アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

朝鮮半島、中国を植民地にして、その時点で進行を止めることはできなかったのか?
タイ、シンガポールまで進出せず、また真珠湾攻撃をしかけなければ、朝鮮、中国は日本の領土になり得たのでは?
日本帝国の最終目標は何を目指していたのでしょうか?

A 回答 (18件中1~10件)

crossover2013さん、こんにちわ。



日本帝国の最終目標は何を目指していたのでしょうか?

きっかけは昭和恐慌でしょう。この不景気の解決策としてアメリカは公共事業、植民地を持っている英仏は植民地との経済のブロック化、そのどちらもできない独伊は全体主義に徹し、ミリタリズムに走ります。日本はどちらかというと独伊に似ています。
日本が最終的に目指していたのは当時の英仏など列強が支配していた植民地を代わりに支配し、英仏が行っていたような経済ブロックを構築し、恐慌でダメージを受けた経済を早く復興することでしょう。



朝鮮半島、中国を植民地にして、その時点で進行を止めることはできなかったのか?
タイ、シンガポールまで進出せず、また真珠湾攻撃をしかけなければ、朝鮮、中国は日本の領土になり得たのでは?

実はまだ解決していない問題があります。重油の確保です。これがない限り、工業の促進はできません。重油はこの当時、中国や朝鮮では発見されていませんでした。それからほとんどをアメリカからの輸入に頼っていたのです。だから、重油の出る南方に進出する必要があったのです。これがアメリカとの戦争に突き進むきっかけになる対日禁輸の引き金になります。

さて、それだけ苦労して手に入れた植民地である中国や朝鮮ですが、たぶん、戦後50年以内に独立や返還になることでしょう。この2つの民族は日本と異なる文化とプライドを持っており、長期的に支配することは無理です。
    • good
    • 0

 深夜テレビの一幕から 『然れども、朕は時運の趨く所、堪へ難きを堪へ、忍ひ難きを忍ひ、以て万世の為に太平を開かむと欲す。


     http://homepage1.nifty.com/tukahara/manshu/syuse …
     http://www.geocities.jp/taizoota/Essay/gyokuon/g …
    • good
    • 0

きっかけは世界恐慌だったんだろうね。

世界恐慌で世界経済が大不況に陥って、日本の綿花輸出なんかも相当落ち込んで東北あたりじゃ、女郎に身を売るってのが多かったというからね。で、不況にあえいだ失業者対策に政府が無責任に満州開拓を煽っていく。満州国という領土拡大政策。それで満州の利権を欲しがったアメリカの反感を買っていく。結果アメリカが中国国民党を中国南部から後方支援するようになり、日本は中国軍や中国人による日本人虐殺事件などで挑発を度々受けて世論が対中強硬支持、中国軍の排除を進めるために中国南部にまで戦域を拡大させていったというとこだろうね。

当時中国軍の背後にアメリカがいるのを日本も知っていただろうから結局日本はアメリカと間接的に戦っていたということだね。で、対米強硬路線をとってアメリカの中国支援を断つ活動を行ったと。正直、工作機械とか航空機のエンジンとかそれら燃料の石油とかをアメリカに依存しておきながらアメリカと軍事的に対立していくっていう、日本政府のお花畑がおかしかったんじゃないかと思うよ。日本は戦前は何だかんだ貧しい国なんだし。道路も整備されてない、田舎じゃ未だ手作業で農業をやってる、土木工事も手作業で重機はない。アメリカは今当たり前の重機も大規模農業機械もあって道路も整備されてて正直国の発展度合いがはるかに違う、日本は未だ発展途上国だった。そんな国がアメリカと戦う、航空機技術もアメリカから教わり、その燃料もアメリカから輸入し、その部品もアメリカ製工作機械でつくるような後進国がアメリカに喧嘩を仕掛ける。馬鹿げてる。

純軍事的な動きは悪くないと思うんだけど、問題は軍事的なそれじゃなく、より上位の問題でつまり外交や政治の問題。アメリカは日本の生殺与奪を握るぐらい、日本はアメリカに資源や貿易に依存していながら、しかも後進国の日本がアメリカと対立を深めていくっていうね。なおかつ、日本の周囲に日本を支援する国が1つもない状況で。いかに当時の国会議員や政治家が世界のパワーバランスや国際情勢、日本の国力と他国の国力などを踏まえず、戦争に突き進んでいったかという話だろうね。

シンガポール攻撃も真珠湾攻撃も軍事的には大成功。ただ問題はその前の段階、外交で決着すべきレベルだったって話。戦えば負ける可能性が高いのだから。そもそもインドシナ半島南下とオランダ領インドネシア占領は原油確保が第一目的。真珠湾にアメリカ軍がいて、インドネシアで原油を船に積んでもその輸送の妨害を受ければ戦争目的を達成できない。陸軍はそれでもアメリカを攻撃せずにやる、海軍はアメリカがやれば海上で戦うのは海軍だから先手を打ちたい。それで海軍の方針が通ってハワイのアメリカ海軍の出鼻をくじいて、原油輸送の安全を確保しようとした。同様にシンガポールにはイギリス海軍基地があったのでシンガポールもやらざるえなかった。いわゆるシーレーンの安全を確保するための軍事行動だった。で、緒戦は概ね大成功、原油の増産と日本への輸送も順調でミッドウェー海戦あたりまでは軍事作戦はとてもよかったんじゃないかな。ただそこから日本とアメリカの国力差が如実に結果の差となってあわられていく。

当時の日本の軍参謀は優秀だから、そこまで馬鹿な作戦はしちゃいない。中国の戦域拡大、インドシナ南下、これらは軍の問題じゃなく政治レベルの問題だから。なぜ日本がそういう行動とったかを一個一個自分で考えてみないと駄目だね。

結論:シンガポールや真珠湾攻撃はオランダ領インドネシアの原油を日本に輸送するためのシーレーンの安全確保のための先制軍事攻撃。中国南部への戦域拡大、タイ方面のインドシナ南下はアメリカの対中支援を断つための進軍行動。軍事的には間違ってない。問題は軍事力国力でアメリカに勝てる見込みは低いのに戦争遂行、政治的譲歩を模索できなかったってこと。敗戦の先には焦土と領土の大幅縮小しかなかった。
    • good
    • 0

太平洋戦争は東アジアに日本が支配する帝国を作り上げるというプランに従ったものであり、明治維新の時点で大日本帝国のDNAとして埋め込まれていたものです。

合理的判断からすれば欧米との戦争は必敗でしたが、国家のDNAが戦争への道を突き進ませたのです。

明治政府の首脳達は吉田松陰の門下生です。その松陰は著作『幽囚録』において、以下のように語っています。まさしく大日本帝国の行動原理そのものであることがよくわかります。

「今急武備を修め、艦略具はり礟略足らば、則ち宜しく蝦夷を開拓して諸侯を封建し、間に乗じてカムチャッカ・オホーツクを奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからめ朝鮮を責めて質を納れ貢を奉じ、古の盛時の如くにし、北は満州の地を割き、南は台湾、ルソン諸島を収め、進取の勢を漸示すべし。然る後に民を愛し士を養い、慎みて辺圉を守らば、則ち善く国を保つと謂ふべし」

ざっとした現代語訳  「これから急いで軍備を整え武装が充実したら、まずは北海道樺太を開拓して管理下に置き、それに乗じてカムチャッカ・オホーツクを(ロシアから)奪ひ、沖縄を説得して日本国に編入し、朝鮮を占領して王族を人質として押さえみつぎものを差し出させるような昔の状態(太閣秀吉の全盛期)のようにして、北は満州を占領し支配地にし、南は台湾、フィリピンのルソンあたりまで支配地にして国威を示すべきである。そのうえで国民をいつくしみ軍備を整え、辺境を守るならばうまく国を保つことができるようになる」
    • good
    • 0

君自身、根本的な勘違いしてるよ


朝鮮半島は併合したんであって植民地化してないよ
何が違うのか解りづらいかもしれないけどね
植民地ってのは、日本人を移住させて現地人を労働者として使い、農産物や鉱山からの物を搾取する方法
併合ってのは、日本の行政下に置き、現地の統治は現地人が行い、赤字であれば国家予算を以て救済する方法
朝鮮半島は35年間赤字だったんだよ
満州には植民しました
中国には植民してませんよ
国民党政府がテロや日本人商社マン等を襲撃するんで排除するため軍隊を送り込んだの

当時の日本が目指したのは平和で安定した東アジア地域を作る事ですよ
未だに安定しませんけどね
    • good
    • 0
    • good
    • 0

何を求めるのか、それが戦略です。

それが幻想、もしくはドリームというレベルで
あったがために、戦争終結が遅れに遅れ、死ななくてもいい者をたくさん殺しました。
    • good
    • 0

主目的がインドシナのオランダ領にある油田でしたから、それはないと思います。


しいて言うなら、対米宣戦布告は止めるべきでした。
アメリカは戦争しないと、今の日本のような公約をルーズベルトがしていたので、ルーズベルトが在任中は日本に攻撃できなかったのです。
その間に、十分本土に油を備蓄しておくべきでした。

現在よりマシなASEAN(東南アジア諸国連合)になっていたと思います。
    • good
    • 0

十分に出来ました。

朝鮮の併合や満州国は欧米も認めていました。満州のリットン調査団も、満州は日本の権益と認めていました。だからそのままじっとしていれば良かったのです。

間違いの元は日中戦争(支那事変)です。盧溝橋で中国軍に挑発された日本の関東軍が中国内部に攻め込んで泥沼状態になりました。これが間違いの元。次第に国力が低下しはじめた日本に、欧米がいわゆるABCD包囲網を強いて、鉄や石油の輸出を止めました。このままでは国が立ち行かなくなると焦った日本は、真珠湾に殴り込みをかけたのです。後は真っ逆さまでした。

日本帝国の目標は、満州国の開拓で国力をつけ、欧米の強大国と肩を並べることでした。明治維新以来の大目標です。当時は弱肉強食の世界でしたから、そうしなければ国が支えられなかったのです。強大国の植民地になるしかなかったのです。あの時関東軍が支那事変を拡大しなかったら、太平洋戦争も起きなかったし、今頃は日本も強大国の一つだったでしょう。

日本が太平洋戦争を起こしたので、世界中の植民地がなくなりました。もし支那事変や真珠湾攻撃を起こさなかったら、今でもアジアや中近東のほとんどの国は植民地のままだったでしょう。中国もイギリスとアメリカと日本の植民地だったでしょう。マレーシア、ビルマ、インドはイギリスの、インドネシアはオランダの、ベトナムはフランスの、フィリピンはアメリカの植民地のままだったでしょう。
    • good
    • 0

 最終目的はアジア征服でしょうね。

ナチスドイツがウラル山脈の西側(ヨーロッパ・ソ連)全てを征服し、日本がウラル山脈の東側(アジア・中国)を征服する計画だったようです。

 もっとも、誇大妄想に過ぎた計画で、植民地支配に入った国々が全く抵抗運動をしないので無い限りは実現不可能なものでした。

 もちろん、実際にはナチスも日本もレジスタンス運動やゲリラ戦線によるテロ活動に苦しめられ、十分な統治も出来ないまま第三帝国も大日本帝国も崩壊して行きました。

 日本とドイツが敗北した後は、西欧列強の国々も同じく、アフリカや中東のレジスタンス運動やゲリラ戦線に苦しめられるようになり、植民地は次々と独立し、大英帝国もフランスも過去の栄光を失って行きました。

 勝っていた時に戦争をやめれば良かったという、現実を無視した考え方がありますが、実際は日本が統治していた国々全てが危うい状況だったようで、どこで戦争をやめても同じ結果だったでしょう。

 ナチスドイツが崩壊した時に、日本が突然、戦争をやめたとしても、膨大な数の中国人華僑がいる米国が、あのまま戦争を中止して植民地下の中国を黙認するわけがなく、時間的な遅れは生じても、大日本帝国が崩壊するまで軍事干渉が続き、植民地からの完全撤退を要求されたでしょう。

 あまり言われない事ですが、なぜ日本に原爆が投下されたのかを考えてみればわかりますが、中国を植民地化した日本に恨みを抱いていた中国系米国人に対して、大日本帝国崩壊を印象付ける道具立てとして、政治的に必要だったと言えない事も無いのです。

 そういう意味では、大日本帝国の壊滅は戦前から決まっていたと言っても良いわけで、どこで戦争を中止しようが結果は同じだったと考えて良いでしょう。

 どこで戦争をやめれば良かったではなくて、最初から戦争をしなければ良かったが正解だと思います。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!