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まだ、洗濯板で洗濯したり、やかまどを使ってご飯を炊いていた頃の主婦の1日は、いったいどんなスケジュールだったでしょうか?
現在の主婦の1日と比較するというテーマで調べています。
そういったことを知っている方、もしくはそういうことが載っている書物を知っている方、ぜひ教えてください。

A 回答 (5件)

都会のサラリーマンの家庭の主婦の一日です。



朝5時位起き。

朝食の準備。                       2時間位
釜で炊く米飯、味噌汁、お菜、よく豆腐屋のラッパ、納豆の売り声が
聞こえ買います。
床下のぬかみその手入れをして、糠漬を取りだします。
これに結構時間がかかります。

食後は10分位、話をしたり、ラジオを聞いたりして休憩。  
 (親が死んでも食休み)

食後の後片付けと寝具の片付け。            30分位      

掃除、洗濯。                         2時間以上
はたき懸け、箒で掃き、板の間(廊下、便所)の雑巾がけ。
終われば外の井戸端でたらいと洗濯板でごしごし洗う。
井戸は手押し式吸い上げポンプで隣と共同で使う。
お隣の奥さんと話しながら洗濯。
息抜きでもある。
数軒で共同の井戸もあり、洗濯時間は井戸端会議といわれる
情報交換の場になる。
うちでも通りすがりの近所の奥さんが加われば同様。
洗濯ものは高い物干し竿(三段もある)に吊るす。
これも大変な仕事でよく手伝わされた。
終われば外の簡単な掃除。

休憩  冬はこたつなどで減る。             1~2時間
午前の仕事終わり、おやつ食べながら新聞やラジオでほっと一息。

昼食の準備、食事、あと片付け。            1時間位
冷や飯とお菜は残り物や佃煮、食休みはしっかりと。

午後は日により変わる雑用。               1~2時間
薪割りや木炭を切るのももよく手伝わされた。 
休日の夏はバケツに張った冷水に、西瓜をつけておき皆で食べた
(2個位食べても安かったなあ)。
風呂を焚く日は風呂桶に水入れ、釜の灰の掻きき出しと廃棄(石炭)

休憩   お三時を食べながら。              15分位

洗濯物の取り込みと整理。                 30分位

息抜きを兼ねた買い物(市場へ)、御用聞きが寄るので
それで間に合うこともある。                 1時間位   

裁縫、時間があればラジオを聴きながら、ほころび縫い、
靴下の破れ穴かがりなど。                  1時間位

夕飯の準備、食事。                      1時間位
食休み。                             10分位
あと片付け。                           30分

寝床作り(冬は時間がかかる)。                30分位

夜8時位になりあとは自由時間、歓談やラジオ。
風呂は入る人が自分でやります。


 かすかな記憶頼りで 時間は大まかなものです。
 午後は日により、暇なしとやや暇ありがあります。
 午前中は余裕があります。
 大邸宅だと掃除が一番大変かもしれません。
  
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
参考になりました。
やっぱり、今と全然違いますね。

お礼日時:2013/08/15 18:16

No.2です。




4時 、、、 起床。食事の用意。

5時、、、、 暖を取るための準備 練炭の用意

6時 、、、 家族を起こし、布団を片付ける。歯磨き、着替え、洗顔 食事

7時 、、、 父親は、畑。母親は、後片付けその後、体調が良いときは洗濯。その後洗濯が終ったら
畑仕事に出かける。(8時過ぎ)

7時半、、、 子供は、学校に行く。

12時過ぎ、、 両親は、昼ご飯のため、帰宅。

1時、、、 父は、畑。母は、後片付け、風呂掃除。風呂の水張り。その後、畑。

3時 、、、 母だけ帰宅。洗濯物は、生乾きなので小屋の中に、干し竿のまま取り込む。
野菜の細々とした仕事(小豆を鞘から取り出す、切り干し大根を作るとか)、薪割り。
子供が帰ってくる。宿題など勉強

4時 、、、 冬場は、家中の雨戸を閉める。練炭の用意。夕飯の用意。風呂の焚きつけ。

5時、、、 父親が、畑から帰る。風呂に入る。

6時 、、、 食事。母又は、私が後片付け。

7時、、、 子供は、風呂に入る。勉強。

8時 、、、 子供就寝。母は、繕い物。

9時、、、 両親、就寝。


ざっと、こんな感じでしょうかね、、。

お役にたてましたでしょうか?

5時
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この回答へのお礼

大変役にたちました。
もっと勉強します。
ありがとうございました!!

お礼日時:2013/08/15 18:18

後期高齢者です。



慶応3年生まれの祖母が生きていた頃。

政令都市の真ん中であっても以下の如しでした。

朝4時(季節によって空が白む頃が目安)起床。
井戸(手押しポンプ)で若水を出す。(何度も操作して水を新鮮なものに)無論水道、都市ガスは普及していました。

冬なら「からげし」(消し炭)に切り火と穂口で火をつけ(マッチはふんだんにありましたよ。でも神棚の火はこの形で付けた火で無いと)七輪で炭、練炭に火を熾します。

商家の朝は冷御飯、温かい正餐は昼。(使用人が来るので)

神棚を清掃水、塩、榊を、礼拝後、仏壇にうっぱんと水、供花、線香、礼拝。

すぐ味噌汁を作り、香の物を刻み、ハレの日であれば卵焼きも付く。
普通は片口鰯の干したものを焼いたのが付けば上等。
(私は御飯が嫌なので同居の伯母に連れられて公園へ行き5時から開けている店で牛乳とバターかジャムを塗った食パンを毎日)

云うまもなく奥庭で風呂の残り湯を木の盥にあけ洗濯板と固形の石鹸で家中の衣類を。さすがに濯ぎは水道。

日によって(10日に一度くらい)郊外の百姓がお礼の農産物(大根など)を持って肥を汲みに。汚れるので新聞紙を何重にも敷き。
水洗が普及しだしたのは戦後(無論戦前からありましたが切り替えは高額の自己負担でしたから普及しなかった)

二階の物干しで干す頃、子供はスクールバスで幼稚園へ(給食です)

すぐに昼御飯の支度。8時半には使用人が出勤。

昼の菜は近畿一円では「船場汁」(塩鯖のアラと大根の薄切りを澄まし汁で)や鰊茄子の醤油煮、佃煮、じゃこ豆か海老豆。(縮緬山椒などは昭和50年頃から出てきたもの)漬物の種類は豊富ですが自家製のどぼ漬けなども。

昼が済むと御用聞きが次々やってきますから主婦はその応対に休む暇無し。

夏なら氷屋が冷蔵庫用の氷を配達、冬なら炭屋が。

たまに時間が十分でも取れると新聞を読むのが関の山。

昔はちゃぶ台(お膳)は無く(ほぼ戦後のもの)各自箱膳で手の空いた者から食べるのが普通、家族そろってと言うのは商家ではまず無い。(今でも)

主婦はエプロンをつけて立って食事する時も屡。

洗濯物を取り入れるとアイロン(電気アイロンはあったけれど冬は火鉢に鏝を入れてそれで)

しかし夏休みが始まると多くの商家は海(大阪なら泉州あたり、京都なら日本海へ)で農家の離れを1ケ月程借りて子供達母親は夏休み中そちらへ。父親は仕事があるので精々2,3回顔を出すのみ。
この間の使用人の食事は女中さんが担当。

夏以外子供達は毎日外へ追いやられ日の暮れるまで遊び惚けて。

昔の夕飯は6時頃、その準備に母親は御用聞きが持ってきた品物から4時には夕食の準備、食事は仕事をしている父親を除いて、各自、まず子供、祖母辺りから。
母親は給仕に徹してその後ひっそり食事。

父親は同席で食事はしません。必ず別膳で別献立(豪華)。

子供、年寄は8時になるともう寝る時間。

母親は父親の相手と後片付けの後は繕い物に精を出す。

でも9時には全員寝ています。

そんな毎日。

都市部と農村では違うでしょうが、農村での母親はもっと大変。

井戸汲み、風呂の炊きつけ、農作業、食事の支度、 藁打ち、繕い物、洗濯と行き継ぐ暇もなかったと思います。

今とあんまり変わらないのは腰弁(サラリーマン)家庭かも。

でも洗濯、アイロン掛け、炊事、風呂たての水汲み火付けは重労働だったに違いありません。

だらだらと失礼しました。

*毎月一日に方々の神社仏閣へ御参りに行くのが女性の息抜きになっていたようですよ。
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61歳の主婦です。



子供の頃、(小学低学年)家事をやってました(やらされてた?)

朝は、4時頃起きて、(子供だったため、手順が悪く母親よりも

早めに起きてやってました)

お米を洗い、洗ったお米をお釜に入れ、水の量は、

お米の表面に右手中指をつけて、付け根の処まで、、と測ります。

母は、中指の二関節でした。(手の大きさが違うから)

新聞紙1枚にマッチで火を付け、竈に入れてた小枝に火を付けて、次に大きな薪を燃やします。

始めは、弱火で中ほどで強火にします。何があっても、蓋をとってはいけません。

「始めチョロチョロ、中パッパ、赤子泣いても蓋とるな」とも言います。

だいたい、1時間かかります。

ご飯を炊いてる間に、味噌汁、お菜を作ります。

冬場は、それらが、出来上がる頃、七輪に同じように火を起こし、練炭を入れ、練炭に火が着いたら

練炭火鉢に入れ直し 室内を暖めます。これがだいたい、30分位かかります。

朝の準備が終わったら家族を起こします。

母親が、病弱だったため、私は、8歳の頃からこれらの事をやってました。

それから私は学校に行ってましたが、学校が休みのときは、洗濯もしてました。

家の前に、小川が流れていたのでそこに、タライと洗濯板を持って行き洗ってました。

洗濯時間は、洗う量によって違いましたが、1時間以上は掛かっていたと思います。

子供の手ですし、握力が無かったので、ほとんど、ビショビショで、今の脱水機みたいには

絞れませんので、夏場でも、乾くのに2日は掛かってました。

それから、お昼の用意をして、お菜は、ご飯と漬け物ですね。

山の中に住んでましたので、お菜は、ほとんど、野菜ばかりです。

月に1回ほど、町のほうから行商の人が来て魚の干物を売りに来てました。

クジラの塩漬けは美味しかったなぁー!

夕方、4時位になると夕飯の用意です。

ご飯は、朝、炊いた冷たく冷めたものです。

家の前が畑でしたので、ほとんど、ジャガイモの煮っころがし、、とか、

ゼンマイの煮付けや芋がらが多かったですね。

卵は、庭に鶏を飼ってましたので たっぷり食べてました。

夜は、洗濯物の生乾きが多かったので、火鉢の上に傘して乾かしていました。

電気も、ワット数が低かったのでしょうか、今と比べて室内が薄暗かったですね。

でも、私の洗濯板での洗濯は、1年くらいでしたね。

父が、その頃普及し始めた洗濯機を購入してくれましたから。

昭和45年、高校を卒業した私は、就職で上京して、初めて豚肉とハムを食べ

その美味しさに感動したものです。

その頃までは、肉といえば、庭で飼っていた卵を産まなくなった鶏肉を食べてましたから。

一日中が、洗濯と食事の用意で追われてましたね。
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この回答へのお礼

本当にありがとうございます。

お掃除、裁縫風呂沸かしなどの作業は、どんな感じで
また、1日の大まかな時間ごとのスケジュール(大まかで結構です)
がわかるととても助かります。

もし、よろしければ付け足してください。

よろしくお願いします。

お礼日時:2013/08/14 16:10

私の祖母の生活を紹介します。



朝は、夜明け前に起きて、飯の支度をします。
お米をといで、火をおこすことから始めます。

火は薪を使います。
新聞紙を呼び火として利用します。
ご飯が炊ける間に、おかずを造ります。
朝食と昼飯を一緒に造ります。

頃合いを見計らって、家族をたたき起こし、洗顔させ
食事を取らせます。

家族が職場や学校に出かけた後は、掃除と洗濯です。
掃除は、箒とハタキです。
毎日掃除しますが、週に一度ほど、新聞紙を水に濡らして
ちぎったものをばらまき、それを箒で集める、という
掃除をします。

洗濯はもちろん、たらいと、洗濯板です。
当時は都会では洗濯石鹸が出回っていましたが
田舎では米のとぎ汁などを使っていたようです。

それが終わったら、買い物に出かけます。
そうこうしている間に、家族が帰ってきます。
それから夕食の支度です。
これも朝食と同じく、火をおこす仕事から始めます。

食事を採ってから風呂に入りに行きます。
当時は家庭にお風呂などありませんから、共同浴場です。
風呂に出かけている間に、バルサンを炊いて
虫を駆除します。

お風呂が終わると家族を寝かしつけ、最後に自分が
就寝します。

そのほかに、繕い物などをせっせとやります。
簡単な衣服は総て自前です。
穴があいたら直します。

昔に比べると、今の主婦は暇ですなあ。
テレ朝の調べでは、専業主婦の実労働時間は2,5H
だと言います。
それでも忙しいと文句を言います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

もしわかったら、
それぞれの作業時間の目安がわかると大変助かります。
よろしくお願いします。

お礼日時:2013/08/14 06:19

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