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シニアや高齢者の方々の話ではありません。
ネット上で散見される若い(であろう)男性の意見についてです。
いまこの時代に、どうして処女か非処女かということに固執し、さらには非処女を蔑視するのでしょうか。

A 回答 (7件)

>いまこの時代に、どうして処女か非処女かということに固執し、さらには非処女を蔑視するのでしょうか。



 カッコつけたいんですよ、非処女って=モテナイ=その子とつい合うのカッコ悪い、ですよ
まあそういう男は本当の恋愛は出来ないでしょうね。本当に好きという気持ちがあるのなら処女か非処女なんて事気にならないでしょう。男の自分が言うのもなんですが・・
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>カッコつけたいんですよ、非処女って=モテナイ=その子とつい合うのカッコ悪い、ですよ

ごめんなさい、ちょっとここが解り難かったです。
つまり自分の付き合っている女性が処女か非処女かによって、自分(男性)がカッコ良かったり悪かったりするということでしょうか。

>本当に好きという気持ちがあるのなら処女か非処女なんて事気にならないでしょう。

はい、私もそのように思います。

>まあそういう男は本当の恋愛は出来ないでしょうね。

本当の恋愛に至っていない。
つまりネット上で散見される熱烈な処女崇拝というのは、思想信条の類であり、それと現実とは別物ということなのでしょうか。

かたや今の若いお嬢さん方にとっては、そのような若い男性による表明を読み、どう思うのでしょうね。
実際に好きで付き合っている彼氏に言われるのであれば、まだしも。。

お礼日時:2013/06/17 00:27

新車と中古車。



人生に一回しか手にいれないのならお手つきでないのがいいなあと勲章のように思っているのでしょうか。

包装紙に包まれて熨斗がついたものにありがたさを感じるのでしょうか。

つまり中までは見ていないわけですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>新車と中古車。

そうっか!──と思ったのですが、
新車と中古車って明らかに走ったメーター数とか機器にガタが生じていたりと丸わかりですよね。

でも、処女か非処女かって一見ではわからないこともありますし、場合によっては処女を取り繕うということも可能なわけです。

>包装紙に包まれて熨斗がついたものにありがたさを感じるのでしょうか。

ふと、絨毯にくるまれたクレオパトラが登場してシーザーを歓ばせた言い伝えを思い浮かべたのですが、それでは無さそうな。

今の時代はモノも中古品流通が盛んです。
つまり、一度人の手に渡ったモノはイヤ、どうしても新品でないと嫌悪感が先立つという生理的な感覚に似ているのでしょうか。

女性はモノじゃないのですけれどもネ。

まあ、新品か中古品かは個人の嗜好だと思うのですし、処女崇拝も別に構わないのですが、なぜネットで熱く語らねばならないのだろう、非処女を罵倒せずにはいられないのだろう、と不思議に思ったのです。

>つまり中までは見ていないわけですよ。

そうですね。
もしかしたら、当の本人たちは嫌〇のノリというか、ネット上で若者が日頃の憂さ晴らしをしているだけなのかもしれませんね。

でも、案外若者のようで若者でなかったりなんかして?!

お礼日時:2013/06/17 00:55

 あそこって奥までなかなかきれいにならないからね。

他人の精液にまみれているより、何もない方がきれいというのは頷けるけどねぇ。
 いきなり、喘がれても中が汚そうなので、これから染めていく感覚になるのは、歳を取っても気持ちはわかるよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>あそこって奥までなかなかきれいにならないからね。

でもそれは性交渉の直後の話ですよね。
いつまでもそうではないと思われますが。。

>他人の…にまみれているより、何もない方がきれいというのは頷けるけどねぇ。

そう思う男性の心理というのは、女性に対する性的征服欲や支配欲に関係しているのでしょうか。
きれいとか汚いとか。

古来より聖女と売女とか、昼は貞淑に夜は娼婦のようになどと、男性は女性に対して2分する見立てがきっと好きで堪らないのかも。

>いきなり、喘がれても中が汚そうなので

つまり男性の精液とは汚いものだという認識がまずあるということなのですね。
自分が真っ先に汚したい、と。

>歳を取っても気持ちはわかるよ。

で、上述のような感覚は世代を超えて男性同士で共感し合うということをおっしゃりたいのですね。

まあ、toshipeeさんのように相応のお歳を召した男性でしたらそれなりに性道徳がまかり通っていた時代(例えば山口百恵の「ひと夏の経験」を知っている世代)と察せられますので、拘り続ける心境がわからなくもありません。

でも、問題なのは今の若者たちです。
婚前交渉に対する躊躇いが薄れている今の時代に、処女か非処女かを気にしていられるのだろうか?と思うのですよね。

お礼日時:2013/06/17 01:24

馬やライオン、熊や猿など人以外の哺乳類は処女であるか


非処女であるか全く気にしません。
また人以外の動物は神を信じたりしません。
人と他の動物との違いは想像力が有るかどうかです。

だから男性は処女を望みます。
想像力があるからです。
処女か非処女か拘らないという男性は
そういうことで選り好みしていたら女性を
手に入れられないという消極的な理由か
本当は処女だったほうが良かったけど好きになったから
あるいはそれ以上の魅力が有るから構わないという理由が
有るだけです。

本当に他の哺乳類並みに気にならないと言う男性は
馬か猿並みに想像力が無いのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>想像力があるからです。

そう、たしかに男性の性欲は独善的な想像力の賜、幻想であったり願望によるところが非常に大きいのでしょうね。
これは理解できます。でも、

>本当に他の哺乳類並みに気にならないと言う男性は
>馬か猿並みに想像力が無いのでしょう。

う~ん。それって本当なの?
根拠を提示していただかないと納得がいきません。

>だから男性は処女を望みます。
>想像力があるからです。
>処女か非処女か拘らないという男性は
>そういうことで選り好みしていたら女性を
>手に入れられないという消極的な理由か
>本当は処女だったほうが良かったけど好きになったから
>あるいはそれ以上の魅力が有るから構わないという理由が
>有るだけです。

断定的なご意見ですね。
しかしながらこれらもあなたご自身の思い込みに映ります。
本当に今の時代の若者たちは「消極的な理由」によって仕方なく処女を諦めているのでしょうか?

ああ、それとも、男性のFetishismの一つとして処女でないと嫌悪感が先立つとか萎えてしまうとおっしゃりたいの?
う~ん。

ところで私の上の子は現在大学1年生です。
予備校時代そして今現在付き合っている彼女がいるみたい(同一人物ではないとのこと)。

で、本人はどう思っているのだろうと、この質問について軽く尋ねたところ、
「全く気にしないよ。気にする奴は気にするのかもしれないがオレは全然気にならない。」そして、もしそれが結婚相手だったとしても、とのこと。

つまり、回答者さんの自論上「馬か猿並みに想像力が無い」男性に該当するわけで、でも本人は「消極的な理由」によって処女を諦めているわけでは無いのです。

で、かたや(他のサイトで見かけたのですが)同世代の若者が自身の悩みを語っているのです。
話の内容としては街で見かける女性に対して非処女を疑い一人嫌悪したり心が痛む、生涯でただ一人の女性と添い遂げたい、誰よりも女性の事を真剣に考えてきたとのこと。

で、この両者の「想像力」の違いというのはいったい何に因るものなのかを私は知りたいと思ったのです。
同世代として生き、同じように育ってきたかもしれないというのに、いったい何が違うのか。

私はこれをとても不思議に思うのです。う~ん。

お礼日時:2013/06/17 02:39

セックスの欧米化を阻止したいのでしょう。



まだJAPANには、侍魂があるみたいですね。

良いことだと思いますよ。

乱交が当たり前になるよりは、ましです。

確かに処女でいた方が、ウブで一途なところは否定できません。


それに恥じらいもあるので、安易に肌や局部を見せることもないでしょう。


そうなると性犯罪も減るような気がしますが、どうでしょうか。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>セックスの欧米化を阻止したいのでしょう。
>まだJAPANには、侍魂があるみたいですね。

ははは。面白いご意見ですね。
日本男子にはまだまだ侍魂がある、と。

かたや大和撫子はそんな若く熱き侍魂をいったいどのように見つめているのでしょうね。

>良いことだと思いますよ。
>乱交が当たり前になるよりは、ましです。

乱交って、ここではいったいどういった意味合いなのでしょう。
いくら今の時代だからって、乱交好きな男女などそう大多数いるとは想像し難いのですけれども。。

>確かに処女でいた方が、ウブで一途なところは否定できません。
>それに恥じらいもあるので、安易に肌や局部を見せることもないでしょう。

そうっか、ウブとか恥じらいというのは女性が失ってはいけない感覚のようですね。

ところで今の時代、ネット上でこれでもかと女性の肌や局部が露出しているかと女性の私にすら察せられます。
その扱いはモノあるいは汚れた非処女の扱いとしてみなすものなのでしょうか。
ちょっと気になったのでした。

>そうなると性犯罪も減るような気がしますが、どうでしょうか。

つまり、露出する側の若い女性にも性犯罪の責任があるっていうこと?
性犯罪者がそう選り好みをして性犯罪に及ぶともかぎりませんからね。さあ、どうでしょう。

ところで「セックスの欧米化を阻止したい」に絡み、一つ話題を提供します。

今秋大英博物館で日本の春画の企画展が催されるのに合わせて、日本国内の巡回展を検討したところ、どこの美術館も我が国の公共性に鑑み開催出来ないとの報道がありました。

一方、児童ポルノ規制法については、ユニセフをはじめ欧米社会からの突き上げが非常に厳しいのが実情です。

これらいずれも、あまり国民の間で関心が高いようには映りません。
もっとも春画の方はその男女の絡みの滑稽さゆえに女性にはそうウケが悪くはなさそうなのですよね。
(開催の検討段階において特に急進的な女性団体からのクレームなど無かったとのこと)
ご参照:「春画 アートなのに… 国内巡回展は開催難航」東京新聞Web 2013年5月19日 朝刊

これについてはむしろ「日本の侍魂、どうした!!」って感じのようです。
どうも後手に回っていそうなのですよね。。

お礼日時:2013/06/17 03:14

ホントに奥が前の精液が残っているかなんてことはどうでもいいのよ。

どなたが言ったか忘れたけど、有名な古い言葉で「男は最初の男になりたがり、女は最後の女になりたがる」ってのが、あなたが女で最後の女ってのがわかるなら、それと同じ感覚だ。男はそれに頷いても、「最後の女なんてどうでもいいだろ」と思ってる。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

>ホントに奥が前の精液が残っているかなんてことはどうでもいいのよ。

えっ、そうだったのですか。
でもtoshipeeさんが非処女を嫌悪するという感覚はとても良くわかりましたよ。

>あなたが女で最後の女ってのがわかるなら

はい、私は古い昭和の女(昭和40年代の生まれ)ですから、文意もあなたの仰せの意味も理解出来ました。

>それと同じ感覚だ。

「どうしたら(風俗も含め)浮気しない男性を見つけられますか」「絶対に浮気しない男性だと思って結婚したのに主人に裏切られました。どうしても許せません」という質問を見かけます。

世の中には相手に対する気持ち以前に「浮気をしないこと」を最優先で伴侶を望む女性がいるのですね。
そしてこれこそが「処女であること」を最優先する男性とおそらく「同じ感覚」だろうと私は推測しました。

>男はそれに頷いても、「最後の女なんてどうでもいいだろ」と思ってる。

そうなのですね。
でも、どうなのでしょう、
本当に最近の若い女性は「最後の女」になりたがっているのでしょうか。

卑近な例で恐縮ですが、某女性グループアイドルの一人が格差婚の末に不倫をして離婚に至った件を思い出しました。
芸能人のことですし、その実情はともかくとしても、今はそういった見出しが話題になる時代です。
さらにこれから先はどうなりますことやら。


この質問で私が問題視しているのは、私やtoshipeeさんのような昭和のオバサン、オヤジではなく、若い世代の抱えているように映る、ある「歪み」についてなのです。

老若男女を問わず相応に処女が尊ばれていたかつての時代には、水商売の女性と堅気の女性とが厳格に区別されていました。

でも今はどうでしょう。
女子高生の頃から薄化粧をしたり、お小遣い稼ぎに素人学生がキャバクラで気軽にバイトをこなしたり。
婚前交渉に至っては殆ど躊躇いなどみられません。
処女か否かを分かつ厳然たる垣根などいったいどこに見出せるでしょうか、
スマホやPCで他人のライフスタイルを容易く窃視し得るインターネット時代においては。

一番の悲劇、つまり若者たちの「歪み」とは、
本来ならば自らのパートナーたる同世代の若い女性たちに対して、今の時代にそぐわない古い色眼鏡で無駄に侮蔑し、かつ、その女性たちもこのような乖離を疑問視せず、ただ冷笑し返すことに他なりません。

そして彼等の親世代以上の者もまた、このような状況とおよそ無縁とは言えないであろうとも思うのですよね。

お礼日時:2013/06/17 22:25

若くはない男ですが、回答させていただくことをお許し願い上げます。



>ネット上で散見される若い(であろう)男性の意見についてです。

確かに、一部の「若い(であろう)男性」に、「処女」を素朴に崇敬するというよりも、単なる「処女」という観念?に過剰に固執、拘泥したがる傾向が見受けられますよね。

しかも、こういう処女崇拝を自分なりに正当化せんとして、様々な比喩を繰り出し、合理的な説明をしているつもりで、結果的にやや短絡的な牽強付会に自己充足に終わっているケースも少なくないような気がしてなりません。

日本では、女性の「処女か非処女か」に拘泥し始めたのは、《恋愛》についてと同様、明治になってからのことだと思います。
「もし黄金瑠璃真珠を尊としとせば、処女の純潔は人界に於ける黄金瑠璃真珠なり」と断言し、返す刀で「悲しくも我が文学の祖先は処女の純潔を尊とむことを知らず」(『処女の純潔を論ず』)と北村透谷が豪語したのは、ようやく明治25年になってからです。

当時は、いかに早く旧時代的な【色】、【恋】から脱却し、いかに早く舶来文化としての【恋愛】観念を自家薬籠中のものにできるかをめぐって、多くの知識人・文化人が先を競っていたのではないでしょうか。

>いまこの時代に、どうして処女か非処女かということに固執し、さらには非処女を蔑視するのでしょうか。

明治の処女崇拝は、はじめて直面した西洋(先進国)文化、その土台をなすキリスト教(透谷も受洗していた)に対する、あまりにも現実から遊離した、一種ロマンチックな憧憬に支えられていたとすれば、「今この時代」の【非処女蔑視】というのは、その言説の土台や背景に目を向ける限り、別に確たる裏付けもなく、あまりにも皮相的な【好き・嫌い】レベルの感情以上でも以下でもないような気がしてなりません。

ただ、こういう感情の出処を敢えて臆測するなら、ある意味、同性でも友人でもない、女性という《一人の他者》と、《肉体的》によりも、むしろ《人間的》にこそ、文字通りの素裸になり、【一対一】で向き合うとき、本人自身にも名状しがたいような、一種の不安感、気後れを抱えているのではないでしょうか。
思うに、それは、自分が自分以外の他の男性と見比べられることに対する不安感、気後れではないでしょうか。
なぜって、男性のセックス欲は、女性を性的に攻略、支配、所有せんとする、【性的征服欲】とでも称すべき性質を帯びているだけに、よほどの自信家の男性を除き、こういう感情と全く無縁な男性はいないはずですから。

ただ、それだけに、「非処女」の女性に過剰に反応したり、忌避感を覚えたり、もって彼女らを人間的に貶めたりせずにはいられない、いわゆる【処女厨】の場合、自分でもそうとは認められないが故に、無意識のうちに、こういう感情があたかも本能的、生理的なものであるかのように唱えたがるのではないでしょうか。
あるいは、苦しまぎれに新車・中古車とか、使用前・使用後とかといった、俗耳に入りやすい比喩で自己正当化に躍起にならざるを得ないのではないでしょうか。

その意味では、過剰に「非処女」を忌避、蔑視せざるを得ない男性をつぶさに観察すれば、これは素人の臆測にすぎませんが、もしかしていわゆる回避性人格障害、対人恐怖症的な傾向が認められるかもしれません。

なお、ついでに申し上げておきますが、彼等の言説の多くが、概して没論理性、超越性を特徴とし、一部恫喝的、差別的な傾向が見受けられる点で、いわゆるネトウヨとも通じ合っているところが、私にはなんとも興味深いところです。

この回答への補足

kadowakiさんのお書きになる文章はとても読みやすいです。
おかげさまでとても良く理解できました。
ありがとうございました。

補足日時:2013/06/18 03:31
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>日本では、女性の「処女か非処女か」に拘泥し始めたのは、《恋愛》についてと同様、明治になってからのことだと思います。

そういうことだったのですね。
そして《恋愛》もですか。
それ以前に相応しい言葉としては《色》《恋》、そして他に何が挙げられるでしょうか。

それ以前の我が国の歴史と見比べれば、処女性に対する拘泥はそうたいして古いわけでも無いことがわかりました。

>「もし黄金瑠璃真珠を尊としとせば、処女の純潔は人界に於ける黄金瑠璃真珠なり」
>「悲しくも我が文学の祖先は処女の純潔を尊とむことを知らず」
>ようやく明治25年になってからです。

当時等しく性道徳に関するエピソードとしては、我が国における裸体画論争やいわゆる腰巻事件(34年)が挙げられます。
明治元年の裸体禁止令以降、それまでとはおよそ異なる習俗やら裸体表現、つまりヌードという西洋固有の新たな概念がとって代わることになります。

>当時は、いかに早く旧時代的な【色】、【恋】から脱却し、いかに早く舶来文化としての【恋愛】観念を自家薬籠中のものにできるかをめぐって、多くの知識人・文化人が先を競っていたのではないでしょうか。

はい、そして今、明治の知識人や文化人の間で理解し語られた概念がはたしてどれほど理解され共有されているのか、変質したり偏狭に受容されて今に至っているのではないかなどとつい疑ってしまいます。

先のヌードにしても単なる裸と区別がつかず、芸術とポルノグラフィーとが混同されがちなまま今に至っていたり、他方ヌードが公共の場で当たり前のように氾濫していますから。
こういった国内コンセンサス抜きで海外から規制法などの突き上げに対処せざるを得ないのが現状です。
わが国の性道徳や社会倫理とは一体。。?

>明治の処女崇拝は、はじめて直面した西洋(先進国)文化、その土台をなすキリスト教(透谷も受洗していた)に対する、あまりにも現実から遊離した、一種ロマンチックな憧憬に支えられていた

う~ん。上述のご指摘と処女崇拝者や処女厨が語るそれとは、とても繋がっているようには思えませんね。

>「今この時代」の【非処女蔑視】というのは、その言説の土台や背景に目を向ける限り、別に確たる裏付けもなく、あまりにも皮相的な【好き・嫌い】レベルの感情以上でも以下でもないような気がしてなりません。

はい、敢えて好き嫌い以外に現代における処女の必要性を説明するなら、どうしたって牽強付会に陥らざるを得ないでしょうね。
本能だの、生理的現象やら遺伝がどうの、と。

>思うに、それは、自分が自分以外の他の男性と見比べられることに対する不安感、気後れではないでしょうか。
>なぜって、男性のセックス欲は、女性を性的に攻略、支配、所有せんとする、【性的征服欲】とでも称すべき性質を帯びているだけに、よほどの自信家の男性を除き、こういう感情と全く無縁な男性はいないはずですから。

なかなかこのあたりは女性には想像し辛いところかと思われます。
ご説明を受けて男性の処女性に拘る理由がより解りかけてきました。
どうもありがとうございます。

>自分でもそうとは認められないが故に、無意識のうちに、こういう感情があたかも本能的、生理的なものであるかのように唱えたがるのではないでしょうか。

その本能的とか生理的という感覚は、男性同士では何となく共有し得やすいからこそ、説明として用いたがるのでしょうね。

>あるいは、苦しまぎれに新車・中古車とか、使用前・使用後とかといった、俗耳に入りやすい比喩で自己正当化に躍起にならざるを得ないのではないでしょうか。

そうなのでしょうね。
オヤジ世代の処女信仰はさておき、今の若い女性たちはいったいどう思っているのでしょう。

若い女性たちにこそよりもっと多くの事を考え、上手に立ち振る舞っていって欲しいと願うばかりです。

>概して没論理性、超越性を特徴とし、一部恫喝的、差別的な傾向が見受けられる点で、いわゆるネトウヨとも通じ合っているところが、私にはなんとも興味深いところです。

ですね。
もしかするといわゆる処女厨はその論理思考が稚拙なだけに若く映るのであって、実際の年齢はそれほど若くは無いのかもしれません。
また、是非そうであって欲しいと思います。

だって、若い男性たちが未来のパートナーたる同世代の若い女性たちを不要に嫌悪し偏見の眼で見ても、それは不毛以外の何物でもないのですから。
ですよね?

お礼日時:2013/06/18 03:25

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