アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

こんにちは。
哲学と言うよりは、人生哲学の質問です。
私は、一生懸命生きることの勇気が持てないでいます。
しかしながら、日々を過ごす中で、或いはここで皆さんと話す内に、自分の消極性に気付き、このままではならないと思うようになりました。
単刀直入にお尋ねしますが、人生とは、如何に生くるべきでしょうか。
どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (24件中11~20件)

多分そんなの無いですよ。


生きれば良いのです、どんな形であれ…。

ただ、何もしなきゃ失敗もしないけど得る物も無いでしょう。
何も無い人生ほど虚しい物は無いのでは?
失敗も含めて…。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

自分は詩が好きで、それを支えに生きている節があります。人の紡ぐ言葉の不思議に魅了され、また希望を抱いているのです。
どんな形であれ、というお言葉が、どこかやさしいように感じました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/13 16:21

そもそも一生懸命に生きる必要などありません。



確かに一生懸命生きている人はいますが、それは自分の設定した目標(志望校、男女交際、就職、家族を養う など)を達するのに一生懸命でないといけないから一生懸命生きているだけです。

むやみやたらに一生懸命生きようとすれば、その結果の満足度と労力の差によって虚無感に襲われるだけです。

人に限らず生物は押し並べて不精者です。
一生懸命やるのは追い詰めれて、イヤイヤするようなもんです。
一生懸命が美しいと言われているのは、あくまで建前です。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

なるほど、自分の立てた目標に急かされるようでは本末転倒ですよね。勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/13 16:18

単に自分らしく生きれば良いだけの話ですよ。

まあ、それなりに知恵と勇気が必要ですけど。

人間というのは弱いもので、中途半端に妥協したり、何かにつけて自分に言い訳したり、誤魔化したりするものです。つまり、楽な方へ、楽な方へと転がっていってしまうんですね。

結局、人生というのは、自分との戦いなのですよ。テメェを曲げるというのは、自分らしい人生を捨てるという事だと考えて、踏ん張るしか無いんじゃないですかね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

素朴ですが芯の通るご意見でした。ありがとうございます。
自分を曲げず、愚直にやるところもあっていいと思いました。

お礼日時:2013/06/13 16:16

誕生たか転生だか、生まれてきたという現象の自分の任務を生きていくことにしています。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

どうして生まれ、死ぬのか、その答えは定かではないが、こうすればいいのでは、といったような答えが、最近見つかってきている気がします。
貴重なご意見、ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/13 16:14

 こんにちは。



 うきよとんぼさんのご見解に賛成するところがあります。

 別様に言うとすれば:

 ★ 人生とは、如何に生くるべきでしょうか。
 ☆ と問うてみたとき その《人生》とは だれのでしょうか? と問い返すのが 答えになるかと考えます。

 人びと一般の人生について 語れというのでしょうか?
 そうではないはずです。

 自分自身の人生です。

 人生をおのれの人生とすることが まづとっぱじめの課題ではないでしょうか。


 れいんとーくさんは 人びとの気持ちをおもんぱかって 自分をおしころしていますか?

 わたしのようにまでとは言いませんが もっと自己チューになってみてください。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

自己中心的に生きてみるですか。思いもよらない回答ですが、案外効果がある気がします。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/13 16:12

人生は必ず死で終わる。


自分自身の権力や物質的な豊かさのために生きる限り、必ず敗北に尽きる。

社会生命(互いに助け合って生きている)としての自覚化により、人と競ったりお金をもらうためにイヤイヤ働かされるのではなく、自律的に社会行動(他我=愛による)をとる。
それによって、肉体の有限性、死による限界を超えて、(人との信頼の限りにおいて)無限の宇宙、永遠の未来における達成が信じられ、最大充足は果たされる。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

私はきっと、愛の少ない人間です。
しかしながら、おっしゃるように、愛とまではいかなくとも、意欲持って仕事ができるよう、やって見たいと思いました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/13 16:10

>人生とは、如何に生くるべきでしょうか。



実は、自由に生きているという事実があるだけなんだけどな。

人生とは、如何に生きるべきか・・という問いは、自分で自分の首をしめていらっしゃる。それも自由。
人生はこう生きるべきであるという何かがあるはずだとか、自分はこう生きるべきだとかいう幻想を自分で作り出して、自分の自由を放棄するという自由。

あなたが初めからそうしているように好きなように生きていい。
如何に生きるべきかを問うてもいい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

自由、ですか。なるほど。臨機応変にということでしょうか。
或いは積極的な自由でしょうか。
何処か勢いのある回答でした。ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/13 16:41

>私は、一生懸命生きることの勇気が持てないでいます。


しかしながら、日々を過ごす中で、或いはここで皆さんと話す内に、自分の消極性に気付き、このままではならないと思うようになりました。

自身の話をしますね。
私自身は一生懸命生きているわけではないのですが、傍からみれば一生懸命といか
なにが楽しくて生きているのかと思われているようです。
正直なところ、能力的に何もできないので、生活上の必要性に従ってましな技能を
磨いているだけです。
また、何十年後に死ぬという現実から逆算し、必要な行動をそこに埋めていけば
有意義でない行動はしたくないと自然に思います。

一生懸命生きるというか、現実を直視すれば、そう生きざる得ない。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

現実を直視すれば、、と言うことですが、尤もだと私も思います。現実的にどうして居られるかということが大事と思うようになりました。
難しいですが、頑張って見たいと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/13 01:25

こう生きるべきという正解はありません。


人生いろいろ、人それぞれのやり方で
社会に適応しようとしています。

これこそという確実なものを見つけて
心の支えにしたい
気持ちはわかりますが、絶対的なものはありません。
確実なものが何もないという不安に耐える
覚悟はいります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

共感いただき嬉しいです。
何か、目の前のことを一生懸命にすれば、道ができる、そんな気がして質問いたしました。
確実なものは何もない、そうだからこそ、頑張りたい、そんな気持ちでいます。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/13 01:22

哲学と人生哲学は如何違うのですか???


哲学とは人生を論じる事です

昨日を思わない
今日を考えない
明日を願わない
そう言う生き方が貴方を幸せにする事でしょう

人生は一生懸命生きたから良い
消極的だからダメというものではありません
貴方が生きたい様に生きれば それが貴方の幸せです
貴方は貴方自身をその主人として生きればそれで良いのですよ
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ニュートラルな御回答ありがとうございます。
自分の考えよりも大きな回答をいただいたと感じています。
私は糞真面目になることがあるので、いい薬かと思いました。

お礼日時:2013/06/13 01:19

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!