私は共通1次試験初年度の受験生です、依って大学入学は学生運動もほぼ終息に向かっていた1970年代後半でして、世は第1次ブランドブームに沸き、学内も享楽的な雰囲気すら漂っており、そもそも学生運動に関しては活字媒体や伝承での知識しかありません。
そこに関わらずに済んだ事を幸いに考える一方に於いて、遅れて来た事に対する幾分かの思いも無い訳ではないのですが、大学生活を終えるに当たり、就職活動或いはその後の結婚等自らの生活に精一杯で、そんな感傷に浸る暇が無かったのもまた事実です。
私にとっての学生運動は、或る意味ファッションやフィクション、そして歌の中に限定された世界(例えば「いちご白書をもう一度」の様な)でした。
そこで諸先輩方に御聞きしたいのが、学生運動に関わった(関わっておられなくても結構ですが)ばかりに、本来あるべき人生の方向性が変化したか何等かの影響が及ぼされた御経験、或いはそういった知人・友人の経験談があれば、身の回りの些細な事何でも結構ですので、支障の無い範囲で御教示頂ければと思います。
尚本件は私の興味に限定した御願いであり、他意はありませんので、そのところ御賢察下さい。
No.1
- 回答日時:
僕は70年代前半を学生で過ごした者です。
学生運動の終息直前期でしょうか。
5年間を自治会活動その他ですごしました。
サークル活動その他、自分の楽しみとなる事は
99%我慢してきたし、
最後は学内のある出来事について、学生大会は
無期限ストライキを決定、なのに賛成した学生
は次々とスト破りで授業復帰、無期限ストに
反対していた自治会役員は決定に自らしばられ
留年するという終わり方だった。
それで一挙に不信感をもったわけではないけれど
長い人生、もう少しだけ融通をきかせながら、あ
の時のようにここという時は自分の立ち位置を変
えないという生き方をしてこれたと自負している。
それにしても大学時代、遊びにいけなかったのが
人を遊びに誘えないハンディかな。そして歯医者
に行けなかったので前歯が6連結の差し歯に。
色々な人たちと一生分の交流ができたと思っている。
傷もたくさん負ったが、消極的な自分がよくあれだけ
動けたものだ。仲間に感謝している。
実体験に基づく貴重な御意見、誠にありがとうございます。
>最後は学内のある出来事について、学生大会は無期限ストライキを決定、なのに賛成した学生は次々とスト破りで授業復帰、無期限ストに反対していた自治会役員は決定に自らしばられ留年するという終わり方だった。
ヘルメットを被り・アジ演説をぶった学生達が、一方に於いて自らの将来・人生に思いを馳せ、次々と実生活に戻って行く様、一方に於いて梯子を外された格好の方々が存在する事、そこに幾分かの不条理さと理解可能な現実が混在する気がします。
一部の例外を除き、学生運動に首を突っ込まれた方々の殆んどは、ほぼ4年間に限定された現実からの逃避という事だったのでしょうね。
>傷もたくさん負ったが、消極的な自分がよくあれだけ動けたものだ。仲間に感謝している。
フレキシビリティ溢れる生き方も決して否定は致しませんが、多少の不器用さを感じさせる貴兄の在り方に、個人的には或る面で憧憬を感じるのも正直なところ。
そして何よりも、深く刻まれ一生胸に残る思い出という事なのでしょうか、真摯な回答感謝致します。
No.2
- 回答日時:
こんばんは。
お久しぶりでしたね。
お話し、したいと思っておりましたが、
中々機会がありませんでした。
私の学生生活は、所謂、学生運動の真っ最中です。
第一次早稲田闘争と言われるものは、私の少し前です。
私が入学した頃から東大闘争が始まったように思いますが、
まあ、その頃でしょうね・・・。
質問の「学生運動が及ぼした影響」については、
私の場合は殆どありません。
学生運動が東京中の学生を沸き立たたせたと、
お思いになっているようでしたら、それは少し違います。
所謂、ノンポリと称された学生は私を含めて実に多いものでした。
私も私の友人も、彼等を遠くから眺める・・・そんな感じでした。
面白い話があります。
友人の一人に運動をしている男がいたのです。
朝、バッグを持って出かけるのです。
何処へ行く?と尋ねると「現場だ!」(笑)。
バッグの中はヘルメットとかタオルだったのでしょうね(笑)。
今で言う派遣社員のようで、思い出すと可笑しくて笑ってしまいます。
一年に一度ほどですが、その友人と会うことがあります。
穏やかな人生のようです。
彼にとって熱病とも思えるあの学生運動は、どのような意味を持つのか?
私には知りようもありません・・・。
ただ、たまにですが羨ましく思うこともなくはないのです。
turukamejirouさんお久し振りです、映画関係を主とした貴兄の質問は度々拝見しているのですが、悲しいかな締め切りが早い傾向にある為、中々回答する機会に恵まれません・・、という恨み節はともかく、御回答誠にありがとうございます。
>学生運動が東京中の学生を沸き立たたせたと、お思いになっているようでしたら、それは少し違います。
少しばかり意外でした、学生運動の積極的分子であるか否かはともかく、多くの学生がノンポリである事、そして局外中立に身を置く事が、許容されない時代であったと認識しておりましたので。
>友人の一人に運動をしている男がいたのです。
先に申し上げた通り、70年代後半から大学生活を過ごした我々にとって、学生運動は遥か昔に通り過ぎたエピローグのはずでしたが、とある秋の日の吉祥寺での事、いかにもといった格好でビラ配りをしている一団の中に高校時代の友人を発見して、軽いショックを受けた経験があります。
ほぼ終息したはずの学生運動がここではまだ現在進行形であるという驚き、そしてそこに友人が参加していたという現実に対して。
但し後日談を申し上げますと、都市対抗野球が行われた東京ドームで、それから数年後に偶然彼の姿を見つけましたが、当日は客筋である某有名企業の応援に来たという事でした。
彼いわく、学生運動からは早々に足を洗い、さる一部上場企業に入社したとの事、少しばかりほっとすると共に、彼にとっての学生運動とは果たして何だったのだろう?、という疑問を持ったのも正直なところ。
先の回答者様へのお礼でも述べたのですが、社会に出る前そして4年間に限定されたモラトリアムだったのでしょうか?
>ただ、たまにですが羨ましく思うこともなくはないのです。
私が斯様な質問をさせて頂いた背景は、恐らくそういった深層心理に由来するもの。
平々凡々と過ぎてしまった学生生活、そしてその対極に位置したであろう学生運動、及びインパクトに残る時代背景等々、その当事者になる意志と勇気は更々無いが、そういったものに対する或る種の興味と憧憬は、ほぼ確実に有しております。
No.3ベストアンサー
- 回答日時:
先日、音戸の瀬戸の町工場であの大学紛争の闘士A田M大に会ってきました。
いまはもういいおじさんになっていました。彼はぼくらより5歳くらい上のまさに70年安保闘争
時代に生きた人。
僕はまだ田舎の高校生で朝日ジャーナルに毎回登場するA田の写真をそのひげ面とともに
英雄を眺める目で眺めたものだった。
昭和28年生まれの僕にとって学生運動とは過ぎてしまった嵐であり、作家川本三郎が
朝日ジャーナルの記者だった時代のことは、映画マイ・バックページでしかうかがい知れない。
そういう世代です。
とはいえ、全共闘世代を恨んでいないかというと嘘になる。あいつらのおかげで私たちは
まともに教養部の授業を受けられなかった。おまけに上からの大量留年で我々も教養部留年。
その留年生が暇にまかせてわれらの同級生の女の子をかっさらっていって、我々に彼女は
回ってこなかった。
あんまり好きではなかったけど、まぁ当時のアイドルに少し似ている女子大生のアパートに
ころがりこんで留年の無聊を慰めていた。パチンコとビリヤードだけが強くなった。
毎月バカみたいに同じ月末に、生理がこないと待ちわびて遅れてやってきた生理を干天の慈雨の
ごとく寿いだ。そういうバカげた青春の日々が、全共闘世代の先輩の贈り物だった。
ぼくらが卒業する1977年にはもはや学生運動の火の粉は消えたものの、就職試験の面接では
あえて自分がノンポリであることを示す何かが求められた。
ぼくは「あなたの夢は何か」と聞かれ「世界同時革命」と言いそうになる衝動を抑えて「はい。小さな個展開くことです」と答えた。
面接した役員はもう亡くなったが「小さな喫茶店ですか?」とつぶやき、チェックシートに〇をつけていたようだ。もう一人の役員は、もう少しましな答えはないのかと聞こえるように口を動かした。
堕ちたかと思ったら合格していた。3年前の受験者が、学生運動の闘士でなにやら面接で論争をやらかしたというのは、あとから知ったことだ。
僕の部活は美術部なのに、部室にはキャンバスでなく縦看板がやまほどあった。キャンバスの枠木は
そのまま角材として使われ絵画の多くは同級生の裸を想像して描いたろくでもない作品ばかりだが
ブリキの缶に角材をぶち込み一緒に火をつけて焼かれた。
テレピン油は真っ黒いススを含んで、荒涼としたキャンパスの冬空に舞い上がった。
ぼくの東北の学都の記憶はそこまでしかない。
回答ありがとうございます。
>当時のアイドルに少し似ている女子大生のアパートにころがりこんで留年の無聊を慰めていた。
大学には実家から通学していた為、積年憧れ続けた「神田川」の赤い手拭いや、四畳半の古いアパートでの同棲といった世界は、遂に叶わぬものに終わりましたが、正直申し上げて経験すらしなかった学生運動へのノスタルジーは、私の場合先の見えない刹那的な男女関係、或いはその辺りにあったのかも知れません。
>毎月バカみたいに同じ月末に、生理がこないと待ちわびて遅れてやってきた生理を干天の慈雨のごとく寿いだ。そういうバカげた青春の日々が、全共闘世代の先輩の贈り物だった。
類似の経験多数ですが、今では殆んど想像すら出来ない誠に馬鹿げた過去の行状に対する懐古、ひょっとすると年を取るとはそういう事かも知れませんね。
>ぼくらが卒業する1977年にはもはや学生運動の火の粉は消えたものの、就職試験の面接ではあえて自分がノンポリであることを示す何かが求められた。
私は法学部に所属しておりましたが単位が欲しい為、比較的左派傾向が強かった憲法の教授のレポートには、天皇制に懐疑的である事及び憲法9条遵守、一方右寄りの法学教授のレポートでは正反対の論陣を張り、共にAAを頂戴した記憶が有ります。
>テレピン油は真っ黒いススを含んで、荒涼としたキャンパスの冬空に舞い上がった。
>ぼくの東北の学都の記憶はそこまでしかない。
そのシーンを境として学生生活がフェード・アウトする様で、こういう描写は好きです。
「学生運動が日常生活に及ぼした影響の数々」を御披露頂き、感謝致します。
No.4
- 回答日時:
私の元上司は60過ぎですが、学生運動に燃えていた生徒が、ちゃっかり試験には出てきたのを見て、バカバカしくなって試験を放棄したと言っていました。
彼は別の地方から入学したので、バイトを掛け持ちしながら学費や生活費を稼いでいたそうで、授業がない学生生活が伸びるほど、無駄な家賃を払わさせられていたことになり、死活問題の迷惑を被ったそうです。
堅い業界の優秀な研究者なので、てっきり無駄なく勉強や仕事を極めてきたのかと思いましたが、自分の力ではどうにもならない状況に立たされた経験があるせいか、おおらかな考え方をする人です。
あんなことがあっても、腐らずに自分のやりたい事をやったんだから、この先も何かあってもどうとでもなる、というスタンスです。
私は元女性闘志のケアに間接的に携わっています。
学生運動の後にある農家に「援農」に行ってそこの男性と結婚し、数十年の間に心を病んでしまったのです。
自由のために闘ったのに、大学では女子は男子に炊事を命じられ、暴力をふるわれ、嫁ぎ先では保守的な家風に抑圧され、ジェンダーの苦しみが幾重にも積もっています。
ふと気がつくと変なことをしていたり、自分の心が宙に浮いているような感覚のようです。
運動の挫折や喪失感だけではなく、自分の性が搾取された悲しみが重なっていることに耐えられないのでしょう。
苦しんでいるのは私ではなくて誰か…というふうに自我を曖昧に漂わせることによって、自分を保っている状態です。
また、昨年「マイバックページ」や「いちご白書」を見て思ったのですが、映画になりやすい世界だなと思いました。
私はマイバックページのインチキ闘志より、それを取材したヘタレ記者より、仕事を終えた庶民が居酒屋で和やかに飲んでいる姿に共感しました。
彼らが気負わず真っ当に生きているラストシーンに感動していたのですが、終映後、知らない男性から、自分も闘っていたとかその時代を知っているとか話しかけられたので、あなたにもあなたの話にも興味がありませんと断りました。
若い世代の私に教えたかったのでしょうが、死者も出た大きな運動なのだし、安易なウンチク話は聞きたくなかったからです。
私は今も苦しんでいる人に向き合っている立場なので、「あの頃は…」と感傷に浸るオジさんはマヌケに見えたし、自分に酔っていて気持ち悪いと思いました。
映画になるくらいのドラマではあるし、このオジさんのような軽薄なタイプは若い世代に自慢するネタにしたいのでしょう。これも学生運動の小さな害かもしれません。
もし語るなら帰還兵ぐらいのシビアさで語って欲しいですね。戦争に比べたら小さなことであっても、それが渦中にいた人の責任でしょう。自慢や自分語り程度の話は迷惑です。
回答ありがとうございます。
>私の元上司は60過ぎですが、学生運動に燃えていた生徒が、ちゃっかり試験には出てきたのを見て、バカバカしくなって試験を放棄したと言っていました。
或る程度馬齢を重ねると、その学生の前後のコントラストに微笑ましさすら感じる様になるのでしょうが、若者の感情は直線的傾向を有しますから。
>自由のために闘ったのに、大学では女子は男子に炊事を命じられ、暴力をふるわれ、嫁ぎ先では保守的な家風に抑圧され、ジェンダーの苦しみが幾重にも積もっています。
本邦に於ける学生運動を振り返り且つ俯瞰するに、この点に於ける理想と現実との乖離は誠に甚だしい、例えば一方に於いて女性の開放を叫ぶものの、その実一般社会よりも余程保守的な閉鎖性を有し、甚だしくは女性を性の玩具と位置付けた明確な証拠も少なくないでしょう。
また女性闘士と称される方々も或る程度その事を容認し、しかも奔放な性体験(フリー・セックスと置き換えてもよいが)が女性の地位向上に直結するとの誤解があった傾向は否めない気がします、まあ回答者様が関わっておられる女性が、どういった事情を御持ちかは判断しかねますが。
>私はマイバックページのインチキ闘志より、それを取材したヘタレ記者より、仕事を終えた庶民が居酒屋で和やかに飲んでいる姿に共感しました。
学生運動の当時者及びその周辺居住者と一般庶民、そしてその背景にある左翼活動と右肩上がりの経済成長、両面のコントラストが恐らくこの映画のテーマではなかろうかと。
>映画になるくらいのドラマではあるし、このオジさんのような軽薄なタイプは若い世代に自慢するネタにしたいのでしょう。これも学生運動の小さな害かもしれません。
大学時代の或る時期、数ヶ月に及びアジアを放浪した経験があります。
当時のバンコクの安宿には、学生運動に夢破れた(或いはそれ以外の理由に依るのかも知れませんが)と自称する私より1世代上の方々がとぐろを巻き、酒や女或いはドラッグに溺れては往時に思いを馳せて、くだを巻いておりました。
私自身そういった気安さに身を委ねかねない危うい心境にありましたが、彼らの存在に依り覚醒された気がします、「こうなっちゃ駄目だ、普通の生活に回帰しよう」と。
No.5
- 回答日時:
NO.4です、漢字を間違っていました、すみません。
闘志=× 闘士=○ です。
「私は元女性闘志のケアに間接的に携わっています」ではなく、
「私は元女性闘士のケアに間接的に携わっています」でした。
「私はマイバックページのインチキ闘志より」ではなく、
「私はマイバックページのインチキ闘士より」でした。
No.6
- 回答日時:
#3です。
70年安保以前に、強い衝撃を受けた作品に(すいません60年安保のときは7歳でした。小説でしか
知り得ない世界です)
柴田翔の『されどわられが日々』があります。
薄い黄緑色の144ページのハードカバーの小説は、中学生だった私の心に大きな鉛の塊のように
圧し掛かったまま、還暦近くになる私の心をふさいだままです。
学生運動の時代であいながら、柴田翔の作品は、その後の鳥の影などの作品同様きわめて純粋な
私小説・そして美しい恋愛小説であったような気がします。
今でも忘れないのは、主人公が学生運動の渦中で死んでいった野瀬という友人に思いを残している
婚約者の節子が
「私はこうやっていつまでもあなたの食事をつくりつづけるのかしら」とつぶやくのに対して
「そうして欲しいのだよ」と応える。
しかし、節子のつぶやきの陰に救いがたい絶望があることを感じ取って
「男と女が一緒にいるということは、かなりいいことなんだと思うよ」と付け足す。
この会話に中学生の私がどれだけの絶望と孤独を感じたのか、その後学生時代にも何度も読み返した
から定かではにけど、大学紛争という言葉とこの小説は私の中で切ないまでに分かちがたく
存在している。
川本三郎はそれを演じた役者ほどひ弱ではないが、しかし浅間山荘事件など悲惨な結末をたどった
70年安保に比べ60年安保の時代のナイーブさをいとおしく思う。
有名な積み木を積む場面は、知らず知らずのうちに私自身の男女関係のコミュニケーションの比喩に
用いていた。
さて、うまくないな。どうもこの時代を説明しようとすると言葉がスムーズにでてこない。
そうそう。学生運動は私に何の影響も与えていない。私から好きだった彼女を奪った以外のことで
民青や全共闘の先輩を恨んだりはしていない。
ただ、60年安保の時代の熱い男たちは、会社を面白くしたし70年安保の時代に会社にもぐりこんだ
小者たちは会社をダメにしたというのは確かなことだろう。ダメになった会社を食い物にしているのは
お前たちだろうといわれると返す言葉もないのだが。
この回答への補足
再度に及ぶ御回答を賜りまして、誠にありがとうございます。
尚貴兄の御回答に対し、自身納得がゆくお礼を差し上げる体調に現在ありませんので、大変申し訳ないが週末まで御待ち頂きたいと存じます。
再度の御回答を賜り感謝致します、尚前段の小説の部分は、生憎読んでおりませんのでコメント不能という事で。
>浅間山荘事件など悲惨な結末をたどった70年安保に比べ60年安保の時代のナイーブさをいとおしく思う。
恐らくとしか申し上げられないが、御指摘の点は焼け跡からの復興~高度経済成長に到る軌跡と無縁では無い気がします。
そもそも戦後の闇市時代に、そして誰もが飲まず喰わずの状況に於いて、果たして学生運動という大きなうねりは有り得ただろうか?
戦後復興の兆しが見え始めた60年代、更には高度成長に到る70年代、即ち衣食住といった最低限の生活が担保される社会的背景に到った事が、学生をして左翼活動に走らせる空気と余裕とを醸成し得た、そしてそれは経済成長の加速度に比例して純度を失い、且つ身近な問題から徐々に乖離して、遂には日本赤軍の様な存在へと変貌を遂げてしまった、そう考える次第です。
>ただ、60年安保の時代の熱い男たちは、会社を面白くしたし70年安保の時代に会社にもぐりこんだ小者たちは会社をダメにしたというのは確かなことだろう。ダメになった会社を食い物にしているのはお前たちだろうといわれると返す言葉もないのだが。
年代別の評価は別として、私が入社した当時部課長の職にあった上司の殆んどは(60年安保世代に属する方々)、まるで馬車馬の様に働いておりました、それはもう感心するほどに。
土日祭日ですら、ゴルフその他で仕事の延長線上にあり、遥か後年の世代に位置し典型的な小者を自負する私としましては、大いなる違和感と迷惑とを禁じえなかった。
その一方に於いて殆んどの接待稟議はめくら判にて、当時20代の若造でしかなかった私ですら名だたる高給店で飲み食いし、その後銀座のクラブに繰り出すといった、余禄も確実に存在しました。
その風潮が失われたのは恐らくバブル崩壊を端緒とするのでしょう、経費節減が一義的となり、高給クラブ⇒居酒屋・タクシー⇒公共交通機関・ビジネスクラス⇒エコノミーといった具合に大変貌を遂げたが、代わりに当面の仕事さえ済ませていれば大威張りで退社出来る様になり、個人的な時間が大幅に増加したのもまた事実です。
高度成長期に日本社会を支え続けた先人達の熱気と影響力は確実に喪失した、他方その事が退潮著しい日本という国家の現状と無縁かどうかは、判断しかねるところではありますが・・。
No.7
- 回答日時:
NO.4です、お礼をありがとうございます。
>奔放な性体験(フリー・セックス)が女性の地位向上に直結するとの誤解があった傾向は否めない
当時のことは社会心理の専門家と情報交換し、元女性闘士からも人間関係を聞き、彼女の背景はある程度は想像できます。でもフリーセックスをしていたかは分かりません。
していたとしても、「乱交を楽しんでおいて、今さら被害者面をするな」とは思いません。女性解放運動を評論したり個人を批判したところで、病気は治らないからです。
>回答者様が関わっておられる女性が、どういった事情を御持ちかは判断しかねますが
封鎖した大学で複数の男から乱暴され、妊娠し堕胎しています。
そういう自分を忌み嫌いながら、援農という形で活動を続けたのですが、自己評価が低い人は被支配を許してしまうので、嫁ぎ先の農家でも暴力をふるわれています。
援農を受け入れた側も抑圧的な社会だったので、彼女がスケープゴートになってしまい、家庭はますます荒んだようです。
ご質問の「学生運動による影響」ですが、彼女は活動の挫折と仲間や家族からの暴力によって、解離性障害と思われる病気になりました(症状は前回簡単に書きました)。
そのせいで問題行動を起こし、家族からさらに責められるという悪循環です。
>バンコクの安宿には、学生運動に夢破れた方々がとぐろを巻き、酒や女或いはドラッグに溺れては往時に思いを馳せて、くだを巻いて
元女性闘士が自我を希薄にしたように、その人達も荒れた生活をすることで、現実から逃げていたのでしょう。
まさにそういうタイプの元闘士達にも関わりましたが、多くは何かしらの依存症でした。
そのなかの一人は、断酒のストレスで人間に依存し、共に闘った元恋人とトラブルを起こし、また酒に溺れるのを繰り返していましたが、ついに心中未遂を起こしました。
相手の女性に事情を聞くと、彼女は彼女で、いまだにアパートで同棲していた思い出にうっとりしていたので、現実から逃げたい男女が死を選んだのかもしれません。
「学生運動による影響」ですが、この二人の場合はアルコール依存と傷害事件です。
もう医療の力だけでは手に負えないので、弁護士や福祉士にも加わってもらって、マイナスからの再スタートです。
70年安保で潰れた人達は、フォークソングに歌われているような世界に自分を重ねて酔ったり、私小説を読むような語り口で昔のことを話しますが、今の自分のことは黙り込み、酒を飲んで暴れるタイプが多いです。
>上司の殆んどは(60年安保世代に属する方々)、まるで馬車馬の様に働いて
そういう人達の家族もたくさん治療を受けています。
機能不全家族の原因を辿っていくと、夫であり父である彼らに行き着くのですが、学生運動をやめて会社員になって家族を養っている分には誰もおかしいとは思わないし、一番壊れている本人が気付いていないので、とても厄介です。
彼らは「何で俺が家族のメンタルケアに付き合わされるんだ!?」と、主に自分に原因があるとは知らず最初は怒っていますが、じっくり話をさせていくと会社で猛烈に働いていたことを語り、さらに話させると学生運動のことでヒートアップします。
そうやって自分を出させていき、では一個人・一家庭人としての自分の感情や感覚がどういうものだったかを話すように促すと、すぐに社会や時代を論じる方向にすり替えます。
大学や運動も、会社や仕事も取っ払って、自分という人間を白状するのが怖いのでしょう。
心の底では、活動からも家族からも逃げて働き、会社では不自然に熱血、家庭では気が抜けていたか不機嫌でいた自分の弱さと狡さを知っているのですが、それを認めるのが嫌で、回りくどい評論家になることで誤魔化しているのでしょう。
彼らの「学生運動による影響」は、機能不全家庭を作ってしまったこと、自分を見つめることから逃げる気質になったことでしょうか。
60年安保で壊れた人達は、運動にしろ仕事にしろ極端に走り、人間として生き物として「生きる」というシンプルな本質から遠ざかろうとするタイプが多いです。
そこが希薄な人が家庭でまともな人間関係を築けるわけがなく、家族が病むのです。
学生運動にノスタルジーを抱いたり、憧れたり、分析しウンチクを語る人は、(少なくとも今は)実害がない人だと思います。
今も苦しむ当事者と家族や、それを支える側にとっては、人の生き死にに関わる厳しい現実です。
再度の御回答を賜りまして恐縮です。
>学生運動にノスタルジーを抱いたり、憧れたり、分析しウンチクを語る人は、(少なくとも今は)実害がない人だと思います。
>今も苦しむ当事者と家族や、それを支える側にとっては、人の生き死にに関わる厳しい現実です。
人生の方向性に対する若干の軌道修正や或る種のドロップ・アウトに留まらず、健康や精神を病んでそれを現在に引き摺る方々がさほどにいらっしゃるという、恐らく殆んどのメディアが触れないであろう現実を御提示頂いた事、感謝すると共に深く考えさせられてしまうのもまた事実。
考えるに回答者様は、一頃濫発された自己責任という言葉の対極に位置する世界に身を置かれている様ですが、私の様に俗世界にどっぷりと浸かった凡人には、想像する事すら極めて困難です。
依って各論に触れた御意見に対し、お礼を述べる知識と能力が欠如しており恐らく議論にすらならない為、以下勝手に書き綴る事御許し頂き、且つ誤りを御指摘願いたいが。
極論してしまえば、環境に対する適応能力が低い方が、最も避けねばならない世界に飛び込んでしまった、或いは極めて強烈な外的要因に依り精神を病んでしまった、そういう事なんでしょうか?
私の一方的な認識として多くの若者は、思春期から始まる精神の形成期に於いて、数多くの失敗や失恋その他を経験則として、更には自ら道を切り開く事で、本人の自覚が無いままに人生に対する学習能力を高めてゆき、同時に逸脱してしまうと社会的制裁を受ける境界線も自然と身に付けていきますが、稀にそして何等かの理由に依り、その能力が欠如した或いは欠如を余儀なくされた方々がおられ、或る一定線からの社会復帰が困難な状況にある、そう理解しますが。
>70年安保で潰れた人達は、フォークソングに歌われているような世界に自分を重ねて酔ったり、私小説を読むような語り口で昔のことを話しますが、今の自分のことは黙り込み、酒を飲んで暴れるタイプが多いです。
私がバンコクに於いて接した多くの方々は、まさにこのタイプでした。
彼らは一世代下の私に対し、総論としての学生運動やセクトの意義に関して、或いは過去のそして遥か遠い将来に関しては雄弁に語るが、この後の或いは明日の行動に対する具体性に著しく欠けるというもの。
私が滞在した1980年当時のバンコクは、大麻・LSDのソフト・ドラッグ他、ヘロイン・コカイン・アヘン等何でもあり、そして彼らの殆んどはドラッグに溺れ、御多分に漏れず私も手を出してはみたが、その良さが分からないままに、その世界にどっぷりと浸かる事への危険性を感じて早々に逃げ出した次第。
尚そのまさにその10年後、当地に於いて3年に及ぶ駐在員生活が始まろうとは、予想もしませんでしたが。
>60年安保で壊れた人達は、運動にしろ仕事にしろ極端に走り、人間として生き物として「生きる」というシンプルな本質から遠ざかろうとするタイプが多いです。
この点は分かる気がします、私が入社当時に部課長の地位にあった上司の多くには、何かに取り憑かれたかの様に、寸暇を惜しんで仕事に取り組む強迫観念の様なものが感じられました。
一方に於いてその裏側に存在した家族の犠牲も、想像に難くない、但しある種彼らの集団ヒステリーとも言える熱気が、当時高度経済成長期の真っ只中にあった日本経済の、何がしかに寄与した功の部分は大きいのでしょうし、私にはとても真似出来ない或いは真似したくないのもまたその通り。
尚彼らが有するもう一方の顕著な特性として、自らの属性に非常に拘る点、その事もまた否定し得ない事実であろうかと思われます。
No.8
- 回答日時:
NO.7です。
>回答者様は、自己責任という言葉の対極に位置する世界に身を置かれて
私は自分の生き辛さを知るために、家族の問題を抱えている人に接しているのですが…。
自己責任の対極の世界とは、自分で責任をとれと突き放さない世界のことでしょうか?
元闘士達は自己責任どころか、他人を巻き込むことで自分を保とうとしています。
運動による苦しみを周囲の弱者への抑圧にすり替えるので、その被害者達を助けるために、原因の元闘士達もどうにかしなくてはなりません。
>適応能力が低い方が精神を病んでしまった、そういう事なんでしょうか?
適応能力が低くなくても、運動が破壊である以上、自他を壊す心の癖はついてしまいます。
人は繰り返し似た感情を持つと、その感情体験が習慣になるからです。
たとえば、砂山の頂上から水を注いだ時に、自然とできる川のようなものです。一度溝が作られると、また水を注いでも同じ溝を辿って流れていくような構造です。
運動で何度も悪感情(残酷な気持ち、恐怖、不安など)を味わっていると、運動をやめても少しでも相容れない人や状況に会うと、同じ感情の川筋を流れてしまうということです。
すぐに心が乱れてしまうのだから、本人も周囲も常に緊張を強いられていると思います。
自分でストレスを作っているようなものだから、病気になってもおかしくありません。
ところで、元活動家達は4~50年前に大学に行けたのだから、家が裕福で真面目で優秀な人が多かったと想像します。
そういう恵まれた人の背景には、規範意識の強い親からの抑圧が多くみられます。
元活動家達の事情に限らず、親が子に現実的な躾や教育をするとは限らず、普遍的・絶対的な価値を持ち出し、子を服従させることは少なくありません。
子が反抗しようのない正論をわざわざ持ち出すのは、その親が愛より支配欲が強いからですが、子は返す言葉が見つからないので、違和感を持ちながらも順応してしまいがちです。
大学に進学できた知的で豊かな環境では、ますます反抗しにくいでしょう。
そういう親は子が頑張るほど高い要求をします。子が従うという満足を得るためです。
理不尽に負けない強い子、要求に応じられる優秀な子、放棄しない真面目な子ほど、報われることのない虚しい努力を続けているようなものです。
結果として対外的な実力はついても、心理的には報われず満たされていません。
元闘士達の生育歴を聞くとそういう親子関係が多いので、子どもの頃に強迫観念のように努めたように、運動や仕事ものめり込み、やがて壊れてしまったと想像します。
愛や家庭はそういう頑張りは通用しない世界だし、ましてや親からあまり愛されなかった人は、どんな風に家族を愛したらいいか分からなかっただろうし、仕事に没頭することで家庭から逃げたかった点もあると思います。
運動は集団で狂っていたのだから、それぞれ自分を歪ませることで生き延びたはずです。
歪んだ結果、病気になってSOSを出す方がまともな生体反応をしているわけで、対処もしやすく治しやすいです。
一方最初に書いたように、心の問題は本人が自分のこととして受け止めたがらず、他人を巻き込むので、本人も周囲もなぜだか生き辛い形が圧倒的に多く、この方が厄介です。
弱いから病気になるとは一概には言えず、強い人の方が危ないことが多いです。
一見病気に見えなくても、複雑に深いところでおかしくなっていることが多いです。
心は極論では答えられないものだとご理解下さい。
度々の回答ありがとうございます。
貴兄の御回答を2度ばかり読み返しました、然る後頂戴した真摯な御意見の腰を折り、且つ大変失礼ではあるが、その説得力を有する文章に或る面賛同しつつも、若干の違和感を禁じ得なかった理由の1つが、たった今理解出来ました。
これは宗教をも含む精神社会に関わる方々全般に言えるのですが(飽く迄も私が感じる事です)、物事を断定的に捉え・仰る傾向が非常に強い。
果たして森羅万象の答えは世に1つだけなのか、各人各様ではないのか、甚だ疑問に思うところです。
>運動による苦しみを周囲の弱者への抑圧にすり替えるので、その被害者達を助けるために、原因の元闘士達もどうにかしなくてはなりません。
数ある断定事例の中から例えばこのセンテンス、見方に依っては極めて独善的とも取れなくはない、果たして全ての原因が元闘士達のみに帰するものなのかどうか。
ところが貴方も、恐らく御自身が持つ極めて顕著な特徴に気付いておられないのでしょう、そしてその理由も或る程度は理解出来ます。
その前提条件を受け入れさせる事が、或るストーリーに対する説得力を付与する事と、その部分の肯定なしに話が先に進まないという現実。
私は極めて実利的な世界に生きてきました、為替のトレンドを一日中眺めて或る瞬間に数億円を張るといった具合に、依って想定するケース・スタディーはそれこそ無数、且つ複眼的にしか世の森羅万象を捉えられない。
但し誤解しないで頂きたいのが、以上長々と述べた事が貴方を否定している訳では決してない点、各論としての貴方の御意見は頷かざるを得ない点が多い事、そして断定口調に到る或る種のレトリック(貴方御自身はそうお考えではないと想定致しますが)は、ビジネス上のテクニックとして私も多用する傾向にある事実。
話が横道に逸れてしまい誠に申し訳ないが、貴方にお礼を申し上げようとパソコンに向かった瞬間、頭をよぎったその全てを一気に羅列してしまいました、どうぞ気を悪く為さらないで頂きたい。
No.9
- 回答日時:
丁寧な御礼のコメントをいただきましたので、おまけをひとつ。
学生運動を小説の中でし体験できない1953年生まれとしては、もう一個欠かせない小説を挙げさせていただきたいです。
電通の社員にして江戸川乱歩賞・直木賞を同一作品で受賞した作家藤原伊織。
その作品『テロリストのパラソル』は日本のハードボイルド小説の屈指の名作であるとともに、主人公が学生時代の親友と女友達と3人で駒場の校舎の3階にたてこもった描写はまるで映画の一コマのように鮮明に私の記憶に刻まれています。闇の中で1階を占拠した他のセクトにバルサンを炊かれ、出口をふさがれ兵糧攻めにあいながらも、実は生協を襲い隠し持った食料で生き延びて奇襲をかける場面とか、主人公がゴールデンカップスの長い髪の少女をギターの弾き語りで口ずさむシーンとか、あの切羽詰った空気の中でこの作家が実際に感じていたであろうのどかな時間の流れを感じさせます。
「へたくそね。」と彼女は主人公の歌を笑う。このくだりだけでも、女友達がこの男に想いを寄せていて、その後もずっと思い続けたまま他の男と結婚し不幸な死を遂げる流れがうかがい知れるほどでした。
学生運動といっても、やはり19歳~23歳頃の多感で無鉄砲で貧しくそれゆえに純粋な年代の物語であることに変わりはないのだと思いました。
その後、友人と主人公は友人が作成した爆弾を積んだ車の事故で警察官を死亡させてしまう。友人は海外逃亡、主人公はアンダーグラウンドの世界でバーテンダーとして生き延びる。
小説の冒頭は、40代の主人公が新宿中央公園でウィスキーをキャップ飲みする「日課」から始まる。
先日、書棚の本を500冊ほど整理したときでてきたこの本は、中央の棚の真ん中に据えてあります。
藤原伊織は 2007年5月17日 59歳で食道がんでこの世を去りました。
自分より5歳年上のちょっと吉行淳之介に似た風貌のこの作家が、学生運動の時代を生きていたことが
私にとっては暗く不毛な1970年以前にとって唯一の明るい光といえるかもしれません。
度々の回答ありがとうございます。
>藤原伊織
名前は存じておりましたが、彼の著書を読破した経験が無く、依ってウィキで少しばかり調べてみましたが、学生運動との関わりを指し示す記述は見当たりませんでした、近い内に読んでみたいと思いますが。
>友人は海外逃亡、主人公はアンダーグラウンドの世界でバーテンダーとして生き延びる。
個人的に考えますに、学生運動に深く関与した方々のその後の将来は、大きく分けて3通りではなかろうかと。
最も多い類例は、或る瞬間からすっぱりとその世界より足を洗い、髪を切りネクタイを締めて、ほぼ予定通りに社会復帰を果たした方々、次いで学生運動に何等かの形でその後も関与し、例えば政治・労働運動・市民活動他、その周辺居住者であり続ける方々、更には学生運動にコミットした事で、人生を狂わして一般社会生活から完全にドロップ・アウトした面々。
個人的な興味はどうしても「学生運動にコミットした事で、人生を狂わせて一般社会生活から完全にドロップ・アウトした面々」に集中してしまうのですが、当然ながらこの種の人が公にされる事は殆んど無い、一体全体彼らはどうしたのでしょう?
最後になりますが、回答者様は大変なロマンチストであられる、余程インパクトが強い学生生活を送られたのでしょう、或る意味幸せな事ですよ。
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