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ありのままの自分を認める

というのはいったいどういう感覚なんでしょうか。
人を愛したいというのが今の自分の目標ですが、自分を愛することがまず先決だと考えており、
そのためにはどうしたらいいか、を考え、
現在タイトルのことに行き着いています。

「認める」以外でも、
受け入れる
愛する
諦める
悟る

などありますが、分かりません。
まさに「分かりようがありません」。
それは、全部これまでの人生で知らない感覚だからだと考えています。

これ以外の言葉で同じ感覚を伝える言葉があれば教えてください。
また、普段の生活で似たような動作があれば教えてください。
よろしく御願いします。

A 回答 (13件中1~10件)

No.8で回答させて頂いた者です。


お返事ありがとうございます。

>それが人生を良くするのだと理屈ではわかっていますが、
>信じ切れないような感じでしょうか。

必ず良くなるかは分かりません。
ただ、何もしなければご自分で仰ってますように「このまま」なだけです。
悪くなったら、また帰ればいいんだと思います。

>愛し、愛されている関係こそが

愛されるのは愛した結果です。
しかし、愛することはその見返りを求めるものではないと思っています。
繰り返しになりますが、自然な感情です。
欲して手に入るものではないと思っています。
強いて言えば周りにいる人々への感謝することが必要でしょうか?

私にはむしろ仰っている「自分を愛する」と云う感覚の方が良く分かりません。
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この回答へのお礼

そうですね・・・。

>ただ、何もしなければご自分で仰ってますように「このまま」なだけです

まぁ本当その通りです。
今まで何度も同じように諭されました。
友人にも、質問サイトでも。

「悪くなったとき帰ればいい」という感覚がないからかもしれませんね。
変更履歴は永遠に残ってしまうというか。
もう同じ場所には帰れないというか。
実際帰れませんよね。

彗星でいうと、先頭の部分が自分であるのだから、その時点で方向転換したりすればいい、
という視点が必要なんでしょうね。コックピットから見るような視点。
でもどうしても僕は、
ズバーッと尾を引くほうきの部分も自分の構成要素というのが抜けてないのかもしれません。
それでは幸せはなかなか掴めないのにね。


>私にはむしろ仰っている「自分を愛する」と云う感覚の方が良く分かりません

僕にも分かりません・・・。
しかし、他人を愛するという感覚も分からないです。
おっしゃる「感謝」が無いのが根本かもしれません。

いろいろヒントをいただきました。
ありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

お礼日時:2012/12/31 22:49

例えば、車を使って日帰りでどこか旅行に行くとします。



(1)予定の時間に出発し、順調に目的地に向かいます。
ところがしばらくして道に迷ってしまいました。

ここで自分を認めるという表現を当てはめるとすれば、
今自分が置かれた状況を正確に理解するということになりますから、
自分が今道に迷っているということを自覚することが「認める」ということになります。

(2)道に迷ったことを自覚したので、車を降りて地図を確認しました。
すると相当道を外れてしまっており、当初の予定通りに目的地にたどり着くことが困難となっていることがわかりました。

ここで「当初の」予定が実現出来ないということを理解することが「受け入れる」ということになります。それをもって当初の目的を断念したとすれば「諦め」となります。
(当初の予定を変更することができるのならば、受け入れることと諦めることは同一にはなりません。)

(3)このまま目的地を目指すと日帰りが困難になり明日に響くことを懸念して、今回は旅行を諦めて家に帰ることにしました。

ここで自己を気遣い、明日に響くことを懸念した判断を下したことは「愛する」ということになります。
ただこれは要所での感覚というよりかは、日頃から自己を大切に扱っているのかという表現が妥当します。

(4)家に帰りなぜ予定通り目的地に向かうことができなかったかを調べてみると、行先が間違っていることに気が付きました。

ここで当初の予定通り目的地に向かうことができなかった原因が、初めから行先を間違っていたということに気づいたことが「悟る」ということになります。

ところどころ曖昧な部分もありますが、
概ねこういったシチュエーションが該当すると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

身近な例に挙げていただき分かりやすかったです。

>(当初の予定を変更することができるのならば、受け入れることと諦めることは同一にはなりません。)

というのがポイントかなと思いました。
受け入れる=諦める と思っていた節があるので。

率直な感想としては、
「この例に出てきた人(回答者さま)は前向きだな」でした。
それだけ僕が前向きではないということの裏返しなのだろうなと感じました。
自己を大切に扱う、のをもう少し真剣に取り組まなければいけないのかなと思いました。

ありがとうございました。
よいお年を。

お礼日時:2012/12/31 22:32

私は男です。



さて、私は泣き虫です。
もう、いい大人ですが、泣き虫は変わりません。

子どもの頃・・大人になってもですが、一寸前までは、泣き虫である事を認める事ができませんでした。

子どもの頃は特に、泣き虫と言われるのがイヤでイヤで、泣き虫などと言われると向きになって反発していました。

あるとき、泣き虫でも良いじゃないと思える様になりました。
この泣き虫でも良いじゃない・・が「認める」と言う事ですね。

今なら、誰かに「泣き虫」と言われたなら、はい私は泣き虫です・・と答える事ができます。
これが認める・・ですね。

但し、言葉の上だけの話ではないです。
泣き虫・・と言われても、感情が波打ちません。
だって、泣き虫なのですから・・

もちろん、こうなるまでには、長い時間(期間)自分と向き合う・・と言う作業をしてきました。
一朝一夕には、この様な感情を受け入れるのは難しいですね。
特に男は難しい・・何と言っても建前社会に生きていますからね。
言葉の世界に生きている・と言い換えても良いですね。
それに対して女性は、感情・感覚の世界に住しているので、理解しやすい様に感じます。

>>受け入れる。

これには順序があります。

相手が何かを言って来た場合・・など。
先ず、「受け止める」・・があります。
受け止めたなら、受け入れるか、受け入れないかの選択があり、その結果、受け入れても良し、受け入れなくとも良しです。

多くの場合はこの受け止めるがなく、受け入れようとしてしまうので、心の中で軋轢が生じます。

受け止める・・
先ず、相手の言い分を聞きます・・そうなんだと。
この場合批判などはしません。
批判・・言葉だけではなく、感情的にも・・です。
別な言い方をするなら、客観的に聴くですね。

受け止めるも結構難しい?でしょう。

まあ、受け入れるが、相手の言う事全てに対して言いなりになると言う事ではない・・と言う事です。

受け入れるが難しいのは、多くの場合、潜在意識で受け入れる・・相手の言いなりになる・・恐怖感があるでしょう。

感覚・・先ず、辞書を引きましょう。
つまり、感覚の定義をしておくことが、感覚世界への入り口です。

感覚への入り口。
自分の手を・・

例えば、机の上に置いてみましょう。
その時、何を感じますか?

それが感覚。

>>それは、全部これまでの人生で知らない感覚だからだと考えています。

それはない・・と思います。
分かる・・この場合言葉ではありません、だから感覚、すでに備わっている能力の一つです。
それを認識するだけ、感じるだけ。
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この回答へのお礼

なるほどと思いました。
確かに手を机の上に置いても、
触感はありますが、今辞書を調べて載っていた「心象の動き」ってのはないですね。
そういう回路が鈍っているのかもしれません。

相手の言うこともそうなのですが、
自分が言うこと(自分の中に反射的に起こる反応)を受け入れたいというほうが強いかもしれません。

ちなみに僕も結構泣き虫です。
ありがとうございました。参考になりました。
よいお年を。

お礼日時:2012/12/31 22:25

他人からこう思って欲しいという理想の自分と同時に、自分自身がこうありたい自分という理想の自分がありますよね。



理想の自分というイメージを傷つけたのが、他人であれば、怒りは他人に向かいますが、傷つけた張本人が自分自身なので、怒りが自分に向かうということですね。

理想の自分と、ありのままの自分にギャップがあるのは当然ですので、可能であれば、理想の自分を放棄するのが、根本的な解決になるかもしれません。
傷つく対象がなければ、傷つきようが無いと言うことです。

どうすれば、理想の自分を放棄できるかというと、ありのままの自分を、誰かに愛してもらい、ありのままの自分で良いのだと納得できるようになると良いのですが、その愛してくれる相手が居るかどうかが問題です。

あなたがそもそも、理想の自分に固執するようになったのは、恐らく、ご両親の教育の結果でしょう。
そのように教育された子供の頃の自分を、大人になった自分が、慰め、愛してあげるという方法があるようです。

始めよう。瞑想
楽しもう。瞑想
宝彩有菜 著

「楽しもう。瞑想」の方に、それが書いてありますが、私自身は、そこまで深く瞑想に入れたことはありませんので、本当の所は分かりません。



余談ですが、ペットを飼われた事はありますか?

犬は、飼い主から多少いじめられても、恨みに思ったりせず、飼い主を愛してくれます。
猫は、自分が飼い主から愛されるのが当然と思い込んでおり、上手におねだりしてきます。

私は猫の方が好きなのですが、猫は、まさに、自分自身を愛しているように見えます。
飼い主からの評価など、我関せずで、好き勝手に生きています。
猫好きの人は、猫のそうしたところが好きなのです。

逆に犬好きの人は、飼い主に忠実なところが好きだそうです。
私は、犬が、自分を殺して飼い主に迎合しているように思えて、あまり好きではありません。
でも犬は、とことん飼い主を愛してくれるので、犬に癒される人も多いようです。

犬か猫を飼ってみられてはいかがでしょうか?
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この回答へのお礼

具体的なアドバイスありがとうございます。

本、読んでみます。

確かに、犬と猫、極端に違いますよね。
買った事はありませんが、街中のを見ていると、
確かに犬はかわいそうなぐらい飼い主に慕っているなと。
だから自分自身に重ね合わせてしまい、辛くなるというか。

かといって猫はそっけなくてこっちがすねてしまいそうで、
上級者(自己愛ある人)向けだなぁといつも思っていました。

まぁペット禁止なうえ勤務時間も不規則なので現実的には厳しいかもしれませんが、
参考にさせていただきます。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/31 16:08

包丁で指切ったら痛いでしょ?。


血が出るわ、ヒリヒリ痛いわで大変です。
そんなもんだよね。

痛い、っていうのが感覚で、この場合は「痛覚」になる。
痛覚といってもいろいろで、ヒリヒリするとか、ズキズキするとか、いろいろある。
これを感情に当てはめればいい。
そっくりそのままに。
ヒリヒリした気持ち、ズキズキした気持ち、という具合。
そしてそれぞれに「名前」がついてる、ということさ。

そういった感覚がわからない、という場合は、それがどこかで阻害されてるってこと。
神経があるから痛いわけ。
神経がどこかで切断されてても、脳に信号を届けても、届け先が存在しないとか、そういうのでも感覚にはなっていかない。
感情も同じだ。

ちょっと話が難しくなってくるよ。

君が「愛情」と呼んでいる、認識してる「もの」は、実は単一の感情ではない。
愛情というものは、きわめて多岐で複雑な、単一感情の「塊」であり、なおかつ構造体なんだ。
しかも、それは同じ組み合わせでもなく、さまざまな感情と構造で成り立つ。
実は「自分を愛すること」という一行は、とてつもなく複雑なプロセスの中で構築されているものなんだ。

指を切った→痛い→思わず指をなめる→しょっぱい→血の味がする→鉄分もだな→涙の味と同じ→血と涙って同じかもしれない→涙は鉄の味しない→血は涙と違うんだ→以下延々と続く。
…で、ようやく「今度は気をつけなきゃ」になる。
ほんの数秒というか、一瞬の話だけでもこうなんだ。
だから「自分を愛すること」を知るにも、君の場合は長い長いプロセスがかかる。
いろいろなことを経験し、その経験を組み合わせていかなきゃいけない。

知らない感覚は、経験して徐々にものにしていくしかないよ。
だから「自分を愛することですね」と誰かが言ったとして、それが間違えでは無いにせよ、その作業は君には困難を極めることになると思う。
とても長い時間が必要だ。

一朝一夕には行かないだろう。
だから「そのときそのとき」で、間違えでもいいから、自分が思うところでの対応をしてほしい。
その結果として、徐々に経験が溜まっていって、だんだんと判断時間が短くなってくるから。

これは簡単に教えられるものでもないし、近道があるものでもないんだ。
大事なのは素直さと、自分で学ぼうという気持ちだ。
人生としては、大変な人生になるとは思うけど、決して生きられないわけじゃない。
大事なのはコツコツ人生を歩くことだ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

確かに、素直さや自発的な意識が少ないです。
長いですね。本当に死にたくなります。
その場合の支えって、自分を信じることですね。
それがなくなってきてるのかもしれません。

お礼日時:2012/12/31 16:01

他の方も言われてますが、


自身の客観的評価に始まると思います。
適切な評価は簡単なことではないと思っています。
過去の仕事や友人、異性の人間関係を振り返った時に、
「今、思えば自分が悪かったな」と感じることがあれば
それがヒントの一つになるのかもしれません。
 
大事なことは「自分はこういう人間だ。」で終わるのではなく、
だから「ここを修正しよう」に繋げることだろうと思います。
そう考えると違う言葉での表現は「顧みる」でしょうか?

「愛したい」とう言葉に違和感を感じます。
愛はもっと自然と湧き立つ感情ではないでしょうか?
愛は自分を認めるためのものではないような気がします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

おっしゃるとおり、「ここを修正しよう」とかが思えていません。
修正する理由がわかりません。修正した自分を愛せないというか。
それが人生を良くするのだと理屈ではわかっていますが、
信じ切れないような感じでしょうか。

>愛はもっと自然と湧き立つ感情ではないでしょうか

そうなのだと思いますが、これこそ周囲を見ると、
愛し、愛されている関係こそが
人間が生きるなかで一番尊いことで、それ目的に生きているといっても過言ではないな、
と僕の今までの人生では感じたことです。
なんつーか、もう30年も自然と湧き立ったことがないからでしょうね。
だから不安になってるんだと思います。
死ぬまでこうなんじゃないかなぁって。

お礼日時:2012/12/31 15:54

諦める⇒明らかに究める、とか言います。

はっきり見定めることかしら?

言い換えればいいのですか?

現状を認める。

理想は理想でおいて置いて、今どうなのかを客観視する。

I am not OK, You are not OK, but it's OK.
私も駄目、あなたも駄目、完璧じゃない、でもそれでオーケー。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

自分のこと、客観視はできているように思います。
「視る」だけなら。
そこで前向きになれていないことが問題のような気がしてきました。

お礼日時:2012/12/31 15:48

ありのままの自分を認めた、という状態があるのではなく、それに近づいていくという感覚です。



例えば、「人を愛したい」という今のあなたの目標が、実は、「『人を愛したい』と思っていたのは、人に良く思われたいという自分が出発点だったんだな」と気づいたとします。
(例えばの話です)
そのことに直面して、ショックを受けます。
私は人を愛したいのではなく、自分のためだったのか。

自分の中に、その気づきを否定したくなる思いも出てきます。
自分の自己中心性を認めたくないわけです。
で、それを否定しきってしまうとき「ありのままの自分を認めてない」ということなのでしょう。

嫌な自分だけれど、自分にはそういう自己中心的な思いがある。
でも、それを受けとめて、でもそれを人のために役立つようにしていけばいいんだな。
というようになれば、一歩自分を認めたということでしょう。

自己受容する
嫌な自分を知る
自分を別の角度から見られるようになる
客観的に自分を見られるようになる
自分の失態を人のせいにしない
自己防衛している自分に気づく

そんな感覚も似ているかもしれません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

できる途中にあるということなんでしょうかね・・・。
確かに今までにも、本を読んだりここで回答を頂いたりして、
「気付いた」「知った」部分は多いです。
でも自分の中の自分というか、そいつが変わることはありませんでした。

肝心なのは、今の僕は変化したいと思っていないことでしょうかね。
変化せず、今のありのままを認めたい。表が裏にひっくり返るように。

「人のために役立つように」なんて一切思えない。
今回色々回答を頂くなかで、
本当に多くの人は、他人のためというか、社会のためというか、
そういうものに自分をささげているんだなと感じました。

先のお礼でも書いたのですが、
そういう自分ではダメだと思ったのでしっかりとした自分を持つよう心がけました。
でもそれはおそらくズレていたんでしょうね・・・。

お礼日時:2012/12/31 15:45

>人を愛したいというのが今の自分の目標ですが、自分を愛することがまず先決だと考えており、



そのとおりかと。

人は、自分を愛することで、自分を認め、自信を持ち、他者に共感し、他者を受け入れ、他者を愛するのではないかと。

では、どうやったら「自分を愛せる」のか?

具体的な行動としては「自分を褒める」事でしょうか?

自分の長所を見つめれば「こころから」褒めることが出来るでしょう。

そして、目に付く自分の短所も、見方を変えれば、長所の延長だとも。

そうすれば、自分を受け入れることも出来るようになるのでは?

日本人には、中々難しい、行為ですが…

取り組みやすい手段としては「ありがとう」と「笑顔」を他者に対して心がけ、一日の終わりに振り返り、他者からもらった「ありがとう」と「笑顔」を思い返すでしょうか。

ご参考までに。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なかなか難しいことですよね、自分をほめる。
長所も見つけてもほめる思考回路がない気がします、自分に対しても他人に対しても。

>取り組みやすい手段としては「ありがとう」と「笑顔」を他者に対して心がけ、一日の終わりに振り返り、他者からもらった「ありがとう」と「笑顔」を思い返すでしょうか。

これは確かにやりやすそうです。
これまで日頃もらった「ありがとう」も、
自分的には全く喜びを感じないなぁと自覚してたところです。
もうちょっと噛みしめることが必要かもしれません。

ありがとうございました。

お礼日時:2012/12/30 18:34

私の場合ですが嫌いな人間と一緒にいると自分自身の事も受け入れられなくなってきます。


自分自身を受け入れるという事は愛する人間達が周りにいれば自然と自分自身の事も受け入れられて幸せになれると想います!
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この回答へのお礼

それは素晴らしいですね!

確かにそういう面はあると思います。
ただその愛する人間が僕の周りにはおらず、
新規で愛することもできなくなってしまいました・・・○| ̄|_

お礼日時:2012/12/30 18:30

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