「お昼の放送」の思い出

武士って街中歩いてる時ってえらそうに闊歩してたの?
農民とか商民とか一般人が武士と通り過ぎる時挨拶したり、機嫌そこねたら斬られるからびくびくしてたのか、それとも街で見かけてもシカトだったのか

A 回答 (3件)

"武士って街中歩いてる時ってえらそうに闊歩してたの?"


  ↑
武士が街中を歩くときは、道の真ん中を歩く
ことになっていました。
雨が降っても、走ることは出来ませんでした。

”農民とか商民とか一般人が武士と通り過ぎる時挨拶したり”
    ↑
武士に道を譲り、すれ違うときに小腰をかがめた
挨拶をする、という習慣でした。
中にはシカトした町人もいたでしょう。

”機嫌そこねたら斬られるからびくびくしてたのか”
    ↑
無礼打ち、てのは制度としてはありましたが、現実には殆どやられ
ません。
無礼打ちが許されるのは、正当な理由がある場合に
限られ、旗本なら、老中が正当の理由の有無について
審査しました。
やたらに、無礼打ちなどしたら、切腹になったり、改易
になったりしました。
街中で刀を抜くだけで問題になりました。

町民もそれを知っていましたので、びくびくなど
しませんでした。
中には、武士が手出しが出来ないことを利用して
武士を挑発する町人まで出現しました。
それを恐れた武士は、無用の外出を控えるようになった
ぐらいです。
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武士という統一された階級があったわけじゃありません。

内情はかなり複雑です。

一応形式上は「武士は偉い」という建前になっていました。今なら「上司は偉い」ということで世間は回っているのと同じです。しかし、どこの会社でも上司は偉いことに違いはなくても、比較的フラットで自由にいえる会社もあれば肩書がひとつ違っただけで、あるいはたった1年先に入社しただけとかそういった理由で絶対服従を強いられる会社があるように、当時の武士の立場もいろいろありました。

江戸にいる武士といっても、旗本となれば徳川家直轄の家臣となるので、給料はすごく低いのに地方大名の家老(陪臣といいます)より形式上偉いとなります。これはいってみればトヨタの平社員と下請けの専務とどっちが偉いかみたいなもんですね。大手企業の社員ともなれば嫌な奴もそれなりにいるでしょうから、下請けに対して露骨な態度をする人もいるでしょうが、常識的な態度をとる人がほとんどでしょう。たぶん当時も同じだったんじゃないかな。
また各大名家の武士も、その家によっては武士の中で上士、下士というふうに身分差別があった家もあります。高知藩はブラック企業ですから・笑、旧長曾我部の家臣の系譜になる下士はいろいろと虐げられていたようですね。ま、多少は旧長曾我部の家臣にも責任はあるんですけど。

ただ身分制度そのものもかなりルーズな面があってですね、例えばある武士が花魁に恋をしたとします。その武士は妾を持てるくらいの経済力がある、しかしいくら妾を持てるといっても、武士である以上町民である花魁を妾にするのは許されないんですね。しかし裏技があって、そういうときは、誰か他の武士がその花魁を自分の養女にするんです。すると、その花魁は武家の娘ということになる。かくして、その武士は花魁を身請けできるというわけです。
男の場合も、ジョン万次郎や最上徳内のように貧しい身分から武士になった(二人とも好きでなったわけじゃないですけど)人もいます。学問に秀でていたりするとそういうチャンスもあったんですね。意外にそのへんは融通がきくんです。世界レベルで見ると、当時としてはかなり緩やかな身分制度だったと思います。
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武士にも階級はありました



そりゃ旗本クラスはえらそうに闊歩してたでしょう
でも下っ端の雑魚武士は庶民とほぼ変わらない感じです ただ刀持ってるか持ってないかの違い程度
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