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こんにちは。

私は中学で剣道を高校・大学で伝統派空手を続けてきました。
社会人になった今も空手を続けたいと考えています。
どうせ続けるなら大会に出て勝ちたいし上を目指したいです。
(偉そうなことを書いていますが、さほど強くありません。
ずっと弱くて、最後の方で伸びて少し勝てるようになった所で引退だったので
不完全燃焼なのか、競技にこだわる傾向があります)

しかし、近所にあるのは子供向けの町道場ばかりです。
10近い道場で見学・体験練習をさせていただきましたが、
大人の経験者は子供の指導者として扱われたり、
大人の道場生は完全放置で一切指導無しという感じです。
(初心者の方が明らかにルール違反の危険なプレーをしても放置でした)
「どうせなら大会に出て勝ちたい」と最初に伝えてはいるのですが…。

また、そもそも以前所属していた流派の道場が近くに無いという問題もあります。
不器用なため、流派を変える=スタイルを変えるとさっぱり動けません。

・上記のような環境で、社会人で競技志向を貫くのは難しいでしょうか。
・武道を長く続けるにあたり、競技や勝ちに拘るのは間違っているでしょうか。
・武道・スポーツを問わず、社会人でも上達できる競技は何かあるでしょうか。
(球技やチームプレーは大の苦手です。勝ち負けがはっきりつく種目が好きです。
ジョギングのような、こつこつ頑張る系は飽きるタイプです。)

まとまりのない質問で申し訳ございませんが、ご回答いただけますと幸いです。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (3件)

格闘技経験者です



フルコン・柔術・護身など数種をやり始めて約20年になります。

・上記のような環境で、社会人で競技志向を貫くのは難しいでしょうか
私のやっているフルコン空手では練習に社会人の部があり高校生~社会人のみで練習します。試合も年齢によるクラス分けされた試合があるので、いつまでも現役は貫けます。試合をするしないは個人の意思次第です。
「不器用なため、流派を変える=スタイルを変えるとさっぱり動けません」とありますがコレは数種類やっている私には意味不明。初心に返り1からスタートは誰でも出来ます。さらに武道は打撃であろうと柔術であろうと無駄を省いた人の動きは決まっていて、軸を作って押すと引くしか出来ません。突きも蹴りも回転運動も投げ技も受けもすべてこの応用です。つまり基礎は同じで技が違うだけです。応用が利かないのはおかしいのです。

下の回答に人格形成とありますが、武道とてあくまで「習い事」ですので、武道で得た知識をどう使うかが問題です。厳しいことを長く続けるので使える知識は多いとは思うのですが・・・私の考えですと教えられるのではなく道場という厳しい場があり、身を置くことで自分で学ぶという感覚の方が強いです。ゆえに本部と呼ばれる大きな道場に属し卓越した者が沢山居る場で練習しています。一人にすべて学ぶのではなく多数の強者から良いところだけを学んでいくという感じです。完璧な人間は居ないのですから、一人にすべては学べません。

・武道を長く続けるにあたり、競技や勝ちに拘るのは間違っているでしょうか
競技や勝ちに拘る部分が無いと、自分を追い込めず伸びない事が多いです。勝ちを一つの目標と捉えて取り組むことで上達は早くなり、競争意識や挑戦し続ける厳しさに耐えることも出来ることでしょう。

こういう取り組みがやがて社会に出た時、または社会において、競争意識・目的達成への意欲の強さとなり生き残る術、耐える術となります。これは人格形成に繋がるとは思いますが・・・

・武道・スポーツを問わず、社会人でも上達できる競技は何かあるでしょうか
本人のヤル気次第で何をやっても上達はすると思います。ただ、ムリとあきらめてる時点ですべてが終わってる気はしますし、コツコツやるのが無理なら武道ほど向かないものは無いです。

私は人と同じ練習をしていて人より強くなるとは思っていません。フルコンの道場から離れると他のジム・トレーニング施設などへ出向き練習とトレーニングを積み重ねます。最初入門した時から今でも変わらず柔軟や基本練習は欠かさずやります。基礎なくして応用はなく、積み重ねないと怪我の原因となったり大事な時に動けないものだからです。頭では分っていても体を付いて来さそうと思えばそれなりに動かしていないと体は意のままに動いてはくれないのです。
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この回答へのお礼

総合格闘技やフルコン空手の方が、しっかりした
社会人コースのある道場が多い気がします。羨ましいです。
指導者にマンツーマンで手取り足取り教えて貰うのはさすがに無理なので
望んでいませんが、せめて上手い選手が近くにいればとは思います。
高校生や大学生はみんな部活で練習しているから、町道場にはいないし…

流派の違い云々ですが、それは私が未熟であるため応用が効かないのです。
今やっている流派でもまだまだできない事があるのに、
そこで流派を変え異なる動き方を習うと、どちらも中途半端になってしまいそうです。

私はコツコツ練習するのが本当に苦手なのですが、
空手だけは何故かハマって続いたんですよね。
せっかくだからそれを続けたいと思って道場を探しつづけましたが
なかなか見つからず、憂鬱になって諦めかけていました。
回答者様の練習に対する姿勢を伺い、諦めずに空手をできるよう頑張りたいと思えました。
ありがとうございました。

余談ですが、たまに母校へ帰り後輩の練習に参加すると
身体が思った通りに動かなくて愕然とします。
脳と手足の間の接続が切れたかのような…もっと動かないといけませんね。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/31 21:09

例に出されている剣道ですが、タテマエはどうあれスポーツ的要素が非常に強い物であることは否定の使用がありません。

勝つためのテクニックを教わり日本刀とは異なった使い方を教えるでも、「日本刀なら切られていた」とかいわれたり、首を傾けて面を避ける割には三箇所よけなどは「剣道的ではない」といわれたり、一貫性がない。だからタテマエ上武道で競技志向というのは武道精神に反することではあります。ところがやってることはスポーツ競技であることは明白です。ここに二律背反が存在するわけです。
でもそれを認めるわけにはいかない。なぜならそれを認めると「スポーツになり下がる」から
そう、スポーツより武道が格上だと思い込んでる困った人もまた多い。人間形成をうたうなら他を見下した発言など出てくるはずないでしょうにね。時おりいわれる「正しい剣道」というのも定義がされてない。


武道であれば自分の力が相対的にどのレベルかわかればいい。武道で勝つのなら自分が勝った負けたの判定をすればいい。だって武道は自分がどうであるか判ればいいのだし、自己判定は我々がやっていて問題ないですから(ところが我々は武術はしているが、武道をしているとは全然考えてない。それでも成り立つ)
競技志向を目指すならそれは武道ではなくスポーツと理解すべきです。。
剣道は(武道も)目的は人間形成であって競技の勝利ではない。そもそも勝ち抜きのトーナメントと言う言葉自体、西洋騎士のスポーツ武術競技からの言葉です。

武術であれば基本は戦闘技術であって人間形成だの精神修行などは目的ではないので
武術的なスポーツであれば問題ないでしょう。格闘技系はわかりませんが、フェンシングなどは武術からのスポーツです。これなら大手を振って勝つためのテクニックを自分で編み出すことだって出来ます。
我々は1:1の個人戦が基本ですが、1:多数。多数:多数の集団戦もします(武器も剣だけではなく槍、ハルバート、斧、二刀、異種武器が基本です。武器も実物に近いバランスと重さで作るので(武器は自分で作る)片手剣でも1.2kgあります。

いまこそ室内でしていますが基本は屋外なので(時おり屋外でもする)地面の状況、立ち木や藪、太陽や風なども考慮にしないと勝てません。そのあたりも本来は屋外で戦う剣術が剣道となって屋内専用の足裁き、ルール、テクニックに変わったのと異なります。
勝ち負けは自己判定ですから、自分がやられたと思えばはっきりと勝負がつきます。逆に相手が「今の攻撃は十分ではなかった」と宣言すれば負けは取り消され続行します。
技術の習得は人に命令されてするのではなく、常に自分でスケジュールを立て消化します。練習などせず試合だけでてもいい。
 最低年齢は18歳以上、経済的余裕と体力がないと出来ません。私の知り合いはベトナム戦争の時少尉だったというひとが6年前にはじめたりしています。女性男性、体重身長は関係なく全員同じに戦います。日本の武道は我を殺し(顔のない日本人)道着や獲物は派手を嫌いますが、われわれは自己アッピールこそ華と考えてますから、剣にはリボンを付け兜は羽や馬の尾でかざりたてます。

段位に相当するものは最低経験年数はなく、技術、知識がテストで合格できればいい。古典的な技術を学びつつ、自分の技を作って使いこなせば賞賛されます。疑問を持つのが師や先輩に対して失礼という風習はなく絶対でもなく疑常に問を持ち自分の脳みそで考えることが大事とされます。

まあ、スポーツチャンバラの大人版、へビィスポーツチャンバラみたいなもんです。
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この回答へのお礼

うーん、私がやりたいのは競技空手(スポーツ空手)ですね。
やはりルールや勝ち負けがあることでより競技が面白くなっていると感じます。

ご回答いただいている競技?武道?戦闘?は見た事も聞いた事もありませんが、
そういう世界もあるのだなと勉強になりました。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2012/07/31 20:53

 小学校から剣道をしています。


 30代になりました。
 スポーツ、特に球技が嫌いで、またショーアップされたようなスポーツも嫌いで、そういうものをしないために、勝ち負けにこだわりたくないがゆえに今も剣道を続けています。
 勝ち負けなど無意味、不毛なだけです。
 多くの敗者がいるからこそ、勝者がいるのです。
 私は勝ちにこだわるのではなく、自分の力量が十分に発揮できたかを問題にします。
 実力を出して負けても悔しくはありませんが、実力を発揮できずになんとなく勝ったような試合は嫌なものです。
 
 負け犬の遠吠えと言われれば、そうかもしれません。
 でも子どもらに、勝つことが全て、勝たなければ意味がないと教える指導者、全力を出し切って試合に臨み、それでも負けてしまった子どもを鞭打つように「なにやってんだ、負け犬が」と残酷な言葉を浴びせる指導者を見ると、本当に吐き気がします。

 あなたは武道ではなく、キックボクシングなどの格闘系スポーツに転向したほうがいいと思います。
 あなたの求めているものは、武道にはなく、ショーアップされたリングの中にしかないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

勝ちにこだわるというのは語弊がありました。
強くなりたい(上達したい)・試合に出て思いっきり戦いたいと思います。
どうせなら勝ちたいとは思いますが、思い切りやって楽しければ
負けてもそれはそれで…という感じです。

また、例に挙げられているような「勝ちが全てとだけ教える指導者」
「負けた選手を否定する指導者」は私も嫌いです。
武道は勝ち負けだけではなく、人格育成のためにあると考えています。
正反対の誤解をされているようですので、そこは訂正させてください。

社会人でも上を目指せる道場が本当に少ないと感じます。
言い方は悪いですが、大人は健康のために適当に運動させておけばいいというような
「月謝袋」としか扱われていないところが殆どでした。
いくら本人に意欲があっても、そんな所で練習をしていて
「試合に出て全力を尽くして戦う」という事ができるでしょうか。
そういった状況に対して、悔しさと諦めを覚え、今回質問させていただきました。

お礼というか、補足のようになってしまいましたが…。

お礼日時:2012/07/28 18:59

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