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昨日の自分と今日の自分は同一です。連続的です。
昨日考えたこと、感じたことを思い出せます。

しかし、更に過去に遡ると、私の場合は中学に入る前あたりから思い出せません。
当時持っていた感性が既にないみたいで、無味乾燥な記憶しか出てきません。
つまり現在(23歳)の自分は中学生あたりに生まれて、それよりも以前は別の自分が
存在しているような感じ、うまく言えないですが、一身にして二生を経るような、
小学生から中学生になるにあたって人が変わってしまうような、そんな感じなのですが、
皆さんこの感じ分かりますか?

そしてこの感じってなんなんでしょうか?

回答よろしくお願いします。

A 回答 (13件中11~13件)

記憶には、五感の相関がしっかりした具体的なイメージを


伴うもの以外に、それぞれの感覚の情報処理のパターンと
して潜在化したものもあります。
そして、光や音といった先行感覚(情報性の高い)による
新たな刺激が、五感の相関した「具体的なイメージ」として
空間的距離をおいた“向こう”の存在として感じられるのは、
そうして潜在化した記憶の蓄積によるのです。
たとえ具体的イメージは希薄化しても、記憶が断絶している
訳ではありません。

さらに言えば、そうした「潜在的な記憶・痕跡」という意味
では、宇宙開闢以来137億年の物質進化、原始海水中での
化学進化、そこに発生した増殖する反応における生物進化の
痕跡は、我々の奥の「量子>クォーク>素粒子>原子>分子
>細胞>個体(意識=脳)」といった階層現象性の中に潜んで
いると言えます。
そうした階層現象性を遡るほどに、個体の静止、分子運動、
素粒子の回転といった具合にどんどん高速で運動しており、
超弦理論における量子定常波において光速に還元される。
相対性理論において、光速で運動するものは時間が過ぎず、
時間とは、階層現象の表面性に付随して流れていると言え、
根源においては宇宙開闢のままであり、我々は内に137億
年の進化を内包しているのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/24 01:08

「一身にして二生」の感じにうまく迫る自信はありませんが。



「昨夜寝たときの自分」と「今朝起きたときの自分」が同一であるのは不思議なことです。

昨夜ねたとき着ていたもの、寝たときの場所(部屋)などが、まったく別の状態で目が覚めたら、
たぶん「同一」ということそれ自体が問題となるのではないでしょうか。

振り返ってみると、今朝起きたとき、「枕」「目覚まし」「掛け布団」「部屋」などが昨日と同じかどうか、
「無意識に」「瞬時に」確かめていたはずです。
そこに疑点があるなら、一挙に「連続性」が崩れてしまうでしょう。
「純粋に自己だけで自己が継続」するとは考えにくい。

「同一」であるための証拠がポイントなのだと思います。

「中学以前の」記憶がない(希薄)というのは、そこへつながる「証拠」がないということです。

たとえば「引っ越し」のため、友達も、通学路も、駄菓子屋も、修学旅行の思い出も、その写真も、方言も、風も空気も、木の葉の色も、「もうここにはない」ということなのだと思われます。

あるいは、

「小学生以前」の記憶はもっと希薄だという観点からすれば、

成長するにつれて、「万能感」(子供らしい空想力の根拠)がなくなり、それにと同時に、それまで存在していたものが急速に消失していくともみなせます。

あるいは、
フロイト流ですが、

「抑圧」しなければならない「事情」があるのかもしれません。
記憶がないのではなく、「思い出したくない」という状態から「思い出せない」という状態を経て、
「思い出がない」(抑圧していること自体を忘れた状態)という曲面にたっているのかもしれません。
極度の恐怖体験をすると、その記憶自体が飛ぶというような。
これはある意味で「病気」ですが、
その毒を薄めたような体験は日常的にしているはずですjから、そこに注視すれば、何か発見できるかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
記憶はあるのですが、その時の気持ちが思い出せないのです。

お礼日時:2012/11/24 01:02

イノセントからアダルトへの変換点。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2012/11/24 00:50

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