アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています。

忙しかったので、ニュースをちらっとしか見ていないのですが「三女?が合格していた大学から一方的に取り消された」っていう内容だったような・・・・。
違ってたら訂正下さい。

もし本当でしたら皆さんこの件に関してどう思われますか?
朝原教祖が起こした事件が社会的にもあまりに大きい為、複雑な思いのお方や関係されたお方もおられるかも知れませんので、討論の場にはしたくなく皆さんと一緒に冷静に考えてみたいと思います。
よろしくお願い致します。

A 回答 (21件中1~10件)

オウムが怖いとか、大学の決定が妥当とか言われて


いる方々は、松本サリン事件の事をご存知ないんじゃ
ないですか?

 あのときは皆で、警察が重要参考人として取り調べや
家宅捜索をした近所の会社員の方を犯人と思い、
抗議の電話やお説教の手紙を送りつけた人が沢山
いたんです。何でだと思います。マスコミがそう
報道したからです。

 マスコミの作り上げたイメージをそのまま鵜呑みに
するのは、マスコミ信仰で、麻原さんを信じて疑う
ことができなくなっていたオウムの実行犯の人たち
と同じです。

 麻原さんを除いては、事実関係がはっきりしたんで、
オウム実行犯の人たちには死刑など判決が下り
刑が確定した。
三女の方は昔の自宅に入った疑いで、住居侵入罪。
 事実関係はこれだけです。

 マスコミ信仰ではなく、それは参考情報として
事実だけから理性的に考えたとき、人権侵害に
なるような結論を大学が出した理由は、
マスコミ信仰にはまっている人たちからの攻撃を
恐れた可能もあると思います。

 ヤクザの世界も、幹部の方々やそのお子さんたちは
みな大学を出ています。若いときに傷害事件を
起こした前科がある有名大学卒の方がたも沢山
いるんです。

 つまり三女の方が入学を拒否され究極の要因は、
マスコミの餌食にされたという事だけです。
法律的にも社会通念に照らし合わせても、
三女の方が学問の自由を奪われる理由なんて
全くありません。

 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

まずは質問してからも尚、超多忙になってしまい今の今までお一人の方にもお礼を書き込めずに失礼しました事を深くお詫び申し上げます。
そして、質問当事者がひとまとめにしてのお礼、ないしは追記を書き込むという非常識を何卒お許し下さい。
特にこの欄をお借りするapple-manさん、ご容赦を・・・・。

それにしても、質問を立ち上げてからわずか4~5日の間で20件を越えるご回答、ご意見を賜り、当たり前ながらやはり皆さんのオウム事件に対する関心の度合いを肌で感じる事となりました。

それにgokurakuyama自身、この件に関し自分にも意見があり、かつ他のお方の考えも聞かせて頂こうと思ってこの質問をしたにもかかわらず、改めて皆さんのご意見をうかがいまして「何という深く重い質問をしたものだろうか?」と考え込んでしまいました。
とは申しましても、質問をした以上何らかの形で〆をしなければなりませんので失礼を返りみず、gokurakuyamaなりにまとめて私見(我見)で閉じてみました。

尚、ポイントの件は質問の内容から考えましても自分の意見も入ってしまうと思いますので、この文章で何卒お許し下さい。

今日3月20日現在大まかに分けて、この大学側の処置を妥当と判断された方が11名、?と思われた方が10名とほぼ半々に分析されました。
gokurakuyamaが大いに目からウロコの思いをしたご意見を両方からピックアップ致し、それを参考にして質問とを立ち上げた意義を書き終了させて頂きます。

まずは普遍的で根本的なご意見「憲法にうたわれている通り何人(なんびと)も教育を受ける権利を有する」のは当たり前で、三女本人には今回の事件により合格を取り消される筋はありません。
しかし現実にはそれが行われてしまった。

お礼日時:2004/03/20 21:51

差別は好きではないです。

しかし、今回の件に対しては妥当であり区別だと思います。
オウムが怖いです。近寄よりたくない、近寄って欲しくない。そんな思想を持った私は罪ですか?こんな考えがオウムを生んだのですか?
【オウムの反社会性】
オウムが反社会的になっていったのは、社会を敵と位置づけ孤立させ信者を教団に縛る。暴力などの行為も当初、内部中で起こったことです。社会に不満があるからではなく、団体&松本の力を誇示するためにとった行動だと認識しています。
この何処に私や社会に責任があるのでしょうか?責任があるとすれば信教の自由を盾にする教団に早期に手を出せなかったことだと思います。
組織的には宗教法人を装った、テロ集団であり、利潤を追求する企業(他の宗教団体が全て当てはまるとは断言しません)に他ならないと思いますが?
今の日本では、踏み込めない壁があるのに憤りを感じます。また、破防法を適用しなかったことについても、今回の件に限らず一定の基準を作ってしまい今後適用されにくくなったことに憤りを感じています。
【オウムの閉鎖性】
オウムの閉鎖性は社会が批判する以前からあったと思っています。これも社会と教団を区別することで信者を縛ろうとしたことの表れだと認識しています。
事件後も、閉鎖的な態度をとっているのは以上の理由に、社会的差別も加わっている可能性があるのも否定しません。しかし、そのことで社会が何故責めれらなければならないのでしょうか?実情を知らない知りなさい・・・私たちは事件を起こしたんじゃないんです。責められて当然のことをしたのは教団です。教団が世間の差別に合うのは当然です。しかし、それ以上に開放して理解を求める姿勢が大切ではないでしょうか?教団に言ってやりたいです。「さだまさしの歌を聞いたことがありますか?」
【三女について】
三女は権力争いに巻き込まれ、再度権力争いをする可能性がある人物です。当然、公安のマークが付いています。そのような中で拒否してもいいと思いますが?
法的には、私立大学での出来事です。人権で争った場合、憲法は間接適用され利益衝量されます。この件は論点がはっきりしない所があるのでで司法の判断が下りない限りなんとも言えないと思います。
また、以前に国立の九州大で同じようなことが起きておりますが、これは違憲と判断される可能性のほうが高いと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼文が長すぎたため分けさせて頂きました。rorodanさんお許しを。
もちろん三女の父親の麻原が起こした犯罪の社会性、残虐性の大きさによるものである事は誰しも反対はされないでしょう。
ましてや三女がその子供たちの中で、一番オウムに関与していた(現在も?)人物であるという事は、それを助長するにあまりあるとも思われます。
ですからこそ、どなたかの意見の通り三女に誓約書を書かせた上で、大学側が見守り入学を許可すれば・・・。というようなご意見も出るのも当たり前ですよね。

でも、オウムの信者や内部に圧倒的に大学生が多かったと言うことは、誓約書があっても三女がこれからも危険因子になりうるとも考えてしまいます。
さらに、敵対心のあまりこの三女に攻撃を仕掛ける輩がいるかも?という意見も妙に的を得ているような気もします。
まだまだびっくりした意見もたくさんありましたが、このあたりでgokurakuyamaなりの
結論を書いてみます。

学長が「入学させた場合の学内や、学生に与える影響云々が」という発言は、ある意味一般大衆を納得させているようですが、gokurakuyamaは?と考えます。
NO1及び21の方がおっしゃってられる通り、この理屈が通れば広末涼子さんが入学した早○田も、「授業が騒がしくなるおそれがあるという事で合格を取り消してもいい」という考えになってきます。
現実にはほとんど授業に出席していなかったのと、入学後の人気が今ひとつだったので杞憂に終わりましたが・・・・。
さて、これらの話を十分咀嚼して最終章を。

gokurakuyamaは今回の事件が「今回切り」であって欲しいと思います。
先ほども書きました通り根本的には「オウムの教祖・麻原の三女であるという事での合格を取り消し」は絶対に許されるべきではありません。
百歩譲ってあまりにもオウム事件が大きい衝撃なのでしょうがないとしても、これが近い将来に一例となり凶悪事件や許し難い事件の犯人の子や孫が、差別を受けるような社会になるかも?
これを自身を持って「絶対にそんな事は起こらない。オウム事件は特別だから・・・」と誰が言い切れるのでしょう?

お礼日時:2004/03/20 21:53

本当に悩ましいと思いますけど、取り消しはしょうがないのかな、という気がします。


メリットとデメリットはどちらを選んでもものすごくあるわけですから、大学側も相当悩んだはずですし。

回答を見ていて、ちょっと気になったのは肯定側の方の意見です。取り消しを「感情的で閉鎖的な社会の体質の表れ」みたいに、非難ぎみに書いている回答があります。けれど、自分を抜きにした社会をひとまとめにしてレッテルを貼って、「お前らわかってないな」という論評の仕方は安易だし専制的だと思いますよ。

オウムは「自分らが正しくて社会が悪い」という理屈で善悪を二分してあのひどい事件を生んだわけですよね。色々な思いの人が集まった社会を十把ひとからげにして、取り消し賛成しない社会は間違っている、的な姿勢そのものがオウム的に感じます。
大学側だって教育の理念とかいろいろ起こるだろう騒動なんかをはかりにかけて当然苦悩したとおもいますし、少しはそういう立場に寄り添って考えないと、単に「社会が悪い」といったんでは「じゃあ、あなたは社会にいない誰さまなの?」という感じです。

大体、閉鎖的な社会がオウムを生んで狂暴化させた、なんていうのは普通一般の理解とはちょっと違うんじゃないでしょうか。社会からドロップアウトする人なんて沢山いますけど、社会のせいにする人ばっかりじゃないですし、まして社会を破壊しようなんて思う人はごくごく例外ですよね。

個人的には、本人が本当にオウムの思想をたち切った人なら、ものすごく今回の決定には同情するし、気の毒に思います。けれどそれでもなお、大学の決定はやむを得ないとも思います。個人的にはtsuburaさんの回答に納得です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

お礼文が長すぎた為分けさせて頂きました。faultlineさんお許しを。
和○大学の教授陣やそれを取り巻く連中(首脳陣?)、学生の保護者や、さらにマスコミまで含めてそこまで熟考しての結論や記事だったかどうか?
何か今では過去の遺物となっているはずの「差別」「職業差別」と何かと共通点があり、もっと言いきれば「あいつ気にくわん、虫がすかんからという集団いじめと似ているような気がするのはgokurakuyamaだけでしょうか?
もちろんオウムの肩を持つ気持ちは毛頭ありませんが、麻原教祖や一部の幹部たちが責められるべきはずだと・・・・。

NO16の方もかかれている通り信者にも、ごく普通の一般人の方もおられる訳ですからね。
確かに三女は教団の運営などにも関与していますが、それにより勉学の権利を取り上げられるいわれは絶対にありません。
ここまで自体が深刻になったのは、やはり政府のオウムに対する最初の取り組み方が問題であった事は否めないでしょう。

三女も含めてこれからも監視しなければならないのは、入学させる大学や施設のある地域の自治体などではなくて国や警察であるべきです。

これらの責任の所在を確かにしなければ、今後も犯罪者の家族に対する似たような事件はいくらでも起こり、日本社会の建て前であるところの「刑罰は犯罪者の社会復帰の為の教育刑」なんて、机上の空論にさえならないくだらん理論で終わってしまうのですから。

いたずらに長くしてしまうばかりなのでこのあたりで〆とさせて頂きますが、最後までおつきあい頂いた皆様本当にありがとうございました。

お礼日時:2004/03/20 21:55

私は賛成派です。



大学は自由に学問ができる唯一のところです(まあ、多少制限はありますが、概ね自由ということで)。
そこで、マスコミ・周囲の目などで、その自由を奪われたら、周りの学生・教授はたまりません。
それが危険因子と判明した時点で、危険因子を排除するというのは当然かと思います。

ご意見の中には大学は大変な努力で合格~とありますが、和光大学の偏差値・倍率をご存知で仰っているのでしょうか?
それに、定員を見る限りでは、人間関係学科は高校の2クラス程度(募集定員92名です)この中に、一人特異な人間がいるというのは回りに大きな影響を与えるうと思います。
マンモス大学なら話は別、かも知れませんが。

私見ですが、大学はすでに選ばれた人だけだ行くところではありません。高校の延長のようにそのまま進んでいくという意識のほうが学生としても強い方です。
そのためか、お金さえあれば誰でもいけるようなところが多いです。(大学を選ばなければ、という話ですが)

それに私立はある種企業であり、入試は莫大な収入資源です。もし、三女が入学し、三女が通う大学と報道されて、次回の入学希望者が激減したらどうしますか?定員割れでもしたら大学としては死活問題だと思いますが。

学長も仰っているように、『自信がない』
自分の手に負えないものを入れなければならないという理由はないと思います。

感情論は別として否定的なご意見の方のほうがむしろ正論だとは思います。しかし、正論であっても、それが社会で通用していくわけではないと思います。
    • good
    • 0

日本社会がオウムを生み出した背景を考察するうえで、皆さんの回答は大変興味深いですね。



特に入学拒否に肯定的な方の意見を見ると、なるほど、こうした感情的、閉鎖的な社会の雰囲気がオウムを生み、凶暴化させ、孤立させていったのだと納得させられます。

入学拒否に「やっぱりね」と感想を漏らしたという彼女を、加害者としてしか見ることができないとは、あまりにも悲しいことだとは思いませんか?
    • good
    • 0

#10です。



 寧ろ、この問題は、大学受験で苦労した人間の方が入学取り消しに反対する可能性が高いと思います。
 人にもよりますけど、大学受験はなかなか大変です。ごく一握りの特異な人達を除けば、誰しもが数年間死に物狂いで勉強します。
 そして、その中で、試験でいい点を叩きだした者だけが合格する事が出来るわけです。偶然スランプに陥っている時に試験日を迎えようが、病気で試験会場にいけなかろうが、そういうことは一切関係ありませんので、ある意味では運不運もあるのでしょう。
 そうやって合格を掴み、ようやく学校に入れると思った瞬間、親のことを持ち出されて入学拒否されたら、どんな気持ちがするでしょうか?

 別の角度からも見る事が出来ます。
 オウムは、確か、殺人を肯定するような教義を持っていないと報道されていたと思います。一般の信徒達は、サティアン内にゴキブリがいても殺す事すらしなかったと言います。腐った食べ物も、宗教上の理由から捨てられないので食べていたとも言われています。
 では何故殺人が起きたのかと言いますと、これも報道を聞いただけなのですが、記憶に間違いがないのであれば、殺人などを実行した幹部には別の教えが存在し、それが殺人を肯定していたとのことだったと思います。
 と言う訳で、一般の信徒は何ら事件に関与していないわけだし、また、入信する時は、オウムがこのような危険集団だったとは知らなかったことでしょう。
 法○華、統○教会、ライ○スペース……様々な宗教団体が事件や問題を起こしましたが、では、これら団体の信者達は社会から白い目で見られたでしょうか?新興宗教に引っかかった馬鹿な連中と蔑む心の狭い可哀想な人間はいたでしょうが、信徒は被害者であるとの立場だけは固定されていた気がします。
 オウムは確かに事件を起こしました。しかし、この団体も他の団体同様、一般信徒と犯罪を犯した幹部との間には厚い壁があり、同一に扱うのは無理があります。オウムの犯罪が余りに過激であった為、一般信徒が被害者としての側面を持っていることが忘れ去られている感が否めません。
 更に付け加えると、仮にオウムに入信してしまったことを過ちだったとするなら、では、本人がその過ちに気付き、社会復帰しようとしているにも係わらず、様々な妨害をして教団に戻るように結果として仕向け、たった一度の過ちすら許さずにその人を縛り続ける社会とはなんなのでしょうか?これは犯罪に手を染めていない信者達の話です。随分と冷たい社会ですよね。

 情けは人のためならず。

 時折、情けをかけるとその人のためにならないと勘違いしている人がいますが、この言葉の意味は、情けを人にかけておけば、巡り巡って自分によい報いが来る、というものです。
 他人の過ちを許し、社会に迎え入れることも、この言葉と全く同じです。誰しもが過ちを犯す危険性を持っています。絶対に過ちを犯さない人間などいません。もし自分のことをそう思えるなら、それは傲慢というものでしょう。間違った方向に舵を切っていても、その時点では全くその誤りに気付かないなどということはよくあることです。これは歴史が証明しています。結果的には、相手の過ちを許す事は、自分が過ちを犯し、それに気付いて改心した時に、同様に受け入れてもらう為でもあるのです。

 私はオウムが現代版差別になるのでは無いかとずっと思ってきた人間です。現実には既にそうなりつつあります。
 今の世の中の悪いところは、自分達が受け入れないことが原因であるにも係わらず、相手の閉鎖性ばかりを指摘する点です。相手のの閉鎖性が社会の閉鎖性故に社会から拒絶されて生み出されたものであるにもかかわらず。
    • good
    • 0

入学取り消しに反対される人たちは、きっとそれが身近な事じゃないからそう言えるのでしょう。


理屈ではいくらでも奇麗事がいえます。
しかし、学生を守る観点から考えると、学長がその自信は無いと言う事はすごく理解できますよ。
ただの殺人者の子供とは違います。
そういう、人を平気で殺す腐りきったクズ集団の中でそういう思想で育ってきた人間です。
それで、子供は親と関係ないから、なんて発想がどこから出てくるのか。。。

ですので、
「この件に関してどう思われますか?」
と言われれば、非常に妥当な結論であると思います。
娘だけじゃなくて、この信者どもが近所に来るのが嫌だと言うのと全く同じです。
それでも、入学取り消しに反対の人々は、住む権利がある、といっていられるんでしょうか。
    • good
    • 0

僕も入学は許可すべきだったと考えています。



入学させなくて当然とのご回答もありましたので、便乗質問で三女の方がどうゆう悪いことしたか質問させていただきました。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=807303

他も調べましたが、結局元住んでいた家に勝手に入ったということだけじゃないですか。それで大学に合格したにも関わらず入学させないなど、よくよく理由をつきつめたら麻原さんのお子さんというだけじゃないですか。

個人的にああゆう家族はなんとなく虫が好かんというのは勝手です。それも心情の自由です。でもそれと学問の自由を奪うというのは全然次元の違う話じゃないですか。
    • good
    • 0

合格すれば入学はさせるべきでしょう、但し条件付です。

    • good
    • 0

賛成派の冷酷さが実行犯と同レベルというよりは、理屈だけの頭でっかちで感情がない法律論者の方が実行犯ではないかなと。



昔昔の思い出だけどもやっとうかった大学で、隣にオウムの現役幹部がいて、しかもサリン事件などで被害者の感情を逆撫でするような暴言を数々吐いていたあの三女が隣の席にいて、護衛と証する怪しい取り巻きが周りを囲んでいて、そいつらはなぜか麻原を未だ信奉している訳で。さらにはそいつらを取り巻くマスコミや公安関係者と。
もし私がその立場になるなら、教授会の英断は大歓迎ですよ?
まぁ他人の身になって考えるとはそういうことではないんでしょうけどね。きっと三女の身になりなさいと言ってるのでしょうが。

彼らは自分らで引き篭もることを選択したのだから、そのまま一生引き篭もっていてほしいものです。何をいまさら社会に溶け込もうとしてるんだか。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!