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前回はご協力有り難うございました。
前回ご紹介して頂いたサイトを見ていて色々と疑問が出てきましたので、
この機会に色々と整理してみたいと思います。

私は所属の類魂は不変だとばかり思っていたのですが、
ひょっとしたら地上での生活態度によって
より相応しい波動の類魂に移っていくことがあるのでしょうか。

A 回答 (4件)

> 狡猾な罠というのは霊界の仕掛けた挑戦


のようなものだと思いますけど、

挑戦というのは?、、私はピンと来ませんが、、
なぜ天界という大本の存在が、現世や霊界
(特に3・4次元)という外郭次元内に於いての
私達人々の意識体をこうまで愚かに設定・表現・創造
しているのか?
(*1、殆ど成長しないので、未熟ではなく愚かなのだとか、、
つまりそういう意味では一応、人に罪はない、といえるだろうと)

という見地からの疑問の答えと同じく、罠・テスト・踏み絵
なども、霊的不条理であり、、その一方、不条理から生まれる、
人々の、苦しみ悲しみなどの負のエネルギーという物が、
霊界全体にとっての(ただし不可欠ではなく)糧に
なっているのだと・・・

確か?新約聖書に、、イエス様が荒野での瞑想中、
サタンの誘惑を受ける場面がありましたね
霊的世界に目覚めたり、探求し始めると
「あなたは選ばれし者」
「~の生まれ変わり」
「人々を救いなさい」
などなど、、他にも、絶対・唯一という表現や、
過剰・極端な、戒め・戒律なども


大前提(頑迷や潔癖などではなく、人格・人間性の
完成への正しい歩み)の完成への道上にあり、
罠・テスト・踏み絵をクリアし続け、限界と制約の霊的真理・真実
に陥らないとしたら、その上での類魂などの表現や
相違ある、それぞれの真理・真実は、許容内の多様性という
条件を満たすだろうと


普通の人の場合、まず気を付ける事は、信じず疑わず、
確信・断定せず、注意深く、自身の狡猾なエゴイズムと
向き合い続ける覚悟を持つ事(関心が持てるなら)
という所からでしょうか?

> 共存共栄を願う日本人にとって中国や韓国の存在は
狡猾な罠になりますか?

それは罠とはいえないと思います
集合体としての相互性なら、そうともいえるかもしれませんが、、
までも、一応、前世イスラム・前世ユダヤと同じく、、
反日の人達の中にも、前世が日本人の人達もいて、
反中・韓の人達の中にも、前世が中・韓の人達もいるでしょうし、、
放出している負のエネルギーが、どんな事に加担してるのかも
知らずに、、(ただ私は楽観的なんですけど)

*1、真実(確信・断定は勿論しませんが)・指摘・区別と、
批判・差別は別物だと思うのですが、、よく感情的に誤解され、
幾ら説明しても理解されませんが
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>地上には低級霊や邪霊が自分たちの仲間に引き込もうと人間を惑わします。


そういう仲間に引きずり込まれたら、そういう系統の類魂に取り込まれていかないでしょうか。

取り込まれません。憑依が起こるのは現世までの話、「地獄」と現世で表現されている幽界下層部に自ら赴くのは幽界までの話です。それは波長の法則によって一時的に引き合っているだけです。守護霊(インディヴィジュアリティの一人、ないし複数)は、どんなにその魂が迷っても諦めず見守っています。というよりも、類魂は自分自身なのです。自分自身が突然他人になるということはありません。どんなに道を誤ったとしても見守っており、チャンスがあれば魂を善の方向に導けるようにします。それは無意識のインスピレーションとして感じられます。そのインスピレーションを活かすも殺すも自由意思ということにはなりますが。

ところで、低級霊、邪霊と言ったところで、それらも霊界の各々の高尚な類魂の分霊なのであり、迷える魂というだけです。類魂が邪悪な系統というわけではありません。全ての類魂は神の分霊なのです。もっとも、現世、幽界で波長の法則によって引き合っていた魂の、霊界の類魂同士は、霊界でも親和性の強い位置関係にある、という可能性はあります。それは一概に断定できない問題だろうと思います。霊界では遠い存在だが、現世、幽界レベルで一時的に引き合うパターンだってあることでしょう。

未熟な類魂はあるでしょう。例えば前回のトピックではありませんが、動物から人間に昇格したばかりの類魂と、人霊として多数の再生回数を誇る類魂では霊的成長度に雲泥の差があります。それは現世の人間模様をご覧になれば明白なことでしょう。

もし、高い霊性を誇る魂が、全く別の未熟な類魂に融合するのだとしたら、その未熟な類魂の霊性を急激に浄化向上することになります。その未熟な類魂にとっては「もうかっちゃった」みたいなことです。実際にはそのようなことはありません。その未熟な類魂のカルマを解消させなければなりません。カルマの解消はその類魂が未熟だからこそ起こり得るのです。カルマの法則の観点か言っても、類魂の法則に、突然別の類魂になる、という事態はあり得ないと思われます。
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類魂と呼ばれているのは、霊系の事ではないでしょうか?


1つの霊系の中で、、個人の霊格は変化したとしても、
共有される自己という面はあるようですけど、、
他の霊系に移るというのは、、

ただ、天界・霊的真理・真実には、、厄介な自由性があり、、
現世に於いての史実なと、、自由性に於いて霊視・伺い
・創造・強化された、多様な史実なども、重要性に違いはなく、、
現実その物ではあるのだと(共有・追体験も可能なので)・・・

理由は、、私達物質が、映像という存在であるように、、
充満という天界内於いての、表現・存在物(映像という現実)
である事には、違いはないからなのだと

ただい、、大前提の完成への道上にあり、限界と制約の、
許容外の霊的真理・真実に陥らず、、狡猾な罠・テスト・
踏み絵などをクリア出来ればの話のようですけど
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この回答へのお礼

ご回答有り難うございます。
他の霊系に移るというよりも、強制的に移動されると言う方が相応しいでしょうか。

なかなか難しい表現で理解できたかも不明ですけど、
狡猾な罠というのは霊界の仕掛けた挑戦のようなものだと思いますけど、
例えばどのようなものが挙げられるでしょうか。

私も最近、嫌韓の方々から大いに罵声を浴びました。
共存共栄を願う日本人にとって中国や韓国の存在は狡猾な罠になりますか?

お礼日時:2012/11/11 19:48

シルバーバーチの霊訓(四) 三章 再生の原理



P64 5行目~
―それはマイヤースの言う類魂と同じものですか。

「まったく同じものです・・・(以下略)」

という訳で、話はフレデリック・マイヤースに移りたいと思います。実は、シルバーバーチは類魂や再生について、それほど詳しく述べている訳ではないのです。シルバーバーチにこの発言がある限り、スピリチュアリズムの類魂を説明するものは、主にフレデリック・マイヤースを中心にするのが妥当であるということなのです。

まず、マイヤースの場合、和製スピリチュアリズムとは界の区切り方が違い、独特のものがあるので、その辺の整合から始めたいと思います。浅野和三郎先生はマイヤースにおける夢幻界(幻想境)、色彩界、光焔界(火焔界)までを幽界に規程しています。しかし、私はこれに疑問を持っております。色彩界までは形態の世界ですから幽界と言えましょうが、光焔界というところは形態を捨て去って到達出来る境地でありますから、私は幽体の破棄をもって霊界と規程しております。もちろんこれは、江原スピリチュアリズムから見た尺度ですから、元来の和製スピリチュアリズム(=神道的な魂の分類)とは判断の仕方が違うのかもしれません。しかし、幽体の破棄という大事業を無視しないように界を分ければ、色彩界までを幽界、光焔界・光明界(白光の世界)を霊界、超越界(彼岸ないし無窮)を神界と規定する方がふさわしいと思われるのです。

浅野先生の解釈には他にも不審な点がございます。「肉の人(動物的な人)」は夢幻界からすぐ現世に再生してしまうという点です。私は他の全ての霊言に照らし合わせて、このことに多大なる疑念を抱き、フレデリック・マイヤースそのものの信用性を落としたくらいです。しかし、シルバーバーチはマイヤースを肯定しています。

私は他を当たることにしました。他には近藤千雄先生の訳と、梅原伸太郎先生の訳がございました。近藤版は、出版者に抵抗があったので見送りました。私は梅原伸太郎版を選んだのです。梅原伸太郎版では、見事に私の疑念が解消されておりました。「肉の人」は幽界からすぐに再生するのではなくて、憑依のために幽現界(中間境=ほぼ現世)に下りることがある、とマイヤースは言いたかった、と解釈出来るのです。それなら意味は通るのです。浅野先生は仕事を急いでいたために解釈を間違えたのではないか、と思われるのです。

梅原伸太郎版では、界の区切り方を和製スピリチュアリズムと整合するシーンは出てこないと思いますが、私の分類は妥当であろうと思います。


それで、やっと回答に移りたいと思います。基本的な様相から述べますと、類魂は、常に霊性進化しております。質問者様の所属の類魂は不変などではありません。地上での生活態度が何であれ、人生そのものが霊性進化の一環なのです。よりふさわしい波動の類魂に移っていくというよりは、類魂は、自身が、常に波動を高めようと努力しているのです。より、精妙な波動の類魂になる、ということです。

移る、ということは、類魂の境涯である界が移る、ということは言えます。詳細は以下のようなことです。
光焔界で多数の狭義の類魂が足止めを食っております。これは江原スピリチュアリズムで言うところの霊界です。狭義の類魂は霊性進化のためにたくさんの魂を現世に派遣し、霊性を上げては光焔界に戻します。マイヤースでは同時に霊性の異なる多くの魂が地上に派遣されていることになります。これは、江原スピリチュアリズムやシルバーバーチにおけるツインソウルとは違うように思われます。ツインソウルとは同時代に地球に一人ないし二人いるかどうかという双子霊で、インディヴィジュアリティが同じものです。霊性が異なるたくさんの魂が地上に派遣されているという言い方は、もっと、宇宙的規模であると解釈した方が良いと思います。『シルバーバーチの霊訓(四)』P79では、「アフィニティは宇宙にたくさん居る」という発言がございます。霊性が違うというのは、同じ狭義の類魂内でも、光と影がある(昌清霊)わけですが、その影の部分を指して、より波動の低い霊性部分と述べているのではないかと思われます。

狭義の類魂内の影の部分が無くなり、全ての魂が光となったら、光焔界から光明界に格上げが起こるのではないかと思われます。これをもって「移る」と呼ぶならそれは合致した考えであります。

今、書きながら気付いたのですが、質問者様は、まさか、ご自分が所属の類魂を変える、とお考えなのでしょうか。

だとしたらそれは、大いなる誤解です。類魂は自分自身の無意識です。自分自身なのです。自分自身の個性が突然他人に変わることがあるでしょうか。ありません。自分個人が他の類魂に移るというのは、他人になる、ということでしょう。それはあり得ません。

類魂は自身が光焔界から光明界、超越界へと進化して行きます。質問者様個人の魂がその自己の道程を無視して他者になる、ということはありません。


がしかし、狭義の類魂とは言っても、個性を極めれば、全ての他者が同じ真理に到達するわけで、そこで調和が起こります。例えば、キリスト教を極めた者も、仏教を極めた者も、到達する真理=霊的真理は同じであるということと同じです。そういう意味で、超越界において、神界に融合するということにおいて、他者と融合するということなら、有ります。

個的魂が、自分の責務を放棄して勝手に良い世界に行く、ということはありません。所属の類魂への愛があり、守護霊となり、様々な仕事をこなす中で自らも進化して行くのです。

・・・と、今まで私が目を通した霊言からは言えると思いますけど。
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この回答へのお礼

再度のご協力有り難うございます。
私がこの質問をしているのは地獄の存在について思うところがあっての事です。
ただ、いきなり本題に入るとややこしくなりそうなので、
論点を整理しながら順次質問をしていく予定でいました。

地上には低級霊や邪霊が自分たちの仲間に引き込もうと人間を惑わします。
そういう仲間に引きずり込まれたら、そういう系統の類魂に取り込まれていかないでしょうか。

お礼日時:2012/11/11 00:02

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