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ひとり言のような作文だよ。
文章の推敲のための助けとして回答してくれても良いし哲学可能ならその方がいい。

社会性が、すなわち人の行いが、善の資質を備える事の表れだと言う前提から始めるよ。
文明とは農耕の事なんだそうな。
農耕とはすなわち、自らが生きるために他の生命を育む事である。
このように自らが生きるために、他者をも生かすことにつながっているのが、人間同士の共生として社会生活だ。
生かすから生かされるのが利他であり、生きるから生かすのが利己だ。
見解は人の主観によってさまざまな解釈があるが、所詮同じ事だ。
人を生かす事とは、人に親切にしたりして良くしてあげる事であり、生きる事がすなわちそのような行いである以上、それは善性の発露だ。
屍をさらしてさまよう人は生きているとは分類しない。
そうでなくて、人が生きていて、今後も生きようとするなら、善性に基づいて他者と共に生きようとするのが必然である。
ここで、生きている事は偽りなく善であり、その善のみで生きるのが、悪を知らない私のような生き仏さんだ。
禅宗などの無我の理想的解釈によると、真理とは主観内からは推し量られない事になっているので、無我になる事でそれが可能だとしている。
その例え話上の無我論で論理的に、偏見を捨てれば世界が見渡せると言う事になっている。
私はその真理に、真理の立場では悪は存在しないとか何とか言って一時期流行したがそれはともかく、重要なのは、そのような真理の見地は実際には無我の正反対で確固とした我が確立した「天上天下唯我独尊」であって開ける見地だ。
我は存在する事が動かし難い。
無我の伝承上の理想論そのままであるからこそ、そこには「我」そのものである幸福を実感する私がいる。
そんな私の弥勒菩薩ブリはともかく、釈迦はその説話で悪をたびたび批判している。
当時の無我論でも逆説的表現とは言えそれを実感可能な境地であったならば、真理に悪は存在しないため、釈迦は悪を見なかったはずだ。
したがって非常に胡散臭い。
さらに生きる事が善性の発露である人間の社会生活は、全てが幸福であり、釈迦の言った全てが苦の世界観は偽りだ。
そうすると、無我論は何だったのか、私には明白な解釈が出来ないので考えあぐねています。
くだらない錯誤である事はおおむね間違いないのですが、猿にでも判る明白な解釈をしないと商売になりません。
ですので、サル踊りしてください。
私は自説を商売にするつもりがあって、猿でも悟れる無の境地を一冊の本にでもしようかと本気で考えています。

A 回答 (11件中11~11件)

悟りとかバカバカしい。



神だの仏だの幽霊だのUFOだのいるわけねー

なぜ人は現実逃避するのだろう?

それは経済的・精神的に貧しいからである。

ナムー(・∀・)

この回答への補足

一切皆苦は、悟りと言うより単なる思い込みだね。
釈迦の間違った思い込みだ。
私が検討している弥勒菩薩商法は単に本一冊買うだけ。
その上で信じたいのなら宇宙人を信じたっていいよ。

補足日時:2013/03/03 20:42
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この回答へのお礼

悟りには需要があって商売になる。
ばかばかしいだけでないよ。
ばかばかしいには一切皆苦の悟りだ。
それを振り払えるならば金を出すだろう。

お礼日時:2013/03/03 20:39

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