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光速一定の原理はマイケルソン・モーリーの実験結果から経験的に得られたものですか。
相対論もこれを前提に導かれています。
しかし、なぜ一定なのでしょうか。
人類の経験則なのか、あるいは理論的に導かれうるのでしょうか。

質量(エネルギー)保存の法則も経験則なのでしょうかあるいは理論的に導かれるのでしょうか

A 回答 (6件)

光速度一定の原理はご存知のとおり、現時点では実験結果に過ぎません。


相対論は光速度一定の原理により導かれたというのは逆で、相対論を成立させるために光速度は一定である、と仮定したわけです。すると存外に面白い結果が得られたので光速度は一定であるとしておいた方が幸せ、ということですね。
将来的に相対論が破綻すれば、光速度一定の原理も見直されるでしょう。今のところ反証はないようですが。
これ以外にも重力定数/プランク定数など、現在の宇宙論には「マジックナンバー」がたくさんあります。なぜそれがその値なのか?ということを完璧に説明できる理論は今のところないようです。

最新の宇宙論である超ひも理論でも、理論を成立させるために宇宙は10次元であるという仮定を必要としますが、なぜ10次元なのか、そしてなぜそれが一見4次元に見えるのか、については謎のようです。

エネルギー保存則(熱力学第1法則)も「いままでの実験結果を満足させるための仮定」であるようです。したがって、もし永久機関が出来たとしても不思議はありません。熱力学関連の理論は根本的な見直しを要求されるでしょう。
幸いなことに(?)、今までのところそのようなことはないようですが。

参考URL:http://homepage3.nifty.com/iromono/kougi/ningen/ …
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>相対論もこれを前提に導かれています。


しかし、なぜ一定なのでしょうか。

 相対性理論は電磁気学を基本に作られて
いますが、光が一定の速度を持つというのは
基本的には電磁気学の式から出てくることです。

 ただ電磁気学を完成させたマックスウェルは、
電気と磁気の実験結果やそれまでの理論
から、空間を一定の速度で伝わる電気と磁気の
波があることを式で示しただけでした。

 その理論値と、当時フィゾーやマイケルソンが
測定した光の速度が一致したことから、光も
電磁波であり、一定の速度を持つのだろうと
考えられたわけです。

 電磁気学では電磁波の速度は誘電率と透磁率
から計算されますので、これらの値が変わらない
限り速度一定ですが、それではニュートンの力学
の考え方と矛盾するのでは?というのが
相対性理論の発想の要因の1つです。
 よくある例と思いますが、時速4キロで
歩きながら時速100キロでボールを
投げれば、投げた本人からはボールは時速100キロ
だし、ほかの人、つまり観測系を変えれば104キロと
変わるはず。
 ところが電磁気学の式の意味するところは、
光は観測系にかかわらず誘電率と透磁率
から決まる一定値になるのでは?
ということなのです。

 そこでマイケルソン・モーリーの実験
結果などを受けて、光速は一定で、
周囲の空間のほうが変化するという
考えの元に作られたのが相対性理論で、
それがその後のいろいろな観測、実験結果と
あったので現在が認めらているということです。


ということで、光速一定というのは、

電気、磁気の実験 → 理論(光速一定の予言) → 光の実験 → 電磁気の理論と光の実験から相対性理論の誕生 → 実験結果との一致

ということで現在認められているものです。


>質量(エネルギー)保存の法則も経験則なのでしょうかあるいは理論的に導かれるのでしょうか

 保存という考え方は基本的には哲学で、
それを理論や実験が証明してきたというのが
流れだと思います。

 基本的な考えは、ギリシャ哲学や聖書から
来るものです。

 聖書によると無から何かを作れる・・・いや 創れる、
あるは、ある物を無に戻せるのは神のみということに
なっています。
 聖書の始めの創世記という部分で、神に創られた
人間アダムとエヴァの息子ケインが弟のアベルを
殺しますが、このときアベルの亡骸を見てアダムが
言った言葉が、有名な
「灰は灰に、砂は砂に戻るだけ」
というもので、人間は神が灰と砂から創ったのから
人間に殺されても、もとに戻るだけさ・・・
ということを意味しています。

 つまりいくら人間ががんばっても、存在を無に
することはできない。無くなったように見えても
それは形を変えてどこかにあるはずだという
哲学、信仰があったわけで、(実際神の存在に
有無は別としても)それを証明するための
実験や理論が結果的にいろいろな自然現象を
説明するのに役立ち、今日質量(エネルギー)保存の法則
とう形で理論化されているということです。



 

参考URL:http://homepage1.nifty.com/tac-lab/history.html
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この回答へのお礼

光の一定速度はマクスウェルの理論から来ていること、つまり人間の洞察力によって自然界を読んだということだったのですね。ありがとうございました。
仏教にも輪廻の概念がありますが、キリスト教にもあったのですか。知りませんでした。
僕は神が人間を作ったのではなく、人間が神の概念や宗教を作ったというフォイエルバッハ流の無神論者です。しかし、宗教は人間特有の精神文化として動物との差別化の証として理解しています。
当時の宗教創始者たちは、質量保存則を感性的に把握していたということですね。個別科学が進歩していない時代の人間の驚くべき洞察力ではないでしょうか。

お礼日時:2004/02/25 15:04

「時間の一様性」は、「原理」です。


これも、原理とも法則とも書かない不思議な記述の考え方です。
「時間の一様性」≒「エネルギーの保存則」と考えることも出来ます。

数学は、論理さえ正しければ「成立する」という学問です。
「数学上正しい=物理学上正しい」は、一般的に成立しません。
(物理学は、自然言語で厳密に説明するのが面倒くさいので、数学の形式を借りて説明するだけです)

経験事実からだけ「証明される」理論は、原理です。

以上の記述は厳密ではないので、いくらでも突っ込むことが出来ます。
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ニュートン力学、電磁気学、一般相対論、場の量子論など多くのdynamicsは「最小作用の原理」という変分法の形にかけることが知られています。

そして「時間の一様性」を仮定するとエネルギーの保存則が得られます。その意味ではエネルギー保存則は理論的に導けると言えます。歴史的には経験事実から次第に抽出されていったのもと思われます。最小作用の原理は「ラグランジアンを積分したものが最小になる様な運動が実際に起る運動である。」と述べられます。しかしラグランジアンの形はローレンツ不変性とかゲージ不変性とか、繰り込み可能性などからかなり制限できるものの、経験によっている所もあることから、全てを原理だけで導けるとは言えないと思います。
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物理学で「原理」と名付けられたものは、現時点であらゆる実験のデータから否定されていない法則の事で、一つでも否定されたデータが、確認(誰が確認するのか?という問題は残りますが)された時点で、「原理」ではなくなります。


したがって、「光速度不変の原理」は現在のところ「原理」です。

>なぜ一定なのでしょうか。
答えは、「否定されたデータが、現在ないから」
怪しげな自称「物理学者」(私もその一人ですが)が、何とか「光速度不変の原理」を否定するデータを発見しようとあがいていますが、今のところ悪あがきに過ぎません。
注:私は、「怪しげな自称物理学者」ですが、光速度不変の原理を否定する気はありません。念のため

>質量(エネルギー)保存の法則も経験則なのでしょうかあるいは理論的に導かれるのでしょうか。

まず、その前に「質量保存の法則」は、特殊相対性理論でエネルギー保存の法則の近似則である事が、証明されています。
答えは、「エネルギー保存の法則」は、本当は「原理」なのですが何故か、最初から「法則」と名付けられています。
いまさら、「原理」と言い変えても何の得があるのか?というのが、物理学者の言い分のようです。
(これは、全物理学者にアンケートをとった訳ではないので、反論のある方は書き込んでください)
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現在ではあまり知られていませんが、多数の理論が作られ、実験と比較して唯一残ったものが相対論なのです。

PanofskyとPhillipsの電磁気学の教科書に他の理論との比較の表があったと思います。相対論はそんなに容易に置き換えられるものではないと思います。しかし相対性理論に疑いを持たせる観測事実がないわけではありません。参考URLのGZK paradoxがあります。

参考URL:http://en.wikipedia.org/wiki/GZK_paradox
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