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朝鮮半島、中国を植民地にして、その時点で進行を止めることはできなかったのか?
タイ、シンガポールまで進出せず、また真珠湾攻撃をしかけなければ、朝鮮、中国は日本の領土になり得たのでは?
日本帝国の最終目標は何を目指していたのでしょうか?

A 回答 (18件中11~18件)

朝鮮半島を統治することは、南下政策により満州に野心を持っていたソ連の脅威が本土に及ばなくするための自衛でした。

原爆投下後に北海道に進行してきたロシアの動きから、ロシアの戦略は明らかです。朝鮮戦争でソ連と対峙して初めて、マッカーサーは日本が朝鮮を日本の領土にした理由を理解したのです。ソ連は日露戦争の報復をするために日本に侵攻してくるので、それを食い止めたのです。

当時の中国は英米独仏など列強各国に都市を割譲していました。日本は列強のように武力で開国を求めたのでなく、平和的に貿易をしていました。中国国内では各地で軍閥が勢力争いを続けていて、国家の体をなしていなかったのです。そのような無政府状態の中、日本の居留民が大勢虐殺されるという事件が頻発したのです。それを防ぐためには、日本も軍隊を出動させ、邦人の保護にあたる必要があったのです。これが戦後の占領政策の中で「侵略」とされたのです。それをそのまま信じている日本人も多いのが、現在の日本の不幸の元凶なのです。

世界恐慌から立ち直るため、欧米諸国は「経済ブロック」と称する排他的な経済同盟を組織しました。対日禁輸はその方策の一つです。日本はこれに対抗するため、当時欧米の植民地になっていた東アジア諸国が団結し、経済協力する道を求めていたのです。これを「大東亜共栄圏」といいます。現在では軍国主義的な胡散臭い響きがありますが、当時の日本としては大真面目な外国政策だったのです。

日本は敗戦したため、このような政策の責任を取らされましたが、戦勝国は第二次大戦以前の植民地政策に対して、何ら謝罪も補償もしていません。あたかも日本だけが大罪を犯した野蛮国家のように言われますが、五大国の犯した人道的な罪と比較すると、「当時はそのような時代だったのだ」と言える範囲のことです。
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何を求めたかって、ただの自衛ですよ。



幕末から維新にかけて、日本はなんとしても
植民地にされまい、と必死でした。
それは明治憲法を見てもわかります。
明治憲法は臨戦態勢の憲法です。

アヘン戦争、露寇事件などがあり、日本は
防衛のために全力を尽くすことにしただけです。

朝鮮半島を併合したのは、あそこが露西亜の植民地
にされて、軍事基地でも設営されたら、日本の安全
が脅かされるからです。

日清日露戦争は、実に半島を巡る戦いでした。
中国も同じです。
攻撃は最大の防御です。
日本は、列強のように地球の裏側まで出かけた
わけではありません。
利権もむざぼっていません。
朝鮮や台湾は皆赤字経営でした。

アメリカは、キューバにミサイル基地ができる、という
ことで第三次大戦覚悟で海上封鎖に出ました。
隣国に強敵の軍事基地ができるということは大変なことなの
です。
現代の日本人は、平和ボケしているので、そういう軍事的
見地から物事を見ることができなくなっているのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。

マッカーサーは戦後、あの戦争は日本の自衛戦争であったと
米国議会で証言しています。
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crossover2013 さん、こんばんわ。




朝鮮半島、中国を植民地にして、その時点で進行を止めることはできなかったのか?

朝鮮はすでに植民地です。中国は台湾が植民地で、満州国がもう半分植民地でしたが、さすがに中国全土になると問題ですね。アメリカが待ったをかけました。
タイ、シンガポールまで進出せず、また真珠湾攻撃をしかけなければ、朝鮮、中国は日本の領土になり得たのでは?

可能性はありますが、今頃になって朝鮮の独立、満州国の中国併合なんてことになっているかもしれません。それまで、日本
は外的要因からストレスを感じざる負えません。
日本帝国の最終目標は何を目指していたのでしょうか?

実はとても底が浅いけど、大東亜共栄圏の確立というのはあくまでお題目のようなものですね。たぶん、満州国のように実はアジアの国々を植民地支配しようとしていたのではないでしょうか?それって、アジアの人から見れば、日本が欧米列強に代わっただけでしょう。
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>朝鮮半島、中国を植民地にして、その時点で進行を止めることはできなかったのか?



 無理
 例えば『オレンジ計画』ってご存じ?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AC% …

 米国による日本への攻撃計画です。
これが始まったのは1920年 日本だと大正9年です

 米国は元から日本攻撃する気満々ですよw
それに対日敵視政策はもっと前からです

1913年、排日目的の「外国人土地所有禁止法」。
アメリカ市民になり得ない外国人(日系1世)の不動産取得、保有、使用、譲渡を禁止。
法案のなかには、日本人の営業不許可や日本人学童を隔離するものまで含まれていた。
1922年ケーブル法成立。アメリカ市民(日系2世)が非アメリカ市民と結婚した場合は市民権を失う。
1924年、「移民法」で日本人の移民を全面的に禁止。別名「排日移民法」。



>日本帝国の最終目標は何を目指していたのでしょうか?
 日本人の生命の確保

尚1940年頃の日本の人口は7000万以上
 で、石油や鉄鉱石など輸入に頼らず生産可能な食料は約3000万人分
でABC包囲網なので日本への輸出全面禁止さてて、4000万人は飢えて死ね!
 といわれたら誰でも生きるために抵抗するとは思います。
 ※ 尚、米国から朝鮮、中国を米国に差し出せと言われてます
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 欧米の列強が狙っているアジアを先に獲ってしまったので、脅威であるとして欧米より睨まれ、そこでやめるわけに行かなくなった。

この程度は想定できたはずだが、日本の見識は甘かった。

 何を目指していたのか。大東亜共栄圏。しかし仮に韓国と中国が領土になっていたら、東京にはもっと大陸の人が沢山いることとなっていたのであって、日本という国の枠組みは実質的に解体されていただろう。大東亜共栄圏は実は日本解体の思想だったのではないか。
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真意がどうか問われても、過ぎたことだから確かめようもないので、wikiに載ってある事実から



事の発端は日露戦争から。日清戦争で勝った日本は、台湾などの領土を獲得しましたが、ロシアをはじめとしてフランス・ドイツとの三国干渉で返還を余儀なくされました。
そしてロシアは、清との密約を交わし、これが日露戦争の原因になります。
さて、結局はアメリカの仲介によってポーツマス条約が結ばれました。
これにはアメリカの中国進出の意図がありましたが、結果として締め出されてしまいました。これに日比谷焼き討ちの米大使館放火も加えて、対日感情悪化の原因となってます。

さて、その後日本は満州事変などが原因となって国際連盟から脱退します。
そしてドイツのヴィシー政権樹立に伴い、日本の仏印進駐及び日独伊三国軍事同盟が起きます。
これによりアメリカは日本を敵国と見なして、ABCD包囲陣を展開、日本に対して石油と鉄鋼の輸出を禁止、
さらに日本軍の中国撤退、三国同盟破棄などが書かれているハル・ノートを提出。これが太平洋戦争のきっかけになりました。

まあ結果としては、ハル・ノート「中国撤退」と書いてありますから、質問にある内容は無理だったでしょう。ポーツマス条約の時点でアメリカに恩返しをしてやれば、少しはマシになったかもしれませんね

まあ最初に言いましたが、過ぎたことですし、束の間でも平和を謳歌できる時代になって良かったと思いません?
って、なんで回答者が質問してるんだ…
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石油の安定供給

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>日本帝国の最終目標は何を目指していたのでしょうか?



亜細亜から欧米列強による植民地搾取や切支丹による奴隷売買をなくし、民族自決の大東亜共栄圏を目指していた。


アメリカに宣戦布告したのは時期尚早であった。
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