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学校が怖くて通えません。
学校という言葉を聞くだけで吐きそうになります。
高校2年生で、1年休学していました。適応障害です。
適応障害は半年程で回復し、身体を休め。いざ、復学となったら
教室にいるだけで気分が悪くなり、クラスメイトと雑談ができず。
かといって何をするでもなくという学校生活。家と学校は遠く帰ると
明日の支度をして寝るだけです。
過敏性腸症候群も患っているので胃腸の違和感や便秘やおならをして
しまったらという不安に苛まれます。息がつけません。
両親は、病気の理解はあまりなく、学校の単位ばかり気にしています。
小学校時代の転校や孤立、いじめ、からかいにあうことや
金魚の糞もしくは子分のような友人関係ばかりしてきたせいで
自分も女なのに女性同士の友人関係に不安ばかり湧き、かといって
いじめられた過去から男性も恐怖の対象です。
そんな人たちと仲良くしなければいけない学校は私には地獄以外の
何者でもありません。
今我慢し学校へ行っても苦しみしかありません。努力すれば
周りが見えなくなりまた適応障害だとか抑鬱になるでしょう。
八方塞がりな日々です。
学校に恐ろしいものが凝縮されています。
どうすればこんな暗い日々から脱する事ができますか?
読んでいるあなたに感覚が伝わればいいなと思っています。
人生の先輩方に何か知恵をご教授願いたいのです。
学校恐怖症は治りますか?

A 回答 (6件)

私も高校時代が一番苦しかったです。


周りの事を何も考えずに、自由気ままに騒いでいた女子や、何をしてくるか分からない人たちが、自分と1つ違いの学年に多くいましたので、その時は苦しかったです。
校門に入るだけで嫌になり、体育や行事になかなか入れませんでした。何とかやる気を起こそうとしますが、学校に登校した時点で余力があまり無く、今考えると本当にげっそりしています。
でも、学校とは何だったのかと思います。あんな場所で苦しんだ事は何だったんだと、思っています。
最終目標は、社会人になってちゃんと就労すること(報告・連絡・相談)なのに、学校ではそのためのスキルをろくに学べず、勉強や友達関係、さらに教師との関係に苦しみ、耐えぬかなければならない、ただ率直に無駄だと思っています。それでかつての私のように、トラウマが出来て、新たな病院(家からだとかなり山越えで100キロ以上もあるし、自由診療なので診療代も高い)に行く事になればどうする気でしょうか。
だから、あなたは何も悪くないのです。こういう問題は、家庭や学校にちゃんと考えてもらわないといけません。
参考になれば幸いです。
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ひたすら救いを求めて苦しまない考え方を積極的に取り入れていく事だと思います。



何か苦しい事があると人は救いを求めますよね?

でも苦しくてもなかなか救いを求めようとしないで苦しみ続ける消極的な人もいると思います。

その違いで人は苦しさがだいぶ変わってくるのだと思います。

人は自分にメリットのあることは進んでやります。

なら今の苦しみから解放されたいと思う事が大事なのではないでしょうか?

受動的になったり消極的にならない事が大切なんだと思います。
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日本人は大きな勘違いをしてると思ってます。


それは「学校に行くこと」に美徳を感じていること。
在籍の話ではありません、出席の話です。
それでも最近少し変わってきたかな、と思うことがありました。
クラス全員が皆勤賞をとったという話について批判がたくさん出たことです。
「病気やけがで欠席したら責められるじゃないか」「出席ということにプレッシャーを感じさせて学業が適当なら本末転倒だ」「無理に出席だけした子もいるだろう」その他続々と意見が寄せられていました。

実にその通り、なんのために学校に行ってるのか?
まずその理由が大事です。
それがないなら無理していく必要性もありません。
留年や転校もたいしたことではありません。
人は人生で寄り道をした分まっすぐ進んだ人よりたくさんの拾い物をしています。
それに価値を見出し活用すればその人独自の価値となります。
まっすぐ進んだ人より遅れはするのでそれを織り込み済みにしておけばいいだけの話です。
ということで休学や定時制高校への編入なども考えてみてはいかがでしょうか。
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はじめまして。

僕も正直、学校は恐ろしい場所だと思っています。

中学校時代、クラス全員から無視されるという「無言のイジメ」を受けたことがあり、そのときクラスメイトだった友人と(今では無二の親友になりました)、その当時のことを話したことがあるのですが、やはり傍から見ていても気分のいいものではなかったそうです。

「学校が単に人を縛りつけるためだけに存在するなら、はじめからそんなものは無い方がいい!」と言って、そのときはおしまいになったのですが、僕は小学校の頃はかなり楽しい学校生活を送っていたので、本心から言った言葉ではなかったと思っています。

いま、大人になって思うことは、「学校」と「社会」(、特に「地域社会」)とは切り離された存在ではない、ということです。

もし、自分が住んでいる地域の大人たちが傲慢で、他人のことを少しも気にかけないような大人たちばかりであれば、ほぼ間違いなく、その地域の子供たちは精神的に傷ついています。

すぐれた教師であれば、子供たち一人一人の心の内面を見つめ、正しい方向に導いてあげることができるのかもしれませんが、そんな人は本当に世の中のごくまれにしか存在しないし、また、もし存在したとしても、彼のやり方は、世の多くの人が求めるようなやり方ではないため、いずれはその職を追われることでしょう。

…僕がイジメを受けてからもう15年以上経ちますが、未だにその傷は消えません。今だに僕は集団(グループ)のなかに溶け込むことができないのです。訓練しだいで、人と普通に接することはできるようになりますが、その心の奥底には、常に疑心(恐怖)が存在しています。その「恐怖」は、まるで、常に燃えている赤い炎のようです。傷みを伴いながらも、ものすごい光と熱を発しているのです。

心理的な「恐怖」と向き合うことは、いったん自分を取り巻いている環境をすべて壊す、ということを意味しています。…新しいもの、永遠に残るものが生まれでてくるのは、おそらくその後です。
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学校の目的が、自分の生活のすべてと友人関係だけに囚われ、自分のことが後回しになると、恐ろしい暗い日々になるのです。


学校は、勉強することが第一であり、集団生活での人間関係を学ぶのは二の次。
パブリックとプラベートの公私の使い分けを覚えないと、社会人になっても公私混同してワーカーホリックになってしまう。

学校は楽しくなきゃいけない場所じゃないのです。
学校が楽しくなきゃ、校外に楽しいこと、楽しい場所、楽しい集団を見つけて、そこへ行くために学校という苦行を我慢して逃げることなく、適度な距離の関係性を保ち、私生活と切り分ける事を学ぶのです。
学校が、自分の世界のすべてな生徒が、人間関係に失敗すると、いじめを苦に自殺したりする。
他の生徒は、上手に付き合うこと、ほどほどに付き合うことを習得するから、勉強がつまらなくても学校が楽しい。

そのために学校内にも、部活であったり、生徒会や委員会だったり、クラス以外の集団組織も用意してあります。
学校が嫌なら、バイトしたり、ボランティアしたり、趣味のサークルなど、学校以外の世界はいくらでもあるし、そこに行くために高校生というブランドが必要な免許であることも多い。
クラスメイトが嫌なら、クラス以外の楽しい場所を探すことが必要で、みんなほどほどに学校と付き合っているのです。

学校行きたくない生徒には、図書委員になることをおすすめします。
図書室は騒ぐ人間は排除される空間で、図書準備室というクラス以外の居場所が用意されていて、司書さんが常駐しているのでサボっていることにならず、本という暇つぶしがいくらでもありますから、クラスが嫌いなら授業以外は図書室に居られます。
保健室も同様の機能なのですが、コミュニケーションの場が用意されていない避難所、自分の居場所があまりないのです。
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 私も進学したり、クラス替えがあったりすると、しばらく過敏性腸症候群のような症状が出ていました。

だんだん慣れていきましたけれど。私の学生時代には、保健室登校というのはあまりありませんでしたが、最近はよくあることなので、授業がない時間は、保健室で過ごし、話の合う人とだけ話せばいいのではないでしょうか。進路はしっかり考えましょうね。
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