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こんにちは。
哲学と言うよりは、人生哲学の質問です。
私は、一生懸命生きることの勇気が持てないでいます。
しかしながら、日々を過ごす中で、或いはここで皆さんと話す内に、自分の消極性に気付き、このままではならないと思うようになりました。
単刀直入にお尋ねしますが、人生とは、如何に生くるべきでしょうか。
どうぞよろしくお願いします。

A 回答 (24件中1~10件)

自分の好きな様に生きるかなぁ




と言っても、現実はそんな甘いモノではないけど


些細なことでも楽しみを見つけて生きると人生観変わってくると思いますよ。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
おっしゃるように、現実は甘いものではありませんよね。
以前、福祉職に携わって、先天的に重度の身体や知的障害を持たれる方のケアに当たったことがあります。しかしながらその時に、極端に定められた人生を歩まなければならない人々の居るのを目の当たりにし、心が折れた事があります。
次第その事を思い出す度、人生って、、、と悩む事が多くなりました。
それで、この様な質問を立ち上げさせていただきました。
些細な事の中に、大切なものがある、そうかもしれませんね。

お礼日時:2013/06/13 00:08

死ぬまでただ生きる。

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この回答へのお礼

力強いですね。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/13 00:13

私は死ぬ時に笑って死にたいと思っています。


周りにはたくさんの自分の孫や曽孫がいて、もし主人より先に亡くなるなら主人にありがとうと言えるような人生を今歩みたいと思っています。

悔いが残らないようにやりたい事を精一杯やる事も一生懸命には入らないですかね?
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
悔いの残らないように、やりたいことを精一杯やる事も、一生懸命に入るとおもいます。
理想的な臨終を話していただきありがとうございます。とても共感できる回答でした。

お礼日時:2013/06/13 00:36

難しいですよね…



私はなんで生きて、なんで死ななきゃならないのだろう…と不思議だし、納得できないし、何より死ぬのが嫌です。つらいなぁ…

楽しく、周りを幸せに、一生懸命に…とも思いますが…なんでかなぁ…とも思います。
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この回答へのお礼

こんばんは。
私は今、何でかなあ、、よりも、努力して進むことを良しとしています。
私は、特別な同級生を震災で亡くして居るのですが、その人もきっと、それで合っていると、言ってくれるような気がしています。
何でかなと問うことも大切なことだと思うし、きっと答えが見つかるとおもいます。なんでかなの答えが、人生を新たに始めることなのかもしれないと思いました。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/13 01:17

哲学と人生哲学は如何違うのですか???


哲学とは人生を論じる事です

昨日を思わない
今日を考えない
明日を願わない
そう言う生き方が貴方を幸せにする事でしょう

人生は一生懸命生きたから良い
消極的だからダメというものではありません
貴方が生きたい様に生きれば それが貴方の幸せです
貴方は貴方自身をその主人として生きればそれで良いのですよ
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この回答へのお礼

ニュートラルな御回答ありがとうございます。
自分の考えよりも大きな回答をいただいたと感じています。
私は糞真面目になることがあるので、いい薬かと思いました。

お礼日時:2013/06/13 01:19

こう生きるべきという正解はありません。


人生いろいろ、人それぞれのやり方で
社会に適応しようとしています。

これこそという確実なものを見つけて
心の支えにしたい
気持ちはわかりますが、絶対的なものはありません。
確実なものが何もないという不安に耐える
覚悟はいります。
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この回答へのお礼

共感いただき嬉しいです。
何か、目の前のことを一生懸命にすれば、道ができる、そんな気がして質問いたしました。
確実なものは何もない、そうだからこそ、頑張りたい、そんな気持ちでいます。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/13 01:22

>私は、一生懸命生きることの勇気が持てないでいます。


しかしながら、日々を過ごす中で、或いはここで皆さんと話す内に、自分の消極性に気付き、このままではならないと思うようになりました。

自身の話をしますね。
私自身は一生懸命生きているわけではないのですが、傍からみれば一生懸命といか
なにが楽しくて生きているのかと思われているようです。
正直なところ、能力的に何もできないので、生活上の必要性に従ってましな技能を
磨いているだけです。
また、何十年後に死ぬという現実から逆算し、必要な行動をそこに埋めていけば
有意義でない行動はしたくないと自然に思います。

一生懸命生きるというか、現実を直視すれば、そう生きざる得ない。
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この回答へのお礼

現実を直視すれば、、と言うことですが、尤もだと私も思います。現実的にどうして居られるかということが大事と思うようになりました。
難しいですが、頑張って見たいと思います。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/13 01:25

>人生とは、如何に生くるべきでしょうか。



実は、自由に生きているという事実があるだけなんだけどな。

人生とは、如何に生きるべきか・・という問いは、自分で自分の首をしめていらっしゃる。それも自由。
人生はこう生きるべきであるという何かがあるはずだとか、自分はこう生きるべきだとかいう幻想を自分で作り出して、自分の自由を放棄するという自由。

あなたが初めからそうしているように好きなように生きていい。
如何に生きるべきかを問うてもいい。
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この回答へのお礼

自由、ですか。なるほど。臨機応変にということでしょうか。
或いは積極的な自由でしょうか。
何処か勢いのある回答でした。ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/13 16:41

人生は必ず死で終わる。


自分自身の権力や物質的な豊かさのために生きる限り、必ず敗北に尽きる。

社会生命(互いに助け合って生きている)としての自覚化により、人と競ったりお金をもらうためにイヤイヤ働かされるのではなく、自律的に社会行動(他我=愛による)をとる。
それによって、肉体の有限性、死による限界を超えて、(人との信頼の限りにおいて)無限の宇宙、永遠の未来における達成が信じられ、最大充足は果たされる。
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この回答へのお礼

私はきっと、愛の少ない人間です。
しかしながら、おっしゃるように、愛とまではいかなくとも、意欲持って仕事ができるよう、やって見たいと思いました。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/13 16:10

 こんにちは。



 うきよとんぼさんのご見解に賛成するところがあります。

 別様に言うとすれば:

 ★ 人生とは、如何に生くるべきでしょうか。
 ☆ と問うてみたとき その《人生》とは だれのでしょうか? と問い返すのが 答えになるかと考えます。

 人びと一般の人生について 語れというのでしょうか?
 そうではないはずです。

 自分自身の人生です。

 人生をおのれの人生とすることが まづとっぱじめの課題ではないでしょうか。


 れいんとーくさんは 人びとの気持ちをおもんぱかって 自分をおしころしていますか?

 わたしのようにまでとは言いませんが もっと自己チューになってみてください。
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この回答へのお礼

自己中心的に生きてみるですか。思いもよらない回答ですが、案外効果がある気がします。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/06/13 16:12

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