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第6艦隊司令長官の高木海軍中将は、アメリカ軍のマリアナ侵攻作戦で、サイパン島に於いて奮戦する。
大本営では、潜水艦による「サイパン島の要人救出作戦」を計画するも、高木中将から、危険な為断れらる。
その後奮戦むなしく切腹し、大将に任じられる。
以上が伝記、戦史でつたえられるところです。

一方、高木中将は実は東京にいた。
孫を膝の上に乗せている時に報告を受け「サイパンが、サイパンが…」とつぶやき、孫を放りだした。
という噂があります。
題名は忘れてしまいましたが、何かの本で読みました。

この本の題名、真偽のところ分かる方、教えて下さい。

防衛研究所へ行け等のご意見は、お断りです。

A 回答 (1件)

 平櫛孝『サイパン肉弾戦 ー 玉砕戦から生還した参謀の証言』光人社文庫


 
 平櫛孝「第四十三師団サイパン玉砕記」 丸別冊『玉砕の島々 中部太平洋戦記』所収 潮書房

 オジリナルソースは、当時サイパン島にいた第43師団参謀、平櫛孝中佐の回想のようです。元中佐は陸海軍首脳の自決の場に立ち会った人物で、高木中将はその場に居なかったということです。
 

 >高木海軍中将の最期については諸説紛々として、私としてもその伝聞したことを次に紹介できるだけである。一、略 二、略 三、南洋興発の社員であった中島文彦氏は、生還後サイパン、テニアン等の遺骨収集に献身的努力をしているが、ある慰霊のための席で、高木海軍中将の遺族から高木海軍中将の最期について新しい情報を聞いてそれを私に伝えてくれた。

 >「サイパンの最後の日、高木海軍中将は軍令部に連絡のため東京にいた。暇を見つけて留守宅に帰って久しぶりに孫を抱いて庭先で涼をとっていた。軍令部からサイパンの悲報が入った時、いままでの温顔は急に変貌し、抱いていた孫も投げすてるようにして第一種軍装に着換え、家族の話しかけにも応えず『サイパンに行ってくる』と飛び出した」という。もちろん、高木海軍中将のその後は、今日も杳としてわからない。


 しかし、同氏によれば陸海軍首脳の自決後、最後の突撃を敢行する際、陸海軍の指揮権について論争がおこり、海軍側が「バナデル地区には第六艦隊(潜水艦隊)司令長官高木武雄海軍中将が生存している。‥‥」と発言したといいますから、高木中将はまだ生存しており、その消息について直接目撃したわけではなく、又聴きの伝聞に過ぎないというのが真相でしょうか。

 
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この回答へのお礼

なるほど。

やっぱり東京に居たのですね。
その後、アメリカ軍に制圧されているサイパンにもぐり込んだのですかね?
どれとも、東京で自決?
斎藤中将は特別進級せず、最上位の南雲中将は大将進級しているし、中部太平洋艦隊司令長官と第6艦隊司令長官では、格が違う気がします。
遺骨は、何処にあるのでしょうね。

分かりやすい説明、ありがとうございました。
感謝、感謝です。

お礼日時:2013/01/12 06:37

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