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思想家とは?

A 回答 (5件)

 こんにちは。



 思想と哲学の違いを明らかにすることにおいて考えてみます。

 じんるいは石器時代から青銅や鉄などの金属器の時代へ移行してくるわけですが 石器のたとえば石包丁 これは意外と重宝な利器なのだそうです。よく切れるのだとか。

 いすれにしても 石器にしろあるいは電子機器にしろ われわれ人間は世界の中で世界についてその自然なり社会的自然なりを取り上げいちいちそのウワベだけでは分からない内側の成り立ちをも捉え その認識を用いて道具につくったりします。

 それもこれも まづは生活です。すでに初めからアソビもあったでしょうがそのアソビをふくめて広く生活の中で考えること――それは 言ってみれば生活態度の形成――をおこなう。これが 思想でしょうね。


 哲学は そこに自然科学をふくめて 生活のためのたとえば道具を考え出すといった実務を一たんほっぽり出して何ごとについても世界を知ろうという欲張りでありそのいとなみだと考えられます。そういうアソビであるかも分かりません。

 迂回生産というヤツですね。そして思想が生活に根差すぶんだけ全体を見渡せないとすれば まさに世界の全体を見渡していろんなものごとについて知りそれによって交通整理をすることができる。のが 哲学だと見られます。


 ということは 思想もけっきょくこの哲学の全体観を摂り入れてたしかに全体観に立って その生活態度をかたちづくって行きます。


 もっとも《具象を捨象しての一般性を持つ概念による抽象的な世界認識》 このような哲学にしても その手口はおのおのその人のけっきょくは自己表現において成り立つものですから 主観的な判断によっていることをまぬかれません。
 
 言いかえると より普遍性をこころざしていとなむ哲学にしても おのれの生活態度としての思想の手法によっている部分も大きい。

 ということでは 思想も哲学も 互いにそれほど変わらない知的・学的・倫理的・そして社会共生のための生活学であり その基礎となる資料や情報を たとえ不要不急のものであってもとりあえずは研究し収集しこれを実践しうるように提供するいとなみである。

 強いて言えば 思想は シングル・イシュウだけでも突き進むことがある。と言えるでしょうか。矛盾をかかえつつも前へすすむということもありましょうか。待ったなしの問題もあるはずです。しかもそれは哲学が うしろに控えてくれているという信頼感のもとになのでしょう。

 思想家とは 生活者のことです。
 ただし いくら不要不急のものごとでも研究するからと言って 蛸壺の中であたまの中に観念の蜘蛛の巣を張り巡らす営為は 哲学でも思想でもないでしょう。半生活者であるでしょう。
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この回答へのお礼

どきゅんな質問にお答えいただきまこにありがとうございます。

「哲学者」も「思想家」も職業上の区別でないことは明らかだと思いますが、この二つの言葉はどのように区別して使われのでしょうね?
たとえば、カントやヘーゲルは哲学者であり、ニーチェは実存主義の思想家、レーニンは革命思想家といったイメージがあるのですが。わが国で言えば、吉本隆明は思想家、新左翼系の黒田寛一は革命思想家、両者とも哲学者ではない。

お礼日時:2012/12/19 15:46

 No.3です。




 ★(No.3お礼欄) ~~~~~
 ・・・
 ただ、米国や中国に比べて、金持ちと貧乏人の格差が断然小さいということが救いになっていて、

 この格差が広がってくると、ちょっと、やばいと思います。
 ~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ どうもそのようですね。いまは最大の債権国だそうですが。


 これは いまのところ非科学的な対処の方針です。
 どこかでどんでん返しが起きる。これです。


 なおガミガミ役とアース役とは その社会としての場を拡大させても当てはまるのではないかと。
 アマテラス公民とスサノヲ市民とです。
 どんでん返しのひとつは 前者のお二階さんが後者の一階に大政奉還するようになるといった事態です。

 そしてそのためには 自然科学から社会科学からそれらの学問の総体としての哲学が必要になるでしょうね。総動員して考え合っていかねばならないということだと思います。
 思想者はのんきですね。(わたしだけかも)。
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この回答へのお礼

このようなドキュンな質問に対して、懇切丁寧にご対応いただき誠にありがとうございました。

心より感謝いたします。

お礼日時:2012/12/26 18:10

「家」という文字で人をさすときは、その人物が偉大な人であることを示唆していますね。



彫刻家、資本家、政治家、作曲家、思想家などで、一番上等なのが大家です。オオヤじゃなくてタイカですね。

それに対して、「者」という文字で人をさすときは、あまり偉大でないことが多いですね。

浮浪者、犯罪者、落伍者、哲学者など、、、。
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この回答へのお礼

どうも、ドキュンな質問にお答えいただきありがとうございます。

なるほど、偉大な人という意味が含まれているんですね。

ただ、貧乏画家なんてよく耳にしますけど、あれは貧乏なだけで実際には偉大だということなのでしょうか?

余談ですが、ある哲学書に載っていた哲学者の諸形態です。

世捨て人、隠棲者、隠居、出家、乞食、世間知らず、変人。

確かに変人が多いようですね。

お礼日時:2012/12/21 04:15

 ぼけゆさん こんにちは。



 ご返答をいただきました。

 直接のお答えにならないのですが 少々自己宣伝をしてみます。

 《アース役》という概念は 《ガミガミ役》とペアを組んで そのあいだに起きるパワー・ハラスメントについて事実認識しつつ この不条理なまでに到る人間関係をふつうの自由で対等な内容にまで戻そうという意図がありますので 《思想》だと思いますが これでも コミュニケーション一般の理論として《哲学》にも根差すものと考えています。

 ただしまだまだ なお精緻な分析やら検証やらを経てすすめなければならないと思っています。

 《アース役はつらいよ》という寅さん合唱が世の中に鳴り響くならば 人はバカではありませんので反省しつつこの上下関係はかなり風通しがよくなり 経済活動にもより少なく支障をきたすことになる。こう考えます。

 日本再興にとってひとつの推進力になればと思っているのですが こういった《革命》は いかがでしょうか?
 コミュニケーション一般にかかわるとするならば 世界における風通しにもよい。こう自負しています。
 それについてのきちんとした資料や情報や論証やを提供するのは 哲学者の仕事であるかと考えます。
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この回答へのお礼

どうも、ドキュンな質問にお答えいただき誠にありがとうございます。

あるシンクタンクの予想によれば、2050年には、世界に占める日本のGDPは3パーセント(現在は8パーセント)になるという。

もちろん、その最大の原因は少子高齢化です。先進国の中でもそのスピードは速いです。

ただ、米国や中国に比べて、金持ちと貧乏人の格差が断然小さいということが救いになっていて、

この格差が広がってくると、ちょっと、やばいと思います。

お礼日時:2012/12/21 06:01

職業は、分業化によって生じました。


それまでは皆んな「生きる事」が職業でした。
広義の「思想」というものが、環境認識の深まりである時、
どのような専門性をもった職業であれ、アリやハチのような
条件反射的分業行動でない限り、その自律的社会行動に
おいて環境認識の深まりは必要であり、思想性はどの職業
にとってもベースであると言える(言いなりの歯車人間を除き)。

本来それ(生きる意志の育成)は、教育の基本であるにも
関わらず、その任にあるべき道徳教育や社会科は、歯車と
して使役されるための詰め込み教育に堕し、総合的な認識
の深まりを促す用をなしていない。
思想を専門としているのは、大学で思想を教えている教官
であろうが、大学まで行ってから学ぶ思想などというのは、
過去の遺物としての丸暗記歴史教育の一環でしかない。
真に創造的な意味で思想を職業(生業)としている人物は、
日本にはいないと思われ(歯車国民の皮相的自己顕示の
ツールでしかなくなっている)。
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この回答へのお礼

どうも、ドキュンな質問にお答えいただき誠にありがとうございます。

すべての人が思想家であり哲学者であるといえるかもしれませんね。

お礼日時:2012/12/21 06:30

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