中になど、ありはしない。テメエを救えるのはテメエだけ。無頼こそが求道者のあるべき姿よ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
宗派にとらわれなければ自由ですね。

お礼日時:2012/09/08 00:29

>せっかくなのでなにか魅力を教えてください。



テーラワーダに関して言えば
自分が賢いと思う人間には敷居が高いので
本当の意味で賢い対話ができる人間が多い点です。

具体的に言えば、不明な事柄に関しては「私にはわかりません」で話が終わるとでもいいましょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
テーラワーダ流行ってますね。

お礼日時:2012/09/08 00:08

Ano.7です。



もちろん、「それ」で、他者の迷惑となっては、遺憾。

この回答への補足

回答ありがとうございます。

補足日時:2012/09/08 00:07
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この回答へのお礼

独善にならないように気をつけたいと思います…。

お礼日時:2012/09/07 23:51

kazamidori365様、こんばんは。




「他者の批判」じゃないところ、かな。


「「犀の角」のように、ただ独り歩め」

心理学的にも、「「他者」からのアレコレ」に(みだりに)影響されない「ゆるぎない人」というのは、評価されるようです。
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この回答へのお礼

耳が痛いですね。
なるほど魅力的です。

お礼日時:2012/09/07 23:49

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