マンガでよめる痔のこと・薬のこと

「学生たちは、思わず、申し合わせたような・・・」の段落の「つまり、そこからはもう新しい発見は何もありえない」って何を伝えたいのですか?


読解(解説)と理由をお願いします。

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A 回答 (2件)

 昨日の補足並びに追記事項です。


質問者様が高校生であるとして「正解」を求めるならば、そうした質問をすること自体にさほどの意味も認められません。
先だって、文学は多様な解釈が可能であるとのお話しをさせていただきましたので、その理由もお解りであると存じます(試験問題ならば「基準に沿った範解」はありますが、許容範囲以内ならば解答は他にもありえます)。
 さて追加並びに補足として再回答させていただいた理由ですが、もう一つの視点を提示する((1)は国語の先生がガイドラインとして喜ぶ視点)読み方です。

(1)この作品の冒頭と最後の部分に見られる「対比」が何を表そうとしているか
(2)学生AおよびBと先生は「棒である私」の言葉を聴いているのか
(3)この三人と「棒である私」との距離感はどれくらいか、の問題が残っています。
 
 先ず(1)ですが、冒頭の部分から読みとることのできる「私」の「日常性」とは、どの様なものであるか。休日以外は家庭サービスのできない平凡な勤め人が日曜日に子供とデパートの屋上へ行き、つかの間の「父親像」を演ずる。 この光景は「仕事としての父親を演じている」描写であり、「私」にとっては「非日常」といえる描写です。これに対応する「私の言葉」が「仕事を邪魔されでもしたように叱りつけて、」との一節に示されていて、ここで「私」と「子供たち」との間でのギャップが生じ始めます。 子供たちからすれば、それは押しかけ女房のようにお節介な形かもしれないが、私からすれば「父親の仕事をしている」との建前を果たしているにすぎない。
 一方作品の終盤では「『父ちゃん、父ちゃん、父ちゃん………』という叫び声が聞えた。私の子供たちのようでもあったし、ちがうようでもあった。」として、相手側が求めてくる形に変わっています。
 冒頭では「私が子供たちに使われる一つの対象」として描かれています。子供たちにとっては「自分たちの相手をしてくれる相手」が別段に「父親を演じる私」でなくともさほどの問題もない。けれどそうした問題を裏返せば「私って一体、何?」との根源的な問いも生じてくることになります。つまり「他人との関係や距離感」がなければ、私が私として存在する意味がないとのいささかおぞましい話にもなります。

 そしてこの問題((1)および(2))に答えるには、この作品が「誰の目線で」描かれているかがヒントになります。
突然にして「棒」と化してしまった私が言葉を発している部分は全て「私が観察している対象」を説明する形、つまり独白ともモノローグともいえます。ですからこの作品で台詞として書き込まれている以外は全て、「私の言葉」であると説明することもできます。
 次に「棒」を単なる「もの又はモノ」と解釈するならば、それは三人の人間からみれば、自身の身の回りにあるありふれた対象であると理解する立場とそれが特定の目的を持ったモノと理解する立場に分かれます。
 この言葉が何を意味しているかといえば、「誰しもが棒になりうる」「私しか棒になることができない」との違いです。
 私が棒になったことは確かに「非現実的」であり「非日常的」な事象です。そのいきさつと理由は作品では一言として語られてもいません。「なぜ、棒なのか。他のものではないのか」。この問題は残ったままですが、ヒントは作品中にあります。「誰かが使う。何かの目的で使う」のが「もの」であるならば、誰かに使われなければ、そして何かの目的がなければ存在する意味がない、との説明も成り立ちます。これが三人の他人が私に下した「裁きの理由」です。棒はものである。つまり使われねば意味がないとの一見正当な論理ですが、それに対する学生の問いに先生は確実に答える術を持っていない。だから「しかし何もいわずに、二人をうながして歩きはじめた。」と問いをシャットアウトする形でその場を立ち去って行く。
 この作品のオリジナル(『棒になった男』)と比較してみますと、オリジナルでは「全ての人間(マスとしての社会に生きている人間)がモノ化する可能性に生きている」として締めくくっていることと対照的ともいえます。
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 こんにちは。

安部公房の短編作品『棒』は1969年に発表された戯曲『棒になった男』を小説の形で再構成した作品です。さてこの作品に「登場する人物」はどの様に分けることができるでしょうか。
 先ずは人物を登場順に従って列挙していきます(この段階では登場する意味を求めません。事務的に取り出すだけの作業です)。
(1)「私」、(2)「二人の子供」、(3)「人(付近にいる群衆もしくは雑踏)」、(4)「子供」、(5)「大人」、(6)「上の子供」、(7)「人々」、(8)「守衛」、(9)「いたずら小僧」、(10)「一人の学生(学生A)」、(11)「連れの学生(学生B)」、(12)「先生」、(13)「人(棒を使っていた或いは棒に関係のあった)」、(14)「誰か」、この14通りの人物が登場しますが、この中で(1)とそれ以外はどの様な関係にあるかを先ず考えてみましょう。

 (1)の「私」は唐突に「棒」に姿を変えます。この時に一つの変化が生じます。むし暑い、ある六月の日曜日に腫れぼったくむくんだような街を見下ろしていた「私」が、「見られる側(棒)」へと立場を変化させます。同時にこの作品のテーマである「ものが存在する意味」が読者に対して問われ始める形です。
 学生Aは棒である私をしげしげと観察し、それが「元々はどの様な形で存在していたのか」を形状から想像し、人から邪険に使われていて、それでも誠実で単純な心をもっていたためにそうなったと説明します。
 これに対し学生Bは「ぜんぜん無能な存在だった」と説明する。Aが「棒」を意思ある主体的な存在と理解していることに対し、Bは「もの=道具」として理解する。
 そして二人の学生の「議論」を先生は「ものの本質をどうとらえるか」の問題であるとして「君たちは、同じことを違った表現でいっているのにすぎないのさ。」と説明します。
 作品では「私」が「なるべくして棒になったのか」「棒にしかなれなかったのか」は描かれてはいません。それはこの作品を目にする読者それぞれによって解釈に幅があるからであり、私が突然にして棒になってしまったいきさつを一言として描いていないのはそうした理由によります。
 さて、ここで最初の問題に立ち戻ってみますと、どのような答をすることが可能でしょう。(1)とそれ以外の「関係」の問題です。多勢の人間がいる中で、個人としての私はどのような存在であるかを、この作品に使われている言葉で説明するならば、それが「いや、この人たちが全部、棒になるというわけではない。棒がありふれているというのは、量的な意味よりも、むしろ質的な意味でいっているのだ。」との部分に記されているとの結論になります。
 世の中には「棒」など幾らでもあります。同時に「人」も大勢います。この作品で問う「本質」とは、この両者に共通する「ある」という事実に他なりません。それが「ある」ということは、何らかの「存在理由」があって存在していることだけであり(学生AとBの議論での前提要件)、それと他者との関係は更に別問題であるとのことになります。
 文学作品ですから多様な解釈が可能であり、殊に安部公房の作品はF.カフカやS.ベケットなどの不条理文学をはじめキルケゴールやハイデガーなど実存哲学に象徴される「疎外と孤独」や「実存としての人間存在の根源的な問い」の影響を受け、内包しています。
 もし質問者様の問いが高校の試験や受験問題として出されたならば、それはいささか不適切な設問であるともいえますが、学部のレポートならばかなり質の高い問題ともいえます。
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Q安部公房の「棒」について

読書感想文を提出しなければいけないのですが、この作品をどのように思いましたか?例えば、どうして「棒」になったのかとか、「棒」になった「私」とはどんな人物か、とか、棒をさばく「先生」や「生徒」はどんな存在か考えみようと思っています。全体の結論はどうしたらいいでしょうか。変な質問でごめんなさい。お願いします。

Aベストアンサー

私は安部公房のファンなので、これからも公房に親しんでもらいたくてアドバイスしたいと思います。

安部公房の作品には解釈の答えはありません。自分の人生の存在そのものから、様々な読後感が得られるのです。ですから、同じ人でも15歳の時、30歳のとき・・・とそれぞれの感想・解釈がありえます。

では、どう読んだらよいか。
まず、さらりと読んで、どうですか? 面白かったか、面白くなかったか。
面白くなかったとしても、それはあなたにある違和感を与えてはいませんか? 
もしそうだとすると、そこがとても大事なところです。作者があえてあなたの心に困惑を与えようとしているのかも。

どちらの場合も、つぎに、登場人物とその置かれた状況、その変化を楽しんでください。ここで、できればあなたの感性をフルに働かせて、公房の独自の表現のすばらしさ、そのこなれた文章、詩的表現、滑稽味などを楽しんでください。

さあ、十分に楽しんだら、(もしここで何か考えることがあれば、ゆっくりいろいろ考えましょう)その楽しさ、発見、考えたことなどを誰かに伝えたいではありませんか。その新鮮な気持ちを持って、メモをしましょう。

こうしてあなたの、新しい感性をもとにした、新しい安部公房の発見がなされることを期待しています。もしうまく進んだら、私も読ませて欲しいと思います。

私は安部公房のファンなので、これからも公房に親しんでもらいたくてアドバイスしたいと思います。

安部公房の作品には解釈の答えはありません。自分の人生の存在そのものから、様々な読後感が得られるのです。ですから、同じ人でも15歳の時、30歳のとき・・・とそれぞれの感想・解釈がありえます。

では、どう読んだらよいか。
まず、さらりと読んで、どうですか? 面白かったか、面白くなかったか。
面白くなかったとしても、それはあなたにある違和感を与えてはいませんか? 
もしそうだとする...続きを読む

Q落窪物語の現代語訳を教えて下さい

落窪物語の現代語訳が知りたいです。

範囲は

『ひき入りて寄するを』~『泣きみ笑ひみしたまふ。』

までです。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

  http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/txt_ochikubomonogatari.txt

引き入れて寄するを、からうじてこのをのこ一人出で来て、「あらず。御達の参りたまふぞ」と言ひて、ただ寄せに寄す。御達のとまりたりけるも、皆下におりて、人もなきほどなり。あこき「早うおりたまへ」と言へば、少将おり走りたまふ。部屋には鎖しさしたり。これにぞ籠りけると見るに、胸つぶれて、いみじ。はひ寄りて、鎖ひねり見たまふに、さらに動かねば、帯刀を呼び入れたまひて、うちたてを二人してうち放ちて、遣戸の戸を引き放ちつれば、帯刀は出でぬ。いともらうたげににて居るを、あはれにて、かき抱きて、車に乗りたまひぬ。「あこきも乗れ」と宣ふに、かの典薬が近々しくやありけむと、北の方思ひたまはむ、ねたういみじうて、かのおこせたりし文、ニたびながら、おし巻きて、ふと見つくべく置きて、御櫛の箱ひきさげて乗りぬれば、をかしげにて、飛ぶやうにして出でたまひぬ。誰も誰も、いとうれし。門だに引き出でてければ、をのこども多くて、二条殿におはしぬ。
 人もなければ、いと心安しとて、おろしたてまつりたまひて、臥したまひぬ。日ごろのことども、かたみに聞えたまひて、泣きみ笑ひみしたまふ

  http://attic.neophilia.co.jp/aozora/htmlban/OTIKUBO1.html

車を引き入れて寄せるとやっと男が一人出てきて、「なんの車ですか、皆出て行ったところへ」と、とがめるので、
「何でもありません。女房が参るのです」といって、そのまま寄せる。女房たちの残っている者も、みな自分の部屋に下がって誰もいないときである。阿漕《あこぎ》が、「早くお降りください」というと、少将《しょうしょう》は降りてお走りになる。部屋には鍵がかけられている。ここに閉じこめられていると思うと、胸がつぶれるほど悲しい。走り寄って鍵をひねって見るがまったく動かないので、帯刀《たちはき》を呼び入れて、うちたて【諸説あり不明】を二人でうち壊して遣戸《やりど》を引き開けると帯刀《たちはき》は出て行った。姫君がたいそうかわいらしいようすで座っているのを、愛《いと》しく思って抱き上げて車にお乗りになった。
「阿漕《あこぎ》も乗れ」とおっしゃるので、典薬助《てんやくのすけ》が近づいたと北の方がお思いになることを、たいそうくやしく思ってあのよこした手紙二枚を巻いて、簡単に見つけられるところに置き櫛の箱をもって乗ると車は愉快そうに飛ぶように速く出て行く。みな嬉しい。門さえ出てしまったので護衛の男たちがたいそう多くしたがって、二条の邸《やかた》においでになった。だれもいないのでたいそう気楽だと思って、姫君をお下ろしになって横におなりになった。日ごろのことを語り合って泣いたり笑ったりなさる。

 《注意点》
 質問者が『ひき入りて寄するを』~『泣きみ笑ひみしたまふ。』とおっしゃっても、私たちはそれを見ることはできません。「落窪物語」が二、三ページ程度のものなら、簡単に見つかるでしょう。この場合は結構長いので困ります。わたしはテキストファイルの検索機能を使って探すことはできました。
 もう一つの問題は、質問者のお持ちのテキスト、原文を掲載したサイトの用いているテキスト、現代語訳を載せたサイトのテキスト、この三つに違いがあることがあります。現実に「原文」と「現代語訳」とを比べると<「なんの車ですか、皆出て行ったところへ」と、とがめるので、>と現代語訳にある部分が原文では抜けた形になっています。これはテキストに違いがあるのだろうと思います。(古文の場合こういうことが時々起きます→底本の差)質問者はお持ちのテキストと比較して、処置しください。現代語訳は適切と判断しました。

  http://www.komazawa-u.ac.jp/~hagi/txt_ochikubomonogatari.txt

引き入れて寄するを、からうじてこのをのこ一人出で来て、「あらず。御達の参りたまふぞ」と言ひて、ただ寄せに寄す。御達のとまりたりけるも、皆下におりて、人もなきほどなり。あこき「早うおりたまへ」と言へば、少将おり走りたまふ。部屋には鎖しさしたり。これにぞ籠りけると見るに、胸つぶれて、いみじ。はひ寄りて、鎖ひねり見たまふに、さらに動かねば、帯刀を呼び入れたまひて、うちたてを二人してうち放ちて、遣戸の戸を引き放ちつ...続きを読む

Q分子結晶と共有結合の結晶の違いは?

分子結晶と共有結合の結晶の違いはなんでしょうか?
参考書を見たところ、共有結合の結晶は原子で出来ている
と書いてあったのですが、二酸化ケイ素も共有結合の
結晶ではないのですか?

Aベストアンサー

●分子結晶
分子からなる物質の結晶。
●共有結合の結晶
結晶をつくっている原子が共有結合で結びつき、
立体的に規則正しく配列した固体。
結晶全体を1つの大きな分子(巨大分子)とみることもできる。

堅苦しい説明で言うと、こうなりますね(^^;
確かにこの2つの違いは文章で説明されても分かりにくいと思います。

>共有結合の結晶は原子で出来ている
先ほども書いたように「原子で出来ている」わけではなく、
「原子が共有結合で結びついて配列」しているのです。
ですから二酸化ケイ素SiO2の場合も
Si原子とO原子が共有結合し、この結合が立体的に繰り返されて
共有結合の物質というものをつくっているのです。
参考書の表現が少しまずかったのですね。
tomasinoさんの言うとおり、二酸化ケイ素も共有結合の結晶の1つです。

下に共有結合の結晶として有名なものを挙げておきます。

●ダイヤモンドC
C原子の4個の価電子が次々に4個の他のC原子と共有結合して
正四面体状に次々と結合した立体構造を持つのです。
●黒鉛C
C原子の4個の価電子のうち3個が次々に他のC原子と共有結合して
正六角形の網目状平面構造をつくり、それが重なり合っています。
共有結合に使われていない残りの価電子は結晶内を動くことが可能なため、
黒鉛は電気伝導性があります。
(多分この2つは教科書にも載っているでしょう。)
●ケイ素Si
●炭化ケイ素SiC
●二酸化ケイ素SiO2

私の先生曰く、これだけ覚えていればいいそうです。
共有結合の結晶は特徴と例を覚えておけば大丈夫ですよ。
頑張って下さいね♪

●分子結晶
分子からなる物質の結晶。
●共有結合の結晶
結晶をつくっている原子が共有結合で結びつき、
立体的に規則正しく配列した固体。
結晶全体を1つの大きな分子(巨大分子)とみることもできる。

堅苦しい説明で言うと、こうなりますね(^^;
確かにこの2つの違いは文章で説明されても分かりにくいと思います。

>共有結合の結晶は原子で出来ている
先ほども書いたように「原子で出来ている」わけではなく、
「原子が共有結合で結びついて配列」しているのです。
ですから二酸化ケイ素Si...続きを読む

Q<羅生門>下人の心情の流れが知りたいです!

こんにちは。今回はよろしくお願いいたします。
私は高校1年生です。最近羅生門を教科書で読みました。
明日、中間テストがありそのテスト範囲が羅生門なんです。下人の心理を問われるとのことなのですが、私には理解しにくいところが多いです。まず、下に私なりにまとめます。みなさんの考えを教えていただけたら光栄です。
1.雨のふるのを眺めていた・・・
<職を失った私はこれからどうしたらよいのか、困ったな。>
2.大儀そうに立ち上がった・・・
<もう、盗みをする他ない。いつまでも悩んでいたら飢え死にしてしまう。>
3.ある強い感情が、ほとんどことごとくこの男の嗅覚を奪ってしまったからである。・・・
<何者なのか、一体何をしているのか?>
4.六分の恐怖と四分の好奇心・・・
<見たいが、不気味だな>
これ以降は理解できません。
なぜ髪を抜いていくのを見ただけで、
恐怖がきえていくのですか?
この恐怖とはいったいなんだったのでしょうか?
暗かったからですか?老婆に対する激しい憎悪とは、
自分を追い込んだ世の中へだと思いますが、
下人はそこまで考えていたのでしょうか?
死人の髪の毛を抜くということがどうして
そこまでゆるせないことだったのですか?
上がった時、下人は世の中が許せないという気持ちだったのでしょうか?
すみません。わからないことばかりだったのでたくさん書いてしまいました。では失礼します。

こんにちは。今回はよろしくお願いいたします。
私は高校1年生です。最近羅生門を教科書で読みました。
明日、中間テストがありそのテスト範囲が羅生門なんです。下人の心理を問われるとのことなのですが、私には理解しにくいところが多いです。まず、下に私なりにまとめます。みなさんの考えを教えていただけたら光栄です。
1.雨のふるのを眺めていた・・・
<職を失った私はこれからどうしたらよいのか、困ったな。>
2.大儀そうに立ち上がった・・・
<もう、盗みをする他ない。いつまでも悩んでいたら飢...続きを読む

Aベストアンサー

高校国語教師を長年やっているものです。
羅生門は高校1年の定番ですね。
「なぜ髪を抜いていくのを見ただけで、
恐怖がきえていくのですか?」
これはつまり、それまではこの老婆を
妖怪か化け物と思ったわけです。
ところが髪の毛を抜くという実にわかりやすい
行動をとることにより、妖怪でも化け物でもなく
我々の理解の内に入る人間だということがわかって
安心したのです。
また「老婆に対する激しい憎悪とは、
自分を追い込んだ世の中へだと思いますが、」
ですが違います。
この下人はもともと善人なのです。
それは盗人になる勇気がないことからわかります。
ですから老婆に対する憎悪は善人として、
悪をなす老婆に対する純粋な憎悪です。
この下人がにきびを気にするところがありますね。
にきびイコール若さの象徴
つまりにきびを気にするというのは
この下人の若さ(未熟さ)を表しているのです。
この小説は平凡な市民(泥棒になる勇気もない小心者)が困り果てたあげくに老婆の見事な自己保身理論に触発されて自分も泥棒になる決心がついた
つまりどんな善人でもちょっとしたきっかけで
悪人になるのだという人間に対する芥川の絶望が
あるのです。
高1のあなたわかりました?
私は羅生門で何回もテストを作りましたが
「六分の恐怖と四分の好奇心」のところは
絶対出ます。出します。
何回も読んでくださいね。頑張って!

高校国語教師を長年やっているものです。
羅生門は高校1年の定番ですね。
「なぜ髪を抜いていくのを見ただけで、
恐怖がきえていくのですか?」
これはつまり、それまではこの老婆を
妖怪か化け物と思ったわけです。
ところが髪の毛を抜くという実にわかりやすい
行動をとることにより、妖怪でも化け物でもなく
我々の理解の内に入る人間だということがわかって
安心したのです。
また「老婆に対する激しい憎悪とは、
自分を追い込んだ世の中へだと思いますが、」
ですが違います。
この下人はもとも...続きを読む

Q日本文学における「近代的自我」って、わかりやすく言うとどういうこと?

いまいち、ピンときません。近現代の日本文学を理解する上では必須の概念のようですが。たとえば、封建時代には無かったこういう考え方が、明治以降の思潮として生まれた…というような具体例をふまえて、わかりやすく教えていただけませんか。素人にわかるようにお願いいたします。

Aベストアンサー

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

けれども、それは、西洋のように、近代的自我が自然な発達段階を経て成熟し、それと軌を一にして市民社会も成熟した、その結果としての文明ではないわけです。
そのギャップを埋めようとして、なんとか個人の内側に「自我」というものを確立しようとして苦闘した、一連の作家がいる、という考え方です。

ではヨーロッパの近代をささえた「自我」とはなんなのか。

これをまた考え始めると、大変なのですが、ここでは簡単に、「わたしとはなんなのか(わたしはなぜわたしなのか、わたしと他者はどうちがうのか、といった一連の質問も含みます)」という問いを立て、それに答えていくこと、としておきます(もし自我とはどういうことか、に興味がおありでしたら、宮沢賢治の作品を自我という観点から読み解いていく見田 宗介『宮沢賢治―存在の祭りの中へ』 岩波現代文庫が大変おもしろく、参考になるのではないかと思います)。

ヨーロッパ社会では、キリスト教の強い支配と、封建的な身分関係のなかにあって、ひとは、社会からも、神からも自由で独立した「わたし」を想定してみようとも思わなかった時代から、近代に入って、自我が哲学の中心的な問題となっていきます(ヨーロッパ社会の中で「個人」という意識がどのように確立していったか、ということに興味がおありでしたら、作田啓一『個人主義の運命』岩波新書を。この本は手に入りにくい本ですが、非常によくまとまっています)。

近代社会を構成するのは、ひとりひとりの市民である。そしてその市民は「自我」を有している。これがヨーロッパの近代を支える思想であり、ヨーロッパの近代文明を裏打ちしているのは、その思想であったわけです。

さて、上でも言ったように、ヨーロッパでは百年~二百年の期間を経て成熟していったところへ、日本は一気に追いつかなくてはならなくなってしまった。

文学も、それまでの戯作文学のように、楽しみのためだけに読むようなものではダメだ、西洋の芸術観に基づいた新しい文学が生まれなければならない、と、そのように考えられるようになった。そうやって、明治二十年代に入って、新しい文学が起こってきます。

その代表的な作品が、二葉亭四迷の『浮雲』、あるいは森鴎外の『舞姫』です(『舞姫』に関してはhttp://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=993639で回答しているので、もし興味がおありでしたら、ご覧になってください)。

両者とも、知識階級の青年を主人公にしています。
主人公は、どういうふうに生きたらいいか考え、悩み、自分が良いと信じる生き方と、社会の現実が相容れないことに悩みます。
つまり、現代までつながってくる問題が、明治二十年代に、初めて登場したのです。

この二葉亭や鴎外がここで提出した問題は、そののち、鴎外自身や漱石によって深められ、あるいは明治四十年以降からは私小説という表現形式をとって現れたりもします。

その現れはさまざまだけれど、いずれも、社会のなかで生きる「わたし」は、社会から独立した存在である、それゆえに、社会とは相容れず、みずからの理想を、社会のなかで体現することもできない、その「わたし」は、いったいどう生きていったらいいのだろうか、ということを、日常生活のなかに描き出そうとするものだった。そういうものが、日本の近現代の文学であった、と概観することもできるわけです。

非常に大雑把に書きましたが、「日本文学における近代的自我の確立」と言ってしまうとずいぶんたいそうなことのようですが、その内容は、そうしたものである、と考えて良いのではないでしょうか。

明治以降、戦前までの、あるいは現代にいたるまでの日本の文学を貫く大きな主題を「近代的自我の確立」として見ていく、というとらえ方があります。

大雑把に言うと、
西洋近代社会の根本には、近代的自我があった。
それに対して、封建時代を続けていた日本には、近代市民社会というものは存在しない。そして、その核となる近代的自我もない。明治に入って、外圧によって開国を余儀なくされ、西欧列強に植民地化されないために、社会は急激な近代化を遂げた。

けれども、それは、西洋のように、近代的自...続きを読む

Q緊急です!!! 高校生が打ち上げをするのにオススメな事や店を教えて下さい!!

初めての投稿で多少緊張していますが聞きたい事があります

高1の男なんですが、春休み中にクラスの打ち上げをする事になり、その計画を受け持つ事になりました。しかし、日頃から責任をとったり、仕切ったりするキャラでもなく、打ち上げの計画などをするのは初めてです。なので、正直なにをしていいか分かりません。

だから、基本盛り上がる場所で、クラスの30人ちかくで遊べる場所があったら教えて下さい

あと、遊べる場所とご飯食べる場所を両方教えてもらえると助かります。

Aベストアンサー

こんにちは。
現在高2、女子です。

私もよく打ち上げをクラスでやったりしますが、
ご飯を食べるのはやはり鉄板系が良いと思います。
イタ飯は安いですが男子にとっては足りなかったりしますし・・・
焼肉屋やお好み焼き屋などで2000円くらいの食べ放題などが見つかるとベストです^^
予約は早めに取りましょう。

みんなで遊ぶとしたらボウリングでしょうか??
2人1組の団体戦で、最下位には罰ゲームをつけるとか。笑
ちなみに私は男女のペアをくじで作りました。
30人近いとなるとちょっと多い気もしますが・・・;
季節外れですが広いところがあれば花火もアリですよ^^
当然ですが、その際、マナーにはご注意を。笑
カラオケは歌える人歌えない人の差が出るので個人的にはボーリングのほうがみんなが楽しめるのでお勧めです。

Qふわふわしてるって、どういう意味でしょう?

ふわふわしてるって、どういう意味でしょう?


私はよく人から天然っていわれます。
初対面の人からも言われ、彼氏さんにも聞いたら即答でyes.
自分では思っても無かったのですが、まあそう見えるならそうなんでしょう。
で、教えて頂きたいのは天然の特徴のひとつと思われる、「ふわふわした感じ」というのが、
具体的にどんな感じなのか…という事です。

入社研修でイメージ交換というのを行った時も、私は
「ふわふわ漂う綿毛」で満場一致でした@@
どうも私はそんな印象を人に与えるようです。

しかしその「ふわふわ」ってつまりどんな感じなのか、曖昧でよくわからないのです。
もうちょっと文章で説明できる方、よろしければお願いします。

Aベストアンサー

・質問した内容と違う答えが返ってくる(微妙に会話が噛みあわない)
・いつでもマイペース
・自分を他人と比較して焦ったりしないもしくは焦っても表情態度に出ない
・主語を省いて喋る、話がどんどん飛ぶ
・ストレスがあってもなさそうにみえる

あとは
ゆっくりした喋り方、高すぎず低すぎずなあまり通らない声、
森ガール的嗜好(服のテイストとかメイクとか生活スタイルとか)
という感じでしょうか。
外見は雰囲気的に「美人」ではなく「かわいい」。

外見と喋り方、言葉選びなどで印象は決まります。
株に関してはそれより他に興味がむく対象がたくさんありそうだし、
動向を分析して、とかいうさまがあまりピンとこないイメージだと思います。
貯金に関しては「将来のことはあまり考えてなさそう」という
印象から「してないだろう」という先入観を持たれているのでしょう。

でも人間ギャップがあったほうがおもしろから
いいんじゃないですかね(^_^)

Q和訳してください!

一文が長いですが、最後の『』をつけた部分だけ、特に「more than any 」が分かりません、お願いします!

Its surface temperature is a roasting 470 degrees centigrade,which is hot enough to melt lead,and the atmospheric pressure at the surface is ninety times that of Earth,『or more than any human body could withstand.』

Aベストアンサー

その表明温度は鉛を溶かすのに十分な470℃もの高温になり、大気圧は地球の地表の90倍にもなり、どんな人体もその環境に耐えることはできない。

文法的には、はっきりとはわからないけど、
A is B (which is x), and C is D, or E
andで二つに区切られている文でor はPressure部分のみに対しての説明ではないかと思います。


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