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記者会見とかでよく聞く「遺憾の意を表します」は謝罪の一種といえるのででしょうか?
謝罪しとては非をどれだけ非を認めているか分からない曖昧な表現なのですが、
一応は最低限の謝意を表しているといえるのか、どうなのでしょう?

A 回答 (12件中1~10件)

全く非を認めていないという意見が圧倒的ですけど、No.1補足に関して。



申し開きの場で使われた場合、遺憾の意とは、心苦しい、心残り、不本意、そんな意味合いですよね。
そこには謝意、つまりSorryの意味合いは含まれませんが、自らの行動が相手に迷惑をかける、かけたという事実に関して、自分サイドに不十分なところがあったという「非」を認めて発せられる言葉だと考えます。
excuse me のように、失礼します・決して本意ではないのですがという感じや、本当はもっと努力の仕様やより良いやり方があったのだろうけど、力及ばず残念です…という感じですね。
もちろん、騒動の原因としての「非」を認めた言葉ではありませんが、一切の非を認めないならばそもそも「遺憾に感じる」道理もなく、堂々と正当性を主張するところです。

相手を責める時にも遺憾という言葉を使います。もちろんこの場合は単に、残念だ、こんな思いをすることは自分にとって快いものではい、と言っているわけですが、やはりそこにはもう少し対応を詰めるべきであったかといった自戒としての「非を認める」ニュアンスが入っているように思いますね。

変な言葉ですよね、ほんと。

以上、何ら権威の無い私見ですので、判断はお任せします(_"_)

参考URL:http://thesaurus.weblio.jp/content/%E9%81%BA%E6% …
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この回答へのお礼

貴殿の意見がいちばん的確だという気がします

お礼日時:2012/11/28 22:29

#10です。



>正しい謝意ではないが、見ようによっては「謝意」とも取れる。
ということでいいでしょうか?

遺憾という言葉自体は謝意を表わしていることにはならないが、謝意を表わしていると感じることは個人の自由でしょうね。
「謝意とも取れる」と言う人に対して、「いや、取れない」とは誰も言えません。
個人の感覚の問題ですので・・・。
「全く困ったもんですな。わっつはっはっ~」と言われても、「困ったもんだ、と言ってるんだから謝意と取れる」と感じる人だってひょっとしているかもしれません。
そういう人に対して「いや、あれは謝意の表明にはなってないよ」と言っても意味がないですよね?
ですから、「遺憾という言葉自体には謝意は含まれない」という事実だけをきちんと理解することが大事です。
「謝意が含まれていなくたって構わないよ。俺は、謝意の表明だと感じるんだから、それでいいだろ?」
と言う人に対しては、「どうぞご自由に・・・」と申し上げるしかありませんよね?
そういうことです。

>「最低限度の謝意」とは、今のところは責任の所在がわからないので、
とりあえずの釈明として曖昧な表現によってその場を静めるという意味です。

つまり、責任を取らなくても良い人が、そのように言っているわけですね。
責任が無いのであれば、謝意を示す必要は無いわけですから、「遺憾です」で十分でしょう。
「とりあえずの釈明として曖昧な表現によってその場を静める」
という効果は一応あるんじゃないですかね。
   
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一応は最低限の謝意を表しているつもりなんでしょうけど、



椅子にふんぞりかえって「わりい、わりい」と言っているようなものです。


「阿寒のア、遺憾のイ、有漢のウ、冤罪のエ、怨念のオ・・・」

と電報を打っているように聞こえます。
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#9です。



>分かりましたが、
「最低レベル」での謝意の表明にはなるのでしょうか?

その言葉だけでは謝意の表明にはなりません。
#8でも述べましたが、謝意の表明だと斟酌してあげることは可能です。
しかし、これは、「遺憾」という言葉の意味解釈の問題ではなく、相手の気持ちを想像してあげる、斟酌してあげる、という感情の問題なのです。
斟酌とは「気持ちを汲み取って手加減すること」です。
つまり、聞き手が、「かわいそうだから謝意の表明だと捉えてあげよう」と判断してはじめて「最低レベルでの謝意の表明」という解釈が可能になるわけです。

たとえば、殺人事件の遺族に対して犯人が「遺憾です」と言えば、「最低レベル」とはいえ「謝意の表明をした」ということになりますか?
なぜ、このような例を挙げるかというと、「謝罪」という簡単な手段があるにもかかわらず、なぜそれを使わないのか?という単純な疑問があるからです。
謝罪をしたくないから、謝罪の意味を含まない遺憾という言葉を使うわけです。
本当に謝罪をしたかったら、素直に謝罪の言葉を使えばよいわけですよね?
特別難しい言葉ではないはずです。
小学生でも言えますよ?
それを使わないという点で、たとえ最低レベルとはいえ、謝意を表明する気は全く無い、と判断するのが論理的結論でしょう。
くどいですが、謝意を表明しなくても、謝意を表明したのだな、と聞き手が判断したければすれば良いでしょう。
それは個人の自由です。
ただ、遺憾という言葉自体に謝意という意味は含まれていないので、遺憾と言ったからといって、その言葉だけを以って、たとえ最低限でも、謝意の表明であるという判断することは不可能だ、ということです。
  

この回答への補足

正しい謝意ではないが、見ようによっては「謝意」とも取れる。
ということでいいでしょうか?
「最低限度の謝意」とは、今のところは責任の所在がわからないので、
とりあえずの釈明として曖昧な表現によってその場を静めるという意味です。

補足日時:2012/11/29 22:58
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#8です。



>非をはっきりと認めたくなくて
たしかに謝罪にはなっていないと思いますが、
ある程度は認めてて、
最低レベルでの謝意の表明にはなるのでしょうか?

謝罪と感じるか否かは受け取る側の問題になるのでしょうね。
たとえば、一切何も言わない相手に対しても、
「悲しそうな顔をしてうなだれているな・・・。きっと悪いと思っているんだろう。もう許してやるか・・・」
という解釈をすることはできます。
つまり、「彼は態度によって最低限ではあるが謝意を表明した」という解釈が可能になる場合もあるわけです。
同様に、「遺憾です、と言って残念だと表明しているのだから、きっと悪いと思っているんだろう。最低限の謝意を表明したみたいだし許してやるか・・・」
と解釈することもできるでしょうね。
つまり、聞き手が「きっと悪いと思っているんだろう」と推測することさえできれば、何も言わなくても、あるいは「遺憾です」だけでも謝意の表明と捉えることはできるわけです。

ただ、これは聞き手側の、そのような解釈があってはじめて成立する論理です。
「遺憾です」という言葉自体には全く謝意の表明という意味は含まれていません。
ですから、謝罪するつもりで「遺憾です」と言う人の心理というのは、
『わたしは「遺憾です」という言葉で残念だという気持ちを表明しているのですから、あなたがたも「きっと悪いと思っているんだろう」という推測をして許してくださいよ』
ということになります。
で、聞き手がそういう推測をしたかどうかも確認しないで、一方的に謝罪したことにしようという、実に姑息な表現手段であることは間違いないでしょう。
一種の甘えなのですが、その甘えを許すか許さないかは、何に対する謝罪なのか、ということによって違ってくるのでしょう。
とんでもない被害を実際に蒙ったときに、「遺憾です」だけで謝意を表明したとは、おそらくですが思えないはずです。
個人情報の流出など、特別重大な被害が直接的に掛かるわけではないような場合であれば、そうした甘えを許せる気持ちになることもあるかもしれませんけどね。
いずれにせよ、大事なことは、遺憾という言葉に謝意の意味は全く含まれていない、ということです。
辞書で再確認してみましょう。
『期待したようにならず、心残りであること。残念に思うこと。』
これがその意味です。
よくごらんになるとおわかりになりますが、自分と関係ない人や事柄に関して、この言葉を使う事さえできます。
つまり、「わたし自身は何も悪くないが、例の問題は遺憾に思います」という意味で使う事だってできるわけです。
たとえば、「こうした風潮があることは、極めて遺憾に思います」という表現をたまに見かけます。
「わたしは関係ないが、そうした風潮は良くない」という意味です。
第三者的な立場で遺憾という言葉が使えるのですから、謝意などは全く含まれていません。
責任のある事件・事故などに対してこの言葉を使うのは、聞き手の甘い解釈を期待して責任を免れようとする心理が働いていることは確かでしょう。
   

この回答への補足

分かりましたが、
「最低レベル」での謝意の表明にはなるのでしょうか?

補足日時:2012/11/29 17:19
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#6です。



>責任の所在が分からないまま、
正式に謝罪するまはいかないけど、
少しは悪ことをしたと思っている、
ということですかね?

そういうことになるとは思います。
ただ、自分の中だけで悪いと思っていても何の役にも立ちません。
殺人犯だって、悪いことをしたと思うことは多いんじゃないでしょうか。
そうした反省があるからといって遺族に対する謝罪が不要ということにはならないでしょう。
「遺憾です」というのは、あくまで「残念です」という意味しかないわけですから、悪いことをしたという認識の表明にはなるものの、謝罪の意味は含まれていません。
「悪いことをしたと言っているのだから、それでいいだろ?!」
という、意味にしかならないわけです、謝罪の気持ちのかけらもない表現であることはまちがいありません。
因みに、謝罪というのは「罪や過ちをわびること」です。
さらに、「わびる」というのは「自分の非を認めて、相手の許しを請う。あやまる。」ということです。
「残念です」と言っただけで、「自分の非を認めて、相手の許しを請う。あやまる。」という意味にはなりません。
「遺憾です」と言いながら頭を下げる人が殆んどいないのも、そのためでしょう。
悪いことをしておきながら「遺憾です」というのは、一種の逃げ口上、詭弁、あるいは、開き直りということになります。
  

この回答への補足

すみません。
非をはっきりと認めたくなくて
たしかに謝罪にはなっていないと思いますが、
ある程度は認めてて、
最低レベルでの謝意の表明にはなるのでしょうか?

補足日時:2012/11/28 22:18
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「遺憾」というのは、


「期待したようにならず、心残りであること。残念に思うこと。また、そのさま。」という意味なので、謝罪の意味は全く含まれません。

自分が悪いことをした際の記者会見における「遺憾の意を表します」は、論理のすり替えが行なわれていることになります。
「残念だと思うこと」と「申し訳ないと思うこと」は別物です。
「遺憾の意を表します」というのは、
「わたしは、少なくとも残念に思っているんですよ。遺憾だと言っているのですから、それは理解してくれるでしょ?でも、直接的な謝罪の言葉を述べるほと悪いことはしてないと思います」
という意味になってしまうわけです。
「期待したようにならず、実に残念だと思っています」だけではダメで、
「ですから、謝罪します」という意味の言葉を述べないと謝罪会見にはなり得ません。
聞くほうも、
「残念だと言ってるんだから、良くないことをしたという認識だけは最低限あるわけだな・・・。ということは一応反省はしているのだろう。」
などと妙に物分りの良い解釈をしてしまいがちなので、このようなおかしな表現が横行するのだと思われます。
仮に反省していたとしても、それは本人の内面の問題です。
良くないことをしたら、対外的にきちんと謝罪という行為をする必要があります。
  

参考URL:http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?p=%E9%81%BA%E6%86 …

この回答への補足

責任の所在が分からないまま、
正式に謝罪するまはいかないけど、
少しは悪ことをしたと思っている、
ということですかね?

補足日時:2012/11/28 16:47
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こんにちは。



「残念です」と言ってるだけですから、そんなものは謝罪ではありません。

謝罪もできない者のなんと多いことか!

この回答への補足

正しい謝罪ではなくて、不適切な謝罪ということでしょうか?

補足日時:2012/11/28 17:09
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》遺憾の意を表します



謝罪の言葉ではありません。「他人に損害を与えた」、あるいは「悪事があった」ことを認めただけです。

謝るときの言い方は、

・お詫びいたします
・申し訳ございません

--などとなります。
 

この回答への補足

一応は何らかの非があったことを認めていることになるのでしょうかね

補足日時:2012/11/28 16:50
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残念です。

とかお気の毒でした。の意味ですから謝罪というより、
言い訳していると云った感じがします。
そんなつもりはなっかたのに、マイナスの結果が出た。
非は認めてはいないと思います。

この回答への補足

謝罪ではなくて言い訳とわかりますが、
故意とか悪意がなかったとしても何らかの過失(非)を認めているのではないでしょうか?

補足日時:2012/11/28 16:55
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