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 日本語を勉強中の中国人です。現代中国に良心というものがとても足りないと感じております。なぜこうなっているのか考えてみました。外国なら宗教というものがあって、悪いことをしたら、神様からばちがあたると思われるので、それを怖がり、悪事をする勇気がありません。でも、中国は無神論を進めているので、悪いことをしたら、ばちがあたるなんて考えないので、堂々と悪事をすることになりました。皆様はどのように考えていらっしゃるのでしょうか。宗教は良心にとって必要なものなのでしょうか。

 また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

A 回答 (22件中1~10件)

宗教戦争、異端扱い、宗教上の教義による特定の人への差別、新興宗教によるテロ・・・そういったことが確実にあることを考えると、宗教が「良心」と直接的な因果関係は無いと自分は思います。



日本は「仏教徒」だとか「神道が深く根付いている」等とは言われますが、当の日本人は大目に見ても全く信心深くはありません。宗教により冠婚葬祭の儀礼が決まることはあっても、日常の価値観が縛られることは殆ど無いです。
それでも日本は、下手な「信心深い人が多い地域」・・米国や中東なんかよりもはるかに平和です。これは日本人のうぬぼれではないはずです。


日本には「情けは人の為ならず」というとてもいい言葉があります。これに近い言葉がもしかしたら中国にもあるかもしれませんが。
これは「他者への優しさや敬意は、他者の為ではない。それが回り回って、自分のもとに来る。」というような意味です。人から愛を与えられ優しくされて生きてきた人は、損得勘定無しに、人に愛や優しさを与えられる余裕がある人間になるのです。一方、いつも他者に憎しみや不満をぶつけ、他者を粗雑に扱ったりしていると、次第にそれが社会そのものの大きな流れとなり、結局のところ自分も他者から「粗雑に扱われる」ようになってしまうのです。
信仰は関係なく、中国も日本も、人にそういった姿勢があれば、平和な国になると思います。


質問文は、日本人のそれと殆ど変わりないですよ。とても勉強熱心な方なのだろうと感じました。
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この回答へのお礼

 No.3さんのお礼欄をお借りしてまとめてお礼させていただきます。短時間ですが、たくさんの日本の方々にご親切に回答していただき誠にありがとうございました。皆様のご回答はどれもとても参考になりました。自分の考え方は浅いと気づきました。本当にありがとうございました。

お礼日時:2013/04/05 17:20

無神論と良心を関係づけて考え、神も仏もおそれなくなったから良心がなくなった、というのは機械的な論理に聞こえます。


「バチが当たる」「罰せられる」ことを避けるために良心に沿った行いをしている訳ではありません。もし、それが真実だとすれば人間は常に「何か」に怯えながら生きているということになります。


「人の振り見て我が振りなおせ」とは私がまだ小さかったときに母からよく聞かされていた言葉です。
また、「我以外、皆我が師」と言った日本の作家がいました。
自分は社会のなかで無交渉で存在しているのでなく、社会から学びながら生活している存在だということでしょう。


「良心に宗教は必要か」と問われれば、必ずしもそうではありません。宗教に対象をしぼって考えても出口のない迷路に入りこんでしまいます。なぜなら、これを飲めば治るという特効薬は宗教に限らずどこにもないからです。

自分の行動を決定できるのは、宗教でも神でも狭い意味での思想でもありません。それらは、ある時には強い味方になるかもしれません。が、逆に邪魔になる場合もあるかもしれません。
自分自身は自分でたかめられるし、自分の行動は自分が価値判断できます。「自分に恥じない」ように自分で決める、これが自分に対するモラルです。

自分の分だけを自分で解決する、そのときを後で振り返ってみると「あの時はこんなことを考えていたのだな」という時があります。
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No.18です。



補足を入れさせて下さい。
日本人の良心の素因を説明しても、日本人だけが高い良心が持てるというように
受け取られると、それもまた違うかなと。

淡雪さんが、ご自分の良心を増やしたいのだろうと推察しまして
具体的なポイントをと思います。


No.18の回答より、日本人は精神性の高さというものを意識しています。
「それは己(自分)と向き合い自己を見つめる」というものです。

自分と向き合った時、自分に恥じない自分でいられているのかを意識します。
日本の文化は、剣道・柔道・弓道などの武道と呼ばれるものや茶道・華道と呼ばれるものを通して
精神の鍛錬を目指すことをやります。

精神を磨き高めるという、民族としてのストイックさがあります。
精神性の高さは、仕事やスポーツなどの完成度の高さに繋がることを知っています。
そして、人としての完成度の高さをも含んできます。

己に恥じない信念を持ち、自分の心を欺かないで生きていくことを良しとします。
よく日本人は「恥の文化」と言いますが、他人が見て恥ずかしいのではなく
自分に問いかけて恥ずかしくない生き方が好まれます。

それがMADE IN JAPANの信頼を世界に知らしめた要因だと思います。

「自分と向き合い、自分を問い続ける」ことが良心を育てます。

日本にもある「禅」は中国から来ています。
中国は文化大革命で、仏教が衰退して規模が小さくなったのかもしれません。
中国では、禅を通して自己を見つめることをやっていました。

手段は自分に合うものでいいと思いますが、何かを極めていく時に
自分と向き合うことが必要となってきます。

日本人しかやってない訳ではないので、探せば何かしらあると思います。
自分と向き合うことをやってみて、やり続けて自分に問い続ける。

それがより具体的な、良心の育て方となりましょう。


参考として、NHKの「仕事の流儀」を見ることをお薦めします。
己と向き合って、こつこつとやっていく日本人が見れます。
それぞれが、自分に問い続けてやっていってるのも汲み取れたら幸いです。
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宗教というものの役割として、生活や行動に形式や様式を与え、その人のライフスタイルと精神性に安定的な形を与えるという事があると考えられます。

また、それが出来るなら宗教でなく何かの学問、例えば儒学などでもよいのですが、それらが現代という時代にあったものでなければ、人々には受け入れられないと思いますし、受け入れられてもどこか違和感があったり窮屈だと感じるかもしれません。

良心、モラル、規範となるべく何らかの思想や形を持った学問は必要であると考えられます。宗教である必要はないですが、宗教に非寛容であっては、却って弊害が出ると思います。
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以前に意見を申し上げた者で2度目になりますが思い出したことがありますので追加いたします。



キリスト教ではバチカン市国とも言うべき 仏教のおおもとである チベットの方々を開放して頂けませんでしょうか。
チベットは日本人にとっての 「良心」 と思っています。仏教では 他の宗教よりも 「闘争」 をきつく制限しております。
お坊さんなどの自殺などを ニュースで聞き 心を痛めております。

清の時代は 乾隆帝が保護していたと どこかの歴史書では見ました。 バチカン市国は スイスの兵士がバチカン市国を 守っています。

チベットも仏教国のどこかの国で守って上げないと 仏教の おおもとの国なので滅びてしまう運命にあります。 日本人(自分)とは違って 殆どが「蟻も殺さない人たち」 なのです。

自分は熱心な信者ではなくどこの神様でもお参りするタイプですが心のどこかに自然の神様と仏様それにご先祖様を 心(たぶん良心) のよりどころとしております。

日本人の良心の一つをどうぞ大切にして頂けませんでしょうか?
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質問内容は、良心が十分にあれば強い良心の呵責を覚えるので


悪事が減るだろうと考えていると捉えての回答です。

ばちがあたるとするのは、抑圧して(押さえつけて)行動にブレーキをかけるということ。
残念ながら抑圧からは良心は育ちません。


日本人は、「良心」に高い価値があるとして大切に思っています。
それは日本人の美意識からきています。

日本人の美意識の根底は、日本の自然です。
山と森があり、多くの水が湧き出る風景です。

清らかであること、純粋であること。
これを日本人は好みます。

人間は、元々目に見える物に自分を投影(我が身を映)して観ます。
美しい風景と澄んだ水に、自分を重ねていきます。
ですから、日本人は日本の自然を愛する如く、良心を大切にします。

日本人の心にある愛と環境の自然(特に水)があって、日本人の純粋で透き通るような裏表がない
ごまかしがないことを気高いと思い、そんな人間に憧れる気持ちがあるから良心が育まれます。

自らが「そうありたい」と心の底で願っていたり、憧れて自分でそちらへ向かおうとします。
他からの制約や抑圧でなく、自分から進むことが良心を育むのです。


宗教と関係があるとすれば、神道だからでしょうか。
自然すべてに神が宿り、そのすべてを大切にする心。
与えられた環境を守り続ける。

だと、私は思います。
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良心とは何でしょうか。

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人類における社会性(分業化による助け合い、組織化による協力)


の発達は、その個人の生命性の社会的拡張において、正確な利己は
利他を包含するようになりました。

ところが社会性の発達において、個人の意識の社会性を発達させず、
短絡的な自己中心的な利己主義のまま、貨幣や出世といったアメや、
法規やモラルといったムチによって、他律的に社会性を強制する方法を
とったのです(自律的生=自己の意志の発露(精神的充足)としての生
ではなく、お金をもらうためにイヤイヤ働く=苦痛から逃げる事によって
“生かされる”他律的生に堕した)。

つまり真の価値観は、自己の内面に由来する“充足に寄与するか否か”
だけであり、良心(モラル)やお金といった外的な価値は、必要悪です。
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 こんにちは。



 少し前に 中国のどこかで 豆乳の無人販売を始めたら 盗まれたり飲み逃げにあったりすることがないと分かったというニュースがありました。
 
 ▲ 中国人が“無人販売所”に感激 「信頼できる社会って素晴らしい」。 ~~~~~~
   http://news.biglobe.ne.jp/trend/1111/nrn_121111_ …

 中国ではいま、無人の豆乳屋台が話題を呼んでいる。
 もともと有人の屋台だったものが無人化してから約10か月が経過したが、こうした商売では必ず起こりそうな“未払い”や“飲み逃げ”といった問題は、これまでほとんど発生していないそうだ。
 ・・・
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 あるいはまた どこかで読んだのですが 日本にやって来る中国の人びとのあいだでは 日本の公共の建物や場などのトイレに予備のトイレット・ペーパーが置いてあるのを日本人はよく奪って行かないもんだなぁという感想が持たれているのだとか。


 ふたつの事例とも 《良心》の問題だと思いますが 宗教というほどのそれではないとも思います。

 良心はあるけれど はたらかない場合がある。なぜかということなのでしょうが その部分でははたらかせなくても済んで行くように お互いが生活しているからでしょうね。

 みんなの利益や役に立つことは そのようにみんなのことを思って互いに自分だけのための行動は起こさないようにしましょう。とでも言い合って行けばすむことではないでしょうか。

 
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いや?、、ただの地域性の違いと一緒だと思いますけど


?、、アグネス・チャンさんも昔言ってましたかね?、
、中国人と日本の大阪・関西人は似てる、と

その土地と言葉が、更に気質を作り、時に強化する部分
もあり、、勿論その他の多様な要因も含め、様々な地域
性は生まれるのだろうと思いますだけど?

で、宗教の必要性としては、世界の歴史を見ても(とい
っても私は多くを知りませんがw)、もしも宗教がなけ
れば?、宗教があった事で?、と考えると分かるかと

素朴で自然なシャーマニズム・霊能力は素晴らしい部分
もありますが、、動物から、やがては生きた人の生贄ま
で、シャーマニズム・霊能力は劣化する場合が多いです
よね、、

ある種・ある程度の、精神・哲学・思考性の宗教は、そ
れらの歯止め・改善の役目を担いはしたのではないでし
ょうか?
ま?宗教も劣化しますけどw
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