プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

武道は耐える力がつく、根性がつくといいますが・・・

1.理不尽な事に耐えるとその場に耐えることはできるようになるが、その状況を改善する能力が磨かれなさそう
2.言われた通りに行うことも、指示待ち人間しか育たず、想定外のことが起こるとパニックになるのでは

と浅知恵で考えたのですが、本当の意味で最高の武術家になるには体罰的指導は有効なのでしょうか?武道は殺戮術から派生したわけで、この点で体罰をどう考えているのでしょうか?

昔の戦いではどこで襲われるかわからないので危機察知能力を磨いたり、身体の感覚を研ぎ澄ませる必要があったと思うので、痛みを感じなくするという体罰はマイナスのような気がするのですが・・・

感覚を磨くためのソフトウェアである型を身に着けるには反復練習が重要なのはわかりますが、その身体感覚の変化の気づきが重要なのではと・・・

武術には無我が身体を動かす上で最強ということもあり、指導に頓知やあえて矛盾を投げかけることはあると思いますが、どうなのでしょうか?

ご教授お願いします。

A 回答 (3件)

 私は、武道に体罰はアリだと考える人間です。



 怒りが武道の源だとしか思えないからです。

 カネや名誉を求めてやるなら、もっとそれに向いた別なことがあるし、途中で放棄するだろうという気がします。

 が、あの丸顔の監督(マジメそうで悪い印象は抱けませんでした)はちょっと、女性という生物に対する知識が足りなかったんだろうと思いますね。

 このサイトで教え方を質問していれば、私が女子バレー代表監督が言っていた話(昨年、なでしこ監督が同じようなことを言っていた)を教えてあげたのに、と残念に思いました。

 女子バレーの代表監督がなんて言っていたかというと(一個人の記憶に基づく再現です、ハイ)、

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 私は男子の監督をやってから、女子の監督をやりました。

 男子選手は、もうこれ以上やってもダメだと思って、「今日はここまで」と号令を掛けると、20分や30分寝転がって動けない。それくらい限界までがんばるんです。

 ところが女子選手は、今日はオワリというと、一瞬座りこむんですが、すぐ立ち上がって、風でめくれたカーテンを直しに行ったりするんです。

 それを見て「おまえら一生懸命練習しなかっただろッ」と怒鳴りたくなったんですが、怒鳴っちゃダメなんですねぇ。

 そのころ読んでいた本に、

 『女性は産み育てる性であるため、まず自分の体を守らなければならない。そのため、限界まで体を痛め付けるということをしない。適当なところで脳がブレーキをかけるんだ』って書いてありました。

 自覚して体力をセーブするんじゃないので、本人たちにもどうにもならないことらしいんです。

 だから、練習を終わってすぐカーテンを直しに行ったからといって、サボっていたと思って怒っちゃいけないんです。

 私はそれがわかってから、指導が変わったと思います。
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 ということです。

 女性は、本人たちにもどうしようもないところでブレーキがかかるのだと知っていれば、サボって見えてもそれなりに対応し、体罰などしないでおこうという気持ちになったでしょうに・・・ 。

 あの、柔道の監督には、自分の指示に反して女子選手たちがサボっているようにしか思えなかったのしょうねぇ。
  
 女子バレーやなでしこの監督に学びに行くべきであろうと思います。監督には、選手時代とは異なる知恵が必要なのですから。
 
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

怒りや体を発散させる歓びはスポーツそのものの価値だといわれているもので武道だけによらないと思います。

やはり、武道は技術に精神性を含めたことにより矛盾しているようですね。やはりそれは江戸時代的封建社会の体制維持を目指していたから…ということでしょうか?
僕も体制維持のためには体罰は有効だと思います。北朝鮮も中国も体罰してそうですし。

わたしはその方法は人格的にそれで失うものも多いと思うようになりました。
サッカーでは試合中の創造性が育たないと欧州を見倣って体罰を完全否定してますが、小さい時から指導者の枠にはめて指導することも問題視されるようになってます。
これらを普遍化すると指示待ち人間、無責任な人間、自己決定できない人間が育ちやすいということで・・・封建社会なら有益な人間かもしれませんが。

女性の指導方法について、とてもためになりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/02/11 16:54

先ず武道と武術は違うことを知ってください。


武道は、武術に精神鍛錬が加わり危険技を排除して習いやすいようにしています。
精神鍛錬で分かりやすいのが、空手の寒稽古です。
凍てつく川や海に入って稽古をすることは、弱い精神ではできませんからね。
また武術は、戦を思わせる技が多く最終的には人を殺すことを目的としています。
でも、どちらが強いかは分かりません。
理由は、使う側によります。
どちらも使わないための備えを唱えていることが多いです。

>1.理不尽な事に耐えるとその場に耐えることはできるようになるが、その状況を改善する能力が磨かれなさそう
人によりけりですね。

>2.言われた通りに行うことも、指示待ち人間しか育たず、想定外のことが起こるとパニックになるのでは
これも、常に考えている人はないでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
やはり、武道は技術に精神性を含めたことにより矛盾しているようですね。やはりそれは江戸時代的封建社会の体制維持を目指していたから…ということでしょうか?
精神鍛錬とは現状に耐えるということですし。
試行錯誤し、相手から批判されても価値を提示し他者を巻き込むという心の訓練とは程遠いように感じます。
それぞれ良し悪しはあると思いますが。

お礼日時:2013/02/11 16:39

 体罰のあるなしを一言で言うと、やっている事の意味を教える方がキチンと説明する、習う方がキチンと理解出来ているかどうかです。


 これはあらゆる習い事に言える事です。 武術だから武道だからとか関係ありません。
 これが出来ていない所は練習にかこつけたしごきとかに発展する所です。
 スポーツやスボーツ武道なんかはやっている事の意味を正しく理解して指導、練習している所は皆無じゃないんでしょうかね?
 どこを見ても数だけこなして疲れておしまい。
 教えてもらっている人にやっている練習の詳しい意味やどういう効果があるのか聞いてみたら全く考えず、言われたまま繰り返しているだけだってことが解りますよ。
 そういう所は指導している方に関しても結構怪しい人多いです。
 で、こういうところが精神論に走りますね。


>武道は耐える力がつく、根性がつくといいますが・・・

 心法と技術を混同しない武術には、こういう考えはありません。
 耐える為にはダメージを受けなくてすむ位置取りや姿勢が大事ですし、根性論なんかで向かっていったら死にます。
 こういうのは全部技術と心法を一緒にして矛盾した理論を掲げてしまった武道の苦しい言い訳です。
 そして、戦っても死ななくてすむ時代になったから言える事です。


>武術には無我が身体を動かす上で最強ということもあり、指導に頓知やあえて矛盾を投げかけることはあると思いますが、どうなのでしょうか?

 頓知や矛盾はありません。 自分の流派の術理に添った指導をするだけです。 それが他派や素人からみると矛盾と思えてしまうだけです。
 ただし、分家した流派には本家とあえて違う術理にしようとして術理が破綻してしまった流派もあります。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
asdffgfuさんの回答とても腑に落ちました。
>>心法と技術を混同しない武術には、こういう考えはありません。耐える為にはダメージを受けなくてすむ位置取りや姿勢が大事ですし、根性論なんかで向かっていったら死にます。
根性論なんかで向かって言ったら死にます、はその通りだと思い笑ってしまいました。
武道は平和な世の中になった時代に生まれた体制維持のための訓練法なのですね…。武術+儒教って感じでしょうか…。

お礼日時:2013/02/11 16:36

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