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戦国時代 分国法という法律か施行されていましたが どんな内容の法律ですか?

A 回答 (4件)

武田家の家法である『甲州法度次第』では



1.喧嘩両成敗
2.宗教間の喧嘩を禁止(浄土宗と日蓮宗)
3.年貢の滞納を禁止
4.訴訟の際、暴力行為に及んだら敗訴にする
5.連帯責任制 など

今川家の家法である『今川仮名目録』は土地に関する訴訟の裁定基準が中心の内容

奥州伊達氏の『塵芥集』は殺人、強盗などの事件・地頭の支配権を広く認める内容が中心
またこの『塵芥集』は分国法最大の170条に及ぶ内容が記載されています。

朝倉氏の制定した『朝倉孝景条々』には日本刀に関する細かい記述があります。
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戦国大名が自分の領国(分国)を治めるために出した法です。


先行する武家法である御成敗式目や建武式目をもとに作られていますが、独自の内容も少なくありません。
代表的な内容は、いわゆる喧嘩両成敗(喧嘩は理由を問わず双方とも処罰する)です。
他に、夜中に宴会するな、勝手に城を作るな、不法侵入するな、難破船は持ち主に返せ、流木は流れ着いた土地の所有者のものなどなど分国法それぞれで違います。
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この回答へのお礼

ありがとうございまいた 勉強になりました

お礼日時:2013/08/15 22:14

 「分国法」というのは「戦国大名が領国統治をするための法」ですので、その「領国内でしか」効力を発揮することができません。

ということは「逆の性質を持つ法」もあるとの話になります。
 この場合の「逆の」というのは、「限定された地域」に対する「全国」との意味です。しかし残念ながら、武家を含む全ての階層に適用できる法体系などありません。その理由は「武家」が本来の法体系である「律令」からすれば「想定外の存在」であるから、との事実によります。
 少し乱暴な言い方になりますが、「律令」は日本の国民を二つに区分するシステムともいえます。一つは貴族を含む官僚であり、もう一つはその他多勢としての庶民です。
 そしてこの貴族なり官僚を一般に公家と呼びます(これもいささか乱暴ですが、小中学生ならばこの程度で十分でしょう)。公家とその他多勢ですから、武家はどこにもいません。にもかかわらず「実際に武家がいた!」のはどうしてでしょう。
 それは「武家」の多くが「在地に根ざして、在地での監督権限など」を一切合切手にしていたからに他なりません。最初は村内部のまとめ役的な存在だった彼等が次第にその武力的基盤と共に掌握能力を有し、隣接する地域にも支配圏を拡大していく。その最終的な形が戦国大名の「領国支配」です。
 話は横に逸れてしまいましたが、「分国法」にも様々あります。例えば「今川仮名目録」「朝倉敏景十七箇条」「大内氏壁書」などといった具合に、戦国大名の数だけ分国法もあることになります。
 少しおもしろい例を紹介しますが、「大内氏壁書」には「カルタ禁止」の一文もあり、これは「カルタが賭博として行われていた」ことを背景にしています。
 またもう一つの問題として、中世の鎌倉時代および室町時代になりますと「御成敗式目」などのように「武家」のみを対象とする法規定も登場します。これは幕府と武士の間での訴訟や裁定そして家産継承などのケースにどの様に対処するかなどを記した規定です。そして実在しながら「法的裏付けのない存在」である「武家」自らが朝廷内での官僚組織の一員として地位を確立する目的で、彼等も官位を求めます。それは律令の規定に従う以外の手段はありません(官僚としての地位を任ずるのは朝廷の専権行為です)。
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この回答へのお礼

教科書に載っていない解説です
ありがとうございます

お礼日時:2013/08/15 22:19

uesugimutsumi さん、こんばんわ。




戦国時代の分国法は武家法の一種です。武家法は鎌倉時代の源頼朝が定めた先例に基づいた御成敗式目や室町時代に追加された建武式目などですが、分国法もこれに基づいています。しかし、その内容は戦国大名が自らの領国支配の実情を反映した内容になっています。
内容の概要は分国法が規定する主な事項には、領民支配、家臣統制、寺社支配、所領相論、軍役、などです。

詳細はこのURLを参照してください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%86%E5%9B%BD% …
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